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「あの厳しい教育をたった一人で六年か……よく耐えたものだ」
マリアが十歳となり、トーマスが高等部へと進んだ年、学友として過ごしていたアラバスの婚約者を決めるための試験が行われることになった。
文武両道で王族然とした態度を貫いていたアラバスは、間違いなく次期王となるに相応しいと評判の第一王子だ。
妃となる試験を受けることができるのは、当時十四歳だったアラバスと近い年齢であることと、実家が伯爵家以上の実子であることが条件となった。
上は十八歳から下は十歳の少女たちは、その年齢に関係なく同じ試験を受ける。
年少者には不利な試験だったが、その栄誉ある一席を勝ち取ったのはマリアだった。
「見目麗しく従順で、マナーはもちろん外国語は近隣三か国語以上をマスターとは……子供相手に無茶苦茶な条件だよな」
その無茶な条件を全てクリアしたのが我が妹だと聞いた時には耳を疑ったが、久しぶりに会ったマリアは、なるほどと納得できるほどの聡明な美少女に成長していた。
第一王子アラバスと婚約を結んだマリアは、王子妃教育のために王都へと移ることになる。
しかしあの父親と後妻が住む屋敷に戻ることになるのだ。
トーマスは寮を出る決意をし、すぐさま行動に移した。
「お帰りなさいませ」
顔ぶれがガラッと変わっていた久々の実家は、うらぶれた感が否めない状態だった。
置かれている調度品はちぐはぐで、下品な印象さえ受ける。
「父上は?」
初めて見る侍従長にそう声を掛けると、申し訳なさそうな顔でこう答えた。
「奥様とご一緒に観劇にお出かけでございます」
「マリアは?」
「ご自室で過ごしておいでです」
予想通りといえばその通りなのだが、淡い期待を見事に裏切られたトーマスは盛大な溜息を吐くしかなかった。
「マリア、入るよ」
子供の頃に使っていた部屋を訪ねると、軽やかな足音がして勢いよく扉が開いた。
「兄さま! お会いしたかったわ!」
十歳といえばまだ子供だ。
何の躊躇もなく抱きついてきたマリアに、泣きたくなるほどの喜びを感じた。
「マリア! 今帰ったよ。今日からは僕もここに住むから、ずっと一緒にいるからね」
「嬉しいです。兄さま……本当に嬉しい」
その翌日から、トーマスとマリアは登下校を共にした。
学園でマリアに向けられたのは、羨望の眼差しだけではない。
好奇心に含まれた陰湿な妬みの感情。
そんなマリアを、学友であったアレン・ラングレーがトーマスと共に守ってくれた。
「友人は不要。王子妃となる者として君臨せよとは……上級生もいるのに酷いことを言う」
そういう理由でマリアに友人はいない。
しかも王都に住む貴族子女たちにとって、マリアはポッと出の田舎貴族令嬢なのだ。
ましてや実家の侯爵家の評判は悪く、資産も少ないときている。
立場上敬うそぶりを見せてはいたが、腹のうちは推して知るべしというところか。
実家の力や身分を考慮するなら、マリアは絶対に選ばれてはいなかっただろうが、妃試験は五次試験まであったというのだから、文句のつけようは無いということだろう。
「本人次第か……言うのは簡単だが、その負担たるや想像できるものではない。友人もなく、頼れる親も無いなんて過酷すぎる」
トーマスとマリアはお互いだけが努力の理由だった。
それまではどこか投げやりな考えを持っていたトーマスが、文武に励み始めたのも、すべてはマリアの為だ。
たとえ側近に選ばれずとも、文官として王宮に出仕し、できるだけ近くで王子妃マリアを助けたいという一心が、トーマスを突き動かした。
「側近として選ばれたのは僥倖だったが、こんな事になるなんて……」
あれほど近くに見えていた月が、いつの間にか遠くへと離れている。
「マリア……お前が子供らしくいられたのは、たった三年だったね。本当にご苦労様。ゆっくり休めばいい。そして目覚めたら、この兄と一緒に領地に戻ろうか。僕たちは生き急ぎ過ぎたのかもしれない。これからはのんびりとゆっくり生きていこうな」
トーマスのつぶやきを聞いていたのは、小さな花瓶に揺れる野の花だけだった。
マリアが十歳となり、トーマスが高等部へと進んだ年、学友として過ごしていたアラバスの婚約者を決めるための試験が行われることになった。
文武両道で王族然とした態度を貫いていたアラバスは、間違いなく次期王となるに相応しいと評判の第一王子だ。
妃となる試験を受けることができるのは、当時十四歳だったアラバスと近い年齢であることと、実家が伯爵家以上の実子であることが条件となった。
上は十八歳から下は十歳の少女たちは、その年齢に関係なく同じ試験を受ける。
年少者には不利な試験だったが、その栄誉ある一席を勝ち取ったのはマリアだった。
「見目麗しく従順で、マナーはもちろん外国語は近隣三か国語以上をマスターとは……子供相手に無茶苦茶な条件だよな」
その無茶な条件を全てクリアしたのが我が妹だと聞いた時には耳を疑ったが、久しぶりに会ったマリアは、なるほどと納得できるほどの聡明な美少女に成長していた。
第一王子アラバスと婚約を結んだマリアは、王子妃教育のために王都へと移ることになる。
しかしあの父親と後妻が住む屋敷に戻ることになるのだ。
トーマスは寮を出る決意をし、すぐさま行動に移した。
「お帰りなさいませ」
顔ぶれがガラッと変わっていた久々の実家は、うらぶれた感が否めない状態だった。
置かれている調度品はちぐはぐで、下品な印象さえ受ける。
「父上は?」
初めて見る侍従長にそう声を掛けると、申し訳なさそうな顔でこう答えた。
「奥様とご一緒に観劇にお出かけでございます」
「マリアは?」
「ご自室で過ごしておいでです」
予想通りといえばその通りなのだが、淡い期待を見事に裏切られたトーマスは盛大な溜息を吐くしかなかった。
「マリア、入るよ」
子供の頃に使っていた部屋を訪ねると、軽やかな足音がして勢いよく扉が開いた。
「兄さま! お会いしたかったわ!」
十歳といえばまだ子供だ。
何の躊躇もなく抱きついてきたマリアに、泣きたくなるほどの喜びを感じた。
「マリア! 今帰ったよ。今日からは僕もここに住むから、ずっと一緒にいるからね」
「嬉しいです。兄さま……本当に嬉しい」
その翌日から、トーマスとマリアは登下校を共にした。
学園でマリアに向けられたのは、羨望の眼差しだけではない。
好奇心に含まれた陰湿な妬みの感情。
そんなマリアを、学友であったアレン・ラングレーがトーマスと共に守ってくれた。
「友人は不要。王子妃となる者として君臨せよとは……上級生もいるのに酷いことを言う」
そういう理由でマリアに友人はいない。
しかも王都に住む貴族子女たちにとって、マリアはポッと出の田舎貴族令嬢なのだ。
ましてや実家の侯爵家の評判は悪く、資産も少ないときている。
立場上敬うそぶりを見せてはいたが、腹のうちは推して知るべしというところか。
実家の力や身分を考慮するなら、マリアは絶対に選ばれてはいなかっただろうが、妃試験は五次試験まであったというのだから、文句のつけようは無いということだろう。
「本人次第か……言うのは簡単だが、その負担たるや想像できるものではない。友人もなく、頼れる親も無いなんて過酷すぎる」
トーマスとマリアはお互いだけが努力の理由だった。
それまではどこか投げやりな考えを持っていたトーマスが、文武に励み始めたのも、すべてはマリアの為だ。
たとえ側近に選ばれずとも、文官として王宮に出仕し、できるだけ近くで王子妃マリアを助けたいという一心が、トーマスを突き動かした。
「側近として選ばれたのは僥倖だったが、こんな事になるなんて……」
あれほど近くに見えていた月が、いつの間にか遠くへと離れている。
「マリア……お前が子供らしくいられたのは、たった三年だったね。本当にご苦労様。ゆっくり休めばいい。そして目覚めたら、この兄と一緒に領地に戻ろうか。僕たちは生き急ぎ過ぎたのかもしれない。これからはのんびりとゆっくり生きていこうな」
トーマスのつぶやきを聞いていたのは、小さな花瓶に揺れる野の花だけだった。
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