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四重奏連続殺人事件
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臨場する倉科源一郎
玲子がドアを開けた。倉科はアタッシュケースから白い手袋を取り出して、ドアの内と外を丹念に調べ始めた。もちろん警察の捜査済みであろうが、自殺に違いないとの予断による捜査ではなかっただろうか? 他殺を念頭に置いた捜査ではなかったと思われる。倉科が白い手袋を取り出したのは、後日、再捜査の際、指紋からあらぬ疑いをかけられない為の予防でもあった。
「全く当時と同じ状態ですよね?」
ドアを隅から隅まで調べながら玲子に尋ねた。
「警察が調べた後、鍵を掛けたままで、誰も入っていません。私もあの時以来、今日が初めてです」
「ところで、江利子さんは新聞をとっていましたか?」
「えっ? 新聞?」玲子は不思議そうに問い返した。
倉科が指をさしながら質問の意味を説明した。
「この郵便受けと言うか、新聞受けはいつも使用されていたのかと思いまして」
「郵便物は一階の集合ポストを使っていたと思いますが……」
玲子は倉科が何故判り切ったことを聞くのか訝しがった。
「そうすると、この郵便受けは殆ど使用されていなかったことになりますね」
あれから四か月近くも経過している。誰も訪れない部屋のドアには薄っすらと埃が溜まっている。倉科が息を吹きかけたり、手で払ったりしながらドアに付着した埃を取り除いていくと、郵便受けの投入口に一条の引っかき傷のような跡が現れた。何か硬いもので擦ったようだ。倉科はアタッシュケースからルーペを取り出してその痕跡に見入った後、ビデオとスマホで拡大した画像を何枚も撮影した。
「警察はこのドアを念入りに調べていましたか?」
倉科は背後に佇んでいる玲子に尋ねた。玲子からは「否」の答えが返ってきた。
玲子が「どうぞ」と倉科を部屋の中へ案内した。倉科は、まだドアに執着している。何か新しい証拠が発見できないものかとドアの細部にまで神経を集中させている。その姿を見ていた玲子が呟いた。
「そう言えば、郵便受けの内側が開いたままになっていました。警察の方と管理人さんがドアを開けた時に、自然に開いたのだと思っていました。邪魔になるので私が元に戻しておきましたけど……」
「捜査員はそのことに気付いて、何か尋ねませんでしたか?」
「いいえ、ドアのことなど眼中にないようで、ベランダばかりを調べていました」
倉科は腕組みをしながら、
「ウーン。ドアのことを捜査員に話しましたか?」
「たいしたことじゃないと思いましたので……。いけなかったでしょうか?」
玲子はなにかとんでもない失敗をしでかしたのでは、と不安げな表情になった。
「いや、いけなかったとかじゃないですけど……。教えておいた方が良かったのではと思いますよ」
倉科は郵便受けの内側を点検し、固定部分の淵に数条の傷を発見した。指で触るとよく判る。ちょうど開閉部分と接触する箇所だ。その傷が何を意味するのか不明だが、少なくとも警察が見落としていたことは確かだ。倉科はまるで大切な宝物を撮影するかのように角度や倍率を変えて何枚も画像を撮った。
マンションの間取りは3LDK。やや広めの玄関を上がると、すぐ右手に部屋がある。
「教室用に使っていた部屋です」
玲子がドアを開けた。十畳ほどの広さがあり、グランドピアノと応接セットが部屋を占領している。壁際にはポツンとチェロのケースが立てかけられている。倉科は何気なくチェロのケースに触わり、ポンポンと叩いてみた。結構硬い。材質はグラスファイバーのようだ。二三か所に傷があった。
倉科は部屋を見渡しながら、どこで教えていたのかしらと訝し気にしていると、
「個人レッスンだから、殆ど場所は取らないんですよ」と玲子。
「何人程、生徒さんがいたのですか?」
「さあ、詳しくは知りませんが、姉の話では十人もいなかったと思います」
「その中で、特に親しくしていた人物とかに心当たりはありませんか?」と倉科。
「ええっ?」玲子が驚いたような顔をした。
「まさか、倉科さん、生徒を疑ってらっしゃるんじゃ?」
倉科は真剣な表情で答えた。
「いや、職業柄、気になることは何でも聞いておきたいのです」
玲子は滑稽さを堪えて吹き出しそうにしている。
「だって、小学生と中学生の子ばかりですよ」
「そうですか」と玲子の顔を見ながら苦笑する倉科。
廊下を挟んだ向かい側はバス、トイレと続いている。教室用の部屋に続く部屋は寝室として使われていたようだ。ベッドとタンスが置かれている。倉科はすべての部屋を調べてみたが何の収穫も無かったが、一応画像は何枚も撮影した。
廊下の突き当りにドアがある。高級なチーク材使用で、上下の四分の一程度にガラスが嵌め込まれている。奥は二十畳ほどの対面キッチンがあるダイニングルームだ。綺麗な木目のフローリングが施されていて、テーブルと椅子が三脚。ユニット式の家具にはテレビ、ビデオ、オーディオ機器が並んでいた。隣には黒檀のクローゼットが鎮座しており、パソコンとプリンターを置いた小さなデスクが寄り添っていた。その上にはパソコン関係と思われる書籍が何冊か積み重なっていた。
「お姉さんは、パソコンとかネットに詳しかったのですか?」
倉科がそれらの書籍に手をふれながら尋ねると、
「ええ、パソコンのアプリで作曲までしていましたから……」
倉科はデスクの引き出しを点検したが、文房具とプリンター用のインクのみであった。
ただ、少し大振りのハサミが印象に残った。
「このパソコンにダイイング・メッセージと言うか遺書のようなものが残っていたのですね」
倉科が指さしながら玲子に尋ねた。
「ええ、でも、私は絶対、お姉さんが書いた遺書なんかじゃないと思っていますけど」
玲子はパソコンを凝視しながら吐き捨てるように言いった。
倉科も玲子に同意するように、
「私も少し気になっています。遺書はエクセルで書かれていたのですね。普段はワードを使用していたにも関わらず、何故、ことさらエクセルを使ったのか……」
テーブルの傍に寄った玲子は、
「ここにスマホとお財布と鍵、そしていつも鍵を入れているエルメスのバッグが置いてありました」
倉科は部屋中を見渡しながら、
「荒らされた形跡とか争った跡はなかったのですね」
「全くありませんでした。ただ……」
「ただ何ですか?」
倉科は興味深げに玲子の顔を覗き込んだ。
玲子がドアを開けた。倉科はアタッシュケースから白い手袋を取り出して、ドアの内と外を丹念に調べ始めた。もちろん警察の捜査済みであろうが、自殺に違いないとの予断による捜査ではなかっただろうか? 他殺を念頭に置いた捜査ではなかったと思われる。倉科が白い手袋を取り出したのは、後日、再捜査の際、指紋からあらぬ疑いをかけられない為の予防でもあった。
「全く当時と同じ状態ですよね?」
ドアを隅から隅まで調べながら玲子に尋ねた。
「警察が調べた後、鍵を掛けたままで、誰も入っていません。私もあの時以来、今日が初めてです」
「ところで、江利子さんは新聞をとっていましたか?」
「えっ? 新聞?」玲子は不思議そうに問い返した。
倉科が指をさしながら質問の意味を説明した。
「この郵便受けと言うか、新聞受けはいつも使用されていたのかと思いまして」
「郵便物は一階の集合ポストを使っていたと思いますが……」
玲子は倉科が何故判り切ったことを聞くのか訝しがった。
「そうすると、この郵便受けは殆ど使用されていなかったことになりますね」
あれから四か月近くも経過している。誰も訪れない部屋のドアには薄っすらと埃が溜まっている。倉科が息を吹きかけたり、手で払ったりしながらドアに付着した埃を取り除いていくと、郵便受けの投入口に一条の引っかき傷のような跡が現れた。何か硬いもので擦ったようだ。倉科はアタッシュケースからルーペを取り出してその痕跡に見入った後、ビデオとスマホで拡大した画像を何枚も撮影した。
「警察はこのドアを念入りに調べていましたか?」
倉科は背後に佇んでいる玲子に尋ねた。玲子からは「否」の答えが返ってきた。
玲子が「どうぞ」と倉科を部屋の中へ案内した。倉科は、まだドアに執着している。何か新しい証拠が発見できないものかとドアの細部にまで神経を集中させている。その姿を見ていた玲子が呟いた。
「そう言えば、郵便受けの内側が開いたままになっていました。警察の方と管理人さんがドアを開けた時に、自然に開いたのだと思っていました。邪魔になるので私が元に戻しておきましたけど……」
「捜査員はそのことに気付いて、何か尋ねませんでしたか?」
「いいえ、ドアのことなど眼中にないようで、ベランダばかりを調べていました」
倉科は腕組みをしながら、
「ウーン。ドアのことを捜査員に話しましたか?」
「たいしたことじゃないと思いましたので……。いけなかったでしょうか?」
玲子はなにかとんでもない失敗をしでかしたのでは、と不安げな表情になった。
「いや、いけなかったとかじゃないですけど……。教えておいた方が良かったのではと思いますよ」
倉科は郵便受けの内側を点検し、固定部分の淵に数条の傷を発見した。指で触るとよく判る。ちょうど開閉部分と接触する箇所だ。その傷が何を意味するのか不明だが、少なくとも警察が見落としていたことは確かだ。倉科はまるで大切な宝物を撮影するかのように角度や倍率を変えて何枚も画像を撮った。
マンションの間取りは3LDK。やや広めの玄関を上がると、すぐ右手に部屋がある。
「教室用に使っていた部屋です」
玲子がドアを開けた。十畳ほどの広さがあり、グランドピアノと応接セットが部屋を占領している。壁際にはポツンとチェロのケースが立てかけられている。倉科は何気なくチェロのケースに触わり、ポンポンと叩いてみた。結構硬い。材質はグラスファイバーのようだ。二三か所に傷があった。
倉科は部屋を見渡しながら、どこで教えていたのかしらと訝し気にしていると、
「個人レッスンだから、殆ど場所は取らないんですよ」と玲子。
「何人程、生徒さんがいたのですか?」
「さあ、詳しくは知りませんが、姉の話では十人もいなかったと思います」
「その中で、特に親しくしていた人物とかに心当たりはありませんか?」と倉科。
「ええっ?」玲子が驚いたような顔をした。
「まさか、倉科さん、生徒を疑ってらっしゃるんじゃ?」
倉科は真剣な表情で答えた。
「いや、職業柄、気になることは何でも聞いておきたいのです」
玲子は滑稽さを堪えて吹き出しそうにしている。
「だって、小学生と中学生の子ばかりですよ」
「そうですか」と玲子の顔を見ながら苦笑する倉科。
廊下を挟んだ向かい側はバス、トイレと続いている。教室用の部屋に続く部屋は寝室として使われていたようだ。ベッドとタンスが置かれている。倉科はすべての部屋を調べてみたが何の収穫も無かったが、一応画像は何枚も撮影した。
廊下の突き当りにドアがある。高級なチーク材使用で、上下の四分の一程度にガラスが嵌め込まれている。奥は二十畳ほどの対面キッチンがあるダイニングルームだ。綺麗な木目のフローリングが施されていて、テーブルと椅子が三脚。ユニット式の家具にはテレビ、ビデオ、オーディオ機器が並んでいた。隣には黒檀のクローゼットが鎮座しており、パソコンとプリンターを置いた小さなデスクが寄り添っていた。その上にはパソコン関係と思われる書籍が何冊か積み重なっていた。
「お姉さんは、パソコンとかネットに詳しかったのですか?」
倉科がそれらの書籍に手をふれながら尋ねると、
「ええ、パソコンのアプリで作曲までしていましたから……」
倉科はデスクの引き出しを点検したが、文房具とプリンター用のインクのみであった。
ただ、少し大振りのハサミが印象に残った。
「このパソコンにダイイング・メッセージと言うか遺書のようなものが残っていたのですね」
倉科が指さしながら玲子に尋ねた。
「ええ、でも、私は絶対、お姉さんが書いた遺書なんかじゃないと思っていますけど」
玲子はパソコンを凝視しながら吐き捨てるように言いった。
倉科も玲子に同意するように、
「私も少し気になっています。遺書はエクセルで書かれていたのですね。普段はワードを使用していたにも関わらず、何故、ことさらエクセルを使ったのか……」
テーブルの傍に寄った玲子は、
「ここにスマホとお財布と鍵、そしていつも鍵を入れているエルメスのバッグが置いてありました」
倉科は部屋中を見渡しながら、
「荒らされた形跡とか争った跡はなかったのですね」
「全くありませんでした。ただ……」
「ただ何ですか?」
倉科は興味深げに玲子の顔を覗き込んだ。
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