二度捨てられた白魔女王女は、もうのんびりワンコと暮らすことにしました ~え? ワンコが王子とか聞いてません~

吉高 花

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イグナーツ先生2

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 まあどうやら王妃様というか、その背後にいるラングリー公爵家が大金持ちなので王妃様からも「費用は気にしないでよろしい」と言われているし、そこらへんはマルガレーテは心配しなくてもいいのだろう。

 そう、なにしろこの全てはラングリー公爵家が後押ししている「第一王子クラウス様」を表舞台にまた引っ張り出すための必要経費でもあるのだから。
 おそらくはラングリー公爵家の命運をも左右するような大問題なのである。

「クアアァ……」

 その問題の第一王子は、今は大口を開けてあくびをしているワンコなのだけれど。

 普段のクロ、いやクラウス様は、どこからどうみてもただのワンコだった。
 イグナーツ先生が言うにはまだ半分以上犬としての意識だろうということなので、当然と言えば当然なのだが。

 そのためこのどこから見ても犬としか見えない存在が将来の夫と考えることは、今のマルガレーテにはなかなか難しいのだった。

 クロのことは大好き。だけれどそれは恋かと言われたら……。

 マルガレーテが唯一恋に近い感情を抱いたのは、今でもたまにふと思い出してしまう、この王都へと向かう隊列にいたあの黒髪の青年なのだった。
 あの名も知らぬ、笑顔の眩しかった人。マルガレーテの美しい思い出。 

 クロの真っ黒な毛並みを見るたびに、その人をことを思い出すということは、もちろん誰にも言ってはいない。きっと一生言わない、そして言うべきではないこと。

 それに、別にあの人と結ばれたいと願っているわけでもないのだけれど。
 
 ただマルガレーテは彼のことを、美しい思い出として大切にしていた。
 あの人の伸びやかで楽しそうな笑顔を思い出すたびに、マルガレーテはちょっと幸せに、元気になれた。

 クラウス様の髪は濃紺だと聞く。
 今クラウス様の毛皮が黒いのは、イグナーツ先生が言うには呪いの黒さなのだという。
 肖像画も王宮のどこかには存在するのだろうが、今権勢を誇っている第二王妃の機嫌を損ねることを恐れてか、この離宮には置かれていなかった。だからマルガレーテが見たのは、王妃様の持つロケットの中の、まだ少年時代のクラウス様だけだった。

 そこには利発そうな、きりりとした表情なのに子供らしい、愛らしい少年がいた。

 クラウス様と結婚した暁にはもちろん、生涯をクラウス様に捧げる覚悟はある。仲の良い夫婦になれたら嬉しいとも思っている。
 
 いつか。
 いつかはこの純粋なワンコへの愛が夫への愛になるといい――
 
「姫、聞こえていますか?」
「はい? あ、すみません、先生。もう一度お願いします」

 イグナーツ先生に不思議そうに見つめられて、慌ててマルガレーテは謝った。
 授業の途中で考え事をしてしまうなんて、先生に失礼だったと反省する。

 しかしイグナーツ先生は、そんなマルガレーテの様子から違う理由を思ったようだった。

「いいえ、今日はもう終わりにしましょう。やはりお疲れなのだと思います。なにしろこの王宮という場所には、よからぬ魔術が山ほど存在しているのですから」

 そう言ってイグナーツ先生は忌々しそうに顔を歪めた。

「まあ、私には全く何もわからないのですけれど」

「特に王城の中なんて、私もあまり長居をしたくない場所なのですよ。とにかく黒い魔術の残滓で空気が淀んでいます」
「まあ……そうなのですね」

 なにしろマルガレーテには全くその残滓とやらがわからないので、とにかく先生の話を聞くことしかできない。

「……このままでは姫は一生をその王宮の黒い魔術たちに囲まれて生きることになります。それは明らかに姫の健康に悪影響を及ぼすでしょう。姫はそれでも良いとお考えですか」

 突然イグナーツ先生が、言葉を突然マルガレーテの母国レイテの言葉に変えて真面目な顔で切り出した。
 
「はい? でも、そうですね、それが私の運命だと思っておりますから。私はそのためにレイテから来たのです」

 思わず同じ母国の言葉で返すマルガレーテ。それは懐かしい、体に馴染んだ音とリズム。

「しかしこのままでは、いつかは魔力を吸われつくして弱って死んでしまうかもしれないのですよ。いいえ、これは可能性の話でありません。将来きっと起こるだろう未来の話です」
「そうかもしれませんね。ではそうならないように、私は出来るだけ頑張らないといけませんね」
「……ならば、いっそもう死んでしまったことにして、逃げてもよいとは思いませんか」
「……はい? 逃げる?」

 マルガレーテはきょとんとしてしまった。
 目の前のこの人は、いったい何を言い出したのだろう?
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