4 / 43
4 来客
迷子の子供を古書店の店長に預けたあの日から、もう二週間は経っただろうか。
あれからどうなったのかを古書店の店長に聞こうかとも考えたが、他人の僕が立ち入り過ぎるのも良くないだろうと思っているうちに、その子の顔も忘れてしまった。
八月も半ばになると、海水浴客も少しずつ減ってきて、土日の昼時以外は閑散としている。
曜日にかかわらず、一番売れるのは焼きそばで、その次はかき氷だ。
しかし日本人っていうのは無類の麵好きだと思う。
暑くてもうどんの注文は減ることが無いのだ。
「今日も客が少なくて楽だな」
先輩が僕ではないもうひとりの子に話しかけた。
その子は聞こえないのか返事をしない。
よく見ると耳にイヤホンを突っ込んで、小刻みに膝を揺らしていた。
「なんだよ、仕事中に」
先輩は自分もおしゃべりがしたかったくせに、返事をしなかった子に悪態をついている。
人という生き物の身勝手さに笑いが込み上げた。
「先輩ってあの本屋に入ったことあります?」
僕は思い切って話しかけてみた。
「ねえよ。本なんて読まねえもん」
先輩は僕に背を向けたままでぶっきら棒に返事をした。
「そうですか」
言葉を返してくれただけで嬉しくなったけれど、元来僕は人と話すのが苦手だ。
それ以上の会話は続かない。
ふと見ると店長さんが僕たちをニマニマしながら見ていた。
サボってると思われただろうか。
僕は慌てて砂浜に転がったままのコーラの空きビンを片付け始めた。
「おい、お前ってマジで本とか読まねえの? せっかく近くに本屋があるのにさぁ」
空き瓶についた砂を洗い流している僕の横で、店長さんが先輩に話しかけた。
さすがに雇い主を無視するわけにはいかないと思ったのだろう、先輩は慌てて振り向いた。
「マンガしか読まないっす。あそこの本屋はマンガとか置いてないっしょ?」
「ああ、無さそうだよな」
「だから行ったことも無いっす」
「そうか」
どうやらこの店長さんも、実は口下手なようでちっとも会話が続かない。
先輩はまだ膝でリズムをとっている子の背中を押して、その場から離れていった。
「まあマンガを読むだけマシかもな」
店長さんは自嘲するような声を吐き捨ててから僕に近寄ってきた。
「お前って今日残業できる?」
今日は平日で客も少ないから、残業するような仕事は無いはずだ。
「良いですけど、何かありましたっけ?」
「ああ、夕方に知り合いが来るんだ。サザエの壺焼きでも出してやろうかと思ってね」
自分で焼けばいいのに、僕に仕事をくれるつもりなのだろう。
稼ぎたい僕に否は無い。
「わかりました。やります」
「頼むよ。まあ、それまでは適当に休んでくれていいから」
店長さんはひらひらと手を振って店の中に戻って行った。
その日は数人の客が来ただけだったし、夕方には店長の知り合いが来るからだろう、どうやら早じまいすることになったようだ。
二人の先輩たちは大喜びで帰り支度をしている。
僕はひとつの七輪にだけ火を残し、他の燃え残りはドラム缶に移して水をかけた。
「そろそろ来る頃だぜ」
店長さんがビールを片手に店の裏口から顔を出す。
風が急に冷たくなり、海岸に残っている人もほとんどいない。
「焼くのはここで良いですか?」
「ああ、知り合いっていっても爺さんだから、特に気を遣う必要は無いよ。一個でも食えりゃ御の字だろう」
そんなことを言う店長の背中を見ながら、僕は新しい炭を七輪に注ぎ足して火を強めた。
風がますます冷たくなっていく。
僕がでたらめな鼻歌を歌いながら炭の加減を見ていたら、海岸に続く階段をがっしりとした体格の男性が降りてきた。
「店長さん、あの人じゃないかな。お客さんが来たみたいですよ」
僕が店に声を掛けると、店長さんがのっそりと出てきて階段の方を見た。
「ああ、あいつだよ。すまんがサザエを焼いてくれ」
僕は頷いて、程よく焼けた網の上に大き目のサザエを五個並べて置いた。
店長さんが手を振ると、その人は一瞬だけ怯んだような素振りを見せたが、気を取り直したのかゆっくりと歩いてくる。
「やあ、久しぶりだな。遂に年貢を納めるか」
どう見ても年下の店長さんが、揶揄うような口調で言う。
その人は酷く悪い顔色のままでにっこりと笑った。
「ええ、少しお待たせしましたが、ほぼ予定通りですよ」
「三沢には伝えたの?」
「後で行くとは伝えてあります」
「そう。聡志がサザエ焼いてるから、食ってから行きなよ」
「サザエか。久しぶりですね、ありがとうございます」
炭火の上でカタンとサザエが動いた。
あの固い蓋が押しあがってきたら、醬油を注すタイミングだ。
良い匂いが漂って来て、僕の腹の虫が騒ぎ始める。
何かを食べたいと思ったのはいつぶりだろうか。
「もうすぐだな。ビールでも飲む?」
「ああ、良いですね。いただきます」
店長さんは笑顔で頷いて店の中に消えていった。
その男性は僕の方を見て、ゆっくりと口を開いた。
「こんばんは」
「あっ……こんばんは。いらっしゃいませ」
「君が聡志君か? 大きくなったね」
なぜこの人が僕を知っているんだろう。
僕の胸が急にざわめいて、ひどく居心地が悪いような気持ちになった。
海から吹いてきた風が、僕たちの間を走り抜けていく。
あれからどうなったのかを古書店の店長に聞こうかとも考えたが、他人の僕が立ち入り過ぎるのも良くないだろうと思っているうちに、その子の顔も忘れてしまった。
八月も半ばになると、海水浴客も少しずつ減ってきて、土日の昼時以外は閑散としている。
曜日にかかわらず、一番売れるのは焼きそばで、その次はかき氷だ。
しかし日本人っていうのは無類の麵好きだと思う。
暑くてもうどんの注文は減ることが無いのだ。
「今日も客が少なくて楽だな」
先輩が僕ではないもうひとりの子に話しかけた。
その子は聞こえないのか返事をしない。
よく見ると耳にイヤホンを突っ込んで、小刻みに膝を揺らしていた。
「なんだよ、仕事中に」
先輩は自分もおしゃべりがしたかったくせに、返事をしなかった子に悪態をついている。
人という生き物の身勝手さに笑いが込み上げた。
「先輩ってあの本屋に入ったことあります?」
僕は思い切って話しかけてみた。
「ねえよ。本なんて読まねえもん」
先輩は僕に背を向けたままでぶっきら棒に返事をした。
「そうですか」
言葉を返してくれただけで嬉しくなったけれど、元来僕は人と話すのが苦手だ。
それ以上の会話は続かない。
ふと見ると店長さんが僕たちをニマニマしながら見ていた。
サボってると思われただろうか。
僕は慌てて砂浜に転がったままのコーラの空きビンを片付け始めた。
「おい、お前ってマジで本とか読まねえの? せっかく近くに本屋があるのにさぁ」
空き瓶についた砂を洗い流している僕の横で、店長さんが先輩に話しかけた。
さすがに雇い主を無視するわけにはいかないと思ったのだろう、先輩は慌てて振り向いた。
「マンガしか読まないっす。あそこの本屋はマンガとか置いてないっしょ?」
「ああ、無さそうだよな」
「だから行ったことも無いっす」
「そうか」
どうやらこの店長さんも、実は口下手なようでちっとも会話が続かない。
先輩はまだ膝でリズムをとっている子の背中を押して、その場から離れていった。
「まあマンガを読むだけマシかもな」
店長さんは自嘲するような声を吐き捨ててから僕に近寄ってきた。
「お前って今日残業できる?」
今日は平日で客も少ないから、残業するような仕事は無いはずだ。
「良いですけど、何かありましたっけ?」
「ああ、夕方に知り合いが来るんだ。サザエの壺焼きでも出してやろうかと思ってね」
自分で焼けばいいのに、僕に仕事をくれるつもりなのだろう。
稼ぎたい僕に否は無い。
「わかりました。やります」
「頼むよ。まあ、それまでは適当に休んでくれていいから」
店長さんはひらひらと手を振って店の中に戻って行った。
その日は数人の客が来ただけだったし、夕方には店長の知り合いが来るからだろう、どうやら早じまいすることになったようだ。
二人の先輩たちは大喜びで帰り支度をしている。
僕はひとつの七輪にだけ火を残し、他の燃え残りはドラム缶に移して水をかけた。
「そろそろ来る頃だぜ」
店長さんがビールを片手に店の裏口から顔を出す。
風が急に冷たくなり、海岸に残っている人もほとんどいない。
「焼くのはここで良いですか?」
「ああ、知り合いっていっても爺さんだから、特に気を遣う必要は無いよ。一個でも食えりゃ御の字だろう」
そんなことを言う店長の背中を見ながら、僕は新しい炭を七輪に注ぎ足して火を強めた。
風がますます冷たくなっていく。
僕がでたらめな鼻歌を歌いながら炭の加減を見ていたら、海岸に続く階段をがっしりとした体格の男性が降りてきた。
「店長さん、あの人じゃないかな。お客さんが来たみたいですよ」
僕が店に声を掛けると、店長さんがのっそりと出てきて階段の方を見た。
「ああ、あいつだよ。すまんがサザエを焼いてくれ」
僕は頷いて、程よく焼けた網の上に大き目のサザエを五個並べて置いた。
店長さんが手を振ると、その人は一瞬だけ怯んだような素振りを見せたが、気を取り直したのかゆっくりと歩いてくる。
「やあ、久しぶりだな。遂に年貢を納めるか」
どう見ても年下の店長さんが、揶揄うような口調で言う。
その人は酷く悪い顔色のままでにっこりと笑った。
「ええ、少しお待たせしましたが、ほぼ予定通りですよ」
「三沢には伝えたの?」
「後で行くとは伝えてあります」
「そう。聡志がサザエ焼いてるから、食ってから行きなよ」
「サザエか。久しぶりですね、ありがとうございます」
炭火の上でカタンとサザエが動いた。
あの固い蓋が押しあがってきたら、醬油を注すタイミングだ。
良い匂いが漂って来て、僕の腹の虫が騒ぎ始める。
何かを食べたいと思ったのはいつぶりだろうか。
「もうすぐだな。ビールでも飲む?」
「ああ、良いですね。いただきます」
店長さんは笑顔で頷いて店の中に消えていった。
その男性は僕の方を見て、ゆっくりと口を開いた。
「こんばんは」
「あっ……こんばんは。いらっしゃいませ」
「君が聡志君か? 大きくなったね」
なぜこの人が僕を知っているんだろう。
僕の胸が急にざわめいて、ひどく居心地が悪いような気持ちになった。
海から吹いてきた風が、僕たちの間を走り抜けていく。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転
小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。
人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。
防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。
どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)