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第1章 邪神復活
第4話 預言
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王国中央都市、『アイギス』。
東側の地方と西側の地方に広く区分される王国の中心地で、あらゆる文化と多くの人が行き交い、東西各地の特徴が表れた建造物が混在して並び建つ、王国で最も栄えた場所である。
その都市の名は、神の絶対的な御加護があらむ事を願い、神聖な神の盾から因んで付けられたと云われている。
その中央都市に、国王の城とともに古くから根付いて立つ、王国最大の宗教団体『教会』の総本山『アイリス大聖堂』。
黒を基調とした五つの尖塔が聳え立ち、その姿は荘厳、壮観であり、王国最大の宗教団体という威厳を都市中に示している様である。
五つの尖塔の内、最も高く突き出た尖塔には、教会のトップである『大司教』がいるとされている。
黒い外観に反して大聖堂の中は、壁や大理石の床に至るまで全体が一点の汚れもなく白い。
壁と天井に架かる虹色のステンドガラスから日の光が入り、白い壁と床を輝かせることで建物の中をまるで天国にいるかの様な錯覚を見せている。
外から差し込んでくる日の光を反射して煌めいているように見えるその美しい様を虹とも例え、アイリスと名付けられたという。
そのアイリス大聖堂の礼拝堂。
典礼時には多くの信者達が訪れる聖堂の中の広い空間で一際目立つ祭壇の前に、教会のトップである大司教が佇んでいた。
その後ろに司祭と司教、そしてさらに少し後ろに控えている一人のシスターが、その様子を見守っている。
現在四人しかいない広く静かな空間で、大司教が祭壇に置かれた古い羊皮紙を大切そうにゆっくりと開く。
「…神から賜りし預言が書かれたこの『ファルマの預言書』によれば、今日この時…邪神の力が目覚める。」
――『ファルマの預言書』。
遠い昔、神から啓示を受けたという預言者ファルマが記したとされる預言書である。
未来に起こる災厄や大きな出来事がいくつも記されており、教会はその預言により王国をあらゆる災厄から守って来た。
その預言書に記された数ある預言の中で長き年月に渡り秘匿とされ、教会が隠し続けていたものがある。
それが、『ファルマ第4の預言』。
その記されし預言は、「邪神の復活」。
預言書には、邪神が人の形をしてこの世に生まれ、その後時を経てその力が目覚め、世界に大きな混乱が起こる事が記されている。
そして、まさにその日。
王国の東側の地方で、暁の福音と相対したトウヤは邪神の力を覚醒させていた。
「邪神が人として生まれたのが15年前。…あれから幾度となく邪神の行方を探したが見つからず、遂に邪神の力が目覚めるこの日を迎えてしまった。」
大司教の静かだが厳かな声が、後ろに控えていた司祭と司教に緊張を与える。
「我々は何としてでも邪神を見つけ出し、その存在を抹消しなければならない。…世界中の人々の平和を守るために。」
「…はい。その通りでございます。」
大司教の言葉に、司教が同意する。
「邪神の力はまだ目覚めたばかり…。完全にその力が目覚め、世界に混乱を齎す前に必ず見つけ出さなければならない…必ずだ。」
大司教が振り返り、司祭と司教に視線を向ける。
その目の奥には強い光が宿り、一切の邪悪を許さない強固な意志を他の者に感じさせる。
「…はっ。」
「…はっ。」
司祭と司教が頭を垂れ、大司教の命に応える。
大司教の視線が、司祭達の少し後ろに控えるシスターにも向けられる。
「…見つけたその時は、例え人の形をしていようと躊躇わず抹殺せよ。良いな?」
シスターは、司祭たちと同じく大司教の命に応える様に静かに頭を下げたのだった。
― 王国 東側の地方 ―
『暁の福音』による襲撃から数時間が経ち、静けさを取り戻した小さな田舎町に夜が訪れる。
町外れの木々が覆い茂る暗い林道で、『神ノ社』とともに町を去る息子を見送ったオウルの後ろに、一人の人物が現れる。
「息子…トウヤは『神ノ社』の本部に行くようです。」
オウルは振り返らず、後ろに立つその人物に語り掛ける。
まるで見ずともその人物が誰で、そこに現われるのを知っていたかのように。
「…そうかい。」
「しかし、これで本当によかったのでしょうか? 」
「神ノ社…、あの宗教団体ならば、邪神の力を悪いことに利用しようとはしないし、トウヤ君の命を奪う事はしないはずだ。だから、安心したまえ。」
「いえ…、そうではなく」
「ん?何かな」
「トウヤに、自分が邪神の生まれ変わりである事を話してしまって…」
「ああ…。うん、それでいい。」
後ろに立つ人物がニヤリとほそく笑んだのが、オウルには見ずともわかった。
「神から授かりし預言によれば、長く眠っていた邪神の力は今日目覚める。私達はトウヤ君に真実を伝える事で、そのきっかけを作ったに過ぎない。」
「しかし…まさか、暁の福音の団員達がこの町に来るとは。なぜ奴らはトウヤの事を知って――」
「暁の福音に情報を流したのは、私だ。」
「なっ…!?」
思いがけない言葉にオウルは絶句し、振り返る。
後ろに立つ人物の顔は木々の影で作られた暗闇に隠れてしまっていたが、オウルはその人物がいつも浮かべる不敵な笑みを思い出し、その顔を目の前の暗闇に重ねていた。
「なぜ、そのような事を…」
「邪神の力を確実に目覚めさせるにはトウヤ君を窮地に追い込み、邪神の力を使わざるを得ない状況にする必要があったのだよ。まあ…、彼らの悪行のおかげでトウヤ君は邪神の力を目覚めさせることが出来たわけだ。」
邪神の力を目覚めさせるためとはいえ、オウルと妻は危うく殺されかけ、あまつさえトウヤまでも命を奪われかけていた。
あまりにも危ない賭けだったのではないか…と、オウルは疑念を抱いた目を向ける。
「心配しなくても、ちゃんと保険はかけておいた。そのために、神ノ社にも来てもらったのだからね。」
「神ノ社にも、トウヤの事を教えたのですか…」
「しかし、意外だったよ。邪神の力が覚醒すれば、トウヤ君という上書きされた人間の人格は消えると思っていたのだがね。」
「それはいったい、どういう…?」
「言葉の意味そのままだよ。邪神の力が目覚めれば、この15年間で培われた人間としての人格は消え、人などを遥かに超越した元の神に戻る…はずだったのだよ。」
トウヤという人格が消えるという事実に、心臓を鷲掴みにされたように驚愕すると同時に、その事実を自分に言わなかった事にオウルは怒りが湧いた。
「あなたはそんな事、一言も言っていなかったじゃないですか!」
「言ったら、邪神の力の覚醒を邪魔するだろうからね。…まあ、君が邪魔をしたところで、預言は変わらないがね。」
「く…っ」
邪神の力が目覚めると預言にある、その日。
邪神の存在を知られないようにするため、力が目覚めるとされるその日にトウヤを王都からヨミノ町に呼び戻して、本人に直接真実を話すことで、これからの身の振り方を決めてもらうつもりであった。
そして、力が覚醒するのを止められないのであれば、せめて自分の手の届く範囲で目覚めさせ、何が起こるかわからない不測の事態に備えようと、オウルは考えていた。
(だが、まさか人としての人格が無くなるとは…)
オウルの目が、鋭く目の前の人物を睨み付ける。
「そんな睨まないでくれるかな?私は、君の敵じゃない。…君と私はともに、暁の福音の本部から邪神の生まれ変わりを連れ去った仲じゃないか。」
暁の福音の本部からトウヤを連れ出したあの日。
赤ん坊を抱えて走り去ろうとするオウルの前にその人物は突如現れ、他の聖騎士に見つからずにその場から離れる手助けをした。
「そうですね…。15年前のあの時からあなたにはいろいろと助けられました。あなたは私達親子の味方だと思っていたのですが…」
静かな殺気がオウルの体から溢れ出る。
その殺気に呼応するように周囲に夜風が吹き、木々が揺れ、覆い茂る葉の間から月の光が差して、オウルの前に立つその人物を照らす。
達観した様な目に眼鏡をかけ、足首にまで届くコートを羽織り、長い髪をまとめて後ろに垂らした人物。見た目は若く、見知らぬ人がその人物と会えば、歳は20代の様に見える。
「その殺気を鎮めてはくれないかい?私とて命は惜しいし、長生きはしたいからね。元王都最強の聖騎士とは戦いたくはないよ。」
「長生き…ですか。元王都最強の聖騎士と云われたとはいえ、今の私はただのおじさんです。それに引き換え、あなたは初めて出会った頃からまったく変わりませんね。」
15年前から年を取った様子も無く、変わらず若々しい姿をしたままのその人物を見据え、オウルはその人物の名を呼ぶ。
「…ハルバート・レイ」
「そうだね。君はおじさんになり、私は君と初めて会った時の若々しい姿のままだ。」
「ハルバート…。トウヤの人格を消して邪神に戻そうとしているようだが、…あなたは、いったい何を企んでいるのですか?」
「私は何も企んでないよ」
奥深く、真意の読めない眼差しがオウルの鋭い視線を吸い込む様に受け止める。
「私はただ、神の御心に従い行動しているだけだよ。」
―… 神。
邪神ベルゼファールではない、他の神を示してるのだろう。
一体、どの神の事なのか…。
「…………」
本心かどうかわからないハルバートの言葉に、オウルは少し考えた後、溢れ出ていた殺気を納めた。
「…ハルバート、これだけは言っておきます。私はトウヤを見つけたあの日…、あの赤ん坊の無垢な笑顔を見た時から、あの子は私の子として守り育てていこうと決めた。故に、トウヤの敵となるものは私の敵。それだけは、憶えておいてください。」
「…わかった、肝に銘じておくよ。」
「ハルバート…あなたが、私達の敵ではない事を祈りますよ。」
そう言い残し、オウルは妻のいる我が家へと帰って行った。
遠く小さくなっていくオウルの背中を眺め、ハルバードが独り言ちる。
「…赤ん坊の無垢な笑顔、ねぇ。」
ハルバートは、暁の福音の本部で赤ん坊だったトウヤと聖騎士だったオウルの二人が出会った時の事を思い出した。
全てを知っているかの様なハルバートの達観した目が細められる。
「あれはね、オウル。何も知らずに無邪気にはしゃぐ赤ん坊の笑顔じゃなかったんだよ。
…あれは、人間ごときが恐怖で震えながらも、神である自分に刃向かおうとする健気な姿が可笑しくてたまらない、そういう邪神の嘲笑だったのだよ。」
自分の言っている事が可笑しいのか、ハルバートは手で顔を覆い、クックックと肩を揺らして笑う。
「生まれたばかりのベルゼファールは、まだ人の人格を持っていない邪神そのものだった。赤ん坊とはいえ、彼から見れば君はか弱い人間…もしくは道化でしかなったのだろう。
…今でも思い出すよ、あの時の邪神の歪な笑みを。君にはそれが、無垢な笑顔に見えていたようだね。」
暁の福音の本部で見た異様な光景。
剣を置いて両膝を付き、赤ん坊を優しい眼差しで見つめて抱きかかえる聖騎士と、その聖騎士を歪んだ笑顔で声高く嘲笑う赤ん坊の姿。
オウルには、その時の赤ん坊の顔が別の様に見え、あの高笑いが聞こえなかったのだろう。
ハルバートはその時の光景を、バグった絵を見た様で心底寒気がしたという。
「邪神の放つ不気味な気配…神気に触れた時からオウル、君はまともじゃなくなっていたのだ。危険極まりない邪神の生まれ変わりを殺す事を止め、聖騎士の仲間を裏切り、教会から身を隠してまで邪神の生まれ変わりを守り育てようとしていたのだからね…正気じゃない。」
地獄から生まれ出た赤ん坊の放つ神気によって意識を書き換えられ、無意識に操られていた事とは知らず、ただ懸命に息子の身を思う一人の父親をハルバードは少し憐れに思った。
「まあ、神に選らばれたものとして、正気ではないのは私も同じか…。」
ハルバートは長いコートを翻して町に背を向けると、夜空に一際輝く月を見上げた。
「さて…私は神の預言に従い、神の御心のままに次の行いをするとしよう。」
そう言い、穏やかに葉を揺らして吹く夜風に当たりながら、預言者ハルバート・レイは林道をゆっくり歩いてヨミノ町を後にした。
東側の地方と西側の地方に広く区分される王国の中心地で、あらゆる文化と多くの人が行き交い、東西各地の特徴が表れた建造物が混在して並び建つ、王国で最も栄えた場所である。
その都市の名は、神の絶対的な御加護があらむ事を願い、神聖な神の盾から因んで付けられたと云われている。
その中央都市に、国王の城とともに古くから根付いて立つ、王国最大の宗教団体『教会』の総本山『アイリス大聖堂』。
黒を基調とした五つの尖塔が聳え立ち、その姿は荘厳、壮観であり、王国最大の宗教団体という威厳を都市中に示している様である。
五つの尖塔の内、最も高く突き出た尖塔には、教会のトップである『大司教』がいるとされている。
黒い外観に反して大聖堂の中は、壁や大理石の床に至るまで全体が一点の汚れもなく白い。
壁と天井に架かる虹色のステンドガラスから日の光が入り、白い壁と床を輝かせることで建物の中をまるで天国にいるかの様な錯覚を見せている。
外から差し込んでくる日の光を反射して煌めいているように見えるその美しい様を虹とも例え、アイリスと名付けられたという。
そのアイリス大聖堂の礼拝堂。
典礼時には多くの信者達が訪れる聖堂の中の広い空間で一際目立つ祭壇の前に、教会のトップである大司教が佇んでいた。
その後ろに司祭と司教、そしてさらに少し後ろに控えている一人のシスターが、その様子を見守っている。
現在四人しかいない広く静かな空間で、大司教が祭壇に置かれた古い羊皮紙を大切そうにゆっくりと開く。
「…神から賜りし預言が書かれたこの『ファルマの預言書』によれば、今日この時…邪神の力が目覚める。」
――『ファルマの預言書』。
遠い昔、神から啓示を受けたという預言者ファルマが記したとされる預言書である。
未来に起こる災厄や大きな出来事がいくつも記されており、教会はその預言により王国をあらゆる災厄から守って来た。
その預言書に記された数ある預言の中で長き年月に渡り秘匿とされ、教会が隠し続けていたものがある。
それが、『ファルマ第4の預言』。
その記されし預言は、「邪神の復活」。
預言書には、邪神が人の形をしてこの世に生まれ、その後時を経てその力が目覚め、世界に大きな混乱が起こる事が記されている。
そして、まさにその日。
王国の東側の地方で、暁の福音と相対したトウヤは邪神の力を覚醒させていた。
「邪神が人として生まれたのが15年前。…あれから幾度となく邪神の行方を探したが見つからず、遂に邪神の力が目覚めるこの日を迎えてしまった。」
大司教の静かだが厳かな声が、後ろに控えていた司祭と司教に緊張を与える。
「我々は何としてでも邪神を見つけ出し、その存在を抹消しなければならない。…世界中の人々の平和を守るために。」
「…はい。その通りでございます。」
大司教の言葉に、司教が同意する。
「邪神の力はまだ目覚めたばかり…。完全にその力が目覚め、世界に混乱を齎す前に必ず見つけ出さなければならない…必ずだ。」
大司教が振り返り、司祭と司教に視線を向ける。
その目の奥には強い光が宿り、一切の邪悪を許さない強固な意志を他の者に感じさせる。
「…はっ。」
「…はっ。」
司祭と司教が頭を垂れ、大司教の命に応える。
大司教の視線が、司祭達の少し後ろに控えるシスターにも向けられる。
「…見つけたその時は、例え人の形をしていようと躊躇わず抹殺せよ。良いな?」
シスターは、司祭たちと同じく大司教の命に応える様に静かに頭を下げたのだった。
― 王国 東側の地方 ―
『暁の福音』による襲撃から数時間が経ち、静けさを取り戻した小さな田舎町に夜が訪れる。
町外れの木々が覆い茂る暗い林道で、『神ノ社』とともに町を去る息子を見送ったオウルの後ろに、一人の人物が現れる。
「息子…トウヤは『神ノ社』の本部に行くようです。」
オウルは振り返らず、後ろに立つその人物に語り掛ける。
まるで見ずともその人物が誰で、そこに現われるのを知っていたかのように。
「…そうかい。」
「しかし、これで本当によかったのでしょうか? 」
「神ノ社…、あの宗教団体ならば、邪神の力を悪いことに利用しようとはしないし、トウヤ君の命を奪う事はしないはずだ。だから、安心したまえ。」
「いえ…、そうではなく」
「ん?何かな」
「トウヤに、自分が邪神の生まれ変わりである事を話してしまって…」
「ああ…。うん、それでいい。」
後ろに立つ人物がニヤリとほそく笑んだのが、オウルには見ずともわかった。
「神から授かりし預言によれば、長く眠っていた邪神の力は今日目覚める。私達はトウヤ君に真実を伝える事で、そのきっかけを作ったに過ぎない。」
「しかし…まさか、暁の福音の団員達がこの町に来るとは。なぜ奴らはトウヤの事を知って――」
「暁の福音に情報を流したのは、私だ。」
「なっ…!?」
思いがけない言葉にオウルは絶句し、振り返る。
後ろに立つ人物の顔は木々の影で作られた暗闇に隠れてしまっていたが、オウルはその人物がいつも浮かべる不敵な笑みを思い出し、その顔を目の前の暗闇に重ねていた。
「なぜ、そのような事を…」
「邪神の力を確実に目覚めさせるにはトウヤ君を窮地に追い込み、邪神の力を使わざるを得ない状況にする必要があったのだよ。まあ…、彼らの悪行のおかげでトウヤ君は邪神の力を目覚めさせることが出来たわけだ。」
邪神の力を目覚めさせるためとはいえ、オウルと妻は危うく殺されかけ、あまつさえトウヤまでも命を奪われかけていた。
あまりにも危ない賭けだったのではないか…と、オウルは疑念を抱いた目を向ける。
「心配しなくても、ちゃんと保険はかけておいた。そのために、神ノ社にも来てもらったのだからね。」
「神ノ社にも、トウヤの事を教えたのですか…」
「しかし、意外だったよ。邪神の力が覚醒すれば、トウヤ君という上書きされた人間の人格は消えると思っていたのだがね。」
「それはいったい、どういう…?」
「言葉の意味そのままだよ。邪神の力が目覚めれば、この15年間で培われた人間としての人格は消え、人などを遥かに超越した元の神に戻る…はずだったのだよ。」
トウヤという人格が消えるという事実に、心臓を鷲掴みにされたように驚愕すると同時に、その事実を自分に言わなかった事にオウルは怒りが湧いた。
「あなたはそんな事、一言も言っていなかったじゃないですか!」
「言ったら、邪神の力の覚醒を邪魔するだろうからね。…まあ、君が邪魔をしたところで、預言は変わらないがね。」
「く…っ」
邪神の力が目覚めると預言にある、その日。
邪神の存在を知られないようにするため、力が目覚めるとされるその日にトウヤを王都からヨミノ町に呼び戻して、本人に直接真実を話すことで、これからの身の振り方を決めてもらうつもりであった。
そして、力が覚醒するのを止められないのであれば、せめて自分の手の届く範囲で目覚めさせ、何が起こるかわからない不測の事態に備えようと、オウルは考えていた。
(だが、まさか人としての人格が無くなるとは…)
オウルの目が、鋭く目の前の人物を睨み付ける。
「そんな睨まないでくれるかな?私は、君の敵じゃない。…君と私はともに、暁の福音の本部から邪神の生まれ変わりを連れ去った仲じゃないか。」
暁の福音の本部からトウヤを連れ出したあの日。
赤ん坊を抱えて走り去ろうとするオウルの前にその人物は突如現れ、他の聖騎士に見つからずにその場から離れる手助けをした。
「そうですね…。15年前のあの時からあなたにはいろいろと助けられました。あなたは私達親子の味方だと思っていたのですが…」
静かな殺気がオウルの体から溢れ出る。
その殺気に呼応するように周囲に夜風が吹き、木々が揺れ、覆い茂る葉の間から月の光が差して、オウルの前に立つその人物を照らす。
達観した様な目に眼鏡をかけ、足首にまで届くコートを羽織り、長い髪をまとめて後ろに垂らした人物。見た目は若く、見知らぬ人がその人物と会えば、歳は20代の様に見える。
「その殺気を鎮めてはくれないかい?私とて命は惜しいし、長生きはしたいからね。元王都最強の聖騎士とは戦いたくはないよ。」
「長生き…ですか。元王都最強の聖騎士と云われたとはいえ、今の私はただのおじさんです。それに引き換え、あなたは初めて出会った頃からまったく変わりませんね。」
15年前から年を取った様子も無く、変わらず若々しい姿をしたままのその人物を見据え、オウルはその人物の名を呼ぶ。
「…ハルバート・レイ」
「そうだね。君はおじさんになり、私は君と初めて会った時の若々しい姿のままだ。」
「ハルバート…。トウヤの人格を消して邪神に戻そうとしているようだが、…あなたは、いったい何を企んでいるのですか?」
「私は何も企んでないよ」
奥深く、真意の読めない眼差しがオウルの鋭い視線を吸い込む様に受け止める。
「私はただ、神の御心に従い行動しているだけだよ。」
―… 神。
邪神ベルゼファールではない、他の神を示してるのだろう。
一体、どの神の事なのか…。
「…………」
本心かどうかわからないハルバートの言葉に、オウルは少し考えた後、溢れ出ていた殺気を納めた。
「…ハルバート、これだけは言っておきます。私はトウヤを見つけたあの日…、あの赤ん坊の無垢な笑顔を見た時から、あの子は私の子として守り育てていこうと決めた。故に、トウヤの敵となるものは私の敵。それだけは、憶えておいてください。」
「…わかった、肝に銘じておくよ。」
「ハルバート…あなたが、私達の敵ではない事を祈りますよ。」
そう言い残し、オウルは妻のいる我が家へと帰って行った。
遠く小さくなっていくオウルの背中を眺め、ハルバードが独り言ちる。
「…赤ん坊の無垢な笑顔、ねぇ。」
ハルバートは、暁の福音の本部で赤ん坊だったトウヤと聖騎士だったオウルの二人が出会った時の事を思い出した。
全てを知っているかの様なハルバートの達観した目が細められる。
「あれはね、オウル。何も知らずに無邪気にはしゃぐ赤ん坊の笑顔じゃなかったんだよ。
…あれは、人間ごときが恐怖で震えながらも、神である自分に刃向かおうとする健気な姿が可笑しくてたまらない、そういう邪神の嘲笑だったのだよ。」
自分の言っている事が可笑しいのか、ハルバートは手で顔を覆い、クックックと肩を揺らして笑う。
「生まれたばかりのベルゼファールは、まだ人の人格を持っていない邪神そのものだった。赤ん坊とはいえ、彼から見れば君はか弱い人間…もしくは道化でしかなったのだろう。
…今でも思い出すよ、あの時の邪神の歪な笑みを。君にはそれが、無垢な笑顔に見えていたようだね。」
暁の福音の本部で見た異様な光景。
剣を置いて両膝を付き、赤ん坊を優しい眼差しで見つめて抱きかかえる聖騎士と、その聖騎士を歪んだ笑顔で声高く嘲笑う赤ん坊の姿。
オウルには、その時の赤ん坊の顔が別の様に見え、あの高笑いが聞こえなかったのだろう。
ハルバートはその時の光景を、バグった絵を見た様で心底寒気がしたという。
「邪神の放つ不気味な気配…神気に触れた時からオウル、君はまともじゃなくなっていたのだ。危険極まりない邪神の生まれ変わりを殺す事を止め、聖騎士の仲間を裏切り、教会から身を隠してまで邪神の生まれ変わりを守り育てようとしていたのだからね…正気じゃない。」
地獄から生まれ出た赤ん坊の放つ神気によって意識を書き換えられ、無意識に操られていた事とは知らず、ただ懸命に息子の身を思う一人の父親をハルバードは少し憐れに思った。
「まあ、神に選らばれたものとして、正気ではないのは私も同じか…。」
ハルバートは長いコートを翻して町に背を向けると、夜空に一際輝く月を見上げた。
「さて…私は神の預言に従い、神の御心のままに次の行いをするとしよう。」
そう言い、穏やかに葉を揺らして吹く夜風に当たりながら、預言者ハルバート・レイは林道をゆっくり歩いてヨミノ町を後にした。
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