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四重奏連続殺人事件
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「鳳仙花」での夜
「鳳仙花」はオフィスと居住部分が混在する中層雑居ビルの地下一階にあった。
二三十人程度を収容できるフロア部分と、ステージがあり、テーブル席は全てステージを囲むように配置されている。
「大林さん、お久しぶり」
我々の席に着くなり発した里香の言葉に倉科は少し怪訝な思いがして尋ねた。
「あれっ? 君は里香と接点があったかな?」
「少しですけど、目黒の店で」
里香との不定期な連絡に大林の名前が出たことは一度もなかったが…。まあ、そんなことどうでもいいか、と三人で他愛もない会話を楽しんだ。
「亀井綾乃ちゃんのこと覚てる?」
大林が席を外しトイレに立ったとき、不意打ちのように亀井綾乃の固有名詞がでた。
倉科は形状し難い思いに襲われた。身を震わせるような強烈な苦味と陶酔する程の甘美な思いが蘇ってきた。もはや、呼び起こすことなどあり得ない封印された記憶だった。
席に戻った大林が、二人の会話を聞きつけて、
「ボクも聞いたことがありますよ。目黒の店で。バイオリニストじゃなかったかな?」
「そう、美人バイオリニスト。風の噂で聞いたわよ。倉科さん、付き合っていたんじゃないの?」
二人して、倉科と亀井綾乃の話題で盛り上がっている。
倉科が、遠くを見つめるような眼差しで、聞くとはなしに、聞いていると、全く事実と異なる内容が風評として流れていたらしかった。まさに、噂とはいいかげんなものだ。
倉科は職業柄、調査対象者に対する噂を良く聞くが、事実が判明するまでは全く信用しない。一般の人は、その噂が面白ければ面白いほど、事実とかけ離れていればいる程容易に信じてしまうことも知っている。
「なにボーッとしているの?」
倉科は里香に脇腹を突かれてハッと我に返った。
「彼女、今、私と同じ蕨市に住んでいるのよ、すぐ近く、隣のマンションに。もちろんまだ独身よ。相変わらず、綺麗で、その上ファッションセンス抜群よ」
別に聞きたくもない、余計なこと言ってやがる、と不愉快になったが、軽く受け流して、
「へえー。そう」
軽く受け流した。
「このヘア・スタイル、綾乃ちゃんと同じよ。彼女の真似したの。身長も体重も殆ど変らないから、よく服の貸し借りまでするのよ。彼女、ステージ衣装沢山持っているから」
そう言われれば、倉科の薄れかかった記憶では、二人は姿かたちや、物腰まで似ているような気がした。
里香の説明によると、綾乃は二年ほど前から里香の近所に住んでいたことが、最近になって共通の友人から知らされたとのこと。同じ音楽でもジャズやポップス系とクラシック系では全く関係が無いようだが、所属しているプロダクションや音楽事務所等を通じて共通の知り合いは多いらしい。
「最近、綾乃ちゃんにビオラを習っているの」
里香は両手を交差するようにして、楽器演奏のまねをした。
「バイオリンじゃあないの?」
倉科は怪訝そうに問い返した。
「倉さん、何も知らないのね。付き合っていたわりには。バイオリンを弾ける人はビオラも弾けるのよ」
倉科は、里香のあきれ返ったような表情を今更ながら思い出した。
黒服のボーイが里香の出番を告げに来た。
里香がステージに登場すると、あちこちのテーブルから拍手が送られた。常連たちだろうか。
軽く挨拶を済ませた里香は、グランドピアノを弾き始めた。
流れてくる曲は一九五○年代から七○年代のオールディーズ。里香の歌声を聞くのは、十年ぶりだろうか。
倉科は素人ながら、里香の声が以前よりは深みがあり、心地よく響くように感じた。
(……まぁ、複雑な事情がいろいろあったんだろうなぁ…。特に男性関係では…)
人の生き様は、声にも反映するのだろう。倉科は、感慨深げに歌を聞いていた。
ステージが終わって、席に戻ってきた里香が、真剣な表情で、問いかけた。
「倉さん。綾乃ちゃんのこと聞きたくないの?」
「もう終わったことだし…。昔のことだから…」
大林がニヤニヤしながら聞き耳を立てている。
倉科は、綾乃の消息を知りたい気持ちを里香や大林に察知されないよう冷静に答えた。
「彼女、最近、元気が無いの、憔悴しちゃって、凄く落ち込でるのよ」
里香は倉科の答えに構わず、薄く作ったウイスキーの水割りを口に付けながら、続けた。
「へっ! 玉の輿にでも乗り損なったのかい? そう簡単に御望み通りにゃいかねぇよ」
皮肉と軽蔑を混ぜ合わせた声高な言葉が飛び出した。あっ! 倉科は自分が吐いた言葉を呪った。綾乃との別れは、自らの甲斐性無しが原因だったことに思いが至った。倉科が綾乃を引き留めておくには、経済的、社会的な意味を含めて非力だった……。
(こんな言葉がでるなんて…。何年も経つのにまだまだショックの後遺症が完治しちゃいねぇな…)
倉科はウイスキーをグッとあおった。
少しの間、三人の間に気まずい沈黙が続いた。
「鳳仙花」はオフィスと居住部分が混在する中層雑居ビルの地下一階にあった。
二三十人程度を収容できるフロア部分と、ステージがあり、テーブル席は全てステージを囲むように配置されている。
「大林さん、お久しぶり」
我々の席に着くなり発した里香の言葉に倉科は少し怪訝な思いがして尋ねた。
「あれっ? 君は里香と接点があったかな?」
「少しですけど、目黒の店で」
里香との不定期な連絡に大林の名前が出たことは一度もなかったが…。まあ、そんなことどうでもいいか、と三人で他愛もない会話を楽しんだ。
「亀井綾乃ちゃんのこと覚てる?」
大林が席を外しトイレに立ったとき、不意打ちのように亀井綾乃の固有名詞がでた。
倉科は形状し難い思いに襲われた。身を震わせるような強烈な苦味と陶酔する程の甘美な思いが蘇ってきた。もはや、呼び起こすことなどあり得ない封印された記憶だった。
席に戻った大林が、二人の会話を聞きつけて、
「ボクも聞いたことがありますよ。目黒の店で。バイオリニストじゃなかったかな?」
「そう、美人バイオリニスト。風の噂で聞いたわよ。倉科さん、付き合っていたんじゃないの?」
二人して、倉科と亀井綾乃の話題で盛り上がっている。
倉科が、遠くを見つめるような眼差しで、聞くとはなしに、聞いていると、全く事実と異なる内容が風評として流れていたらしかった。まさに、噂とはいいかげんなものだ。
倉科は職業柄、調査対象者に対する噂を良く聞くが、事実が判明するまでは全く信用しない。一般の人は、その噂が面白ければ面白いほど、事実とかけ離れていればいる程容易に信じてしまうことも知っている。
「なにボーッとしているの?」
倉科は里香に脇腹を突かれてハッと我に返った。
「彼女、今、私と同じ蕨市に住んでいるのよ、すぐ近く、隣のマンションに。もちろんまだ独身よ。相変わらず、綺麗で、その上ファッションセンス抜群よ」
別に聞きたくもない、余計なこと言ってやがる、と不愉快になったが、軽く受け流して、
「へえー。そう」
軽く受け流した。
「このヘア・スタイル、綾乃ちゃんと同じよ。彼女の真似したの。身長も体重も殆ど変らないから、よく服の貸し借りまでするのよ。彼女、ステージ衣装沢山持っているから」
そう言われれば、倉科の薄れかかった記憶では、二人は姿かたちや、物腰まで似ているような気がした。
里香の説明によると、綾乃は二年ほど前から里香の近所に住んでいたことが、最近になって共通の友人から知らされたとのこと。同じ音楽でもジャズやポップス系とクラシック系では全く関係が無いようだが、所属しているプロダクションや音楽事務所等を通じて共通の知り合いは多いらしい。
「最近、綾乃ちゃんにビオラを習っているの」
里香は両手を交差するようにして、楽器演奏のまねをした。
「バイオリンじゃあないの?」
倉科は怪訝そうに問い返した。
「倉さん、何も知らないのね。付き合っていたわりには。バイオリンを弾ける人はビオラも弾けるのよ」
倉科は、里香のあきれ返ったような表情を今更ながら思い出した。
黒服のボーイが里香の出番を告げに来た。
里香がステージに登場すると、あちこちのテーブルから拍手が送られた。常連たちだろうか。
軽く挨拶を済ませた里香は、グランドピアノを弾き始めた。
流れてくる曲は一九五○年代から七○年代のオールディーズ。里香の歌声を聞くのは、十年ぶりだろうか。
倉科は素人ながら、里香の声が以前よりは深みがあり、心地よく響くように感じた。
(……まぁ、複雑な事情がいろいろあったんだろうなぁ…。特に男性関係では…)
人の生き様は、声にも反映するのだろう。倉科は、感慨深げに歌を聞いていた。
ステージが終わって、席に戻ってきた里香が、真剣な表情で、問いかけた。
「倉さん。綾乃ちゃんのこと聞きたくないの?」
「もう終わったことだし…。昔のことだから…」
大林がニヤニヤしながら聞き耳を立てている。
倉科は、綾乃の消息を知りたい気持ちを里香や大林に察知されないよう冷静に答えた。
「彼女、最近、元気が無いの、憔悴しちゃって、凄く落ち込でるのよ」
里香は倉科の答えに構わず、薄く作ったウイスキーの水割りを口に付けながら、続けた。
「へっ! 玉の輿にでも乗り損なったのかい? そう簡単に御望み通りにゃいかねぇよ」
皮肉と軽蔑を混ぜ合わせた声高な言葉が飛び出した。あっ! 倉科は自分が吐いた言葉を呪った。綾乃との別れは、自らの甲斐性無しが原因だったことに思いが至った。倉科が綾乃を引き留めておくには、経済的、社会的な意味を含めて非力だった……。
(こんな言葉がでるなんて…。何年も経つのにまだまだショックの後遺症が完治しちゃいねぇな…)
倉科はウイスキーをグッとあおった。
少しの間、三人の間に気まずい沈黙が続いた。
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