76 / 100
76
しおりを挟む
そしてその夜、シラーズに向かったカーチスを除く四人が、約束の場所であるバラ園の木陰に潜んだ。
「誰がやる?」
アラバスの声にアレンが答えた。
「この中では僕の声が一番知られていないだろう? 僕が話そう。姿は見せないから問題ないさ」
月は無く、虫の音だけが聞こえる。
その虫の音がピタッと止み、誰かが来たことが分かった。
「バッカス?」
「俺はここだ。東屋に入れ」
「どうしたの? バッカス。今夜連れ出してくれるのでしょう?」
「準備はしてきたのか? それにしても身軽だな」
「大丈夫よ。バッディから連れてきた使用人たちに分散して持たせているから。彼らもすぐに後を追ってくるわ」
数秒の沈黙にダイアナが焦る。
「バッカス? ねえ、なんとか言ってよ」
アレンが低い声を出した。
「お前はやはり間抜けだ。奴らはすでにバッディに戻っている。お前の言う私財とやらはすべて国庫に返還されているよ」
「なんですって? あの者たちが裏切った? まさか……一生私に尽くすと言っていたのに」
「そのまさかさ。一生尽くすといったって、それは報酬があるからだ。当たり前だろう?」
ダイアナが拳を握った。
「でも……でも……西の国の王太子様が求めておられるのは私でしょう? 私さえ行けば満足してくださるはずよ。だって私は西の国の王妃にと望まれているのだもの」
「それはどうかな?」
「いいえ! 絶対にそうよ。だってあんなに優しい言葉を綴ったお手紙を下さるような方ですもの。私をぜひ迎え入れたいって書いてあったわ。だから早く連れて行ってちょうだい。お金は無くなってしまったけれど、あの方のお望みだったバッディ辺境領の戦力配置はここにあるわ。それにあのトーマスって男は私にべた惚れだもの。少し色目を使って聞いたら、何でもペラペラと喋ったわ。この国の戦力も次期王の為人もすべて把握しているわ。きっと喜んで下さるはずよ」
軽いヒステリー状態になったダイアナの前に、一人の男が姿を現した。
「バッカス?」
そう言ったダイアナの目が見開く。
「お……お兄様……なぜ……」
バッディ新王となったダイアナの兄が、悲しそうな顔で妹を見た。
「ダイアナ、お前はいったい何が不満なのだ? いったい何がしたい?」
兄の声にダイアナが数歩後退った。
「ダイアナ! 答えよ!」
「ひぃっ!」
ガタガタと体を振るわせるダイアナ。
「お前は西の国に行き、我が国を滅ぼそうとしたのか? シラーズを飲み込み、ここワンダリアも手中に収めるつもりだったのか? お前の望みは何だ」
「わ……私の望みは……皇帝妃として君臨することよ! そうよ、お兄さまを私の前に跪かせるのよ! でも私たちは兄妹ですもの。私を皇帝妃として認めるなら、バッディを優遇してもいいわ」
パシッと小気味良い音が庭園に響く。
バッディ王が妹の頬を打った音だった。
「お兄様……」
「お前は第一王女として厳しい教育にも耐えてきたではないか。本当によくやっていると思っていたよ。それなのになぜそのような妄想を抱くようになった?」
「だって……いくら頑張っても私は国王にはなれないのよ? お兄様より優秀な成績をとっても、政治の駒としてどこかに嫁ぐしかないの。そんなのバカバカしいわ。私は頂点に立つべき人間よ!」
「バカが……そう考えた時点でお前には無理だ。国政を甘く考えすぎている」
「フンッ! なんとでも言えばいいわ。私は私の実力で人生を切り開くの。お兄さまなんかに負けやしないわ」
バッディ王がフッと息を吐いて肩を落とした。
「そうか、それならば好きにしなさい。西の国へ行きたいのだったな? 国境まで送ってやろう。そこでお前とは縁きりだ。二度と我が国の土は踏ませない。それで満足か?」
ダイアナは答えず、ただ肩を震わせている。
トーマスが茂みから姿を現した。
「トーマス? なぜあなたまで……どういうことなの?」
「君は初めから監視対象だったよ。僕が君に流した情報はすべてガセだ」
「……」
「戻るなら今しかない。決断せよ」
「……行くわ。私は皇帝妃になる」
トーマスが一歩前に出る。
「やめた方がいい。死ぬことになるのだぞ」
ダイアナの肩がビクッと揺れた。
「だって……だって……」
バッディ王がトーマスの肩に手を置いた。
「トーマス殿、ありがとう。しかしもうこれまでだ。妹のことは諦める。あなたが相手ならこの子も幸せになるだろうと思ったのだが……あなたには損な役回りを押し付けてしまった。本当に申し訳なかった」
そう言うとバッディ王はスラッと剣を抜いた。
「お兄様? 私を殺すというの? そんなことができるの?」
「ああ、私はバッディ王国の国王だ。国のためならたとえ我が子であったとしても、為すべきなら躊躇はしない」
「お兄様……」
その時バラの茂みの向こうからマリアが顔を出した。
「何してるの?」
「マリア!」
アラバスとトーマスとアレンがほぼ同時に叫んだ。
「誰がやる?」
アラバスの声にアレンが答えた。
「この中では僕の声が一番知られていないだろう? 僕が話そう。姿は見せないから問題ないさ」
月は無く、虫の音だけが聞こえる。
その虫の音がピタッと止み、誰かが来たことが分かった。
「バッカス?」
「俺はここだ。東屋に入れ」
「どうしたの? バッカス。今夜連れ出してくれるのでしょう?」
「準備はしてきたのか? それにしても身軽だな」
「大丈夫よ。バッディから連れてきた使用人たちに分散して持たせているから。彼らもすぐに後を追ってくるわ」
数秒の沈黙にダイアナが焦る。
「バッカス? ねえ、なんとか言ってよ」
アレンが低い声を出した。
「お前はやはり間抜けだ。奴らはすでにバッディに戻っている。お前の言う私財とやらはすべて国庫に返還されているよ」
「なんですって? あの者たちが裏切った? まさか……一生私に尽くすと言っていたのに」
「そのまさかさ。一生尽くすといったって、それは報酬があるからだ。当たり前だろう?」
ダイアナが拳を握った。
「でも……でも……西の国の王太子様が求めておられるのは私でしょう? 私さえ行けば満足してくださるはずよ。だって私は西の国の王妃にと望まれているのだもの」
「それはどうかな?」
「いいえ! 絶対にそうよ。だってあんなに優しい言葉を綴ったお手紙を下さるような方ですもの。私をぜひ迎え入れたいって書いてあったわ。だから早く連れて行ってちょうだい。お金は無くなってしまったけれど、あの方のお望みだったバッディ辺境領の戦力配置はここにあるわ。それにあのトーマスって男は私にべた惚れだもの。少し色目を使って聞いたら、何でもペラペラと喋ったわ。この国の戦力も次期王の為人もすべて把握しているわ。きっと喜んで下さるはずよ」
軽いヒステリー状態になったダイアナの前に、一人の男が姿を現した。
「バッカス?」
そう言ったダイアナの目が見開く。
「お……お兄様……なぜ……」
バッディ新王となったダイアナの兄が、悲しそうな顔で妹を見た。
「ダイアナ、お前はいったい何が不満なのだ? いったい何がしたい?」
兄の声にダイアナが数歩後退った。
「ダイアナ! 答えよ!」
「ひぃっ!」
ガタガタと体を振るわせるダイアナ。
「お前は西の国に行き、我が国を滅ぼそうとしたのか? シラーズを飲み込み、ここワンダリアも手中に収めるつもりだったのか? お前の望みは何だ」
「わ……私の望みは……皇帝妃として君臨することよ! そうよ、お兄さまを私の前に跪かせるのよ! でも私たちは兄妹ですもの。私を皇帝妃として認めるなら、バッディを優遇してもいいわ」
パシッと小気味良い音が庭園に響く。
バッディ王が妹の頬を打った音だった。
「お兄様……」
「お前は第一王女として厳しい教育にも耐えてきたではないか。本当によくやっていると思っていたよ。それなのになぜそのような妄想を抱くようになった?」
「だって……いくら頑張っても私は国王にはなれないのよ? お兄様より優秀な成績をとっても、政治の駒としてどこかに嫁ぐしかないの。そんなのバカバカしいわ。私は頂点に立つべき人間よ!」
「バカが……そう考えた時点でお前には無理だ。国政を甘く考えすぎている」
「フンッ! なんとでも言えばいいわ。私は私の実力で人生を切り開くの。お兄さまなんかに負けやしないわ」
バッディ王がフッと息を吐いて肩を落とした。
「そうか、それならば好きにしなさい。西の国へ行きたいのだったな? 国境まで送ってやろう。そこでお前とは縁きりだ。二度と我が国の土は踏ませない。それで満足か?」
ダイアナは答えず、ただ肩を震わせている。
トーマスが茂みから姿を現した。
「トーマス? なぜあなたまで……どういうことなの?」
「君は初めから監視対象だったよ。僕が君に流した情報はすべてガセだ」
「……」
「戻るなら今しかない。決断せよ」
「……行くわ。私は皇帝妃になる」
トーマスが一歩前に出る。
「やめた方がいい。死ぬことになるのだぞ」
ダイアナの肩がビクッと揺れた。
「だって……だって……」
バッディ王がトーマスの肩に手を置いた。
「トーマス殿、ありがとう。しかしもうこれまでだ。妹のことは諦める。あなたが相手ならこの子も幸せになるだろうと思ったのだが……あなたには損な役回りを押し付けてしまった。本当に申し訳なかった」
そう言うとバッディ王はスラッと剣を抜いた。
「お兄様? 私を殺すというの? そんなことができるの?」
「ああ、私はバッディ王国の国王だ。国のためならたとえ我が子であったとしても、為すべきなら躊躇はしない」
「お兄様……」
その時バラの茂みの向こうからマリアが顔を出した。
「何してるの?」
「マリア!」
アラバスとトーマスとアレンがほぼ同時に叫んだ。
905
あなたにおすすめの小説
邪魔者は消えますので、どうぞお幸せに 婚約者は私の死をお望みです
ごろごろみかん。
恋愛
旧題:ゼラニウムの花束をあなたに
リリネリア・ブライシフィックは八歳のあの日に死んだ。死んだこととされたのだ。リリネリアであった彼女はあの絶望を忘れはしない。
じわじわと壊れていったリリネリアはある日、自身の元婚約者だった王太子レジナルド・リームヴと再会した。
レジナルドは少し前に隣国の王女を娶ったと聞く。だけどもうリリネリアには何も関係の無い話だ。何もかもがどうでもいい。リリネリアは何も期待していない。誰にも、何にも。
二人は知らない。
国王夫妻と公爵夫妻が、良かれと思ってしたことがリリネリアを追い詰めたことに。レジナルドを絶望させたことを、彼らは知らない。
彼らが偶然再会したのは運命のいたずらなのか、ただ単純に偶然なのか。だけどリリネリアは何一つ望んでいなかったし、レジナルドは何一つ知らなかった。ただそれだけなのである。
※タイトル変更しました
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
すれ違いのその先に
ごろごろみかん。
恋愛
転がり込んできた政略結婚ではあるが初恋の人と結婚することができたリーフェリアはとても幸せだった。
彼の、血を吐くような本音を聞くまでは。
ほかの女を愛しているーーーそれを聞いたリーフェリアは、彼のために身を引く決意をする。
*愛が重すぎるためそれを隠そうとする王太子と愛されていないと勘違いしてしまった王太子妃のお話
【改稿版・完結】その瞳に魅入られて
おもち。
恋愛
「——君を愛してる」
そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった——
幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。
あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは……
『最初から愛されていなかった』
その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。
私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。
『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』
『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』
でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。
必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。
私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……?
※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。
※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。
※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。
※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
次は絶対に幸せになって見せます!
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢マリアは、熾烈な王妃争いを勝ち抜き、大好きな王太子、ヒューゴと結婚したものの、結婚後6年間、一度も会いに来てはくれなかった。孤独に胸が張り裂けそうになるマリア。
“もしもう一度人生をやり直すことが出来たら、今度は私だけを愛してくれる人と結ばれたい…”
そう願いながら眠りについたのだった。
翌日、目が覚めると懐かしい侯爵家の自分の部屋が目に飛び込んできた。どうやら14歳のデビュータントの日に戻った様だ。
もう二度とあんな孤独で寂しい思いをしない様に、絶対にヒューゴ様には近づかない。そして、素敵な殿方を見つけて、今度こそ幸せになる!
そう決意したマリアだったが、なぜかヒューゴに気に入られてしまい…
恋愛に不器用な男女のすれ違い?ラブストーリーです。
〈完結〉デイジー・ディズリーは信じてる。
ごろごろみかん。
恋愛
デイジー・ディズリーは信じてる。
婚約者の愛が自分にあることを。
だけど、彼女は知っている。
婚約者が本当は自分を愛していないことを。
これは愛に生きるデイジーが愛のために悪女になり、その愛を守るお話。
☆8000文字以内の完結を目指したい→無理そう。ほんと短編って難しい…→次こそ8000文字を目標にしますT_T
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる