ルナール古書店の秘密

志波 連

文字の大きさ
16 / 43

16 狐と海

しおりを挟む
 そして三か月が過ぎ、ドリップに関しては何も教えることが無いと言われた僕は、その時間に自家焙煎の授業を受けることになった。
 講師が違うし使用する機器も違うということで、追加の受講料を支払う羽目になったが、古村さんも三沢さんも絶対にその方がいいと言う。

「手綱を使う方法もありますが、お店で出すコーヒーなら業務用の焙煎機が一番ですよ。お値段はそれなりにしますが、自由度も高いですし、何より手間がかかりません」

 講師の言葉を二人に話すと難色を示されてしまった。

「それじゃあ面白くないな。どうせなら手でやろうぜ」

 いやいや、やるのは僕だからね?

「そうだよな。せっかく生豆から炒るのだから遠赤が良いなぁ」

 遠赤? 炭でやれっていうの?
 
「しかし、失敗するリスクを考えると焙煎器も捨てがたい。どうせ購入するのなら冷却機能付きが良いんじゃないか?」

 どうせなら、教室で使っている焙煎器にしてくれないかな。
 そんな僕の心の声は届かず、二人はカタログを眺めながら頭をひねっている。
 二人に置き去りにされた僕は、いつものようにエスプレッソマシンにスイッチを入れ、フレンチプレスを棚から取り出した。
 コーヒーの素敵な香りが漂い始めると、二人は何も言わずにチョコレートのお菓子を皿に並べ始める。
 どうやら今日はドライフルーツをチョココーティングしたのを選んだみたいだ。

「聡志はどう思う?」

 今更聞かれてもねぇ。

「特に意見は無いですよ。ただ、失敗するのはコーヒー豆に申し訳ないとは思います」

「そうだよなぁ」

 結局二人が選んだのは業務用の焙煎機と、手動式の遠赤焙煎器だった。
 お客様に出すものは業務用で焙煎し、自分たち用のは遠赤でやれってことかな?
 次のクラスで講師にそれを伝えると、ベストチョイスだと褒められた。
 やっぱり僕は口を挟まない方が正解みたいだね。

「松木さんは自家焙煎までするの? 凄いね」

 このクラスで初日から話しかけてくれたあの女性が声をかけてきた。
 彼女の名前は山田玲子。
 ご主人と離婚して、今はひとりで暮らしているらしい。

「うん、僕に拘りはないのだけれど、オーナーがうるさいんだよ」

「そうかぁ、どうせやるならそこまでやりたいっていう気持ちはわかるなぁ。軽食の方は? メニューは増えた?」

「ピザトーストとかチーズケーキの定番メニューはなんとかクリアしたけれど、ピラフとかパスタが難しくて。美味しくないっていうか、味がよく分からない」

「そっかぁ、まあ料理なんて慣れだから。回数をこなすしかないよ」

 彼女はネルドリップに苦戦し、僕は軽食作りに悩んでいる。
 その日に習ったメニューは、帰ると必ず試食してもらうのだけれど、ピザトーストは『ありきたり』で、チーズケーキは『買った方がうまい』というかなり辛辣だ。

「まあそのうちに食えるもんができるようになるさ」

 その言葉に励まされ、僕は一生懸命オリジナルメニューを考えたが、なかなかOKはもらえないまま時間だけが過ぎていく。
 そんな話を山田さんにすると、彼女がガレットという料理を教えてくれた。
 そば粉で焼くクレープのようなもので、トッピングによって食事にもデザートにもなる便利なメニューだ。

「これはいいな。合格だ」

 二人から太鼓判をいただいたのは、アンチョビと卵のものと、ほうれん草とハムとチーズの二種類だった。
 ちなみに二人の好きなチョコレートを使ってバナナガレットを焼いてみたが、そば粉を使う意味がないと一蹴されたんだよね……残念。

 なんだか毎日が消えるように過ぎていく。
 そもそも魂だけの僕らに睡眠は必要無いけれど、妙に疲れて動けなくなる日もあって、そんな時は必ずと言ってよいほど、あの狐が現れる。
 疲れると魂の匂いが悪くなるからわかるらしい。

「お疲れさん。なあ聡志、今日は海岸にいってみようよ」

 気安く誘ってくる狐と一緒に、僕はまだ肌寒い海岸に降りた。

「まだ人はいないね」

「ああ、人間って『海』といえば『夏』という固定概念を持っているからな。本当に美しいのは冬の海なのに勿体ないことだ」

 狐が言う通り冬の海は特に美しい。
 打ち寄せる波が、まるで舞姫のオペラグローブのように美しい。
 誘われるままこの身を投じたら、永遠の安らぎを得られるだろうか。

「海に還れば安らげるかな」

 僕の言葉に狐が振り向いた。

「止めておけ。安らぎなんてものはどこにもないよ」

 いつもは茶化してばかりの狐の言葉が、今日は妙に重たく感じる。

「安らぎって何だろうね」

「生まれた瞬間に手放すものさ。この星では取り戻せない」

「なぜ生まれるの?」

 僕の問いに少しの間考えた狐が、ニヤッと口角を上げて鋭い牙を見せた。

「死ぬためさ」

「なぜ死ぬの?」

「生まれるためだよ」

 僕たちの会話に意味などない。
 遠くでウミネコが笑っている。
 なぜ僕はここに居るのだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

処理中です...