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27 新たな道
笑いを止めた西尾さんがポツンと言った。
「私って生きてたんですよね? 人として存在してましたよね? なんだか自信が無くなってしまって」
三沢さんが静かに言った。
「そうだね、確かにこの世に生を受け、二十四年間は生きていたね」
「やっぱりそうですよね……こんなになって思い出すのは、たった二年間の幼稚園でのことなのです。園児全員の名前も顔も覚えています。でも、あの子たちってもう小学生? 忘れてますよね、幼稚園に西尾裕子という保育士がいたことなんて。ははは……それが寂しいというか生きていた甲斐がないというか……ホントなんだったんだろ」
古村さんが僕に声をかけた。
「ねえ聡志、ガレット焼いてよ。裕子ちゃんも食べるでしょ? 意外と旨いんだぜ、聡志が焼いたガレット。俺はオイルサーディンとほうれん草のやつがお気に入りなんだけどね」
「私は卵とハムとチーズがお勧めだね」
三沢さんの言葉に西尾さんがニコッと笑った。
「迷いますねぇ。どちらがいいかしら」
「僕のお勧めはリンゴとヨーグルトとくるみのデザートガレットかな」
「もう! あなたまで迷わせないで! でもそれもおいしそうですねぇ」
古村さんがヘラッと言う。
「じゃあ全部一つずつ」
僕はどうやら墓穴を掘ったみたいだ。
「畏まりました」
焼いている間に古村さんがワインを持ってきた。
ワイングラスは三沢さんが買ってきたバカラっていうメーカーのもので、ルナールブレンド用のコーヒーカップと同じくらいの値段らしい。
コワイコワイ。
「この子はね、僕たちを救ってくれた英雄なんだよ。まあ、八十年くらい前のことだけど」
三沢さんが珍しく僕の話を始めた。
ルナール古書店に来てもういくつもの魂を星に送ったけれど、初めてのことだ。
「英雄?」
頷いた三沢さんが淡々と語る。
途中で西尾さんが何度も顔を歪めていた。
「そんなことが? 子供を海に投げ捨てる? 信じられないわ……酷すぎる」
「そうだよね。酷いよね。酷すぎるよね。でもそれがまかり通る時代だった。そんな反吐が出るような時代の中でも、人間は生き延びようと必死だったんだ。だから今もこの国はある」
「戦争って……なぜ起こるんでしょうね。なぜ同じ人間を殺すことができるのでしょうね」
古村さんが独り言のように言った。
「そう思える君は真っ当なんだよ。あの頃は全てが狂っていた」
二匹の狐が遠い目をして窓を見た。
僕は一枚目のガレットを西尾さんの前に置く。
「古村さんお気に入りのオイルサーディンとほうれん草のガレットです」
うんと頷いて僕の方を見た西尾さんの目は真っ赤だった。
君は僕のために泣いてくれるんだね。
優しい人だ。
三つに切り分けて古村さんと三沢さんの前に置く西尾さんの手にはいくつもの痣があった。
「美味しいわ。私って恥ずかしながらガレットって初めてなの。クレープみたいなのねぇ。本当に美味しい……ほんのり感じる甘味は何?」
「そば粉だと思いますよ。砂糖とかは使わないので」
「そば粉? へぇぇ。知らなかった」
「次のは三沢さんお勧めの卵とハムとチーズです」
「これもおいしそう! 死んでから初めてお腹が空いたって思っちゃった」
「それは良かった。このガレットはね、黒胡椒が合うんだよ。たっぷりかけてごらん」
三沢さんの言葉に、すかさずペッパーミルを出す。
ちなみにこれもワイングラスと同じメーカーのものだ。
葉っぱの無駄遣いだよね。
「美味しい……ワインも美味しいです。みなさん毎日こんないいもの食べてたんですか? 羨ましいぃぃぃ」
西尾さんが悶えている。
僕のおすすめはデザート系だから少し時間をおいた方が良さそうだね。
三人は調子よくワインを飲んでいる。
何かを口に入れるたびに『美味しい』を連発する西尾さん。
「裕子ちゃんの魂ってきれいだねぇ。これならいけるかもしれないな。どう思う?」
古村さんが三沢さんの顔を見た。
「うん、私もそう思う。だから聡志の話もしたんだ」
「なるほどね……じゃあ明日にでも呼ぶ?」
「その前に本人の意思だろ?」
古村さんが何度もコクコクと頷いた。
三沢さんが体をずらして西尾さんの方を向く。
「裕子ちゃん、僕たちは狐だっていう話はしたよね。なぜここに留まることを選んだかも話した。では、ここで何をしているかって話なんだけれど」
西尾さんがフォークとナイフを置いて三沢さんに向き直った。
「ええ、お伺いしました。ここに入る前に子供たちが教えてくれましたよ。ここで最後の言葉を聞けば成仏できるんだって」
「そうか、子供たちが言ったのか。やっぱり君は保育士という仕事が天職だったんだね。僕たちでさえ、子供たちの方から話してくれることは少ないんだよ。だから聡志に手伝ってもらっているんだ。ここに入る勇気がなかなか持てない子が多くてね」
「そうでしょうね。これで全てが終わるんだって受け入れるのは難しいことだと思います。さっきも私が入る時についてきた子がいるでしょ? 一緒に入って良いか聞かれたので、もちろんよって答えたの」
三沢さんと古村さんが頷きあった。
「ねえ、裕子ちゃん。君もここに残って一緒に頑張ってくれないか? 彷徨う子供を送り出してやる仕事だ。中には来たは良いけれど、いざ送るという段階で怖がってしまう子もいるし、まだこの世に居たいと泣く子もいるんだ。お母さんに会いたいって泣き出しちゃう。そういう時に僕たちにできるのは、泣き止むまで辛抱強く何日でも待つことくらいでね」
西尾さんがパッと顔を上げた。
「私は彷徨う子供の魂の保育士さんってこと?」
古村さんがお道化て言う。
「給料は無いけれど衣食住は保証する。そして何より独りぼっちじゃない。良いと思わないか? でもね、一つだけ条件があるんだよ」
「条件?」
「神の修行を受けなくちゃいけない。聡志も受けたよ」
西尾さんが僕の顔を見た。
「どんなことをするの?」
僕は少し考えてから口を開いた。
「心の汚れ? そういうのを自分で搔きだすような感じかなぁ。そしてそれを受け入れると、空を飛べるようになるんだ。そして現身ができるようになる」
西尾さんが目をまん丸にした。
「現身? それに空を飛ぶの? 今までも浮遊してたけど、それとは違うのかしら」
三沢さんが驚いた顔をした。
「そうか……君は自分が死んだということを受け入れたんだもんなぁ。それならかなり早いかもね。聡志なんて自分が死んだことを知らないまま、普通に生きてるつもりだったんだもん」
「ははは……そうなんだ。僕は自分が死んでるって気づかなくて、ばあちゃんと一緒に住んでたんだよね。学校にも行ったし、バイトもしたけれど、みんな僕を無視するからさぁ、めちゃくちゃ傷ついてた。笑えるでしょ?」
照れたようにそう言った僕に、西尾さんは微笑んでくれた。
「笑わないよ。辛かったね。聡志君も頑張り屋さんなんだね」
たぶん僕の顔は真っ赤になっていたと思う。
だって三沢さんと古村さんが、ものすごく悪い顔で笑うんだもん。
そして翌日、まるでわかっていたかのように、神ジイが一匹の狐と一緒にやってきた。
「私って生きてたんですよね? 人として存在してましたよね? なんだか自信が無くなってしまって」
三沢さんが静かに言った。
「そうだね、確かにこの世に生を受け、二十四年間は生きていたね」
「やっぱりそうですよね……こんなになって思い出すのは、たった二年間の幼稚園でのことなのです。園児全員の名前も顔も覚えています。でも、あの子たちってもう小学生? 忘れてますよね、幼稚園に西尾裕子という保育士がいたことなんて。ははは……それが寂しいというか生きていた甲斐がないというか……ホントなんだったんだろ」
古村さんが僕に声をかけた。
「ねえ聡志、ガレット焼いてよ。裕子ちゃんも食べるでしょ? 意外と旨いんだぜ、聡志が焼いたガレット。俺はオイルサーディンとほうれん草のやつがお気に入りなんだけどね」
「私は卵とハムとチーズがお勧めだね」
三沢さんの言葉に西尾さんがニコッと笑った。
「迷いますねぇ。どちらがいいかしら」
「僕のお勧めはリンゴとヨーグルトとくるみのデザートガレットかな」
「もう! あなたまで迷わせないで! でもそれもおいしそうですねぇ」
古村さんがヘラッと言う。
「じゃあ全部一つずつ」
僕はどうやら墓穴を掘ったみたいだ。
「畏まりました」
焼いている間に古村さんがワインを持ってきた。
ワイングラスは三沢さんが買ってきたバカラっていうメーカーのもので、ルナールブレンド用のコーヒーカップと同じくらいの値段らしい。
コワイコワイ。
「この子はね、僕たちを救ってくれた英雄なんだよ。まあ、八十年くらい前のことだけど」
三沢さんが珍しく僕の話を始めた。
ルナール古書店に来てもういくつもの魂を星に送ったけれど、初めてのことだ。
「英雄?」
頷いた三沢さんが淡々と語る。
途中で西尾さんが何度も顔を歪めていた。
「そんなことが? 子供を海に投げ捨てる? 信じられないわ……酷すぎる」
「そうだよね。酷いよね。酷すぎるよね。でもそれがまかり通る時代だった。そんな反吐が出るような時代の中でも、人間は生き延びようと必死だったんだ。だから今もこの国はある」
「戦争って……なぜ起こるんでしょうね。なぜ同じ人間を殺すことができるのでしょうね」
古村さんが独り言のように言った。
「そう思える君は真っ当なんだよ。あの頃は全てが狂っていた」
二匹の狐が遠い目をして窓を見た。
僕は一枚目のガレットを西尾さんの前に置く。
「古村さんお気に入りのオイルサーディンとほうれん草のガレットです」
うんと頷いて僕の方を見た西尾さんの目は真っ赤だった。
君は僕のために泣いてくれるんだね。
優しい人だ。
三つに切り分けて古村さんと三沢さんの前に置く西尾さんの手にはいくつもの痣があった。
「美味しいわ。私って恥ずかしながらガレットって初めてなの。クレープみたいなのねぇ。本当に美味しい……ほんのり感じる甘味は何?」
「そば粉だと思いますよ。砂糖とかは使わないので」
「そば粉? へぇぇ。知らなかった」
「次のは三沢さんお勧めの卵とハムとチーズです」
「これもおいしそう! 死んでから初めてお腹が空いたって思っちゃった」
「それは良かった。このガレットはね、黒胡椒が合うんだよ。たっぷりかけてごらん」
三沢さんの言葉に、すかさずペッパーミルを出す。
ちなみにこれもワイングラスと同じメーカーのものだ。
葉っぱの無駄遣いだよね。
「美味しい……ワインも美味しいです。みなさん毎日こんないいもの食べてたんですか? 羨ましいぃぃぃ」
西尾さんが悶えている。
僕のおすすめはデザート系だから少し時間をおいた方が良さそうだね。
三人は調子よくワインを飲んでいる。
何かを口に入れるたびに『美味しい』を連発する西尾さん。
「裕子ちゃんの魂ってきれいだねぇ。これならいけるかもしれないな。どう思う?」
古村さんが三沢さんの顔を見た。
「うん、私もそう思う。だから聡志の話もしたんだ」
「なるほどね……じゃあ明日にでも呼ぶ?」
「その前に本人の意思だろ?」
古村さんが何度もコクコクと頷いた。
三沢さんが体をずらして西尾さんの方を向く。
「裕子ちゃん、僕たちは狐だっていう話はしたよね。なぜここに留まることを選んだかも話した。では、ここで何をしているかって話なんだけれど」
西尾さんがフォークとナイフを置いて三沢さんに向き直った。
「ええ、お伺いしました。ここに入る前に子供たちが教えてくれましたよ。ここで最後の言葉を聞けば成仏できるんだって」
「そうか、子供たちが言ったのか。やっぱり君は保育士という仕事が天職だったんだね。僕たちでさえ、子供たちの方から話してくれることは少ないんだよ。だから聡志に手伝ってもらっているんだ。ここに入る勇気がなかなか持てない子が多くてね」
「そうでしょうね。これで全てが終わるんだって受け入れるのは難しいことだと思います。さっきも私が入る時についてきた子がいるでしょ? 一緒に入って良いか聞かれたので、もちろんよって答えたの」
三沢さんと古村さんが頷きあった。
「ねえ、裕子ちゃん。君もここに残って一緒に頑張ってくれないか? 彷徨う子供を送り出してやる仕事だ。中には来たは良いけれど、いざ送るという段階で怖がってしまう子もいるし、まだこの世に居たいと泣く子もいるんだ。お母さんに会いたいって泣き出しちゃう。そういう時に僕たちにできるのは、泣き止むまで辛抱強く何日でも待つことくらいでね」
西尾さんがパッと顔を上げた。
「私は彷徨う子供の魂の保育士さんってこと?」
古村さんがお道化て言う。
「給料は無いけれど衣食住は保証する。そして何より独りぼっちじゃない。良いと思わないか? でもね、一つだけ条件があるんだよ」
「条件?」
「神の修行を受けなくちゃいけない。聡志も受けたよ」
西尾さんが僕の顔を見た。
「どんなことをするの?」
僕は少し考えてから口を開いた。
「心の汚れ? そういうのを自分で搔きだすような感じかなぁ。そしてそれを受け入れると、空を飛べるようになるんだ。そして現身ができるようになる」
西尾さんが目をまん丸にした。
「現身? それに空を飛ぶの? 今までも浮遊してたけど、それとは違うのかしら」
三沢さんが驚いた顔をした。
「そうか……君は自分が死んだということを受け入れたんだもんなぁ。それならかなり早いかもね。聡志なんて自分が死んだことを知らないまま、普通に生きてるつもりだったんだもん」
「ははは……そうなんだ。僕は自分が死んでるって気づかなくて、ばあちゃんと一緒に住んでたんだよね。学校にも行ったし、バイトもしたけれど、みんな僕を無視するからさぁ、めちゃくちゃ傷ついてた。笑えるでしょ?」
照れたようにそう言った僕に、西尾さんは微笑んでくれた。
「笑わないよ。辛かったね。聡志君も頑張り屋さんなんだね」
たぶん僕の顔は真っ赤になっていたと思う。
だって三沢さんと古村さんが、ものすごく悪い顔で笑うんだもん。
そして翌日、まるでわかっていたかのように、神ジイが一匹の狐と一緒にやってきた。
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