泣き鬼の花嫁

志波 連

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31 山へ

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 それから右京は起きることも儘ならず、佐次郎の枕元を訪れることは無かった。
 二日ほど滞在していた小松伊十郎も、自宅からの迎えに渋々腰を上げることになる。

「さあ春乃、迎えが来たぞ。佐次郎殿の荷物は庭に出してあるから持っていけ。餞別などないぞ。やれやれこれでやっと旦那様にも滋養のあるものが食わせられるというものじゃ」

 右京の代わりに登城している道庭家前当主の留守の間に片づけてしまおうという魂胆だろうが、春乃にとってはかえってありがたかった。
 義父となる貞光も、現当主である右京もきっと止めるからだ。
 
「ご苦労さんです。すみませんのぉ」

 迎えに来た杣人たちに頭を下げる春乃。

「そんなことはどうでも良いですよぉ。ワシらが今日も暮らせとるのは全部佐次郎様のおかげですけぇのぉ」

 そう言ったのは佐次郎と共に戦場を駆けた長老格の男だった。

「ここにおるより山におった方が治りも早いかもしれませんでのぉ。良い決断ですよぉ」

 ニコニコしながらそう言ったのは荷車の轅を握っている男だ。

「あれぇ、あんたさんは薬草を届けてくれたお人じゃないか。あんときは遠くまでありがとありましたのぉ」

「いやいやぁ、駄賃まで貰ろうてすまんこってした。あんときの金はよぉけえ(たくさん)余っとりますけぇ、それで住む家は準備しとりますけぇのぉ」

「あれぇ、そりゃありがたいことじゃ。今日から佐次郎様と木のうろで寝にゃならんと覚悟しておりましたけぇ」

 そんな会話を苦々しい顔で縁側から見ていた佳代が声を出した。

「早う行きんさい! 煩そうてかなわん!」
「はいはい、それじゃ永のお暇をいただきます。お義父さまとお義兄さまにもどうぞよろしゅう」

「ふんっ!」

 廊下の板を蹴るように奥へと向かう佳代の背中に、杣人の一人が舌を出して鼻を鳴らした。

「佐次郎様が大好きじゃと言われとった右京さまの奥方様は鬼のような人ですのぉ」

 春乃が肩を竦めた。

「佐次郎さまが大飯ぐらいじゃったけぇねぇ。嫌われとりんさったのですよぉ。それにお義父さまもお義兄さまもえろう高い薬を買ってこられてのぉ。ますますご機嫌が悪うなって」

 佐次郎を寝かせた男がボソッと言った。

「宝山薬でしょう? あれは効きはしませんぞ。ただの気休めじゃけぇねぇ」

 春乃が声を出して笑った。

「そうなん? さすが義姉さまじゃねぇ。一度も飲ませんとすぐに返しに行きよりんさったけぇねぇ」

「ははは! なるほど。そりゃええわい」

 大きな佐次郎が荷車の上で寝ている姿は目立つのだろう。
 近所の子供たちが見物に駆け寄ってきた。
 杣人たちはそれを優しく追っ払いながら、一歩ずつ確実に山を目指す。
 山道に差し掛かった時、どこから現れたのか数人の男たちがやってきて、荷車の前後に取り付いた。
 長老格の男が言う。

「ここからは険しいけぇねぇ。ご新造さんも荷車に乗りんさい」

「ご……ご新造さん」

「そうじゃろう?」

 春乃が大きく頷いた。

「はいっ! 今日から私が佐次郎様の嫁ですけぇ」

 一人の男が春乃に近寄り軽々と持ち上げて荷車に乗せてくれる。
 春乃の荷物は風呂敷包みひとつだし、佐次郎のは権左に纏わせていた三人分の甲冑で、あとはホッタイソウが入った大きな籠だけだ。
 途中ですっと消えては、両手いっぱいに木の実やキノコを採ってくる杣人たち。
 佐次郎と春乃のために準備された山小屋につく頃には、数日分の食料が揃っていた。

 一方、尼子経久の居城では少し困ったことが起こっていた。
 頭を寄せ合って相談しているのは厩の管理を任されている者たちだ。

「何を出しても喰うてはくれん」

「厩役の佐竹様に相談してもどうにかしろとしかいわれんのじゃ」

「困ったのぉ。政久様が恋しいんかのぉ」

「そりゃそうじゃろう。奥方様が悋気を起こすほどの仲の良さじゃったけぇのぉ」

 丁度厩に愛馬を預けに来た安藤九衛門が通りがかった。

「何を難しい顔をしておるのか?」

 厩番たちは代わるがわる困っていることを話し始める。

「なるほどのぉ。流星は政久様のあとを追うつもりか。なんと賢い馬じゃのぉ」

 せっかく相談したにもかかわらず、指示も何も口にせず安藤は去っていった。
 その翌日、領主の会合に参加していた次男の国久が厩にやってくる。

「安藤に聞いたが流星が自殺しようとしているだと?」

 ドシドシと音をたてて歩く国久に、厩番たちは恐縮した。

「何を出しても食べてくれんのですよぉ」

「どれ、ワシがやってみようかの」

 厩番から流星の大好きなリンゴを受け取り鼻先に差し出す国久。
 しかしそれには目もくれず、じっと国久の目を見返す流星。
 ふとその時、流星の耳がブルンと動いた。

「ん? なんじゃ?」

 流星が顔を向けた方を見ると、初老の男が背中を丸めて歩いているではないか。

「あれは誰ぞ?」

 国久の側近が答える。

「あれは道庭のご隠居さんですよ。嫡男の右京さんが病で登城できんらしくてなぁ、代わりに来ておられますのじゃ」

「道庭? 知らんのぉ……流星と何か繋がりがあるのか?」

「さあ、繋がりまでは知りませんがのぉ、道庭といえば、ほれ。あの大きな岩のような男……なんというたかのぉ」

 国久がポンと手を打った。

「おおっ! 鬼の佐次郎か! あれが佐次郎の父親かぁ。なぁんじゃ、普通の大きさじゃのぉ」

「あの家では次男だけが大きな体だと聞いとりますよ。まだ生きとりんさるかのぉ」

 国久がニヤッと笑った。

「なにを言うか。鬼が死ぬものかよ。どれ、お前父親に聞いてこいや」

 側近が走り出す。
 短い会話を交わして走り戻ったその男が真面目な顔で報告した。

「息はしとるが眠ったままじゃそうなです」

「なんと……それほどか。あの毒が頭に回ってしもうたのかのぉ……それはいかんぞ。うん、それはいかん。よしっ、見舞いに参ろう」

「え?」

 側近の反応は正しい。
 この地方では随一の部門を誇る尼子家の次男が、雑兵を見舞うというのだ。

「あれはワシの代わりにやられたのじゃ。うん、小松も誘って見舞いに行くぞ」

「はっ」

 数人が走り去った。
 それを見ている国久の襟首を引っ張る者がいる。

「なんじゃ? 流星。お前も行きたいのか?」

 ブルンブルンと鼻を鳴らす流星。

「そうか、お前もあの男が心配か」

 前足をあげて柵をけ破ろうとする流星に慌ててかけ寄る厩番たち。

「兄上もお前の背が似合っておったが、あの男の騎乗姿もなかなかじゃったものなぁ」

 ふと何かを思いついたにか、国久が屋敷にひょこひょこと戻っていった。
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