5 / 43
5 思い出せない
戸惑う僕に、その人は笑顔で話しかけてきた。
「バイトしてるの?」
「はい、夏休みだけここで働かせてもらっています」
「そう。君のその傷……君はあの事故のこと覚えているかい?」
返事をしようとした僕は、急に激しい眩暈に襲われた。
覚えているか?
僕がこの傷を負った日のことを?
忘れるわけがないじゃないか!
そう言い返したいのに、頭が割れそうに痛い。
僕は歯を食いしばった。
「ええ……覚えてますよ」
自分でも驚くくらい不機嫌そうな声になってしまったが、なんとか返事だけはできた。
「良ければ教えてくれないか?」
ほっといてくれと思ったけれど、店長さんの友達だと思い直した僕は、両親と共に遭遇した事故の記憶を辿った。
「あれは、雨が降っている夕方で……ん? 雪だったかな」
「あの日は雪だったよ」
「そうですか。夕方だったと思います。どこに行ったのかは忘れたけれど、父が運転していた車が……いや、母が? あれ?」
「どうした?」
「あ……いえ……えっと……」
僕は愕然とした。
その日の天気どころか、時間も覚えていないし、運転していたのが父だったのか母だったのかさえ定かではないのだ。
覚えているのは頭と顔がものすごく熱かったことと、目を開けたら血だらけの母さんの顔があって、母さんの目がどろんと僕の顔の上に落ちてきて……。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
僕はたまらず悲鳴を上げていた。
手に持っていたビールを放り投げて店長さんが駆け寄ってくる。
ビールが白い砂に吸い込まれていくのが視界の端に映った。
「息をしろ、ゆっくりだ。ゆっくりでいいから……ほら、吸って、吐いて、吸って、吐いて」
店長さんの号令に合わせて息をしようとするのに、上手くいかない。
店長さんのアロハシャツを握りしめている指先が、氷のように冷たくなっていく。
「大丈夫だ。大丈夫だからな。聡志、落ち着け。大丈夫だ」
店長さんがとても穏やかに話しかけてくれて、背中をポンポンと優しく叩いてくれた。
だんだんと呼吸ができるようになってくる。
「俺をみろ。いいか? 俺の口を見るんだ。俺の口だけを見ろ」
そうだ口を見るんだ、目を見ちゃだめだ。
僕は必死で自分に言い聞かせた。
店長の口を……フッと僕の視界が暗転した。
気付くと自分の部屋の布団の上に寝かされていた。
どうやらあのまま気を失ってしまったみたいだ。
恥ずかしい……店長さんが連れてきてくれたのだろうか。
ばあちゃんにはなんて説明したのだろうか。
僕はのろのろと階下に降りたが、ばあちゃんはいなかった。
「何してるんですか?」
ばあちゃんのいない家に上がり込んで、ゴソゴソと引き出しを漁っているその男に、鋭い口調で声を掛けた。
一瞬手を止めてこちらを見たその男は、前に何度か会ったことがある父の弟だった。
いくらばあちゃんの息子とはいえ、これじゃあ空き巣と同じじゃないか。
「何してるんですかって聞いているんですよ! 叔父さん!」
僕はもう一度同じ言葉を発したが、父ともばあちゃんとも疎遠だった叔父さんは、無視を決め込むつもりのようだ。
それでも気まずいのか、自分が何をやっているのかを説明するように独り言を溢し始めた。
「まったくさあ、もっと分かり易く保管しとけっていうんだよ。保険証はあったけど通帳が見つからない。どうせ通帳と印鑑は一緒にしてるんだろうが。まさか生命保険に入ってないなんてことないよな? どこに置いてるんだ。まったく年寄りってのは……」
僕は慌てて叔父さんに言った。
「そんなものどうするんですか。ばあちゃんはどこですか」
僕の言葉を無視し続ける叔父さんの肩に手をかけると、叔父さんはビクッと体を震わせた。
玄関で店長さんの声がする。
僕は叔父さんから手を離し、急いで玄関に向かった。
「具合はどう? ちょっと心配になっちゃってさ」
慌てて扉を開けると、店長さんはさっきとは違うアロハシャツを着て、バツが悪そうに立っていた。
「さっきはご迷惑をかけてしまって、すみませんでした。今……叔父が来ていて、引き出しを漁っているんです。止めようとしても無視されちゃうし、ばあちゃんはいないし」
「なるほどね。俺が話をするよ。お前じゃ無理だ。おばあさんはもうすぐ帰ってくるから、自分の部屋に戻っていなさい」
いつもちゃらんぽらんとしている店長さんとは思えないキッパリとした口調に、僕は戸惑いながらも安心感を覚えた。
「わかりました」
言われるまま二階への階段に足をかけたが、茶の間が気になって仕方が無い。
障子越しに店長さんと叔父さんの声が聞こえた。
「あんた……何の権利があってそんなことを言うんだ。俺は息子なんだぞ?」
「そんなことは知っているよ。でもこうなるまで顔も見せなかったのはあんたの方だ。俺はおばあさんからいろいろ頼まれているんだよ。保険証書も通帳も俺が預かっている。もちろん中身はあんたのものだが、全てが終わるまでは渡せない。それがおばあさんの意志だ」
叔父さんが何か怒鳴っていたが、僕の耳には負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
まだ少し頭が痛いような気がする。
それにしても僕はなぜあの日のことを忘れてしまったのだろうか……。
「考えるな。そのうちに思い出すさ。今はまだその時期じゃないってことだよ」
部屋の障子が開いて店長さんが顔を出した。
いつの間にか自分の部屋で寝ていたようだ。
「あ……話って終わりましたか?」
「ああ、あの人もいろいろ大変なのだろう。でももう帰ったから。今日はここにいなさい。もうすぐおばあさんも帰ってくるから」
「でも……」
「大丈夫だよ。曇り空の水曜に海水浴に来るような物好きは少ない」
「はい……わかりました」
「さあ、もう少し眠りなさい」
そう言うと店長さんは僕の目を掌で覆った。
不思議なことに、店長さんの掌からは潮騒の音が聞こえる。
なんだか懐かしいような悲しいような記憶の波が、僕を眠りへと誘ってくれた。
「バイトしてるの?」
「はい、夏休みだけここで働かせてもらっています」
「そう。君のその傷……君はあの事故のこと覚えているかい?」
返事をしようとした僕は、急に激しい眩暈に襲われた。
覚えているか?
僕がこの傷を負った日のことを?
忘れるわけがないじゃないか!
そう言い返したいのに、頭が割れそうに痛い。
僕は歯を食いしばった。
「ええ……覚えてますよ」
自分でも驚くくらい不機嫌そうな声になってしまったが、なんとか返事だけはできた。
「良ければ教えてくれないか?」
ほっといてくれと思ったけれど、店長さんの友達だと思い直した僕は、両親と共に遭遇した事故の記憶を辿った。
「あれは、雨が降っている夕方で……ん? 雪だったかな」
「あの日は雪だったよ」
「そうですか。夕方だったと思います。どこに行ったのかは忘れたけれど、父が運転していた車が……いや、母が? あれ?」
「どうした?」
「あ……いえ……えっと……」
僕は愕然とした。
その日の天気どころか、時間も覚えていないし、運転していたのが父だったのか母だったのかさえ定かではないのだ。
覚えているのは頭と顔がものすごく熱かったことと、目を開けたら血だらけの母さんの顔があって、母さんの目がどろんと僕の顔の上に落ちてきて……。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
僕はたまらず悲鳴を上げていた。
手に持っていたビールを放り投げて店長さんが駆け寄ってくる。
ビールが白い砂に吸い込まれていくのが視界の端に映った。
「息をしろ、ゆっくりだ。ゆっくりでいいから……ほら、吸って、吐いて、吸って、吐いて」
店長さんの号令に合わせて息をしようとするのに、上手くいかない。
店長さんのアロハシャツを握りしめている指先が、氷のように冷たくなっていく。
「大丈夫だ。大丈夫だからな。聡志、落ち着け。大丈夫だ」
店長さんがとても穏やかに話しかけてくれて、背中をポンポンと優しく叩いてくれた。
だんだんと呼吸ができるようになってくる。
「俺をみろ。いいか? 俺の口を見るんだ。俺の口だけを見ろ」
そうだ口を見るんだ、目を見ちゃだめだ。
僕は必死で自分に言い聞かせた。
店長の口を……フッと僕の視界が暗転した。
気付くと自分の部屋の布団の上に寝かされていた。
どうやらあのまま気を失ってしまったみたいだ。
恥ずかしい……店長さんが連れてきてくれたのだろうか。
ばあちゃんにはなんて説明したのだろうか。
僕はのろのろと階下に降りたが、ばあちゃんはいなかった。
「何してるんですか?」
ばあちゃんのいない家に上がり込んで、ゴソゴソと引き出しを漁っているその男に、鋭い口調で声を掛けた。
一瞬手を止めてこちらを見たその男は、前に何度か会ったことがある父の弟だった。
いくらばあちゃんの息子とはいえ、これじゃあ空き巣と同じじゃないか。
「何してるんですかって聞いているんですよ! 叔父さん!」
僕はもう一度同じ言葉を発したが、父ともばあちゃんとも疎遠だった叔父さんは、無視を決め込むつもりのようだ。
それでも気まずいのか、自分が何をやっているのかを説明するように独り言を溢し始めた。
「まったくさあ、もっと分かり易く保管しとけっていうんだよ。保険証はあったけど通帳が見つからない。どうせ通帳と印鑑は一緒にしてるんだろうが。まさか生命保険に入ってないなんてことないよな? どこに置いてるんだ。まったく年寄りってのは……」
僕は慌てて叔父さんに言った。
「そんなものどうするんですか。ばあちゃんはどこですか」
僕の言葉を無視し続ける叔父さんの肩に手をかけると、叔父さんはビクッと体を震わせた。
玄関で店長さんの声がする。
僕は叔父さんから手を離し、急いで玄関に向かった。
「具合はどう? ちょっと心配になっちゃってさ」
慌てて扉を開けると、店長さんはさっきとは違うアロハシャツを着て、バツが悪そうに立っていた。
「さっきはご迷惑をかけてしまって、すみませんでした。今……叔父が来ていて、引き出しを漁っているんです。止めようとしても無視されちゃうし、ばあちゃんはいないし」
「なるほどね。俺が話をするよ。お前じゃ無理だ。おばあさんはもうすぐ帰ってくるから、自分の部屋に戻っていなさい」
いつもちゃらんぽらんとしている店長さんとは思えないキッパリとした口調に、僕は戸惑いながらも安心感を覚えた。
「わかりました」
言われるまま二階への階段に足をかけたが、茶の間が気になって仕方が無い。
障子越しに店長さんと叔父さんの声が聞こえた。
「あんた……何の権利があってそんなことを言うんだ。俺は息子なんだぞ?」
「そんなことは知っているよ。でもこうなるまで顔も見せなかったのはあんたの方だ。俺はおばあさんからいろいろ頼まれているんだよ。保険証書も通帳も俺が預かっている。もちろん中身はあんたのものだが、全てが終わるまでは渡せない。それがおばあさんの意志だ」
叔父さんが何か怒鳴っていたが、僕の耳には負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
まだ少し頭が痛いような気がする。
それにしても僕はなぜあの日のことを忘れてしまったのだろうか……。
「考えるな。そのうちに思い出すさ。今はまだその時期じゃないってことだよ」
部屋の障子が開いて店長さんが顔を出した。
いつの間にか自分の部屋で寝ていたようだ。
「あ……話って終わりましたか?」
「ああ、あの人もいろいろ大変なのだろう。でももう帰ったから。今日はここにいなさい。もうすぐおばあさんも帰ってくるから」
「でも……」
「大丈夫だよ。曇り空の水曜に海水浴に来るような物好きは少ない」
「はい……わかりました」
「さあ、もう少し眠りなさい」
そう言うと店長さんは僕の目を掌で覆った。
不思議なことに、店長さんの掌からは潮騒の音が聞こえる。
なんだか懐かしいような悲しいような記憶の波が、僕を眠りへと誘ってくれた。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転
小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。
人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。
防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。
どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)