アッサムCTCが切れるころ

チャッピ

文字の大きさ
1 / 8

チャイ

しおりを挟む
僕が黄色いカフェでバイトを始めたのは、東京オリンピックが終わった2021年の夏だった。女子バスケットボール日本代表がアメリカをくだし、決勝戦へ進んだという新聞記事を見ながら、黄色いカフェの片隅でチャイを嗜んでいたときに、ここで働こうと思ったのだ。

大学を卒業して、スーツを勝負服にして自分を売り込む日本の風潮に嫌気が刺し、誰よりもはやく就職活動を諦めて5年がたっていた。


「お前いつになったら身を固めるんだよ」

と、いきつけの居酒屋で花田に言われたのを思い出す。花田とは大学時代に出会い、今でも連絡を取り合うほどの仲である。

「花田、今どき焦って仕事につくなんてナンセンスだよ。人生100年時代なんだ、気楽に行かなきゃ」

なんて心にも思っていないことを口にしていた。しかし内心は焦っていた。自分に言い聞かせるようにその言葉を吐き捨てながら、家に届いていた求人広告のことを思い返していた。
 

花田との月一で行われる飲み会のことを思い出しながら、また一口チャイを口に含んだ。口の中に広がる紅茶の風味と、ミルクの甘味がクセになり、嫌な感情もかき消してくれる。

店内に流れる陽気なBGMと足を運ぶ客層の良さ、そしてここのチャイが好きだということ、それくらいしか僕がここでバイトをしたい理由にならなかったけど、僕はここで働くことを決意し、また一口チャイを口に含んだ。

勘定をする際に、バイト募集のチラシを見たということと、バイトをしたい旨を伝え、電話番号と名前だけ伝え店を後にした。どうやら明日にでも面接をしてくれるらしい。


店を出た後、コンビニでメロンパンとチャイと履歴書を購入し家に帰った。

黄色いカフェから僕が住むアパートはそんなに遠くない。4回建の鉄筋コンクリートのアパートで、一人暮らしの僕にちょうどいい広さの部屋である。玄関のすぐ横に設置してある冷蔵庫に買ってきたメロンパンを入れた。


花田に引っ越しの手伝いをしてもらった時に、冷蔵庫の設置場所について議論したのを思い出す。

「冷蔵庫は食べ物を入れるところだろ、料理する時に困らない場所におくべきなんだよ」

と花田は言っていたが、僕はどうしても玄関のすぐ横に置きたかった。

小さい頃、買い物は僕の仕事だった。母親と父親は僕が6歳の頃に離婚し、一人息子の僕が母親と生活することになった。母親は8時から20時まで毎日仕事をしていたため、学校から帰った僕が買い物をすませておく必要があったのだ。小学生の僕にとって買ってきたものを家に運び、冷蔵庫に入れることは容易いことだったが、僕がその仕事をすっぽかしてしまえば夜ご飯が食べられないという責任感は、小学生の僕にとって重すぎたようだ。

当時僕たちが生活していた部屋は、玄関から一番奥にキッチンがあり、そこまで買ってきたものを運ぶ必要があった。玄関に冷蔵庫があればすぐに遊びに行けるのにと何度も思った。


そんな昔話を1から花田に説明することのほうがめんどくさく

「玄関にあった方が僕にとって都合がいいんだ」

とだけ言ってこの議論を終わらせた。

買ってきたチャイにストローを挿し、口に運びながらポストの中を確認した。「督促状」が目に入ってどきっとした。家賃3ヶ月まだ払っていないのだ。

先月辞めたドーナツ屋さんのバイトの給料がまだ入っておらず、危機的状況だった。しかし黄色いカフェでのバイトを決めた僕には大したダメージではなく、むしろこれから払えるようになるという希望が気持ちを安定させた。

そしてもう一つ健康診断結果の紙が届いていた。5年前に癌で亡くなった母親が、健康だけには気をつけなさいと言っていたのを思い出し、先週思い立ったかのように健康診断を受診したのだ。

封筒から結果を取り出す。チャイを口に含み、机の上に結果を広げた。

「便 異常あり」

その文字が頭の中で鳴り響き、時計の針の音がやけに大きく聞こえた。

僕はチャイを口に含み、音を立てて飲み込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

痩せたがりの姫言(ひめごと)

エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。 姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。 だから「姫言」と書いてひめごと。 別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。 語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。

処理中です...