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18 蹲る子供
ビルを出ると、古村さんと三沢さんが立っていた。
「どうしたの?」
「迎えに来たんだ。いろいろ揃えないといけないだろ? 一緒に下見しようと思ってね」
「下見ですか? 何の?」
古村さんがニヤッと笑った。
「そりゃ聡志、いろいろあるだろう? カップとかソーサーとか、カトラリーとかグラスとかさぁ。味は良くても食器がダメだと味も悪くなる。ここでケチったらあとで後悔することになるぞ」
会社員をしながらコツコツとお金を貯めたと言っていたあの女性が聞いたら泣いちゃうんじゃないかな。
「お好みのブランドがあるのですか?」
今度は三沢さんが口を開いた。
「私たちのは自分で用意するからいいんだ。問題は店用だよ。彼らにとっては、この星で味わう最後の一杯かもしれないだろ? いい加減なことはできない」
「最後の一杯か……そうですよね、そのために来るんですもんね。僕も気合を入れて淹れなくちゃ」
「ああ、ぜひそうしてやってくれ。そういう意味では子供用のメニューも必要だな。子供と言えば牛乳か?」
「どうでしょうね……僕は麦茶が好きだったけれど」
僕の答えに三沢さんがニコッと笑った。
「麦茶か。今どきのティーバックのやつはどうでも良いが、昔は焙じた大麦を煮出してたんだよ。あれは本当に旨い。煮出した後の大麦は消臭剤にもなるし、腐葉土と混ぜれば肥料にもなるしで一切無駄がないんだ。昔住んでいた村のばあちゃんたちはみんなそうしてたな」
「へぇ……そういえばうちのばあちゃんの焙じ茶は最高でしたね。焙烙で焙じてくれて……ああ、そういえば麦茶もそうやって作ってくれました」
古村さんが感心したような顔で言う。
「お前って若いくせに良いものを飲んでたんだなぁ。それ絶対旨いやつじゃん」
僕は貧乏だからそうしていたのかと思っていたけれど、ちゃんとしたものを作ってくれていたんだね……ありがとう、ばあちゃん。
感慨に浸っている僕の横で三沢さんが言う。
「大麦を焙じて麦茶を作ろう。コーヒー豆の手動焙煎器でもできるだろうけれど、匂い移りが気になるから、焙烙も用意しようか」
人がやるなら大賛成だが、僕でしょ? やるのは。
「良いな。そういうところに凝ろうぜ。ちゃんとしたもの出す店が減っているから、お客さんも喜ぶはずだ」
まあ、最後の一杯だもんね、手は抜けないさ。
「わかりました、僕も頑張りますよ」
そう言った僕の背中をポンと叩いて、二人は先に歩きだした。
「この店はなかなか良いものを置いているんだよ。なんと言ってもオヤジが無類のコーヒー好きでさぁ。俺と話が合うんだ」
古村さんが表通りから一本裏筋に入った陶器店を指さした。
「いらっしゃい。ああ古村さんか、久しぶりだね。今日は何を探しているの?」
鼻の下にひげを蓄えたその人は、古村さんや三沢さんよりかなり年上みたいに見えた。
「今度喫茶店をやるのでカップとソーサーを探しています。それほど大きな店じゃないから、数はそれほどでもないけど」
「へぇ、ついに始めるんだ。そりゃいいね。どこで?」
古村さんが親しそうに話している。
手持無沙汰の僕が、店の商品を見るともなく見て歩いていると、棚と棚の間に小さな子供が蹲っているのをみつけてしまった。
「どうしたの? かくれんぼ?」
僕の声に怯えた顔を向けたその子供は、小さな声で言った。
「僕が見えるの?」
「もちろん見えるさ。どうしてこんな所にいるのかな?」
「お母さんを待っているの」
その子は白いシャツと紺色の半ズボンを身につけていた。
蟀谷の血の跡が痛々しい。
「お母さんかぁ。そりゃ不安だったね。ちょっと待っててくれる?」
僕は湯飲み茶碗を手に取ってみていた三沢さんに話しかけた。
「子供がいました。どうしましょうか」
「子供? リアルか? それともネイキッド?」
「後者ですね」
三沢さんは丁寧に茶碗を戻してから僕の後ろに続いた。
僕たちが戻ると、その子はさらに怯えた顔で縮こまっている。
「やあ、随分長いこと頑張っていたんだね。その怪我は大丈夫?」
三沢さんが優しい声で聞いた。
その子は大人の男性が怖いのか、ぶるぶると体を震わせているだけで何も言わない。
「聡志、戻れ」
僕は頷いて現身を解いた。
魂だけの存在になった僕は、ばあちゃんを見送ったあの日の姿に戻っている。
最近は大人の姿に慣れていたから、半ズボンが妙に恥ずかしい。
「大丈夫かい? これなら話しやすい?」
男の子はポケッとした顔で僕の顔を見上げている。
「立てるかな?」
僕が差し出した手をおそるおそる握る。
「お母さんとはぐれちゃったの?」
「違うの。すぐに戻るからここに居なさいって。そしたら怖いおじさんが……お母さんはどこ?」
三沢さんが僕の肩に手を置いた。
「誕生日を聞いてくれ。それと住所もな」
頷いた僕がそれを聞くと、男の子はスラスラと答えた。
まだ小学校に上がる前だろうに、昔の子供は大したものだね。
「昔の住所だな。昭和十年生まれってことは、終戦時で四歳か……ねえ、君は何歳だい?」
男の子はビクッと肩を震わせたが、なんとか返事を口にした。
「五歳です」
「なるほど……お父さんは?」
黙ったまま俯いてしまった。
僕はその子の横に腰をおろした。
「ねえ、なんていう名前なの?」
「一真です」
「そうか、良い名前だね。ねえ一真君、君はもうわかっているのだろう?」
僕の言葉に男の子が涙を浮かべて頷いた。
「どうした? あれ? 聡志?」
古村さんの声だ。
その後ろから店主が顔をのぞかせた。
「あれ? さっきまで三人じゃなかった?」
「ああ、あいつはちょっと用事ができまして。ねえ、オヤジさん。話は変わるけれど、ここって空襲で焼けちゃったところでしたっけ?」
急な話題に店主が目を丸くした。
「空襲? 急に何を言い出したかと思えば。いや、ここは焼け残ったんだ。戦後には闇市ができてずいぶん賑わったそうだ。いわゆる『パンパン』って呼ばれた女たちも多かったって聞いたことがあるよ」
「へぇ、そうなんだ。オヤジさんって何年生まれなの?」
「私は昭和二十九年だよ。だから聞いた話だ。本当にどうしちゃったの? 急に」
「いや、なんとなく。だってここの建物古いでしょ? その頃からあったのかなって思っただけです」
「そういうことか。うん、あったらしいよ。ここは子供の一時預かり所だったらしい。さっき言ったお姐さんたちの子供を預かってたみたいだね。ほとんどの子が混血でさ、なんとかっていうお金持ちのお嬢さんが纏めて引き取って、なんとかホームっていうところに入れたって聞いたことがあるなぁ。その空き家で商売を始めたのが私のじいさんさ」
「なるほどね、人に歴史ありっていうけれど、本当にそうですね。ああ、コーヒーカップはさっき勧めてくれたのを全部買います。後、カフェオレボウルも一緒に。それと、小さめの湯のみを十ほど見繕って下さい。子供が使うようなやつで、持ちやすいのが良いな」
店主は頷いてカウンターへと戻った。
僕はゆっくりとその子に話しかける。
「ねえ、一緒に行かないか? お母さんはもう戻ってこない。君も本当はわかっているんだよね? でも、どうすればいいのかわからなかったんだよね?」
その子の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「このおじさんたちは怖い人じゃないよ。僕もこの人たちに助けてもらったんだ」
少しの間じっと蹲ったままでいた子供が、顔を上げて僕を見た。
「一緒に……行きます」
僕は優しく、でもしっかりとその子の手を握った。
カウンターでは古村さんがお金を払っている。
エアパッキンに包まれたコーヒーカップ達が段ボール箱に収まっていくのを、僕はその子と一緒に眺めていた。
「ありがとうね、また覗いてみてよ」
店主の声に見送られ、僕たちは店を出た。
ふと僕の手を離した男の子が振り返り、店主の前で直立不動の姿勢を取った。
「長い間お世話になりました。ありがとうございました」
直角に頭を下げた男の子が、僕の横に駆け戻る。
手を繋いだ瞬間に、この子の悲しみや苦しみ、辛さや寂しさが一斉に僕の中に流れ込んできて、胸がぐっと重たくなった。
「飛ぶぞ。掴まれ」
三沢さんの手にしがみついて目を閉じる。
「さあ一真君、三つ数えてごらん」
一真君が声に出して三つ数える。
ゆっくりと目を開けると、そこは『ルナール古書店』だった。
「どうしたの?」
「迎えに来たんだ。いろいろ揃えないといけないだろ? 一緒に下見しようと思ってね」
「下見ですか? 何の?」
古村さんがニヤッと笑った。
「そりゃ聡志、いろいろあるだろう? カップとかソーサーとか、カトラリーとかグラスとかさぁ。味は良くても食器がダメだと味も悪くなる。ここでケチったらあとで後悔することになるぞ」
会社員をしながらコツコツとお金を貯めたと言っていたあの女性が聞いたら泣いちゃうんじゃないかな。
「お好みのブランドがあるのですか?」
今度は三沢さんが口を開いた。
「私たちのは自分で用意するからいいんだ。問題は店用だよ。彼らにとっては、この星で味わう最後の一杯かもしれないだろ? いい加減なことはできない」
「最後の一杯か……そうですよね、そのために来るんですもんね。僕も気合を入れて淹れなくちゃ」
「ああ、ぜひそうしてやってくれ。そういう意味では子供用のメニューも必要だな。子供と言えば牛乳か?」
「どうでしょうね……僕は麦茶が好きだったけれど」
僕の答えに三沢さんがニコッと笑った。
「麦茶か。今どきのティーバックのやつはどうでも良いが、昔は焙じた大麦を煮出してたんだよ。あれは本当に旨い。煮出した後の大麦は消臭剤にもなるし、腐葉土と混ぜれば肥料にもなるしで一切無駄がないんだ。昔住んでいた村のばあちゃんたちはみんなそうしてたな」
「へぇ……そういえばうちのばあちゃんの焙じ茶は最高でしたね。焙烙で焙じてくれて……ああ、そういえば麦茶もそうやって作ってくれました」
古村さんが感心したような顔で言う。
「お前って若いくせに良いものを飲んでたんだなぁ。それ絶対旨いやつじゃん」
僕は貧乏だからそうしていたのかと思っていたけれど、ちゃんとしたものを作ってくれていたんだね……ありがとう、ばあちゃん。
感慨に浸っている僕の横で三沢さんが言う。
「大麦を焙じて麦茶を作ろう。コーヒー豆の手動焙煎器でもできるだろうけれど、匂い移りが気になるから、焙烙も用意しようか」
人がやるなら大賛成だが、僕でしょ? やるのは。
「良いな。そういうところに凝ろうぜ。ちゃんとしたもの出す店が減っているから、お客さんも喜ぶはずだ」
まあ、最後の一杯だもんね、手は抜けないさ。
「わかりました、僕も頑張りますよ」
そう言った僕の背中をポンと叩いて、二人は先に歩きだした。
「この店はなかなか良いものを置いているんだよ。なんと言ってもオヤジが無類のコーヒー好きでさぁ。俺と話が合うんだ」
古村さんが表通りから一本裏筋に入った陶器店を指さした。
「いらっしゃい。ああ古村さんか、久しぶりだね。今日は何を探しているの?」
鼻の下にひげを蓄えたその人は、古村さんや三沢さんよりかなり年上みたいに見えた。
「今度喫茶店をやるのでカップとソーサーを探しています。それほど大きな店じゃないから、数はそれほどでもないけど」
「へぇ、ついに始めるんだ。そりゃいいね。どこで?」
古村さんが親しそうに話している。
手持無沙汰の僕が、店の商品を見るともなく見て歩いていると、棚と棚の間に小さな子供が蹲っているのをみつけてしまった。
「どうしたの? かくれんぼ?」
僕の声に怯えた顔を向けたその子供は、小さな声で言った。
「僕が見えるの?」
「もちろん見えるさ。どうしてこんな所にいるのかな?」
「お母さんを待っているの」
その子は白いシャツと紺色の半ズボンを身につけていた。
蟀谷の血の跡が痛々しい。
「お母さんかぁ。そりゃ不安だったね。ちょっと待っててくれる?」
僕は湯飲み茶碗を手に取ってみていた三沢さんに話しかけた。
「子供がいました。どうしましょうか」
「子供? リアルか? それともネイキッド?」
「後者ですね」
三沢さんは丁寧に茶碗を戻してから僕の後ろに続いた。
僕たちが戻ると、その子はさらに怯えた顔で縮こまっている。
「やあ、随分長いこと頑張っていたんだね。その怪我は大丈夫?」
三沢さんが優しい声で聞いた。
その子は大人の男性が怖いのか、ぶるぶると体を震わせているだけで何も言わない。
「聡志、戻れ」
僕は頷いて現身を解いた。
魂だけの存在になった僕は、ばあちゃんを見送ったあの日の姿に戻っている。
最近は大人の姿に慣れていたから、半ズボンが妙に恥ずかしい。
「大丈夫かい? これなら話しやすい?」
男の子はポケッとした顔で僕の顔を見上げている。
「立てるかな?」
僕が差し出した手をおそるおそる握る。
「お母さんとはぐれちゃったの?」
「違うの。すぐに戻るからここに居なさいって。そしたら怖いおじさんが……お母さんはどこ?」
三沢さんが僕の肩に手を置いた。
「誕生日を聞いてくれ。それと住所もな」
頷いた僕がそれを聞くと、男の子はスラスラと答えた。
まだ小学校に上がる前だろうに、昔の子供は大したものだね。
「昔の住所だな。昭和十年生まれってことは、終戦時で四歳か……ねえ、君は何歳だい?」
男の子はビクッと肩を震わせたが、なんとか返事を口にした。
「五歳です」
「なるほど……お父さんは?」
黙ったまま俯いてしまった。
僕はその子の横に腰をおろした。
「ねえ、なんていう名前なの?」
「一真です」
「そうか、良い名前だね。ねえ一真君、君はもうわかっているのだろう?」
僕の言葉に男の子が涙を浮かべて頷いた。
「どうした? あれ? 聡志?」
古村さんの声だ。
その後ろから店主が顔をのぞかせた。
「あれ? さっきまで三人じゃなかった?」
「ああ、あいつはちょっと用事ができまして。ねえ、オヤジさん。話は変わるけれど、ここって空襲で焼けちゃったところでしたっけ?」
急な話題に店主が目を丸くした。
「空襲? 急に何を言い出したかと思えば。いや、ここは焼け残ったんだ。戦後には闇市ができてずいぶん賑わったそうだ。いわゆる『パンパン』って呼ばれた女たちも多かったって聞いたことがあるよ」
「へぇ、そうなんだ。オヤジさんって何年生まれなの?」
「私は昭和二十九年だよ。だから聞いた話だ。本当にどうしちゃったの? 急に」
「いや、なんとなく。だってここの建物古いでしょ? その頃からあったのかなって思っただけです」
「そういうことか。うん、あったらしいよ。ここは子供の一時預かり所だったらしい。さっき言ったお姐さんたちの子供を預かってたみたいだね。ほとんどの子が混血でさ、なんとかっていうお金持ちのお嬢さんが纏めて引き取って、なんとかホームっていうところに入れたって聞いたことがあるなぁ。その空き家で商売を始めたのが私のじいさんさ」
「なるほどね、人に歴史ありっていうけれど、本当にそうですね。ああ、コーヒーカップはさっき勧めてくれたのを全部買います。後、カフェオレボウルも一緒に。それと、小さめの湯のみを十ほど見繕って下さい。子供が使うようなやつで、持ちやすいのが良いな」
店主は頷いてカウンターへと戻った。
僕はゆっくりとその子に話しかける。
「ねえ、一緒に行かないか? お母さんはもう戻ってこない。君も本当はわかっているんだよね? でも、どうすればいいのかわからなかったんだよね?」
その子の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「このおじさんたちは怖い人じゃないよ。僕もこの人たちに助けてもらったんだ」
少しの間じっと蹲ったままでいた子供が、顔を上げて僕を見た。
「一緒に……行きます」
僕は優しく、でもしっかりとその子の手を握った。
カウンターでは古村さんがお金を払っている。
エアパッキンに包まれたコーヒーカップ達が段ボール箱に収まっていくのを、僕はその子と一緒に眺めていた。
「ありがとうね、また覗いてみてよ」
店主の声に見送られ、僕たちは店を出た。
ふと僕の手を離した男の子が振り返り、店主の前で直立不動の姿勢を取った。
「長い間お世話になりました。ありがとうございました」
直角に頭を下げた男の子が、僕の横に駆け戻る。
手を繋いだ瞬間に、この子の悲しみや苦しみ、辛さや寂しさが一斉に僕の中に流れ込んできて、胸がぐっと重たくなった。
「飛ぶぞ。掴まれ」
三沢さんの手にしがみついて目を閉じる。
「さあ一真君、三つ数えてごらん」
一真君が声に出して三つ数える。
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