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7 悪夢の始まり
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夜会の翌日、エヴァンス邸の人間の予想を大きく裏切り、約束通りエヴァンス家の家紋入りメダルをドナルドに渡したローラ。
「マジで楽しかったよ。でももういいかな。やっぱりあたいの住む世界じゃない。もう会うことも無いだろうけど、体には気を付けて長生きしなよ。それと約束通り買って貰ったモンは持っていくよ? これだけあれば当分食える。あたいはもう少し王都を楽しんだら、遠い街に行くよ」
玄関先でドナルドとリリーブランに別れを告げたローラは、本当にあっさりと去った。
「なんだか……怖いくらい素直ですわね」
「ああ、でもこれで終わったんだ」
リリーブランと短い言葉を交わしたドナルドは仕事に向かった。
半月ほどローラが滞在していた部屋を覗いたリリーブランは、もう3年近くも会っていない妹のマリアのことを考えた。
「マリア……どうしているのかしら」
年が離れているせいか、幼いころからあまり関わることが無かった妹のことを、急に懐かしく感じた自分を不思議に思いながら、リリーブランは本棚に残されていた本を手にした。
「懐かしいわ。『泣いた王子様』か。何度か読んであげたわね」
背表紙が破れかけたその童話を棚に戻し、リリーブランは静かに部屋を出た。
それから数日、まるで何事も無かったようにエヴァンス邸に日常が戻ってきた。
ドナルドは印で捺したような毎日を送り、リリーブランは友人の誕生日に贈るショールに刺しゅうをする日々。
午後のお茶を所望しようと、リリーブランが呼びベルに手を伸ばしかけたとき、激しくドアをノックする者がいた。
「どうぞ?」
駆け込んできたのは執事だった。
その手には紙の束が握られている。
「お嬢様、大変でございます。あの女が……あの女の仕業に違いません!」
「どうしたというの? 少し落ち着きなさい」
「これでございます」
執事が差し出した紙束を受けとり、数枚確認したリリーブランは立ち上がった。
「どういうこと! すぐにお父様に知らせてちょうだい!」
執事が駆け出していく。
リリーブランは唇を嚙みしめた。
彼女が握っているその紙束は、いろいろな商会から送られてきた請求書だった。
サインしているのはマリア・エヴァンス。
王都に居るはずのない妹の名を騙るのは、一人しかいない。
「あの子……最初からこれが目的だったのね……どうりで大人しく引き下がったはずだわ」
ローラが出て行った朝、なかなか素直なところもあるわなんて思った自分を怒ってやりたい。
しかし、今となってはどうしようもない。
見れば驚くほどの高額な物を購入したわけでも無さそうだ。
しかしこれ以上は見逃すわけにはいかない。
「商会に手紙を書いて、マリアの名前での買い物を止めなくては」
そう考えたリリーブランは、父親が戻る前に手紙を書き終えておこうとライティングテーブルに向かった。
数通の手紙を書き終えたとき、ふと考えた。
名のある商会が、マリアという名前だけで取引に応じるだろうか……。
そもそもあの娘は字が書けたのか?
考えればおかしい。
マリアの名を知っているのは数人だし、顔もわかるとなるとほぼ皆無だ。
なのになぜ信用取引に応じたのか?
「誰か信用できる人物が、マリアを紹介した? そんなことあるわけ無いわよね?」
自分では答えを出せないと思ったリリーブランは、今できることとして再び手紙を書き始めた。
数時間後、父親が帰宅したとの声に部屋を出たリリーブランは、ロビーに急いだ。
「お父様」
「ああ、大体は聞いた。何かやるとは思ったが、姑息な真似をしたものだ」
「ええ、取引に応じないように商会へ出す手紙は用意いたしました」
「ああ、そうか。助かるよ。すぐに持ってきてくれ」
リリーブランはメイドに指示をして取りに行かせた。
父親のあとをついて執務室に向かう。
後ろから見る父親の背中は、いつもより小さく見えた。
「これ以上何も無ければ良いが……」
「ええ、本当に」
父娘は溜息を吐きながら、執務室に入って行った。
リリーブランが用意した商会宛の手紙を確認したドナルドは、執事を呼びすぐに出すよう指示をした。
執事が退出した後、リリーブランが口を開いた。
「これでようやく終わりますわ」
「ああ、そうだといいが悪い予感しかしないよ」
「お父様……」
いつも難しい顔をして、会話もあまり続かない厳格な父親の弱った姿に、リリーブランは胸を痛めた。
ここは一人にした方がいいだろうと思い、明日の予定の話をして部屋を出ることにした。
「お夕食の時にお話ししようと思っていたのですが、学園時代の友人から、明日お茶会に誘われておりまして」
「そうか、行くのか?」
「ええ、何度もお手紙をいただいていますし、このひと月ほどなかなか出席もできておりませんでしたので」
「ああ……そうだな。わかった、行ってきなさい」
「はい、ありがとうございます。お夕食はすぐになさいますか?」
「いや、今日はいらない。そう伝えてくれ」
「畏まりました。それでは失礼いたします」
リリーブランは父親の執務室を出て、そのまま食堂に向かった。
父親の伝言を伝え、自分だけだから簡単なものでよいと言い添えた。
食事を終え湯あみをした後、リリーブランは窓を見た。
窓に映る自分の姿をなぜか見たくなくて、部屋の明かりを消した。
一気に浮かび上がる街の灯りをぼんやりと眺めていたら、全て夢だったような気分になってくる。
「夢だったら良かったのに」
ぽつんと呟いて、リリーブランはベッドにもぐりこんだ。
「マジで楽しかったよ。でももういいかな。やっぱりあたいの住む世界じゃない。もう会うことも無いだろうけど、体には気を付けて長生きしなよ。それと約束通り買って貰ったモンは持っていくよ? これだけあれば当分食える。あたいはもう少し王都を楽しんだら、遠い街に行くよ」
玄関先でドナルドとリリーブランに別れを告げたローラは、本当にあっさりと去った。
「なんだか……怖いくらい素直ですわね」
「ああ、でもこれで終わったんだ」
リリーブランと短い言葉を交わしたドナルドは仕事に向かった。
半月ほどローラが滞在していた部屋を覗いたリリーブランは、もう3年近くも会っていない妹のマリアのことを考えた。
「マリア……どうしているのかしら」
年が離れているせいか、幼いころからあまり関わることが無かった妹のことを、急に懐かしく感じた自分を不思議に思いながら、リリーブランは本棚に残されていた本を手にした。
「懐かしいわ。『泣いた王子様』か。何度か読んであげたわね」
背表紙が破れかけたその童話を棚に戻し、リリーブランは静かに部屋を出た。
それから数日、まるで何事も無かったようにエヴァンス邸に日常が戻ってきた。
ドナルドは印で捺したような毎日を送り、リリーブランは友人の誕生日に贈るショールに刺しゅうをする日々。
午後のお茶を所望しようと、リリーブランが呼びベルに手を伸ばしかけたとき、激しくドアをノックする者がいた。
「どうぞ?」
駆け込んできたのは執事だった。
その手には紙の束が握られている。
「お嬢様、大変でございます。あの女が……あの女の仕業に違いません!」
「どうしたというの? 少し落ち着きなさい」
「これでございます」
執事が差し出した紙束を受けとり、数枚確認したリリーブランは立ち上がった。
「どういうこと! すぐにお父様に知らせてちょうだい!」
執事が駆け出していく。
リリーブランは唇を嚙みしめた。
彼女が握っているその紙束は、いろいろな商会から送られてきた請求書だった。
サインしているのはマリア・エヴァンス。
王都に居るはずのない妹の名を騙るのは、一人しかいない。
「あの子……最初からこれが目的だったのね……どうりで大人しく引き下がったはずだわ」
ローラが出て行った朝、なかなか素直なところもあるわなんて思った自分を怒ってやりたい。
しかし、今となってはどうしようもない。
見れば驚くほどの高額な物を購入したわけでも無さそうだ。
しかしこれ以上は見逃すわけにはいかない。
「商会に手紙を書いて、マリアの名前での買い物を止めなくては」
そう考えたリリーブランは、父親が戻る前に手紙を書き終えておこうとライティングテーブルに向かった。
数通の手紙を書き終えたとき、ふと考えた。
名のある商会が、マリアという名前だけで取引に応じるだろうか……。
そもそもあの娘は字が書けたのか?
考えればおかしい。
マリアの名を知っているのは数人だし、顔もわかるとなるとほぼ皆無だ。
なのになぜ信用取引に応じたのか?
「誰か信用できる人物が、マリアを紹介した? そんなことあるわけ無いわよね?」
自分では答えを出せないと思ったリリーブランは、今できることとして再び手紙を書き始めた。
数時間後、父親が帰宅したとの声に部屋を出たリリーブランは、ロビーに急いだ。
「お父様」
「ああ、大体は聞いた。何かやるとは思ったが、姑息な真似をしたものだ」
「ええ、取引に応じないように商会へ出す手紙は用意いたしました」
「ああ、そうか。助かるよ。すぐに持ってきてくれ」
リリーブランはメイドに指示をして取りに行かせた。
父親のあとをついて執務室に向かう。
後ろから見る父親の背中は、いつもより小さく見えた。
「これ以上何も無ければ良いが……」
「ええ、本当に」
父娘は溜息を吐きながら、執務室に入って行った。
リリーブランが用意した商会宛の手紙を確認したドナルドは、執事を呼びすぐに出すよう指示をした。
執事が退出した後、リリーブランが口を開いた。
「これでようやく終わりますわ」
「ああ、そうだといいが悪い予感しかしないよ」
「お父様……」
いつも難しい顔をして、会話もあまり続かない厳格な父親の弱った姿に、リリーブランは胸を痛めた。
ここは一人にした方がいいだろうと思い、明日の予定の話をして部屋を出ることにした。
「お夕食の時にお話ししようと思っていたのですが、学園時代の友人から、明日お茶会に誘われておりまして」
「そうか、行くのか?」
「ええ、何度もお手紙をいただいていますし、このひと月ほどなかなか出席もできておりませんでしたので」
「ああ……そうだな。わかった、行ってきなさい」
「はい、ありがとうございます。お夕食はすぐになさいますか?」
「いや、今日はいらない。そう伝えてくれ」
「畏まりました。それでは失礼いたします」
リリーブランは父親の執務室を出て、そのまま食堂に向かった。
父親の伝言を伝え、自分だけだから簡単なものでよいと言い添えた。
食事を終え湯あみをした後、リリーブランは窓を見た。
窓に映る自分の姿をなぜか見たくなくて、部屋の明かりを消した。
一気に浮かび上がる街の灯りをぼんやりと眺めていたら、全て夢だったような気分になってくる。
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ぽつんと呟いて、リリーブランはベッドにもぐりこんだ。
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