和ませ屋仇討ち始末

志波 連

文字の大きさ
57 / 72

佃島へ

しおりを挟む
 お朝の家がある本所南町から鉄砲洲の船着き場までなら、横川沿いをまっすぐ下り、仙台掘りから永代橋を渡れば、大人の足なら一刻もかからない。
 日ごろから鍛え上げている男たちの早足なら、半刻ほどで着く距離だ。

「今の鐘は?」

 宇随の声に柴田が答える。

「木戸閉まり前の知らせでしょう。囚人の護送があるなら相当な数の同心が霊岸島あたりをうろうろしているはずですよね」

「なるほど、佃島も同じだろうか」

 柴田が続ける。

「聞いた話ですが、佃島と言っても囚人たちは船から船へ移すらしいです。出張っているとしたら御船手組でしょうね」

 久秀が顔を向けた。

「船から船だと? だとしたら荷はどこで積むのだ?」

 柴田が難しい顔をした。
 宇随がひょいと思いついたように言う。

「食料以外は数日前かもしれんな。八丈大船はどこから出るんだ?」

「大船は浅瀬には入れないのですよ。だから佃島で停泊して待っている……囚人たちを乗せたらすぐに出港でしょうね。だからそれより先に乗せておく必要があるわけだ……しかしその小舟はどこから出すのだろう」

「あの近くに山名藩にかかわる屋敷があっただろうか……船が出せるような場所……」

 久秀が宙を睨んだ。
 柴田がポンと久秀の肩を叩く。

「山名藩の上屋敷は四谷だが、次兄の妾の家ならここから近いぜ?」

「え?」

 柴田が眉を下げながら言った。

「偶然だが次兄を見かけたことがあるんだ。確か木挽橋の近くだった」

「木挽橋?」

「ああ、あそこなら汐留を廻れば下手から佃島に渡れる。行くか?」

 宇随が声を出す。

「当たっていれば御の字だが、万が一ということもある。賭けだな……」

 久秀が静かな声で言った。

「目的地は佃島というのは絶対ですから、確実な方を狙いましょう。柴田と山本、そして正晴と女が三人となると、木挽橋あたりの川に入る小舟一艘では無理だ。二艘で出ると考えるのが妥当だと思います」

「どう分ける?」

「山本と女が三人、そして柴田と正晴でしょうか」

「ああ、俺もそう思う」

 敢えて咲良を『女』と一括りに言った久秀を、宇随が悲痛な目で見た。
 柴田がふと疑問を口にする。

「富士屋は?」

「奴らはすでに生きてはおるまい。その木挽町の家にでも転がっているんじゃないか?」

「まあどうでも良いことだ」

「どちらにしても陸に降ろさねばなるまいよ。先ほどの割り振りが正解なら、図らずも俺たちの相手と、お前たちの相手が別舟ということだ」

 三人が難しい顔をしていた時、ずっと黙って控えていた新之助が声を出した。

「あ……あれは……柳屋の番頭さんではないですか?」

「え?」

 振り向くと着物を尻まで絡げた男が懸命に走って来る。

「お~い、久さん」

「どうした! 柳屋で何かあったのか!」

「いや、違うよ。権さんの使いというのが柳屋に来て、三河屋の船を鉄砲洲から出すって伝えてくれと言うのさ。それと御船手組は権さんが差配するってさ。女将さんが合言葉で確認したから、味方で間違いねぇ」

「え? でも護送……」

「延期だそうだよ」

 ずっと駆けてきたのだろう、男の額にはびっしりと汗が浮いている。

「そいつはありがたい。ご苦労だったなぁ」

「いやいや、なんてことはないさ。俺っちは剣は使えねえから邪魔になってもいけねぇからすぐに戻るよ。いいかい? 伝えたよ」

「ああ、助かった。気を付けて帰ってくれ」

「それと宇随さん」

 宇随が口角を上げた。

「ままちゃは難し過ぎるって。あれから大変だったんだぜ? 米を洗わせたら半分は流しちまうし、小豆をゆでさせたら焦がしちまうし」

「ははは! そいつは悪かった。迷惑をかけたなぁ」

「迷惑じゃないけれど、宇随さんの口に入るのは、コゲ飯かコワ飯のどちらかだろうぜ。まあ、あの別嬪さんが必死こいて頑張ったということだけはわかってやっておくんなさいな」

「ああ、しかと承知した。お陰で百人力を得た思いだよ。気を付けて帰ってくれ」

「うん、じゃあ俺っちは帰って食えるままちゃを炊いておくよ。新ちゃん、帰ってくるのを皆で待ってるぜ。必ず帰って来いよ」

 新之助が笑顔を浮かべた。

「はい! 必ず帰っておいしいご飯を頂戴いたします」

 男は手を振って戻って行った。
 柴田が言う。

「とにかく佃島だな」

 その時、鉄砲洲の本港から三河屋の旗を掲げた船が近づいてきた。

「お~い、こっちこっち」

 久秀たちがそちらを見ると、三河屋の三良坂弥右衛門が乗っている。

「あんた……三良坂さんか」

「早く乗ってくださいな。佃島に向かいますよ」

 合言葉のつもりなのだろうか、紅白の手旗を振っている。
 一瞬迷ったが考える暇は無いとばかりに、久秀が一歩踏み出した。
 その後ろを新之助が続き、宇随と柴田も頷きあう。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

徳川慶勝、黒船を討つ

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。 もしかしたら、消去するかもしれません。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

処理中です...