不遇の花嫁は偽りの聖女を暴く──運命を切り開く契約結婚

evening

文字の大きさ
3 / 10

── 仮面夫婦生活の始まりと“偽りの聖女”の影 ──

しおりを挟む
 シュヴァルツ公国に到着してから数日後、セレスティアは形式上の結婚式を執り行った。もっとも、その式は“公子の正妃としての盛大な儀式”というより、限られた貴族たちが立ち会う簡素なものだった。国を挙げての祝宴ではなく、宮廷のチャペルに設えられた祭壇で、神官がさらりと祝詞を唱えるに留まる。

 ラウルは最後列に立ったまま、無表情にセレスティアと神官のやりとりを眺めているだけだったし、“聖女”フィオナもまた、祝福の祈りを捧げる立場にありながら口元だけ微笑んだまま、どこか冷たい視線を送っていた。

 こうして、セレスティアは正式にシュヴァルツ公国の公子ラウルの“妻”として迎えられることになった。しかし、その結婚は当事者であるふたりの間に温かな感情をもたらしたわけではない。むしろ、セレスティアは改めて「自分は政略結婚の駒でしかないのだ」という現実を痛感することとなる。
 
1. 宮廷での生活のスタート
 形式上の結婚式が終わった翌日、セレスティアは専用の居室を宛がわれた。大理石の床に、金と緋色を基調とした家具が並び、窓からはよく手入れされた中庭が見下ろせる。部屋じたいは豪華なのに、そこに宿る空気はどこか冷ややか。広い部屋の隅々が、自分の心の孤立を際立たせているようにすら感じる。

 アストリアでの暮らしよりはずっと恵まれている。だが、扉の外には常に公国の侍女たちが控え、物珍しそうに“新しい公子妃”を観察している様子が手に取るようにわかった。彼女たちにとって、セレスティアは言葉だけでは言い尽くせないほど「大国・シュヴァルツ公国の正妃としては頼りなさそうな存在」に映っているのだろう。

 朝食の席でも、セレスティアは居心地の悪さを隠しきれなかった。ラウルは連日、公務で城を出たり入ったりを繰り返し、朝に顔を合わせることすら滅多にない。彼がこの宮殿で食事を取るときは、必ずと言っていいほどフィオナが同席しており、ふたりの間には周囲を寄せつけないような独特の空気が漂っていた。

 そんなラウルとの“仮面夫婦”としての生活は、主に書類上と口先だけのもの。宮廷内では、セレスティアを指して「公子妃殿下」と呼ぶが、その声には尊敬というよりはどこか遠巻きにする気配が混ざっている。

 ある朝、廊下で侍女たちがセレスティアの姿を認めるや、足早に行きすぎるのを見たとき、彼女は胸の痛みをこらえて顔を伏せた。アストリアにいた頃の王宮とあまり変わらない冷淡な扱いを、ここでも受けるのだということが分かる。それでも、「逃げ帰るわけにはいかない」という思いだけが彼女の背筋をなんとか支えていた。

 そんな中、ラウルは公務の合間にわずかにセレスティアへ言葉を投げかける。

「当面はここで暮らすといい。……何か必要なものがあれば、侍従に言えば揃えさせる」

 淡々とした声音。まるで自分とは無関係だと言わんばかり。セレスティアは伏し目がちに礼を言うしかなかった。

「ありがとうございます。お気遣い、感謝いたします」

 それだけの短い会話。まるで夫婦というよりも、主人と借り住まいの客か何かのようだった。
 
・セレスティアへの風当たりの強さ
 やがて、セレスティアが公子妃として正式に宮廷に滞在するようになってから一週間ほど経過した。ある日のこと、彼女は廊下を歩いている最中に、いくつかのささやき声が聞こえてくるのを感じた。

「――なんでまた、あんな小国の姫を……」

「あら、でもアストリアは辺境にしては歴史が古いとか聞きますけれど? もっとも、今は疲弊してるらしいわね」

「そりゃそうでしょ。“聖女様”の奇跡とは比べものにならないし……」

 会話を交わしていたのは、貴族階級の女性らしき二人。セレスティアは偶然、その横を通り過ぎようとして足を止めた。視線に気づいた貴族の女性たちは慌てて口をつぐむが、ちらりと向けられる眼差しには、はっきりとした見下しの色がある。

 セレスティアは何も言えず、ただ軽く微笑んで「ごきげんよう」と声をかけた。すると、女性たちは顔だけは作り笑いを浮かべて「これは公子妃殿下、ごきげんよう。……失礼いたします」と会釈する。

 彼女たちが足早に立ち去った後、セレスティアの胸には虚しさと侘しさだけが残った。

 (やっぱり、誰も私を真っ当に見ていない。ラウル様ですら、そうなのだもの……)

 それでも、自らの肩書きは“ラウルの正妃”だ。この国のためにも、自分のためにも、どうにかして周囲との関係を築いていかなければならない。そう理解してはいても、気が滅入る瞬間はどうしても訪れてしまう。
 
2. フィオナの絶大な影響力
 そんなセレスティアの前に、これまで以上に圧倒的な存在感を誇示して現れるのが“聖女”フィオナだった。

 ある日、宮廷で催される小さな音楽会に顔を出したセレスティアは、そこに集う貴族たちの会話を何気なく耳にする。

「フィオナ様が先日、また新たな奇跡を行われたらしいわよ。病に伏していた子どもを癒やしたとか……」

「それだけじゃないわ。戦で負傷した兵士も回復させたっていう話もあるの。まさに神の奇跡、ね」

 貴族たちは陶酔した面持ちで語り合い、“聖女様”を称える言葉を惜しまない。セレスティアは、フィオナが本当にそんな奇跡を行う力を持っているのかと半信半疑になりつつも、周囲の熱狂ぶりを見れば、少なくともこの宮廷では絶対的な信頼を勝ち得ているのは間違いないと感じる。

 その音楽会の途中、フィオナが姿を現したときの貴族たちの反応はさらに顕著だった。彼女がふわりと舞うように会場に入ってくると、人々は一斉に目を奪われ、「聖女様、今日も麗しくて」「このようにお越しくださって感激です」と小声で讃える。フィオナは柔らかな笑みをたたえながらも、どこか傲慢とも取れるほど堂々と視線を受け止めている。

 セレスティアが少し離れた席からそれを眺めていると、フィオナは手を振って合図し、まるで舞台上の主役のように人々を導く。いつの間にか、人々の話題の中心は演奏ではなく、“聖女様”の自慢話や最近の功績に切り替わっている。

 (これほどの影響力を持つなんて……)

 目の当たりにすれば、彼女がただの側近や愛人などではなく、公子ラウルと肩を並べるような特別な存在だということを思い知らされる。
フィオナの嫌味

 やがて、フィオナは周囲の貴族たちに笑顔を投げかけた後、スカートの裾を翻しながら、セレスティアがいる場所に近づいてきた。すぐに取り巻きの貴族や侍女たちが道を開けるのは、彼女の地位の高さを物語っている。

「まあ、セレスティア様。こんなところにいらしたのね。今日のお召し物は随分と地味ね」

 挨拶もそこそこに放たれる言葉には、軽い侮蔑と薄ら笑いが混じっていた。セレスティアは反論する気持ちにもなれず、ただ笑みを保って礼を返す。

「お恥ずかしい限りです。……まだ、この宮廷の雰囲気に慣れずにおりますので」

「ふふ、そうでしょうね。シュヴァルツ公国とアストリアでは、何もかもが違うもの。公子妃殿下となられても、あまり戸惑わせたくないけれど……何かわからないことがあれば、私に聞いてくださる?」

 一見親切そうな申し出だが、その瞳は「あなたは何も知らないでしょう?」とでも言わんばかり。周囲の貴族たちもくすくすと笑いを押し殺しているのが分かる。

「ええ、ありがとうございます。お言葉に甘えることがあるかもしれません」

 精一杯、柔和な態度を崩さずに答えるしかない。フィオナはその回答に満足したのか、人形のように整った顔をすっと傾け、淡い金の髪を揺らして一つため息をついた。

「そうそう、先日もラウル様のお力になるために、私は国境付近で病に苦しむ人たちを救ったの。それはもう大変で、疲労が溜まってしまったわ。でも、私がいなければ多くの人々が助からなかったでしょうね」

 自分の偉業を惜しげもなく語るフィオナ。さりげなく“ラウル様の力になる”と口にするのは、彼女がまるで“公子の唯一の理解者”とでも言いたげな響きがある。

 周囲の人々が「なんと素晴らしい」「聖女様のおかげだ」と拍手を送る中、セレスティアは苦い思いでそれを眺める。彼女を褒め称える貴族たちは、セレスティアが公子妃であることなど失念しているかのように、フィオナの足元へ跪かんばかりの勢いだ。

 (こうして見ていると、フィオナ様こそがこの国の中心人物みたい……)

 自分の立場がますます狭まっている気がしたが、それでもセレスティアは笑顔を作ることをやめなかった。宮廷では微かな表情の変化すら、あっという間に噂の火種になる。何を言われても、自分から無用な口出しをしないほうが得策だ――そう悟っていた。
 
3. セレスティアの努力と小さな信頼
・小さな一歩:勉学と国情の把握
 フィオナの圧倒的な人気と権勢が宮廷に浸透している現状で、セレスティアは「このままでは本当に何の役にも立てない」と焦りを感じ始めた。

 そこで、彼女はまず自分にできることから始めようと考える。アストリアの王城でも、限られた本を独学で読んでいた経験がある。ここシュヴァルツ公国には広大な図書室があると聞いていたから、そこの蔵書を調べることができれば、この国の制度や歴史、文化を知ることができるはずだ。

 ある日の朝、セレスティアは侍女を連れて宮廷の図書室へ足を運んだ。そこで目にしたのは、想像をはるかに超える規模の本棚の群れ。天井が高く、幾重にも渡る書架にぎっしりと本が並べられている。

「ここは……壮観ですね」

 無意識に漏れた賛嘆の言葉。侍女――名前はクレアといった――は少し誇らしげに頷く。

「この図書室にはシュヴァルツの歴史、各国との条約、さらに魔法研究や天文学に至るまで、あらゆる知識が集約されております。公子妃殿下、どのような本をご所望でしょうか?」

 クレアはもともとラウルの近侍の一人であり、セレスティアに仕えるよう命ぜられた人物だった。初めはぎこちなく接していたが、セレスティアが「もし負担にならないのなら、いろいろ教えてほしい」と言ったのをきっかけに、少しずつ距離が縮まり始めていた。

「まずは、この国の統治機構や国情についてまとめられたものが読みたいわ。アストリアとの関係もあるでしょうし、将来的には外交問題も把握しておきたいんです」

 真剣な眼差しで告げるセレスティアに、クレアは少し驚いたような顔をしたあと、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。

「かしこまりました。それなら……こちらの棚に、過去数十年の国政記録がございます。公子妃殿下がお読みになるには、少し難解かもしれませんが……」

 そう言いながら、クレアは数冊の分厚い本を選び出す。セレスティアはその背表紙を愛おしげに撫で、「ありがとう。大丈夫、頑張って読んでみるわ」と微笑んだ。

 こうして始まったセレスティアの“勉学”。彼女は朝早くから図書室に足を運び、クレアや図書室の管理官に教えを乞いながら、この国の仕組みや歴史を学んでいった。ときに難解な文献に頭を悩ませ、記録上の名前と現実の人物が結びつかずに苦戦することも多い。それでも、毎日少しずつ知識が増えていく実感は、セレスティアにとって大きな喜びだった。
宮廷の人々との触れ合い

 セレスティアの勉学への意欲は、クレアをはじめとした侍女や図書室の関係者に「真面目で勉強熱心な人」という評価をもたらす。

 さらに、彼女は廊下や庭園で出会う下働きの使用人や衛兵たちに、気さくに声をかけては挨拶を交わした。丁寧な言葉遣いや優しい笑顔に、彼らは最初こそ戸惑っていたものの、次第に心を開き始める。

「公子妃殿下、いつもご機嫌麗しゅうございます」

「ええ、ありがとう。……少しずつだけれど、この宮殿の様子が分かってきたわ。あなたもお仕事、大変でしょうけれど頑張ってくださいね」

 そう言って微笑むセレスティアに、使用人の女性はうれしそうに頭を下げる。

「お気遣い、ありがとうございます。殿下がお優しい方で、私どもも助かります」

 何気ないやりとりかもしれないが、こうした積み重ねがセレスティアに対する印象をわずかずつ変えていった。はじめは「わざわざ話しかけられてもどう反応すればいいか分からない」と戸惑っていた宮廷の下層の人々も、今ではやや打ち解けた表情を見せるほどに。

 もちろん、上流階級の貴族たちの中には、いまだにセレスティアを格下扱いして陰口を叩く者もいる。だが、少なくとも下働きの者たちは「公子妃様は思ったより人柄がいい」「意外と親しみやすい」という評価を抱き、少しでも世話を焼きたいと考えるようになっていた。

・ラウルのわずかな興味
 そうしたセレスティアの努力が、思わぬ形でラウルの耳にも届き始める。彼は日々公務に追われていたが、報告書や側近の話を通じて「公子妃が図書室で熱心に勉強している」「使用人たちに声をかけている」という情報を知ることになる。

 ある夜遅く、ラウルが公務の一端を終えて執務室に戻ったところ、そこには山積みの文書とともに、クレアが待機していた。

「ラウル様、本日中に確認いただきたい報告が数点ございます。……それから、セレスティア様について、少しお伝えしておくべきことがあるかと思います」

 ラウルは顔を上げ、興味なさげな様子で小さく首を振る。

「……彼女の行動など、俺には関わりのないことだ。何か問題が起きたのなら、そちらで処理してくれ」

 冷たい声音。その口調からは、彼がセレスティアを“妻”としてではなく、国に派遣された客人のように見ていることが容易にわかる。

 だが、クレアはそれでも続ける。

「はい。しかし、彼女は最近、城の者たちから評判が良いのです。愛想がいいというだけでなく、図書室に入り浸って公国の歴史や貴族の家系図を研究しておられます。これは、ラウル様の外交にもお役立ちになるのではないかと……」

 ラウルは無言のまま報告書に目を落とす。しばしの沈黙の後、ごくわずかに眉を上げた。

「……そうか。別に強制したわけでもないのに、ずいぶん熱心だな」

 それだけでもクレアとしては十分な手応えだった。ラウルがセレスティアの話題に耳を傾けるなんて、これまでなかったことだからだ。

「はい。あくまで私の見解ですが、セレスティア様はご自分なりにこの国のために何かしたい、と本気で思っているようです」

 ラウルの視線は報告書を離れない。けれどその深い青い瞳の奥に、ほんの小さな興味の火が灯ったようにも見える。それは、彼自身が自覚していないほどかすかな変化だった。
 
・フィオナの“偽り”をほのめかす伏線
 そんな頃、セレスティアは不思議な噂を耳にする。図書室でクレアと作業をしているとき、別の侍女がとある話を口にしたのだ。

「聖女様って、先日また遠征先で負傷兵を救われたんですってね。けれど、最近は何かお疲れのご様子らしくて……ときどき執務室で一人、血の気のない顔をして倒れそうになっているとか」

 そこにいた他の侍女が聞き咎め、「失礼よ。聖女様は大変なお力を使われているのだから、ご体調を崩されるのも当然でしょう?」とたしなめる。

「でもね、どうも最近の聖女様は、かつてのように明るい雰囲気がないの。それだけ疲労が溜まっているのかもしれないし……何か他に理由があるのかもしれないって、皆が心配しているわ」

 心配、というよりは、どこか好奇の目を向けるような調子。セレスティアは耳をそばだてながら、ひそかに考えを巡らせる。

 (フィオナ様は間違いなくこの国で絶大な人気を誇っている。でも、あの嫌味な態度の裏には何か理由があるのかもしれない……)

 以来、セレスティアは何となくフィオナの様子が気になるようになった。彼女の生い立ちや、その奇跡の由来については公の場で多く語られない。まるで「聖女様は生まれつき神に選ばれた存在」であると当然のように認識されているのだが、セレスティアの目から見ると、それがいささか不自然に思えたのだ。
 
4. 仮面夫婦の夜とわずかな言葉
 やがて、ラウルとセレスティアは最低限の「夫婦としての形式」を保つため、晩餐の席で揃って顔を合わせることが時折あるようになった。もちろん、そこには貴族や側近たちが居並び、実質的には公務の一環のようなものだ。

 ある晩餐会では、セレスティアが終始微笑みを絶やさずに貴族たちとの会話に参加し、ラウルは黙々と食事をとりながらも、時折セレスティアの言動を横目で観察していた。

 夜が更け、晩餐の後、セレスティアが自室に戻ろうとホールを出たとき、ラウルが短く声をかけてきた。

「……今日は、やけに場を盛り上げていたんだな」

 背後から聞こえる低い声に、セレスティアは驚いたように振り返る。晩餐の場でラウルから個別に話を振られるなど、ほとんどなかったからだ。

「そう……でしたか。盛り上げたつもりはありませんでしたが……何か不快に思われたのなら、申し訳ありません」

 恐る恐る謝罪を口にするセレスティア。ラウルはほんの少し眉をひそめた。

「いや、別に。……ただ、あの場に慣れていないだろうに、よく声を出していたなと思っただけだ」

 非難めいた口調ではないが、褒めているわけでもない。その言い方からは、彼の戸惑いとも言えるような感情がにじんでいた。

「少しでも、皆さんと打ち解けたいと思っただけです。……あなたの役に立ちたくて」

 セレスティアが目を伏せがちにそう言うと、ラウルは一瞬、言葉に詰まったように見えた。しかし、すぐに視線を逸らし、そっけなく答える。

「……ふん。そうか」

 それだけ残して踵を返すラウルの足音が遠ざかっていく。すれ違い、すれ違いの連続だ。それでも、セレスティアの胸には“ほんの少しだけラウルがこちらを気にしてくれているかもしれない”という淡い期待が生まれていた。
 
5. かすかな光と暗い影
 フィオナに見下され、貴族たちには冷ややかな視線を投げられる日々。けれど、下働きの人々や侍女たち、そして図書室での勉学を通じて築いたわずかな人脈が、セレスティアを励ましてくれるようになっていた。

 それは、アストリアの王宮で感じていた“完全なる孤独”とは明らかに違う。周囲の無関心や悪意にさらされながらも、せめて少数の人には自分の言葉や行動が届いている。そう思うだけで、セレスティアの心は少しだけ軽くなるのだ。

 もちろん、ラウルとの仮面夫婦生活は続いている。形だけの結婚、形式だけの夫婦――そんな状況にひどく胸が痛むこともあるが、セレスティアは弱音を吐かず、毎日を前向きに過ごそうと努力を続けた。

 ところが、そんな彼女のまっすぐさを、黙って見ていられない人物がいた。言うまでもなく、フィオナである。

 ある日、フィオナは宮廷の回廊で偶然を装うようにセレスティアを呼び止めた。ふたりきりになると、すぐに口を開く。

「セレスティア様、最近はご活発ね。勉強をなさったり、下の者たちと交流したり……」

 柔らかそうな笑みを浮かべていながら、その声には微かな棘が混じる。セレスティアもそれを感じ取ったが、穏やかに返す。

「ええ。まだまだ知らないことだらけですから。少しでも、この国の一員として力になりたくて」

「ご立派ね。……でも、あまり張り切りすぎて疲れが出ないかしら? あなたは体も華奢だし、何よりこの国の事情には馴染みがないでしょう? 無理をしても、空回りするだけかもしれないわよ?」

 まるで“あなたには何もできない”と暗に突きつけているかのようなニュアンス。セレスティアは胸がつかえる思いを感じるが、なんとか言葉をこらえる。

「……お気遣いありがとうございます。大丈夫です。私にしかできないことがあると信じて、焦らず頑張ってみるつもりです」

 フィオナの表情がかすかに硬くなる。近づいてきた彼女の瞳には、かすかな苛立ちが透けて見えた。

「……そう。ならば、せいぜいご自愛なさって。あなたが倒れてしまえば、ラウル様が困ることになるでしょうし……私にも余計な手間が増えるから」

 最後の一言は、もはや隠された棘ではなく、はっきりとした敵意に近い。フィオナは踵を返すと、スカートの裾を翻して去っていく。その後ろ姿は“この宮廷の実質的な女主人は私”とでも言わんばかりに堂々としていた。

 セレスティアは立ち尽くしながらも、思わず拳を握りこんだ。心臓がドキドキと早鐘を打つ。恐怖ではなく、悔しさに近い感情。それでも、彼女はすぐに口から大きく息を吐き、気持ちを落ち着けるようにした。

 (こんな程度で挫けるわけにはいかない。私はこの国に認められるまで、決して諦めないんだから……)

 フィオナが見せる“奇跡”と、それに隠された違和感。それらを解明するには、まだ時間が必要だと感じつつも、セレスティアは自分の道を信じ続ける決意を新たにする。
 
・結び
 こうして、シュヴァルツ公国でのセレスティアの“仮面夫婦”としての日々は続いていく。

 彼女を取り巻く宮廷の人々は、今のところその多くが冷たい視線を向けるものの、一部の侍女や下働きの者たちは彼女の人柄を少しずつ理解し始め、また、ラウル自身も僅かに彼女の行動を気にかける気配を見せ始めた。

 しかし、一方で“聖女”フィオナはますます存在感を増し、セレスティアの努力を脇から押さえつけるような行動に出る。まるで「公子妃などにこの国を任せるわけにはいかない」とでも言うかのように……。

 孤立無援だったアストリアの王宮暮らしよりは、まだ希望が見えるかもしれない。けれど、ここは大国シュヴァルツ公国。あまりにも規模が大きく、宮廷内には思惑や権力争いが蠢いている。セレスティアが小さな信頼を得るのと同時に、見えない闇がじわじわと迫ってくるのを感じずにはいられない。

 それでも、セレスティアは立ち止まらない。形ばかりの結婚と分かっていながらも、王女としての誇りと、いつかこの地で自分の役割を果たしたいという意志を携えて、日々を過ごしていく。

 仮面夫婦の暮らしの中で、やがて生まれる微かな絆。そして“偽りの聖女”の影がもたらす新たな波乱は、まだ始まったばかりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

処理中です...