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番外編 4 永遠のマリア 2
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「お兄さま?」
「あのね、ジャスミン。アレン卿はお前のことが大切だからこそ、離れることを選んだんだ。絶対に嫌っているわけじゃない。それはわかってやらなくちゃいけないよ」
「私はアレンに振られたんだわ。もう何度も振られ続けてきたけれど、今度こそキッパリと拒絶されてしまったのよ……アレンはきっと私のことを嫌っているのだわ」
「そんなことを言っては、ジャスミンのために自ら危険に飛び込んだアレン卿が気の毒だな。いいかい? ジャスミン。お前には二つの道がある」
「二つ?」
「ああ、二つだ。言い換えると二つしか道は無いんだよ。一つ目はワンダリア王国の第一王女としての責務を全うすることだ。要するに政略結婚を受け入れて、どこぞの王族に嫁ぎ、ワンダリア王国の未来に貢献する」
ジャスミンがそっと目を伏せた。
ニヤッと口角をあげながら、アダムスが続ける。
「そして二つ目は、それらを全て捨て去る覚悟を示し、自分の思いを貫くことだ。わかるかな?」
「……」
「ゆっくり考えて決めればいい。僕はジャスミンの幸せだけを祈っているんだよ。でもね、これは僕だけじゃない。おじい様もおばあ様も、もちろん父上も母上も弟や妹たちもだ」
「うん……ありがとうお兄さま」
アダムスがジャスミンのおでこにキスをした。
「気持ちが決まったなら僕に言いなさい。策を授けてやろう」
それからひと月、ジャスミンは改めて自国の置かれた状況や、他国との関係を調べた。歳入や歳出はもちろん、予想できる災害などのリスクも全て考えた。
それはもう考えに考え抜いて、ある結論に達したジャスミンは、覚悟を決めてマリアを訪れた。
「まあ、ジャスミン。あなたから来てくれるなんて珍しいわね」
「お母様、いろいろとご心配をおかけしております」
「そうね。確かに心配ね」
「あのね、お母様。相談したいことがあるの」
ジャスミンは真剣な顔で自分の決意を率直な言葉で伝えた。
「わかったわ。私はあなたの意思を尊重しましょう」
ジャスミンがマリアに抱きついた。
「お母様……ありがとうございます」
「私はアラバスと結婚するとき、政略結婚なのだから信頼と尊敬があればそれでいいと自分に言い聞かせていたわ。でもね、それは違うと教えてくれたのは、自分自身だと言っても過言ではないほどの親友よ。彼女はアラバスにも愛を教えてくれたわ。そして私たちの人生は幸福に満ち溢れたの」
「私もその方に一度お会いしてみたいです」
「そうね……私も会いたいわ」
母の助言により、ジャスミンは祖母であるカレンにも決意を伝えた。
大きく頷き、あなたの気持ちを尊重すると言ってくれた祖母に抱きつくジャスミン。
心を決めたジャスミンは、何か憑き物が落ちたような顔で、兄であるアダムスの執務室へと向かった。
「やあ、ジャスミン。その顔は決まったようだね」
執務を中断してまで自分を優先してくれた兄に感謝をしながら、ジャスミンは大きく頷いた。
「ええ、お兄さま。どうぞ愚かな妹に秘策をお授けください」
アダムスが語った策に納得したジャスミンは、すぐに行動を開始した。
今までのらりくらりと受け流していた王女教育も熱心に受け、外交の席や夜会にも積極的に参加する。
地方への視察も嫌がることなく出向き、各地で王女への羨望と尊敬を受けるようになった。
無口になったジャスミンに、萎れ切っていた父アラバスとも笑顔で会話するようになり、時間が空けば国王の執務室へ自作のクッキーを持参する日々。
トーマスもカーチスも、やっと平常を取り戻したジャスミンに胸を撫でおろすのだった。
そして三年の月日が流れ、ジャスミンは十八歳になった。
婚約だけは受け入れないままだったが、それ以外は文句のつけようがない立派な王女だ。
そんなある日、アダムスがジャスミンをお茶に誘った。
「いいか、ジャスミン。父も叔父も伯父も絶対に敵ではない。彼らはね、この世界の何よりもお前を大切に思っているんだよ。もちろんこの僕もね。だが、彼らは『世間一般でいう女の幸せ』を与えることが、お前の幸せだと思っている」
「ええ、嫌われているなんて思ったことはないし、愛されていると実感もしているわ。でも」
「うん、お前は賢い子だ『でも自分が望むのはそれじゃない』そう言いたいのだろ?」
「その通りだわ」
「わかるよ。ジャスミンが欲しいのは『愛する人との幸せ』だものな。他人からは不幸に見えたとしても、自分たちが幸せならそれでいい。それは人としては間違っていない。でもね、僕たちには王族としての義務がある。お前のそのドレスも、艶やかな髪も肌も、全ては民たちの働きによって得たものだ」
「もちろんよ。ずっと幼い頃から骨の髄まで叩き込まれてきたもの」
「ああそうだね。そういうところは父上も母上も厳しかったよね。だからこそ僕はお前に『まずは王女としての責務を果たせ』と言ったんだ」
「うん」
「そしてお前はこの三年、本当に立派だったよ。僕が霞むほどにね」
「お兄さまこそ本当に努力をなさっていたわ。やってみてお兄さまのご苦労がほんの少しだけれどわかったもの」
「そう言ってくれると嬉しいよ。さあ、いよいよ最後の仕上げだ。これでダメならキッパリ諦めなさい。チャンスは一度だ」
ジャスミンの顔が引き締まった。
そして運命の日がやってくる。
マリアはまたまた巻き込まれたカーチスと目線で合図を交わし、その時を待っていた。
「来ました。アレン伯爵が到着しました」
「わかったわ、ジャスミンに合図を」
頷いた侍女が駆け出す。
それと同時に、カーチスが部屋の前で待機していた騎士に何事かを告げて走らせ、自らもアラバスの執務室へと走った。
その頃、一時帰国し王城に足を踏み入れたアレンは、報告のためにアラバスの執務室へと急いでいた。
その横をバタバタと騎士達が駆けてゆき、使用人達も何事かと不安な顔をしているのを見たアレンは、少し遅れて走ってきた騎士を捕まえる。
「何事か」
「あっ! ラングレー閣下。王女殿下が! ジャスミン殿下が湖に落ちたとっ!」
「なんだと!」
ウェストランドから連れてきた文官たちを置き去りに、アレンが全速力で駆けだした。
幼いころから知り尽くした王城だ。
王族居住区を抜けた方が早いと判断し、中庭を横切り建物の中に入る。
「アラバス!」
「アレンか! ジャスミンが自殺を図ろうとしている!」
「落ちたのではないのか!」
二人は走りながら短い会話を交わしつつも、速度は全く落ちていない。
先を走っていたカーチスをあっさりと抜き去り、湖に到着したアラバスとアレンが見たのは、ボートに乗ったジャスミンだために
「ジャスミン! 何をしているんだ! 早く戻ってこい!」
アラバスが駆け寄ると、その横でアレンが上着を投げ捨てた。
ウェストランド宰相の勲章に泥がつくことなど気にも留めていない。
「ジャスミン……さあ、こっちにおいで。僕を困らせないでくれよ」
ジャスミンが震える声を出した。
「だって……この国にはアレンがいないんだもの。私、頑張ったのよ? でもダメなの。アレンがいないとダメなの……こんなに好きなのに……こんなに……」
「ジャスミン。君の頑張りはウェストランドにも届いていたよ。本当によくやっていた。僕は鼻が高かったんだ。でもね、ジャスミン……今君がしようとしていることはいけないことだ」
「どうして? だって私はアレンがいない世界なんていらないんだもの。アレンが……アレンが……」
アラバスが声を出そうとした時、マリアが袖を引いた。
「今じゃないわ」
ぐっと歯を食いしばるアラバスだったが、マリアの言葉に頷いた。
騎士達が飛び込む体制をとり、湖のほとりで待機している。
「ジャスミン……君がそこまで思いつめているなんて……全て僕の責任だ。僕はどうすればいい? 僕にできることなら全てを叶えよう」
「私はあなたと……アレンと共に生きていきたい。それが叶わないなら生きていたくない」
「わかった。そこで待っていてくれ。迎えに行く」
そう言うなりアレンは湖に飛び込んだ。
それを見たジャスミンもアレンに向かって飛び込む。
その場にいた全員が悲鳴を上げた。
兵士たちに続き、アラバスもトーマスもカーチスも飛び込んで、ジャスミンの元へと抜き手を切る。
それを見ているカレンとマリアは笑いを堪えていた。
「下手な舞台より面白いわ」
「ええ、本当に」
「浅いのにねぇ」
「ジャスミンは水術が得意なのにねぇ」
「夏だし?」
「ええ、ドレスじゃなくワンピースだし?」
抱えられているのか抱えているのかわからないほど絡まったアレンとジャスミンが岸に上がってきた。
濡れ鼠のジャスミンが、満面の笑みでアレンを見上げる。
その刹那、パシッという音がして、ジャスミンが頬をおさえた。
「バカか! お前はなんてことをしているんだ! 謝れ! ここにいる全員に頭を下げろ!」
アレンの声だ。
ジャスミンはしゃくりあげながらその場で膝をつき、湖から上がった騎士や、王城から走ってきた使用人たちに頭を下げた。
「迷惑を掛けました。申し訳ございません……本当にごめんなさい」
王族が膝をついて頭を下げる様子に、その場にいる全員が啞然とした。
アレンがジャスミンの隣に跪く。
「本当に申し訳なかった。ジャスミンには私が良く言って聞かせるから、どうか許してほしい。それに……これは僕が原因だ。僕が……逃げたんだ……すまん、ジャスミン」
ジャスミンがボロボロに泣きながらアレンを見上げた。
アレンがジャスミンを立たせてから、改めて跪く。
「ジャスミン・ワンダー第一王女殿下。私、アレン・ラングレーはあなたを心から愛しています。ずっとずっと好きでした。こんな臆病者ではありますが、もう二度と逃げません。どうかこの手を離さないでください……結婚しよう、ジャスミン。待たせてすまなかった」
「アレン……愛してるの。本当に愛しているのよ」
「うん、ごめん。知ってた」
抱き合う二人を引き剝がそうと手を伸ばしたアラバスにマリアが怒鳴った。
「アシュ! いい加減に諦めなよ! ジャスミンちゃんが幸せになれるんだよ? アシュとお姉ちゃんみたくなれるんだよ? ねえ、アシュお願いだから! えぇぇぇぇん」
「マリアちゃん?」
「もう出ないって言ってたのに、アシュがわからず屋さんだから出てきたんだもん。アシュだって本当はわかっているんでしょ? 意地悪しちゃダメ! うわぁぁぁぁぁん」
泣きじゃくるマリアヲ抱きしめながら、アラバスが何度も頷いた。
「ああ……そうだな。マリアちゃんの言う通りだ。ジャスミンが幸せなら他のことはどうでも良い事だった。また教えられたよ。ありがとう」
「うん、良いよ。じゃあもう寝るね? おやすみのご挨拶して?」
頷いたアラバスがマリアの耳元に唇を寄せた。
「ゆっくり休みなさい。良き精霊たちがマリアをお守りくださいますように。愛しているよ、俺の可愛い子うさぎちゃん」
「うん、マリアもアシュが好き! おやすみぃぃぃ」
マリアがフッと体を揺らした。
「マリア!」
気を失ったマリアを抱きかかえたまま、アラバスが全員に向かって一段大きな声を出した。
「我が娘が迷惑をかけてしまった。濡れた者はすぐに着替えてくれ。具合の悪くなった者は医務室へ。そしてワンダリア王国国王として、ここに娘ジャスミンとアレン・ラングレーの婚姻を認めると宣言する」
一斉に拍手が起こった。
アレンが抱きしめていたジャスミンを離し、アラバスに向かって臣下の礼をとる。
「心より感謝申し上げます。我が一生は妻とこの国に捧げましょう」
それには返事をせずアラバスは踵を返した。
カーチスが二人に駆け寄り抱きついた。
「おめでとうジャスミン」
「ありがとうカーチス叔父様。いろいろありがとうね」
そういうジャスミンにウィンクして、アレンに見えないように人差し指を口の前に立てた。
「かわいいお前のためなら、なんだってするさ」
ゆっくりと歩いてきたアダムス王太子が、ジャスミンにむかってサムズアップした。
「みんな! ご苦労だった。心から感謝する。解散してくれ」
その場にいた全員が頭を下げた。
アレンがボソッと言う。
「なぜだろう。そこはかとなく陰謀の匂いがする……」
アレンとジャスミンの婚姻は二年後となった。
これはアレンがウェストランドにジャスミンを連れて行くことに難色を示したからだ。
「約束では十年だったが、西の国に良い人材がいてね。育てれば宰相を任せられる。二年で結果を出す。だから待っていて欲しい」
「もう十八年も待ったのよ? 二年なんてあっという間だわ。でも必ず無事に戻ってきてね。絶対よ? じゃないと今度は崖から飛ぶからね?」
そしてアレンは見事に約束を守ったのだった。
おしまい
「あのね、ジャスミン。アレン卿はお前のことが大切だからこそ、離れることを選んだんだ。絶対に嫌っているわけじゃない。それはわかってやらなくちゃいけないよ」
「私はアレンに振られたんだわ。もう何度も振られ続けてきたけれど、今度こそキッパリと拒絶されてしまったのよ……アレンはきっと私のことを嫌っているのだわ」
「そんなことを言っては、ジャスミンのために自ら危険に飛び込んだアレン卿が気の毒だな。いいかい? ジャスミン。お前には二つの道がある」
「二つ?」
「ああ、二つだ。言い換えると二つしか道は無いんだよ。一つ目はワンダリア王国の第一王女としての責務を全うすることだ。要するに政略結婚を受け入れて、どこぞの王族に嫁ぎ、ワンダリア王国の未来に貢献する」
ジャスミンがそっと目を伏せた。
ニヤッと口角をあげながら、アダムスが続ける。
「そして二つ目は、それらを全て捨て去る覚悟を示し、自分の思いを貫くことだ。わかるかな?」
「……」
「ゆっくり考えて決めればいい。僕はジャスミンの幸せだけを祈っているんだよ。でもね、これは僕だけじゃない。おじい様もおばあ様も、もちろん父上も母上も弟や妹たちもだ」
「うん……ありがとうお兄さま」
アダムスがジャスミンのおでこにキスをした。
「気持ちが決まったなら僕に言いなさい。策を授けてやろう」
それからひと月、ジャスミンは改めて自国の置かれた状況や、他国との関係を調べた。歳入や歳出はもちろん、予想できる災害などのリスクも全て考えた。
それはもう考えに考え抜いて、ある結論に達したジャスミンは、覚悟を決めてマリアを訪れた。
「まあ、ジャスミン。あなたから来てくれるなんて珍しいわね」
「お母様、いろいろとご心配をおかけしております」
「そうね。確かに心配ね」
「あのね、お母様。相談したいことがあるの」
ジャスミンは真剣な顔で自分の決意を率直な言葉で伝えた。
「わかったわ。私はあなたの意思を尊重しましょう」
ジャスミンがマリアに抱きついた。
「お母様……ありがとうございます」
「私はアラバスと結婚するとき、政略結婚なのだから信頼と尊敬があればそれでいいと自分に言い聞かせていたわ。でもね、それは違うと教えてくれたのは、自分自身だと言っても過言ではないほどの親友よ。彼女はアラバスにも愛を教えてくれたわ。そして私たちの人生は幸福に満ち溢れたの」
「私もその方に一度お会いしてみたいです」
「そうね……私も会いたいわ」
母の助言により、ジャスミンは祖母であるカレンにも決意を伝えた。
大きく頷き、あなたの気持ちを尊重すると言ってくれた祖母に抱きつくジャスミン。
心を決めたジャスミンは、何か憑き物が落ちたような顔で、兄であるアダムスの執務室へと向かった。
「やあ、ジャスミン。その顔は決まったようだね」
執務を中断してまで自分を優先してくれた兄に感謝をしながら、ジャスミンは大きく頷いた。
「ええ、お兄さま。どうぞ愚かな妹に秘策をお授けください」
アダムスが語った策に納得したジャスミンは、すぐに行動を開始した。
今までのらりくらりと受け流していた王女教育も熱心に受け、外交の席や夜会にも積極的に参加する。
地方への視察も嫌がることなく出向き、各地で王女への羨望と尊敬を受けるようになった。
無口になったジャスミンに、萎れ切っていた父アラバスとも笑顔で会話するようになり、時間が空けば国王の執務室へ自作のクッキーを持参する日々。
トーマスもカーチスも、やっと平常を取り戻したジャスミンに胸を撫でおろすのだった。
そして三年の月日が流れ、ジャスミンは十八歳になった。
婚約だけは受け入れないままだったが、それ以外は文句のつけようがない立派な王女だ。
そんなある日、アダムスがジャスミンをお茶に誘った。
「いいか、ジャスミン。父も叔父も伯父も絶対に敵ではない。彼らはね、この世界の何よりもお前を大切に思っているんだよ。もちろんこの僕もね。だが、彼らは『世間一般でいう女の幸せ』を与えることが、お前の幸せだと思っている」
「ええ、嫌われているなんて思ったことはないし、愛されていると実感もしているわ。でも」
「うん、お前は賢い子だ『でも自分が望むのはそれじゃない』そう言いたいのだろ?」
「その通りだわ」
「わかるよ。ジャスミンが欲しいのは『愛する人との幸せ』だものな。他人からは不幸に見えたとしても、自分たちが幸せならそれでいい。それは人としては間違っていない。でもね、僕たちには王族としての義務がある。お前のそのドレスも、艶やかな髪も肌も、全ては民たちの働きによって得たものだ」
「もちろんよ。ずっと幼い頃から骨の髄まで叩き込まれてきたもの」
「ああそうだね。そういうところは父上も母上も厳しかったよね。だからこそ僕はお前に『まずは王女としての責務を果たせ』と言ったんだ」
「うん」
「そしてお前はこの三年、本当に立派だったよ。僕が霞むほどにね」
「お兄さまこそ本当に努力をなさっていたわ。やってみてお兄さまのご苦労がほんの少しだけれどわかったもの」
「そう言ってくれると嬉しいよ。さあ、いよいよ最後の仕上げだ。これでダメならキッパリ諦めなさい。チャンスは一度だ」
ジャスミンの顔が引き締まった。
そして運命の日がやってくる。
マリアはまたまた巻き込まれたカーチスと目線で合図を交わし、その時を待っていた。
「来ました。アレン伯爵が到着しました」
「わかったわ、ジャスミンに合図を」
頷いた侍女が駆け出す。
それと同時に、カーチスが部屋の前で待機していた騎士に何事かを告げて走らせ、自らもアラバスの執務室へと走った。
その頃、一時帰国し王城に足を踏み入れたアレンは、報告のためにアラバスの執務室へと急いでいた。
その横をバタバタと騎士達が駆けてゆき、使用人達も何事かと不安な顔をしているのを見たアレンは、少し遅れて走ってきた騎士を捕まえる。
「何事か」
「あっ! ラングレー閣下。王女殿下が! ジャスミン殿下が湖に落ちたとっ!」
「なんだと!」
ウェストランドから連れてきた文官たちを置き去りに、アレンが全速力で駆けだした。
幼いころから知り尽くした王城だ。
王族居住区を抜けた方が早いと判断し、中庭を横切り建物の中に入る。
「アラバス!」
「アレンか! ジャスミンが自殺を図ろうとしている!」
「落ちたのではないのか!」
二人は走りながら短い会話を交わしつつも、速度は全く落ちていない。
先を走っていたカーチスをあっさりと抜き去り、湖に到着したアラバスとアレンが見たのは、ボートに乗ったジャスミンだために
「ジャスミン! 何をしているんだ! 早く戻ってこい!」
アラバスが駆け寄ると、その横でアレンが上着を投げ捨てた。
ウェストランド宰相の勲章に泥がつくことなど気にも留めていない。
「ジャスミン……さあ、こっちにおいで。僕を困らせないでくれよ」
ジャスミンが震える声を出した。
「だって……この国にはアレンがいないんだもの。私、頑張ったのよ? でもダメなの。アレンがいないとダメなの……こんなに好きなのに……こんなに……」
「ジャスミン。君の頑張りはウェストランドにも届いていたよ。本当によくやっていた。僕は鼻が高かったんだ。でもね、ジャスミン……今君がしようとしていることはいけないことだ」
「どうして? だって私はアレンがいない世界なんていらないんだもの。アレンが……アレンが……」
アラバスが声を出そうとした時、マリアが袖を引いた。
「今じゃないわ」
ぐっと歯を食いしばるアラバスだったが、マリアの言葉に頷いた。
騎士達が飛び込む体制をとり、湖のほとりで待機している。
「ジャスミン……君がそこまで思いつめているなんて……全て僕の責任だ。僕はどうすればいい? 僕にできることなら全てを叶えよう」
「私はあなたと……アレンと共に生きていきたい。それが叶わないなら生きていたくない」
「わかった。そこで待っていてくれ。迎えに行く」
そう言うなりアレンは湖に飛び込んだ。
それを見たジャスミンもアレンに向かって飛び込む。
その場にいた全員が悲鳴を上げた。
兵士たちに続き、アラバスもトーマスもカーチスも飛び込んで、ジャスミンの元へと抜き手を切る。
それを見ているカレンとマリアは笑いを堪えていた。
「下手な舞台より面白いわ」
「ええ、本当に」
「浅いのにねぇ」
「ジャスミンは水術が得意なのにねぇ」
「夏だし?」
「ええ、ドレスじゃなくワンピースだし?」
抱えられているのか抱えているのかわからないほど絡まったアレンとジャスミンが岸に上がってきた。
濡れ鼠のジャスミンが、満面の笑みでアレンを見上げる。
その刹那、パシッという音がして、ジャスミンが頬をおさえた。
「バカか! お前はなんてことをしているんだ! 謝れ! ここにいる全員に頭を下げろ!」
アレンの声だ。
ジャスミンはしゃくりあげながらその場で膝をつき、湖から上がった騎士や、王城から走ってきた使用人たちに頭を下げた。
「迷惑を掛けました。申し訳ございません……本当にごめんなさい」
王族が膝をついて頭を下げる様子に、その場にいる全員が啞然とした。
アレンがジャスミンの隣に跪く。
「本当に申し訳なかった。ジャスミンには私が良く言って聞かせるから、どうか許してほしい。それに……これは僕が原因だ。僕が……逃げたんだ……すまん、ジャスミン」
ジャスミンがボロボロに泣きながらアレンを見上げた。
アレンがジャスミンを立たせてから、改めて跪く。
「ジャスミン・ワンダー第一王女殿下。私、アレン・ラングレーはあなたを心から愛しています。ずっとずっと好きでした。こんな臆病者ではありますが、もう二度と逃げません。どうかこの手を離さないでください……結婚しよう、ジャスミン。待たせてすまなかった」
「アレン……愛してるの。本当に愛しているのよ」
「うん、ごめん。知ってた」
抱き合う二人を引き剝がそうと手を伸ばしたアラバスにマリアが怒鳴った。
「アシュ! いい加減に諦めなよ! ジャスミンちゃんが幸せになれるんだよ? アシュとお姉ちゃんみたくなれるんだよ? ねえ、アシュお願いだから! えぇぇぇぇん」
「マリアちゃん?」
「もう出ないって言ってたのに、アシュがわからず屋さんだから出てきたんだもん。アシュだって本当はわかっているんでしょ? 意地悪しちゃダメ! うわぁぁぁぁぁん」
泣きじゃくるマリアヲ抱きしめながら、アラバスが何度も頷いた。
「ああ……そうだな。マリアちゃんの言う通りだ。ジャスミンが幸せなら他のことはどうでも良い事だった。また教えられたよ。ありがとう」
「うん、良いよ。じゃあもう寝るね? おやすみのご挨拶して?」
頷いたアラバスがマリアの耳元に唇を寄せた。
「ゆっくり休みなさい。良き精霊たちがマリアをお守りくださいますように。愛しているよ、俺の可愛い子うさぎちゃん」
「うん、マリアもアシュが好き! おやすみぃぃぃ」
マリアがフッと体を揺らした。
「マリア!」
気を失ったマリアを抱きかかえたまま、アラバスが全員に向かって一段大きな声を出した。
「我が娘が迷惑をかけてしまった。濡れた者はすぐに着替えてくれ。具合の悪くなった者は医務室へ。そしてワンダリア王国国王として、ここに娘ジャスミンとアレン・ラングレーの婚姻を認めると宣言する」
一斉に拍手が起こった。
アレンが抱きしめていたジャスミンを離し、アラバスに向かって臣下の礼をとる。
「心より感謝申し上げます。我が一生は妻とこの国に捧げましょう」
それには返事をせずアラバスは踵を返した。
カーチスが二人に駆け寄り抱きついた。
「おめでとうジャスミン」
「ありがとうカーチス叔父様。いろいろありがとうね」
そういうジャスミンにウィンクして、アレンに見えないように人差し指を口の前に立てた。
「かわいいお前のためなら、なんだってするさ」
ゆっくりと歩いてきたアダムス王太子が、ジャスミンにむかってサムズアップした。
「みんな! ご苦労だった。心から感謝する。解散してくれ」
その場にいた全員が頭を下げた。
アレンがボソッと言う。
「なぜだろう。そこはかとなく陰謀の匂いがする……」
アレンとジャスミンの婚姻は二年後となった。
これはアレンがウェストランドにジャスミンを連れて行くことに難色を示したからだ。
「約束では十年だったが、西の国に良い人材がいてね。育てれば宰相を任せられる。二年で結果を出す。だから待っていて欲しい」
「もう十八年も待ったのよ? 二年なんてあっという間だわ。でも必ず無事に戻ってきてね。絶対よ? じゃないと今度は崖から飛ぶからね?」
そしてアレンは見事に約束を守ったのだった。
おしまい
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続けてありがとうございます。
ご指摘のか所、伯爵に修正いたしました。
お久しぶりです。
85話だけ読み返してみました。過去メモも探したのですが、確固たるものはない状態でしたので、仰る通りだと思い、前王妃という言葉を削りました。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
最後までお付き合いいただき感謝です。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。