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17 最終日
「本日で、全てのカリキュラムが終わります。最後ですから、自分が分かっていないと思うところや、どんなお店にしたいのかなどをフリーディスカッションで話し合ってみましょう。開業するということは、とても大きな不安を抱えるものです。同じ道を志した者同士で話せば、きっと何かのヒントになりますよ」
そう言われても、誰かが口火を切らない限りもじもじするのは大人も子供も同じだ。
僕は周りの人をチラチラ見たが、何の興味も無いという表情で座っている。
「皆さんはお店の名前とか決まっているのですか?」
何度か同じ調理台になった二十代半ばと思しき女性が声を出した。
彼女はとても熱心に講師の話をメモしていた人だ。
「私はまだ決めていないのよね。いくつか候補はあるのだけれど」
答えたのは山田玲子さんだった。
結局この教室で僕が名前を覚えたのはこの人だけだ。
「松木さんは? オーナーさんが決めるのかしら」
山田さんが僕に話を振ってきた。
「ええ、僕は雇われ店長ですから、何の決定権もありませんよ」
右隣に座っている三十歳くらいの男性が鼻で嗤った。
口火を切った女性が、気を遣うように慌てて言う。
「オーナーさんがいるのは羨ましいですね。私なんて会社員をしながらコツコツ貯めたお金しかないから、いろいろ諦めなくちゃいけないことがあるもの」
「諦める? 例えば?」
僕の質問に、その女性が小首をかしげて考えるような仕草をした。
「食器とかカトラリーとか? 夢はマイセンだけど、そんなお金は無いですよ」
山田さんがすかさず声を出す。
「マイセンかぁ。確かに高いよね。ブルーオニオンとか素敵だけれど」
女性二人が食器の話で盛り上がっている。
眼鏡をかけた年配の男性が口を開いた。
「メーカーやデザインは凝ると際限が無いけれど、私はカップの口当たりを重視したいと思っています。好みもあるのでしょうが、私は薄い方が好みですね」
あちこちから同意する声がした。
さっき僕を鼻で嗤った男性が小さく手を挙げた。
「でも有名なコーヒーチェーン店のカップはほとんど厚いでしょう? 何か理由があるはずですよね。チェーン店ということを考えると、厚い方がいろいろ効率的なのかもしれない」
なるほどね、いろいろな考え方があるんだね。
「それは割れ難いとかそういう理由じゃないかな。食洗器を使うのだろうし、お客様が誤って落とすこともあるだろうし」
「なるほどそうですね。個人的な好みで言えばどちらなのですか?」
山田さんがその男性に聞いた。
「コーヒーの味を楽しむなら薄い方でしょうね。香りを重視するなら筒形の方が良さそうだ」
質問と答えが微妙に違う気がするけれど、まあ僕には関係無いか。
年配の男性が言った。
「教室にまで通ってカフェをオープンさせるんだ。確かにカップには拘りたいよね。まあ、開業資金には限りがあるから、その範囲になってしまうけれど」
この半年というもの、ほとんど話なんてしなかったのに、最終日になってようやく口を開きはじめた人たち……なんだか不思議だ。
「カップもオーナーさんが決めるの?」
山田さんがまた僕に声をかけてきた。
「どうでしょう。あの人たちはコーヒーにかなりの拘りがあるみたいなので、コーヒーの種類によって変えろなんて言いだすかもしれませんね」
「種類によって? それはまたすごい拘りねぇ」
ずっと黙っていた講師が口を開いた。
「コーヒー好きにとっては最高のもてなしになりますよ。ブルーマウンテンなどは薄い口当たりのカップが合いますし、ハワイ・コナみたいにミルクを入れた方がより楽しめるものは、厚い大き目のカップで出してほしいですからね」
講師の言葉に全員が頷いている。
言葉が途切れた隙間に割り込んできたのは、年配の女性だった。
「私は和食器でいきたいと思っているの。美濃や信楽とか有田とかの名陶でね」
「ああ、それも素敵ですね。でも割れちゃうことを考えると怖いわぁ」
「良いのよ。もちろん割れないように細心の注意ははらうけれど、形あるものはいつか壊れるものでしょう? 私は大切にしていた食器が壊れるたびに、新しい出会いをしなさいって言われているのだと思うようにしているのよね」
「素敵な考え方ですね」
形あるものは、いつか必ず壊れるのか……人も同じだね。
最後になって終わるのが惜しいような雰囲気になっている。
一歩引いたところでそれを眺めている僕。
「では、これで全カリキュラムの終了です。どうもお疲れさまでした」
チラチラと時計を見ていた講師が声を出した。
それぞれが手荷物を持ち、ドアに向かって歩き出す。
「お疲れ様でした。ねえ、住所の交換しない? 開店したら知らせたいし」
山田さんが女性三人でやってきた。
「良いですよ」
手帳に住所と名前を書いて破って渡す。
「あら、この町は知ってるわ。海水浴に行ったことがあるの。なんだか素敵な丘があったわよね」
「ああ、丘はありますね。海に突き出したような丘でしょ? 林を抜けて行くのですよ」
「そうなの? 眺めるだけで行ったことは無いのよね。それにしても不思議な名前のお店ね……ルナール古書店? 喫茶部? 面白いわ」
面白い? 斬新な感想だ。
「オーナーは神様で、従業員は僕の他に二人います。二人は古書店を担当しているのですが、この二人が無類のコーヒー好きでして。それで喫茶部をやれって言いだしたのです」
「オーナーが神様? まあ、そりゃそうよね。お金を出す人が神様よ。それにしてもルナールって『狐物語』のルナール? 素敵な名前だわ」
「僕以外のスタッフは狐ですからね。ははは」
女性たちが何が面白いのかコロコロと笑っている。
全部本当のことなんだけどね。
そう言われても、誰かが口火を切らない限りもじもじするのは大人も子供も同じだ。
僕は周りの人をチラチラ見たが、何の興味も無いという表情で座っている。
「皆さんはお店の名前とか決まっているのですか?」
何度か同じ調理台になった二十代半ばと思しき女性が声を出した。
彼女はとても熱心に講師の話をメモしていた人だ。
「私はまだ決めていないのよね。いくつか候補はあるのだけれど」
答えたのは山田玲子さんだった。
結局この教室で僕が名前を覚えたのはこの人だけだ。
「松木さんは? オーナーさんが決めるのかしら」
山田さんが僕に話を振ってきた。
「ええ、僕は雇われ店長ですから、何の決定権もありませんよ」
右隣に座っている三十歳くらいの男性が鼻で嗤った。
口火を切った女性が、気を遣うように慌てて言う。
「オーナーさんがいるのは羨ましいですね。私なんて会社員をしながらコツコツ貯めたお金しかないから、いろいろ諦めなくちゃいけないことがあるもの」
「諦める? 例えば?」
僕の質問に、その女性が小首をかしげて考えるような仕草をした。
「食器とかカトラリーとか? 夢はマイセンだけど、そんなお金は無いですよ」
山田さんがすかさず声を出す。
「マイセンかぁ。確かに高いよね。ブルーオニオンとか素敵だけれど」
女性二人が食器の話で盛り上がっている。
眼鏡をかけた年配の男性が口を開いた。
「メーカーやデザインは凝ると際限が無いけれど、私はカップの口当たりを重視したいと思っています。好みもあるのでしょうが、私は薄い方が好みですね」
あちこちから同意する声がした。
さっき僕を鼻で嗤った男性が小さく手を挙げた。
「でも有名なコーヒーチェーン店のカップはほとんど厚いでしょう? 何か理由があるはずですよね。チェーン店ということを考えると、厚い方がいろいろ効率的なのかもしれない」
なるほどね、いろいろな考え方があるんだね。
「それは割れ難いとかそういう理由じゃないかな。食洗器を使うのだろうし、お客様が誤って落とすこともあるだろうし」
「なるほどそうですね。個人的な好みで言えばどちらなのですか?」
山田さんがその男性に聞いた。
「コーヒーの味を楽しむなら薄い方でしょうね。香りを重視するなら筒形の方が良さそうだ」
質問と答えが微妙に違う気がするけれど、まあ僕には関係無いか。
年配の男性が言った。
「教室にまで通ってカフェをオープンさせるんだ。確かにカップには拘りたいよね。まあ、開業資金には限りがあるから、その範囲になってしまうけれど」
この半年というもの、ほとんど話なんてしなかったのに、最終日になってようやく口を開きはじめた人たち……なんだか不思議だ。
「カップもオーナーさんが決めるの?」
山田さんがまた僕に声をかけてきた。
「どうでしょう。あの人たちはコーヒーにかなりの拘りがあるみたいなので、コーヒーの種類によって変えろなんて言いだすかもしれませんね」
「種類によって? それはまたすごい拘りねぇ」
ずっと黙っていた講師が口を開いた。
「コーヒー好きにとっては最高のもてなしになりますよ。ブルーマウンテンなどは薄い口当たりのカップが合いますし、ハワイ・コナみたいにミルクを入れた方がより楽しめるものは、厚い大き目のカップで出してほしいですからね」
講師の言葉に全員が頷いている。
言葉が途切れた隙間に割り込んできたのは、年配の女性だった。
「私は和食器でいきたいと思っているの。美濃や信楽とか有田とかの名陶でね」
「ああ、それも素敵ですね。でも割れちゃうことを考えると怖いわぁ」
「良いのよ。もちろん割れないように細心の注意ははらうけれど、形あるものはいつか壊れるものでしょう? 私は大切にしていた食器が壊れるたびに、新しい出会いをしなさいって言われているのだと思うようにしているのよね」
「素敵な考え方ですね」
形あるものは、いつか必ず壊れるのか……人も同じだね。
最後になって終わるのが惜しいような雰囲気になっている。
一歩引いたところでそれを眺めている僕。
「では、これで全カリキュラムの終了です。どうもお疲れさまでした」
チラチラと時計を見ていた講師が声を出した。
それぞれが手荷物を持ち、ドアに向かって歩き出す。
「お疲れ様でした。ねえ、住所の交換しない? 開店したら知らせたいし」
山田さんが女性三人でやってきた。
「良いですよ」
手帳に住所と名前を書いて破って渡す。
「あら、この町は知ってるわ。海水浴に行ったことがあるの。なんだか素敵な丘があったわよね」
「ああ、丘はありますね。海に突き出したような丘でしょ? 林を抜けて行くのですよ」
「そうなの? 眺めるだけで行ったことは無いのよね。それにしても不思議な名前のお店ね……ルナール古書店? 喫茶部? 面白いわ」
面白い? 斬新な感想だ。
「オーナーは神様で、従業員は僕の他に二人います。二人は古書店を担当しているのですが、この二人が無類のコーヒー好きでして。それで喫茶部をやれって言いだしたのです」
「オーナーが神様? まあ、そりゃそうよね。お金を出す人が神様よ。それにしてもルナールって『狐物語』のルナール? 素敵な名前だわ」
「僕以外のスタッフは狐ですからね。ははは」
女性たちが何が面白いのかコロコロと笑っている。
全部本当のことなんだけどね。
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