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25 やってきた客人
「開店おめでとうございます!」
初日のお客様は知り合いというか、業者さん関係が多くて賑やかしてくれた。
立地的にオープン景気なんて考えられないと思ったのだろう、ありがたいことだ。
お陰で僕は繫忙時間のオペレーションを確認することができたのだから。
「これ本当に美味しいね。ワインが飲みたくなるよ」
そう言ったのは何を担当してくれた人だったのだろうか、褒めてもらえたのは山田裕子さんに教わったガレットだ。
祝いのつもりだったのだろう、四人で来てくれたその人たちは、全ての軽食メニューを注文してくれた。
まだ慣れていない僕は、随分手際が悪かったはずだ。
きっと待たせちゃったよね、ごめんなさい。
「よく頑張ったなぁ、お疲れさん」
そう笑ったのは古村さんだ。
「数日はこんな感じだろうけれど、そのうち落ち着いてくるよ。まあ、頑張れとしか言えん」
三沢さんも笑っている。
この二人が楽しそうに笑うなんて本当に珍しい。
なんだか僕まで嬉しくなってきた。
「あ……お客様だ」
僕の声に二人が入口を見る。
そこには春色のワンピースを着た若い女性が立っていた。
後ろに続いているのは二人の子供達。
きっとこの人が入る姿に勇気を得てついて入って来たのだろう。
「いらっしゃいませ、どうぞこちらに」
僕はカウンター席を勧めて水を出した。
「あの……わたし……」
彼女のすぐ横に三沢さんが座った。
子供たちは古村さんが集めてテーブル席に座らせている。
「聡志、コーヒーを三つとフィナンシェを一つ頼む。ああ、でも子供たちを優先してくれ」
「畏まりました」
古村さんが聞いてきた子供たちの飲み物を準備している間、その女性はずっと俯いていた。
三沢さんは何も言わずにずっと海を見ている。
きっと彼女の魂の記憶にシンクロしている最中なのだろう。
三沢さんの顔が微かに歪んだ。
「もう忘れてしまえよ。終わったことだ」
心に染み入るような声で彼女に語りかけた三沢さんは、泣きそうな顔をしている。
僕は彼女の前にコーヒーとフィナンシェを置いた。
小さく頭を下げたその人は、立ち上る湯気をずっと見ている。
「冷めないうちにどうぞ。深煎りなのでミルクがお勧めですよ」
「ありがとうございます。あの……私って……飲めるのですか?」
「もちろんです。お菓子もどうぞ」
「知りませんでした。もう何も口にすることは無いと思い込んでいたので」
「わかります。僕もそうですよ」
「え……あなたも? え?」
三沢さんが口を開いた。
「彼も君と同じだよ。ただ私たちがスカウトして留まって貰っているだけさ」
「そうなんですか? 私ったらぜんぜんわからなくて……そういうのが見える人なのかなって思っていました」
子供達に温かい麦茶を配り終えた古村さんが、カウンターに戻ってきた。
「あれだろ? シックスセンスってやつ。でもそういう人って本当にいるからね」
「そうなのですか? よくテレビとかで観ますよね。あれって本当のこと?」
「そうだよ、本当だ」
古村さんが彼女の相手を引き継いだようだ。
三沢さんが子供たちを古書店の二階に連れて行く。
彼らの連携プレーはまさに阿吽の呼吸だね。
「この店はね、神様がオーナーなんだよ。俺たちは神の使いってわけ」
古村さんの言葉にその人は楽しそうな笑顔を浮かべた。
笑うと片方だけにできるえくぼがすごくチャーミングだ。
「ではあなた方は天使ってこと?」
「いや……その神ってのが邪悪だからね。天使というより使い魔かな」
その人は楽しそうに声を上げて笑った。
良かったね、笑えたんだもん。
「先に子供たちを逝かせるから、少しだけ待っていてくれる? お腹は空いてない?」
「もちろんです。いくらでも待たせていただきます……というか、私はまだ迷っているの」
「そうか、迷っているうちは逝かない方がいいよ。時間は腐るほどあるんだから、焦る必要はないさ」
コクンと頷いたその人が古村さんと僕の顔を交互に見て言った。
「私は西尾玲子といいます。あれからどれくらい経ったのかはわかりませんが、死んだのは24歳の時でした」
「何年だったの?」
西尾玲子さんはスラスラと答える。
「じゃあ五年前か」
「え? 五年も経ってました? じゃあ私ってアラサー?」
古村さんがプッと吹き出す。
「いや、君の時間は止まったままさ。永遠の24歳ってこと」
「あ……そりゃそうですよね」
ガラスに映る木々の間からきらっと光って見えたのは月明かりに照らされた波だろうか。
「おいしい……すごくおいしいです」
よかった、冷めないうちに飲んでくれたんだね。
「ありがとうございます」
それからは誰も何も言わない時間が流れた。
店内に響いているのは、僕がカップを洗う音だけだ。
あの骨董店で買ったカップは、コーヒー豆を指定したお客様にだけ使っている。
数が必要なルナールブレンドは、マイセンの青バラになった。
値段を聞いた僕は、ものすごい緊張感をもって扱うことになっちゃったけどね。
「波の音が聞こえる」
最初に口を開いたのは西尾玲子さんだった。
「いいでしょ? オーディオには拘ったんだよね。機器というより配置に。背中から波に抱きしめられているような気分にならないか?」
「本当にそうですね。まるで海に連れて帰ってやろうって言われているような気がします」
三沢さんが優しい声を出す。
「海には帰れないよ。魂は全ての罪も罰も後悔も、海に流して星に戻るんだ」
「罪も罰も後悔も……」
「そうだ。生まれる直前の状態になって故郷に戻るんだよ。怖いことなど何もないんだ」
「私は……自分という存在が忘れられるのが怖いわ」
三沢さんが指先で僕に合図した。
はいはい、今度はエスプレッソですね?
「忘れられると自分が生きていたという証が失われるような気になるのかな?」
「そうですね、そんな感じです」
三沢さんが甘やかな声で言った。
「でもね、君はもう死んだんだ。現実を受け入れるべきじゃないか?」
一瞬だけ西尾さんの顔が歪んだ。
そしてぽつぽつと自分のことを語り始めた。
初日のお客様は知り合いというか、業者さん関係が多くて賑やかしてくれた。
立地的にオープン景気なんて考えられないと思ったのだろう、ありがたいことだ。
お陰で僕は繫忙時間のオペレーションを確認することができたのだから。
「これ本当に美味しいね。ワインが飲みたくなるよ」
そう言ったのは何を担当してくれた人だったのだろうか、褒めてもらえたのは山田裕子さんに教わったガレットだ。
祝いのつもりだったのだろう、四人で来てくれたその人たちは、全ての軽食メニューを注文してくれた。
まだ慣れていない僕は、随分手際が悪かったはずだ。
きっと待たせちゃったよね、ごめんなさい。
「よく頑張ったなぁ、お疲れさん」
そう笑ったのは古村さんだ。
「数日はこんな感じだろうけれど、そのうち落ち着いてくるよ。まあ、頑張れとしか言えん」
三沢さんも笑っている。
この二人が楽しそうに笑うなんて本当に珍しい。
なんだか僕まで嬉しくなってきた。
「あ……お客様だ」
僕の声に二人が入口を見る。
そこには春色のワンピースを着た若い女性が立っていた。
後ろに続いているのは二人の子供達。
きっとこの人が入る姿に勇気を得てついて入って来たのだろう。
「いらっしゃいませ、どうぞこちらに」
僕はカウンター席を勧めて水を出した。
「あの……わたし……」
彼女のすぐ横に三沢さんが座った。
子供たちは古村さんが集めてテーブル席に座らせている。
「聡志、コーヒーを三つとフィナンシェを一つ頼む。ああ、でも子供たちを優先してくれ」
「畏まりました」
古村さんが聞いてきた子供たちの飲み物を準備している間、その女性はずっと俯いていた。
三沢さんは何も言わずにずっと海を見ている。
きっと彼女の魂の記憶にシンクロしている最中なのだろう。
三沢さんの顔が微かに歪んだ。
「もう忘れてしまえよ。終わったことだ」
心に染み入るような声で彼女に語りかけた三沢さんは、泣きそうな顔をしている。
僕は彼女の前にコーヒーとフィナンシェを置いた。
小さく頭を下げたその人は、立ち上る湯気をずっと見ている。
「冷めないうちにどうぞ。深煎りなのでミルクがお勧めですよ」
「ありがとうございます。あの……私って……飲めるのですか?」
「もちろんです。お菓子もどうぞ」
「知りませんでした。もう何も口にすることは無いと思い込んでいたので」
「わかります。僕もそうですよ」
「え……あなたも? え?」
三沢さんが口を開いた。
「彼も君と同じだよ。ただ私たちがスカウトして留まって貰っているだけさ」
「そうなんですか? 私ったらぜんぜんわからなくて……そういうのが見える人なのかなって思っていました」
子供達に温かい麦茶を配り終えた古村さんが、カウンターに戻ってきた。
「あれだろ? シックスセンスってやつ。でもそういう人って本当にいるからね」
「そうなのですか? よくテレビとかで観ますよね。あれって本当のこと?」
「そうだよ、本当だ」
古村さんが彼女の相手を引き継いだようだ。
三沢さんが子供たちを古書店の二階に連れて行く。
彼らの連携プレーはまさに阿吽の呼吸だね。
「この店はね、神様がオーナーなんだよ。俺たちは神の使いってわけ」
古村さんの言葉にその人は楽しそうな笑顔を浮かべた。
笑うと片方だけにできるえくぼがすごくチャーミングだ。
「ではあなた方は天使ってこと?」
「いや……その神ってのが邪悪だからね。天使というより使い魔かな」
その人は楽しそうに声を上げて笑った。
良かったね、笑えたんだもん。
「先に子供たちを逝かせるから、少しだけ待っていてくれる? お腹は空いてない?」
「もちろんです。いくらでも待たせていただきます……というか、私はまだ迷っているの」
「そうか、迷っているうちは逝かない方がいいよ。時間は腐るほどあるんだから、焦る必要はないさ」
コクンと頷いたその人が古村さんと僕の顔を交互に見て言った。
「私は西尾玲子といいます。あれからどれくらい経ったのかはわかりませんが、死んだのは24歳の時でした」
「何年だったの?」
西尾玲子さんはスラスラと答える。
「じゃあ五年前か」
「え? 五年も経ってました? じゃあ私ってアラサー?」
古村さんがプッと吹き出す。
「いや、君の時間は止まったままさ。永遠の24歳ってこと」
「あ……そりゃそうですよね」
ガラスに映る木々の間からきらっと光って見えたのは月明かりに照らされた波だろうか。
「おいしい……すごくおいしいです」
よかった、冷めないうちに飲んでくれたんだね。
「ありがとうございます」
それからは誰も何も言わない時間が流れた。
店内に響いているのは、僕がカップを洗う音だけだ。
あの骨董店で買ったカップは、コーヒー豆を指定したお客様にだけ使っている。
数が必要なルナールブレンドは、マイセンの青バラになった。
値段を聞いた僕は、ものすごい緊張感をもって扱うことになっちゃったけどね。
「波の音が聞こえる」
最初に口を開いたのは西尾玲子さんだった。
「いいでしょ? オーディオには拘ったんだよね。機器というより配置に。背中から波に抱きしめられているような気分にならないか?」
「本当にそうですね。まるで海に連れて帰ってやろうって言われているような気がします」
三沢さんが優しい声を出す。
「海には帰れないよ。魂は全ての罪も罰も後悔も、海に流して星に戻るんだ」
「罪も罰も後悔も……」
「そうだ。生まれる直前の状態になって故郷に戻るんだよ。怖いことなど何もないんだ」
「私は……自分という存在が忘れられるのが怖いわ」
三沢さんが指先で僕に合図した。
はいはい、今度はエスプレッソですね?
「忘れられると自分が生きていたという証が失われるような気になるのかな?」
「そうですね、そんな感じです」
三沢さんが甘やかな声で言った。
「でもね、君はもう死んだんだ。現実を受け入れるべきじゃないか?」
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