消された過去と消えた宝石

志波 連

文字の大きさ
1 / 66

1  事件発生

 突然大きな物音が響いた。
 階下で立ち働いていた者達は、大きく重たいものが倒れたような振動を感じ、咄嗟に天井を見上げる。
 暫しの沈黙の後、女性の声がした。

「誰か! 誰かすぐに来てちょうだい! 旦那様が!」

 すぐに反応したのは、この屋敷で執事を任されている山中だった。
 つい先月62才の誕生日を迎えたとは思えない俊敏な動きで、一段飛ばしで階段を駆け上がっていく。

「奥様!」

「こっちよ、こっち。早く! 早く旦那様を!」

 この屋敷の主である斉藤雅也の妻、小夜子が青い顔をして指さした部屋に駆け込む山中。

「ご主人様!」

 そこには車椅子ごと倒れている斉藤の姿があった。
 遅れて駆け付けたメイドに医者の手配を命じた山中は、車椅子を引き起こして斉藤の体を引き摺り上げるように座らせる。
 斉藤は今年で72才だが、若い頃からの不摂生が祟ったのか、心臓の病を患っている上に、斉藤より幾分か若い山中一人では持ち上げられないほどの巨漢だった。

「奥様、寝室にお運びします」

「ええ、お願い」

 車椅子の上でぐったりとしている夫を執事に任せ、小夜子は寝室の扉を開けた。
 南向きのそこは、大きく切り取られた窓が東南にあり、掃除の行き届いた心地よい部屋だ。
 夕食を終えたこの時間は、重厚なカーテンがひかれている。

「手伝うわ」

「いえ、奥様には無理です。千代さんを呼びますので」

 斉藤を寝かせる手伝いをしようとする小夜子を押しとどめ、山中は階下に向かって叫んだ。

「千代さん! 美奈さんも来て! 早く!」

 呼ばれたのはこの屋敷に住み込んでいる2人のメイドだ。
 千代と呼ばれた女は、若い頃に夫を亡くした寡婦で、厨房の管理を任されている。
 もう1人の美奈は、執事である山中の姪で、学生の頃に事故で両親を亡くしていた。
 3人とも千代が斉藤の後妻としてこの屋敷に入る前から勤めており、疑り深い斉藤の下でよく尽くし、この屋敷の維持管理に貢献している。

「まあ! ご主人様!」

 駆け寄る2人に手伝わせながら、山中が斉藤をベッドに下ろした。

「千代さん、お医者様は?」

「山本先生がすぐに来てくださいます」

「そうか……それにしても、このところ安定していたのに。夕食後の薬は?」

「いつも通りお飲みになりましたよ。ええ、お食事も残さず召し上がりましたし、全ていつも通りでしたよ」

「そうだよな……それは私も見ていたから……」

 そう言うと山中は、斉藤の枕元に呆然と立ち竦む小夜子に視線を向けた。

「奥様……急にお倒れになったのですか?」

「急に……そうですね。旦那様は夕食の後でいつものように執務室に行かれ、いつものようにご確認をなさって……急に……そうだわ。急に大きな声を出されて、車椅子から立ち上がろうとなさって、倒れてしまわれたの。私はいつも通り車椅子の後ろにいたから、一緒に転んでしまったのよ。起き上がってみたら旦那様が……急いであなた達を呼びに行ったの」

「倒れたのはコレクションのご確認の最中ですか?」

「ええ……金庫から出してボックスを開けて……そうね、その後すぐに大きな声を……」

 山中はメイド2人をその場で待機させて、小夜子と共に執務室に向かった。

「奥様……あれがありません。ご主人様が命より大事とおしゃっていた『女神の涙』が……」

 山中の声に息をのむ小夜子。
 その横で開いたままになっているコレクションボックスを凝視したまま山中が声を出した。

「別の場所に移されました?」

「いいえ。そんなお話しは聞いてないわ」

「今朝はあったのですか?」

「ええ、確かにあったわ。旦那様はいつものように『女神の涙』を箱からお出しになって、朝日に翳してうっとりしておられたの」

「全ていつも通りですね」

「ええ、変ったところは無かったと思う」

「警察に通報します。この部屋はこのまま封鎖しておきましょう」

「え……ええ……お願いします」

 山中は怯える小夜子を寝室に連れて行き、電話をするために執務室に戻った。
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。 人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。 防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。 どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。

「存じ上げませんが、どちら様ですか?」——忘れることが、最も残酷な復讐になった

歩人
ファンタジー
伯爵令嬢フィーネは婚約破棄のショックで過去の記憶を全て失った。名前も、家族も、婚約者も——何もかも。保護してくれた辺境の薬師に弟子入りし、「フィー」と名乗る少女として穏やかに暮らし始めた。朝は薬草を摘み、昼は薬を調合し、夕方は師匠の息子——無口だが優しい青年ルカスと一緒に夕焼けを見る。「私、前の自分より今の自分が好きです」。五年後。辺境に一人の貴族が現れた。やつれた顔で「フィーネ、迎えに来た」と。彼女は首を傾げた。「存じ上げませんが、どちら様ですか?」——嘘ではなく、本当に覚えていない。忘れることが、最も残酷な復讐になった。