ルナール古書店の秘密

志波 連

文字の大きさ
36 / 43

36 運命

しおりを挟む
 山田さんが林の隙間から見える海に視線を移した。

「テナントを見て回ったり、カップや食器を探したり。とても楽しい時間だった。神宮公園の東側に、とても良い物件をみつけてね。環境も良いし、思ったよりも家賃が安くて。前も飲食店だったからキッチンとかもあるから、ここに決めようって思った日に……」

「思った日に?」

「夫が訪ねてきたのよ。どうやって知ったのかはわからないけれど。それでね、土下座をして慰謝料で払った金を返してくれって言いだしたわ。もちろん断ったわよ? 私にとっては大切な開業資金だもの。でもいきなり上がり込んで、そこら中探し始めて、通帳をとられちゃったのよ。それでものすごい形相で印鑑を出せって言われたわ」

「それってただの強盗じゃん」

「本当にそうよね。それでも出さないって抵抗していたら、あの人いきなり私を押し倒して……無理に……」

 三沢さんが山田さんを止めた。

「言わなくていい。それ以上思い出して傷つくな。それからどうしたの?」

「なんだか呆然としちゃって……わけがわからないうちに印鑑を差し出して……ずっと泣いて……泣いて」

「大変だったね」

「うん、でも一番嫌だったのは無理やり抱かれたのに、それほどの嫌悪感を持てなかったことかな。離婚の原因はあっちの浮気だったし、私ったら浮気をされていることも気づいていなくて、相手の女性が妊娠したからって言われて……もう本当にいつもそうなの。子供のころからずっとそう。私って鈍いしトロいし、どうしようもないのよ」

「それで?」

「それから時々、あの人が訪ねてくるようになったの。泊っていく日もあれば帰る日もあって。私ったらバカだから料理なんかいそいそと作ったりして。ホントバカ。救いようがないわ」

「働き始めたの?」

「そう。貯金も無くなったでしょ? 家賃も払わなくちゃだし。それで近所のファミレスに働きに出たの。夜シフトの方が時給は良かったのだけれど、もしあの人が来たらって考えちゃって、早朝から夕方までのシフトに入ったわ。それでも足りないから土日は別の仕事をしてね」

「まだ好きだったの? わかれた旦那さんのこと」

「……わからない。わからないのよ。でもいきなり離婚届にサインしろっていうような別れ方だったし、きちんと憎むことができていなかったのかもしれない。愛していたのかと聞かれたら、イエスよ。でも別れてからは違う。違う……はずだったの」

「そうかぁ……そりゃ辛かったね」

「それが、先月の初め頃に夫がファミレスに来たのよ。偶然よ? 私がここで働いているなんて教えていなかったし。女の人と来て深刻な顔で話していたわ」

「内容を聞いちゃったんだね?」

「うん、すぐ後ろの席を片づける振りをして聞き耳を立てちゃった。そしたらね、その相手というのが今の奥さんで、どうやら息子さんが詐欺の片棒を担いでしまったらしくてね。受け子というのだったかしら? 賠償金だとか保釈金だとか、そんな話をしていたわ」

「へぇ、でもわかれたのは十年前でしょ?まだ子供は小学生じゃないの?」

「そうよね? 不思議でしょ? 私もそう思ったのよ。でもどうやらその息子というのは女性の連れ子みたい。でもあの人は自分の子だと言ったの。他人の子を自分の子だと言ったのよ? 私は見たこともないその子のために、夢も希望も心の平穏も全て奪われたのよ? おまけに誤魔化すために体の関係まで……きっとあの人は必死だったのね。今の家庭のために使えるものは何でも使うくらいには追い込まれていたのでしょう。そして私を思い出したのね」

「酷い話だな。そんなの玲子さんには関係ないじゃないか」

「きっとあの時私に払った慰謝料さえあればって考えたのね。あの人にとって私はどこで野垂れ死にしようと苦しもうと関係ない存在なのよ。一時期は同じ戸籍に入って夫婦だった私よりも、好きな女が産んだ他人の子の方が大切だったのだから」

 僕は三沢さんが来てくれて本当に良かったと思った。
 だって僕だけではどうしようもなかったし、下手に慰めて余計に傷つけるのがオチだもの。
 それにしても、三沢さんってさらっとため口に変えて、呼び方も名前呼びにしてるよね。
 凄い手練手管だ。

「それで逃げてきたのか」

「ええ、すぐに引っ越しの手続きをして仕事も辞めた。今はビジネスホテル暮らしだけれど、もうお金もないし、実家も無いし。最後に会いたい人に会おうと考えたら、聡志君の顔が浮かんでね。だって私と同じ夢を持って、それでちゃんと叶えた人なんだもん」

 夢でもないし、自分で叶えたわけじゃないけどね。
 僕は無意味な自己嫌悪を覚えた。

「会ってどうだった?」

「そうね……余計に未練が出ちゃったかな。ねえ、三沢さん。私ってどこで間違えちゃったのかなぁ。普通に生きてきたつもりなんだけどなぁ。それほど魅力がないってことだよね、きっと」

「それは違うよ。君はきれいだし、少なくとも私の好きなタイプのドストライクだよ。君は何も間違っていない。ただ持って生まれた運が悪かった。たったそれだけだよ」

「たった? それだけ?」

「そう、運命なんてどうあがいても変えられない。神でも変えられないのだから、人間ごときにどうこうできるわけがない。抗う意味もないんだ。ただ淡々と受け入れ、自然に死ぬまで一生懸命に生きる。生き物ができることはそれだけだよ」

 店内に静寂が戻った。
 潮騒の音がひときわ静かに流れている。
 この音が、山田さんの心の痛みも流してくれたらいいのに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

処理中です...