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第三章 魔王様、アルバイトは時給千円からです!
第69話 決戦前夜と、デパ地下の誘惑
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【異世界・マカイ亭】
王宮晩餐会を三日後に控え、マカイ亭はもはやレストランではなかった。オルロフ公爵が派遣した衛兵によって店の前は固められ、熱狂的な「巡礼者」たちは丁重に追い返されている。今のマカイ亭は、さながら国家の命運を懸けた新兵器を開発する、極秘研究施設と化していた。
「リリア! そのニンジンの飾り切り、ウサギじゃなくて竜をイメージしてくれって言っただろ!」
「えー! だって、竜って作ったことないですし、可愛い方が食欲わきません!?」
「威厳だ! 今回のテーマは威厳! ギギ! 味見ばっかりしてないで、その『絶対味覚』でソースの隠し味を当ててみろ!」
「ひぃぃ! す、すみません! ええと……太陽の涙が、一滴ほど……?」
「太陽の涙ってなんだよ!?」
厨房では、聖者(という名の過労寸前シェフ)陽人が、神経をすり減らしながら試作の指揮を執っていた。壁には、彼が書きなぐったメニュー案が何枚も貼られている。『威風堂々・牛バラ肉の赤ワイン風煮込み』『栄光へのファンファーレ・魚介のパイ包み』など、名前だけは一人前に大仰だ。
(ダメだ……奇跡の肉じゃがの味が、忘れられない……。あれを、超えなきゃいけないのか……?)
あの日の奇跡を再現しようとすればするほど、陽人の料理は迷走を始めていた。焦りとプレッシャーが、彼の持ち味である「温かさ」を奪っていく。その様子に、仲間たちも気づいていた。
昼休憩。陽人がぐったりと椅子に座り込んでいると、リリアがおずおずと一杯のスープを差し出した。
「シェフ……まかない、作ってみました。シェフのレシピを真似して……」
それは、何の変哲もない、野菜の切れ端で作ったコンソメスープだった。
陽人は、ため息交じりにそれを一口すする。
「…………うまい」
思わず、声が漏れた。
奇跡も、叡智も、威厳もない。ただ、疲れた体に染み渡る、優しい味。リリアの「シェフに元気になってほしい」という、不器用な想いが溶け込んだ味だった。
「……そっか。そうだよな」
陽人は、ふっと笑った。
「俺、何やってたんだろ。奇跡なんて、狙って起こせるもんじゃない。俺は、俺が一番うまいって思うもんを、心を込めて作るしかないんだ」
その瞬間、陽人の肩から、ふっと重荷が下りた気がした。
「リリア、ギギ、バルガス! 作戦変更だ! 小難しい名前は全部却下! 俺たちの、マカイ亭の味で勝負するぞ!」
「はいっ、シェフ!」「は、はいぃ!」「……ウス」
陽人の目に、いつもの輝きが戻った。それを見た仲間たちの顔にも、安堵の笑みが広がる。
その時、店の扉が開き、オルロフ公爵がひょっこりと顔を出した。
「やあ、聖者殿。調子はどうかね?」
「もう、聖者はやめてください。……公爵様、晩餐会、俺の好きにやらせてもらいます。ビックリするくらい温かくて、お腹いっぱいになるフルコース、ご馳走しますよ」
陽人の不敵な笑みに、公爵は満足げに頷いた。
「よかろう。だが、一つだけ忠告だ。ボルドア派の連中は、君の料理の『品格』を試そうとしてくるだろう。下町の料理と侮られぬよう、心して臨め」
「……お任せください」
陽人の答えは、力強かった。
【日本・横浜】
魔王ゼファーは、図書館という名の知識の迷宮(ダンジョン)で、数日間にわたる熾烈な戦いを終えた。彼の頭の中は今や、アミノ酸、メイラード反応、浸透圧といった、かつては生涯縁のなかったであろう調理科学の知識で満ちている。
「……ふむ。知識は得た。だが、実践が伴わねば、机上の空論に過ぎぬ」
休日。私服姿もすっかり板についたゼファーは、新たな「研究施設」を求め、ギギを連れて駅前のターミナル駅へと降り立った。
「ま、魔王様……! 人が、人がゴミのようです!」
「落ち着けギギ。これは『雑踏』という。この世界の人口密度を象徴する現象だ」
ギギが人の波に酔って目を回す中、ゼファーが目指したのは、駅直結の百貨店。その地下に広がる、食の聖域――「デパ地下」だった。
エスカレーターを降りた瞬間、二人は言葉を失った。
色とりどりのケーキ、山と積まれたパン、湯気を上げる惣菜、そして、活気あふれる店員たちの呼び声。あらゆる「美味」が凝縮された、目も眩むような光景。
「な……なんだ、この空間は……! 食の……理想郷(ユートピア)か!?」
ゼファーが統治者としての衝撃を受ける隣で、ギギはケーキのショーケースに釘付けになっていた。
「き、キラキラしてます……! 宝石です……! 食べられる宝石ですぅ!」
その時、ゼファーの鼻腔を、香ばしい匂いがくすぐった。匂いの元では、エプロン姿の女性が、小さなウインナーを焼いて、爪楊枝に刺して差し出している。
「はーい、ご試食いかがですかー? 新商品のハーブウインナーでーす」
「む?」
ゼファーは、それが「試食」という名の、無償の食料配給儀式であることを、図書館で得た知識から理解していた。
「……ギギよ。儀式に参加するぞ」
「は、はいぃ!」
恐る恐る爪楊枝を受け取り、ウインナーを一口。
「なっ……!?」
ゼファーの目に、衝撃が走った。
(この凝縮された肉の旨味! 燻製の香りと、ハーブの爽やかな刺激! これが……これが無償(タダ)だと!? この世界の富の分配システムは、どうなっているのだ!?)
次々と試食コーナーを渡り歩く、魔王とゴブリン。チーズ、漬物、カステラ……その全てが、彼の知識欲と食欲を刺激する。
やがて、彼はある惣菜店の前で、足を止めた。
そこに並んでいたのは、照り輝く、完璧な見た目の「肉じゃが」だった。
「魔王様……! あの奇跡の味が……売ってます……!」
ギギが、震える声で呟く。
ゼファーは、その肉じゃがを、ただじっと見つめていた。
技術的には、こちらの方が遥かに上だろう。野菜の切り方も、味の染み込み具合も、自分が作った不格好なそれとは比べ物にならない。
(……だが)
彼の脳裏に、ギギの「太陽の味がします」という言葉が蘇る。
この完璧な肉じゃがに、「太陽の味」はするのだろうか?
「……いかがですか、お客様? こちら、当店自慢の肉じゃがでございます」
店員の声に、ゼファーはふっと我に返った。
彼は、惣菜の肉じゃがには目もくれず、隣の精肉コーナーに向かうと、生の牛肉と、新鮮なジャガイモ、玉ねぎを、黙って買い物カゴに入れた。
「……え?」
店員が、呆気にとられた顔をする。
「うむ」
ゼファーは、カゴの中の生の食材を見下ろし、満足げに頷いた。
「我は、我のやり方で、『太陽』を探求する。借り物の光では、意味がないのでな」
その顔は、もはや道に迷った異邦人ではなかった。
自らの哲学と目標を見出した、一人の「料理探求者」の顔つきだった。
デパ地下の喧騒の中、魔王の新たな挑戦が、今、静かに始まろうとしていた。
王宮晩餐会を三日後に控え、マカイ亭はもはやレストランではなかった。オルロフ公爵が派遣した衛兵によって店の前は固められ、熱狂的な「巡礼者」たちは丁重に追い返されている。今のマカイ亭は、さながら国家の命運を懸けた新兵器を開発する、極秘研究施設と化していた。
「リリア! そのニンジンの飾り切り、ウサギじゃなくて竜をイメージしてくれって言っただろ!」
「えー! だって、竜って作ったことないですし、可愛い方が食欲わきません!?」
「威厳だ! 今回のテーマは威厳! ギギ! 味見ばっかりしてないで、その『絶対味覚』でソースの隠し味を当ててみろ!」
「ひぃぃ! す、すみません! ええと……太陽の涙が、一滴ほど……?」
「太陽の涙ってなんだよ!?」
厨房では、聖者(という名の過労寸前シェフ)陽人が、神経をすり減らしながら試作の指揮を執っていた。壁には、彼が書きなぐったメニュー案が何枚も貼られている。『威風堂々・牛バラ肉の赤ワイン風煮込み』『栄光へのファンファーレ・魚介のパイ包み』など、名前だけは一人前に大仰だ。
(ダメだ……奇跡の肉じゃがの味が、忘れられない……。あれを、超えなきゃいけないのか……?)
あの日の奇跡を再現しようとすればするほど、陽人の料理は迷走を始めていた。焦りとプレッシャーが、彼の持ち味である「温かさ」を奪っていく。その様子に、仲間たちも気づいていた。
昼休憩。陽人がぐったりと椅子に座り込んでいると、リリアがおずおずと一杯のスープを差し出した。
「シェフ……まかない、作ってみました。シェフのレシピを真似して……」
それは、何の変哲もない、野菜の切れ端で作ったコンソメスープだった。
陽人は、ため息交じりにそれを一口すする。
「…………うまい」
思わず、声が漏れた。
奇跡も、叡智も、威厳もない。ただ、疲れた体に染み渡る、優しい味。リリアの「シェフに元気になってほしい」という、不器用な想いが溶け込んだ味だった。
「……そっか。そうだよな」
陽人は、ふっと笑った。
「俺、何やってたんだろ。奇跡なんて、狙って起こせるもんじゃない。俺は、俺が一番うまいって思うもんを、心を込めて作るしかないんだ」
その瞬間、陽人の肩から、ふっと重荷が下りた気がした。
「リリア、ギギ、バルガス! 作戦変更だ! 小難しい名前は全部却下! 俺たちの、マカイ亭の味で勝負するぞ!」
「はいっ、シェフ!」「は、はいぃ!」「……ウス」
陽人の目に、いつもの輝きが戻った。それを見た仲間たちの顔にも、安堵の笑みが広がる。
その時、店の扉が開き、オルロフ公爵がひょっこりと顔を出した。
「やあ、聖者殿。調子はどうかね?」
「もう、聖者はやめてください。……公爵様、晩餐会、俺の好きにやらせてもらいます。ビックリするくらい温かくて、お腹いっぱいになるフルコース、ご馳走しますよ」
陽人の不敵な笑みに、公爵は満足げに頷いた。
「よかろう。だが、一つだけ忠告だ。ボルドア派の連中は、君の料理の『品格』を試そうとしてくるだろう。下町の料理と侮られぬよう、心して臨め」
「……お任せください」
陽人の答えは、力強かった。
【日本・横浜】
魔王ゼファーは、図書館という名の知識の迷宮(ダンジョン)で、数日間にわたる熾烈な戦いを終えた。彼の頭の中は今や、アミノ酸、メイラード反応、浸透圧といった、かつては生涯縁のなかったであろう調理科学の知識で満ちている。
「……ふむ。知識は得た。だが、実践が伴わねば、机上の空論に過ぎぬ」
休日。私服姿もすっかり板についたゼファーは、新たな「研究施設」を求め、ギギを連れて駅前のターミナル駅へと降り立った。
「ま、魔王様……! 人が、人がゴミのようです!」
「落ち着けギギ。これは『雑踏』という。この世界の人口密度を象徴する現象だ」
ギギが人の波に酔って目を回す中、ゼファーが目指したのは、駅直結の百貨店。その地下に広がる、食の聖域――「デパ地下」だった。
エスカレーターを降りた瞬間、二人は言葉を失った。
色とりどりのケーキ、山と積まれたパン、湯気を上げる惣菜、そして、活気あふれる店員たちの呼び声。あらゆる「美味」が凝縮された、目も眩むような光景。
「な……なんだ、この空間は……! 食の……理想郷(ユートピア)か!?」
ゼファーが統治者としての衝撃を受ける隣で、ギギはケーキのショーケースに釘付けになっていた。
「き、キラキラしてます……! 宝石です……! 食べられる宝石ですぅ!」
その時、ゼファーの鼻腔を、香ばしい匂いがくすぐった。匂いの元では、エプロン姿の女性が、小さなウインナーを焼いて、爪楊枝に刺して差し出している。
「はーい、ご試食いかがですかー? 新商品のハーブウインナーでーす」
「む?」
ゼファーは、それが「試食」という名の、無償の食料配給儀式であることを、図書館で得た知識から理解していた。
「……ギギよ。儀式に参加するぞ」
「は、はいぃ!」
恐る恐る爪楊枝を受け取り、ウインナーを一口。
「なっ……!?」
ゼファーの目に、衝撃が走った。
(この凝縮された肉の旨味! 燻製の香りと、ハーブの爽やかな刺激! これが……これが無償(タダ)だと!? この世界の富の分配システムは、どうなっているのだ!?)
次々と試食コーナーを渡り歩く、魔王とゴブリン。チーズ、漬物、カステラ……その全てが、彼の知識欲と食欲を刺激する。
やがて、彼はある惣菜店の前で、足を止めた。
そこに並んでいたのは、照り輝く、完璧な見た目の「肉じゃが」だった。
「魔王様……! あの奇跡の味が……売ってます……!」
ギギが、震える声で呟く。
ゼファーは、その肉じゃがを、ただじっと見つめていた。
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(……だが)
彼の脳裏に、ギギの「太陽の味がします」という言葉が蘇る。
この完璧な肉じゃがに、「太陽の味」はするのだろうか?
「……いかがですか、お客様? こちら、当店自慢の肉じゃがでございます」
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彼は、惣菜の肉じゃがには目もくれず、隣の精肉コーナーに向かうと、生の牛肉と、新鮮なジャガイモ、玉ねぎを、黙って買い物カゴに入れた。
「……え?」
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「うむ」
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