四重奏連続殺人事件

エノサンサン

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四重奏連続殺人事件

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施錠の謎

 倉科はもう一度、自分が何を証明しようとしているのか整理してみた。一番気になるのは警察が自殺と断定した根拠である。第一に施錠していたこと、第二にパソコンに残された文字、第三に踏み台にしたとされるチェロのケース。
 施錠を基礎にして、第二第三を積み重ねると、自殺と断定した根拠は完璧のように思われる。倉科はこの堅牢な論拠を越えなければならない。
 難しい顔をしている倉科に玲子は黙って付き添っていた。
 急に、倉科は考えをまとめようとして、玲子に向かって、話しかけた。
 「第一の施錠を崩せば、第二第三は単なる補強証拠だからたいしたことないです」
 玲子は倉科の唐突な言葉にびっくりしながらも、
「第二第三って何ですか?」
「いや、失礼。パソコンの文字とチェロのケースです」
「ああ、そうですね」と玲子は大きく頷いた。
 再び二人の間に沈黙が続いた。
 倉科は歩きながら、施錠、施錠と呟いている。
(犯人が外から鍵を掛ける方法は? 合鍵? 恋人の杉谷陽一が最初に疑われたのは、納得がいく。しかし、アリバイが成立した。家族、恋人以外に合鍵を渡すとは考えにくい)
 無言の二人の前によかトピア通りが現れた。
「両親にお姉さんのことを聞いたりなさらないのですか?」
 玲子は倉科の調査がこれで終わってしまうのでは、と考えたのだろうか。
「いや、まだ何も詳しいことが判っていないので……。それに現時点で御両親に会わせて戴いても、玲子さん以上の情報はどうでじょうかね……」
「そうかも知れませんわ。それに変に思い出させても可哀想だし……」
 親思いの優しい子である。この姉妹のためにも調査を完成させなければならない。倉科は自己の不明、無能力を恥じた。
 倉科は玲子の協力に丁重な礼を述べた。
「本日は御協力戴き本当に有難うございました。何か判り次第、連絡致します。玲子さんもお姉さんのことで何か思い出されたらお知らせください。どんな些細なことでも構いません」
「はい。そう致します。ところで倉科さんはこれからどちらへ?」
 玲子の優しい問いかけに、
「あっ、私のことは気に掛けないでください。ブラブラ歩き回るのが仕事と言うか、趣味ですから」
 初夏の太陽は夕方に向かっても一層強烈な光を放っている。立ち話の間にも汗がにじんでくる
「それでは、お気を付けて」と玲子が踵を返し、歩き始めた。
 倉科は彼女の後姿をしばらく見送りながら、本日の調査結果を思い起こしていた。
「何も判らなかった……」
 夏空を見上げながら落胆した。
 浮かない顔をして、トボトボと地下鉄の駅に戻る途中、『福岡市博物館』のことを思い出した。
「確か、この辺りだったはずだが……」と独り言を言いながら、汗だくの上着からスマホスを取り出して、位置情報を確認した。徒歩で十分の場所にあることが判り、気分転換に訪れようと決めた。
 歴史好きの倉科は久しく以前から、この博物館に展示されている『金印』を見たいと思っていた。『漢委奴国王』と刻印された日本古代史第一級の代物であり、
 天明四年(1784年)博多湾の志賀島で発見されたと伝えられている。中国の文献である『後漢書東夷伝』によれば建武中元(57年)に後漢の光武帝が委の奴国の使者に印綬を授けたとある。義務教育を受けた者なら誰でも一度は歴史の教科書で目にしたことがあるだろう。
 博物館に着いた。平成二年の開館とあるから、二十年以上前からあることになる。正面玄関には5メートルほどもある巨大なブロンズ像が四体設置されている。
 入り口に向かって右側の二体は「雄弁」「力」と銘打った躍動感のある男性像。左側の二体は「勝利」「女神」と台座に刻まれた威厳のある女性像。
 いずれもフランス近代彫刻の巨匠、エミール・アントワーヌ・ブールデルの作品だ。正面から少し離れると2000平方メートルの池があり、水面には、午後の日差しを受けた博物館の全景が眩しく映っている。
 入館すると一番目に付き易い場所に「金印」が展示されていた。頑丈なガラスケースに収められている。想像していたよりはるかに小さい。一辺が3.347センチの正方形で、高さが鈕(つまみ)を入れて2.236センチ、重さが108.7グラムと表示されている。
 さすがに黄金の輝きは二千年近くを経ても衰えがない。本物の持つ迫力は圧倒的だ。倉科は一人感激して、暫くじっと見入っていた。倉科は事件に関するモヤモヤを抱えながら、館内の展示物を見ていた。解説文が、なかなか、スッキリと頭に入らない。
 あらかた見終わったのは、閉館時間の少し前で、閉館アナウンスに急かされて館外に出ると夕陽の残照が倉科を包んだ。

 倉科は博多駅の観光案内所で、職員にいろいろ尋ねながら、今夜の宿泊先を探している。宿泊先が指定されている出張でない限り、一か所に連泊するのが嫌いなのだ。折角、地方に来ているのだから、宿泊先にも変化を持たせるべきだと考えている。倉科は最初の一泊を名前の通ったホテルで過ごし、次の日は興味の赴くままに宿を決めるようにしている。
「温泉付き等はいかがでしょうか?」
 職員の言葉に倉科が即答した。
「そりゃ結構」
 温泉付きホテルは南福岡駅前にあり、JR鹿児島本線で博多駅から三駅、電車で十分もかからないとのこと。
(温泉かぁ……。こりゃいいや)
 早速、予約を完了し、探偵学校に戻り、置いてあった荷物を取ってくることにした。

 南福岡駅を降りると、目的のホテルはすぐ見つかった。チェックインを済ませ、部屋で荷物を解くと、すぐ温泉へ向かった。別棟の一階が浴場になっており、浴衣にスリッパ姿のいで立ちで、渡り廊下を歩くと、なんだか温泉旅行に来ているような気分になった。浴場にはサウナの設備まで整っている。湯船は広々としていて、温泉の湧出量も豊富だ。おまけに、入浴者は倉科一人。「最高!」思わず声に出して叫んでいた。
 湯船に全身を浸して、じっと目を閉じ、今日の調査を振り返ってみた。
(椅子に掛けられたカシミヤのコート、郵便受けのキズ。この二つに繋がりがあるのだろうか? それとも、別々に事件解明のカギとなっているのか?)

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