ルナール古書店の秘密

志波 連

文字の大きさ
13 / 43

13 魂の記憶

 最初に口を開いたのは古村さんだった。

「聡志のばあちゃんはね、あの時あの丘で生き残った人なんだ。まだ幼かったから記憶はほとんどないだろうに、私たちの祠によく供え物をしてくれていたんだよ。正直言うと、彼女があの丘にいたどの子かなんてさっぱりわからないし、僕らの母親や兄弟の肉を口にしていたのかどうかも知らない。僕らにとっての事実は、時々彼女が届けてくれたお稲荷さんがとても美味しかったってことだけさ。それがきっかけで時々話をするようになったんだよね」

 僕は言葉を発することができなかった。
 そうか……ばあちゃんもあの地獄の中にいたのか。
 それでもあれほど優しい微笑みを浮かべることができて、迷い込んできた孫の魂を抱きしめることができるなんて、どれほど強い人だったのか。

 魂に前世の記憶はないと言われているけれど、もしかしたら大きなインパクトを受けた出来事とか、その時の感情は細胞の中に沈殿しているのかもしれない。
 だってあの丘を見ると、今世の僕も切ないような気持ちになるんだもの。
 悲しい記憶に引きずられそうになった僕は、慌てて話を変えた。

「やっぱり狐ってお稲荷さんが好きなんですか?」

 頓珍漢な質問を飛ばした僕に、三沢さんが飲みかけていたお茶を吹いた。

「いや、別に稲荷寿司が好きなわけじゃないよ。ただ、昔から狐は油が好物でね、その油がたくさん染み込んでいるのが油揚げってことさ」

「狐の好物が油? 植物性? それとも動物性の油かな」

「狐は雑食だから植物性でも動物性でも選り好みはしないよ。私個人の好みでいうと、シード系が好きかな」

 真面目に答える三沢さんの言葉に、古村さんが笑いながら続けた。

「狐は何でも食うんだよ。肉でも魚でも虫でも木の実でもね。好き嫌いなんて言えるような環境で生きているわけじゃないもの。昔は十年くらいの寿命だったらしいけれど、最近だと四年も生きていればいい方じゃないかな」

「えっ! そんなに短いの? 知らなかった」

 僕が驚いたことに二人は驚いていた。

「まあ、寿命が縮まった一番の理由は交通事故だ。野生動物なんてみんなそんなもんだよ」

 二人は笑っているが、人という動物の罪深さを改めて考えてしまった。
 少し暗い顔をしてしまったのだろう、古村さんが明るい声で僕に言う。

「ばあちゃんの家はそのままになっているからさ、明日にでも行ってみるよ。ダメ元で」

「え? あの家ってまだあるんですか?」

「うん、聡志のお父さんの弟が住んでる。お前も何度か会っただろ? あいつのことだからすぐに売るんだろうと思ってたのに、舞い戻ってきてさ。何か思うところがあるんだろうね」

「ええ、ぜひお願いします」

 僕の返事に頷いた二人は、それぞれの仕事へと戻って行った。
 食器を片づけながら、僕は久しぶりにばあちゃんのことを思いだそうとしたのだが、あれほど何度も見たはずの笑顔さえ思い出せないことに愕然とした。

「え? なぜ?」

 洗い物の手を止めて、じっくりと記憶をたどる。

「ダメだ……忘れちゃいけないのに」

 僕の独り言を海風が運んでいく。
 それを追いかけるように僕は勝手口から外へ出た。

「あ……ここからもあの丘が見えるんだな」

 あの丘にはいったいどれほどの『思い』が漂っているのだろうか。
 そこに留まり続けるその『思い』は、いったい誰が救うというのだろうか。

「はぁぁぁぁ」

 僕は大きく深呼吸をして、丘から海へと視線をずらした。
 パキッと落枝を踏み折る音がして、振り返ると一匹の狐が僕を見上げている。

「大切な人を思い出せないのか? だとしたら良いことだ。その人たちは上手に成仏したってことだからな。生きていた頃の楽しかったことも嬉しかったことも、怒りも悲しみも全て海に還して、いるべき場所に戻ったのだ」

「喜びも悲しみも全部? じゃあ僕のことも?」

「そうだ、全部だ。それを成仏という」

 そうか……ばあちゃんの魂は、もう次に向かって準備を始めたんだね。
 もう会ってもわからないけれど、僕はばあちゃんという人が僕を慈しんでくれたということを絶対に忘れないよ。
 たとえその姿かたちを忘れても、確かにこの星に存在していたということだけは絶対に覚えているからね。

「この星での事はすべてこの星の海に還して、無辜の魂だけがもとの場所へと帰るんだね」

 僕は『母なる海』という言葉の意味を深く理解した。
 狐が海に視線を戻した僕に話しかける。

「あの丘に行ってみないか?」

「え? あの丘に?」

「我が付き合ってやろう」

 そう言うと、狐はゆっくりと歩き出した。
 木々の間を抜け、急な斜面をものともせずに、ただまっすぐ丘を目指して行く。
 途中何度も滑り落ちそうになったけれど、不思議と足を踏み外すこともなく、いつの間にか僕は空を飛んでいた。

「ははは! 我らはもともと浮遊している存在だからな。飛ぶ方が歩くよりも上手いのだよ。さっきもそうだっただろう? 何度も木にぶつかったが、すり抜けるだろ? 我らはそういう存在なのだ」

「実体がないってこと? それなら十分理解したよ」

 そんな話をしている間に、今は軽量鉄骨の骨組みだけになっているあの海の家の上を通過した。
 一緒にバイトしていた先輩たちは、今どこで何をしているのだろうか。

「頭で理解するのと、心で理解するのとは違う。心から納得したことは魂の記憶になるんだ。そして次の人生に教訓として受け継がれる。それを何度も繰り返しているうちに、生き物は『危険』や『悪意』や『欺瞞』を未然に防ぐことができるようになる。年寄りがよく言うだろ? 『虫の知らせ』ってやつ。人間以外なら『本能』っていうかな。それは魂に刻まれた記憶からの警告だ」

「魂が学習するってこと?」

「まあ、平たく言うとそうだ。頭で理解しているだけだと、体が死んだらそこで終わりだ。しかし魂に残った記憶はどうやったって消えない。わかりやすく言うならトラウマみたいなものだ。でも残るのは悪い事ばかりじゃない。心から美しいと思えた景色なども魂に刻まれる。トラウマの場合はフラッシュバックというが、美しい記憶はデジャヴというな」

「デジャブか……僕は経験が無いんだよね、デジャヴって。初めての場所や経験に既視感を覚えることでしょ?」

「そうだ。まあ聡志の場合は体が生きていた時間が短いから仕方がない。でも、ずっとこの星に留まるのだろう? そのうちに嫌というほど経験することになるさ」

 潮の匂いが強くなり、僕たちは丘の上に舞い降りた。

「何も感じないか?」

 狐の問いに、僕は答えることができなかった。
 ゆっくりと首を横に振った僕に狐が言う。

「まあ、いいさ。時間はたっぷりある。焦る必要はない」

 そう言うと、その狐はフッと煙のように消えた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。 人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。 防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。 どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)