愛すべきマリア

志波 連

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「アシュ? どうしたの? ぽんぽん痛いの?」

 近づいて来たのはマリアだった。
 暑かったのかガウンを脱いで、今日勝ち取ったピンクの夜着だけの姿だ。

「おまっ! なんて格好をしてるんだ! 来るなっ! 近寄っちゃダメだ!」

「なあぜ?」

 股間を抑えて苦しむアラバスの膝にポスッと座るマリア。
 いつもなら可愛らしいと思えるマリアが、今のアラバスには小悪魔に見えた。

「ダメだ! 降りろ……頼むから……離れてくれ」

「どしたの? アシュ? いたいいたい飛んでけしゆ?」

 アラバスの顔を覗き込もうと、膝に座ったまま体をずらそうとしているばかりか、アラバスが必死で抑えている場所を擦ろうと手を伸ばしてくる。

「動くな! 頼むから……動いてくれるな……ああ! もうっ! もう無理!」

 アラバスは、無造作にマリアを抱き上げると、夫婦のベッドにドサッと降ろした。

「アシュ?」

「マリア……すまん……マリア……一生恨んでくれていい……いや、ダメだ! ダメだダメだダメだ! マリア、自分のベッドに戻れ」

 アラバスはまだ残っている理性と良心を総動員して、己を制御した。

「痛ぁい!」

 マリアを遠ざけようと振り払った手がマリアに当たってしまった。
 ベッドから転がり落ちるマリア。

「あっ……すまん。大丈夫か」

 口ではそう言いながらも、両手で股間を抑えていなくては暴れてしまうアラバスジュニアを制御するので精一杯だ。

「マリア! 早く! 早く逃げろ!」

 アラバスはそう叫ぶと、自身の顔を殴りつけて正気を保とうとした。

「殿下? アラバス様? 大丈夫ですか?」

「マリア?」

 マリアがスッと立ち上がり、枕を嚙んで淫魔と戦っているアラバスの髪を優しくなでた。

「なぜ? お前……マリアなのか? あのマリアなのか?」

 それには返事をせず、マリアが半泣きになっているアラバスの頭を胸に抱え込んだ。

「お辛いのでしょう? 幸い婚姻式は終わったようですし、どうやら私たちは初夜のベッドにいるみたいですわね。だとしたら何の遠慮がいりましょうか。どうぞ存分に愛してくださいませ」

「ああ……マリア……マリア」

 アラバスの中に残っていた理性が焼き切れた。
 
 早朝目覚めた侍女たちは、夫婦の寝室で眠りこける二人を見て悲鳴を上げた。

「きゃぁぁぁぁぁ! なんてことなの!」

 その声に飛び起きたアラバスは、自分もそうであるにもかかわらず、まずマリアの裸体をシーツで覆った。

「マリアを自室に連れていけ。もう少し眠らせてやって欲しい。それと……王宮医を呼べ」

 動きだした侍女たちを呆然と見ながら、アラバスは小さく呟いた。

「やばい……トーマスに殺される」

 バタバタとやって来た王宮医が、眠っているマリアを診察している。
 マリアの声が聞こえたような気もするが、アラバスはそれどころではなかった。
 テーブルを片づけようとしているメイドに、何も触るなと命令し、すぐに護衛騎士を呼びに走らせる。

「おそらく媚薬が混入している。俺に効果があったということは、新種か他国のものかだろう。徹底的に調べろ。必ず犯人を突き止めるんだ」

「はっ!」

 床に散らばっていた夜着を体に巻きつけ、アラバスは深い溜息を吐きながら、もう一度ソファーに体を投げ出した。

「いくら媚薬のせいだといってもなぁ。これじゃあ幼児虐待だろ。しかし昨夜のマリアは……戻ったのか? ではもう幼子のマリアではない? いやしかし……」

 自己嫌悪の沼に沈み込んでいるアラバスは、内扉が開く音に顔を上げた。
 簡素なワンピースドレスを着せてもらったマリアが、ふくれっ面でアラバスを睨んでいる。

「診察は終わったのか?」

 それには答えず、両手を腰に当てて仁王立ちしたマリアは、精一杯怖い顔をしているつもりらしい。

「アシュはマリアにいじわるした! ママに言いつけてやるもんね!」

「ママ? ああ、王妃陛下か……こりゃ死刑だな。ハハハ」

 おそらくすぐにでも呼び出しがあるだろうと覚悟を決めたアラバスは、のろのろと立ち上がり、着替えを始めた。

「兄上!」

 駆け込んで来たのはカーチスだった。

「早く逃げろ! 母上が……母上がぁぁぁぁ」

 そう叫んだカーチスの体が吹き飛ばされたように転がった。

「アラバス、覚悟はできていて?」

 夜着のままガウンを羽織っただけの姿でやって来た王妃は、鬼の形相をしている。

「はい、母上。いかような罰も受ける所存です」

「そう? 殊勝な心がけね。まずは言い訳を聞くわ。ついていらっしゃい」

「はい……」

 まだ転んだままの弟を助け起こし、市場に売られていく仔牛のように王妃の後を歩くアラバス。
 窓の外では小鳥たちが囀り、爽やかな朝の訪れを知らせていた。
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