四重奏連続殺人事件

エノサンサン

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四重奏連続殺人事件

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      倉科の仮説と樋山の見解

 倉科は一つの仮説を立ててみた。誰かが江利子と一緒に部屋にいた。その人物が江利子をベランダから転落させた……。その方法は倉科がベランダで考えたようだとして、その後、鍵をかけて部屋を出た。――しかし、どうやって鍵をかけたのだろう? 鍵が無くとも外側から施錠できる方法は?
 (そんなことができるだろうか? 鍵が無くとも開錠する方法はある。ピッキングだ。しかし、今回の件は逆になっている……)
 江利子の部屋にいた人物が合鍵を持っていたと仮定したら、事件以前、既に入手していたと考えるしかない。彼女を転落させてから入手して施錠したとするなら、説明が非常に困難になると言うか、不可能だ。何故なら、鍵は紛失していないからだ。
 つまり、犯行後、合鍵を作製して、それを使って施錠したことになるからだ。それだけの時間的余裕があったとは、到底考えられない。事前に合鍵を用意していたと考えるのが妥当だ。合鍵を所有している杉谷には不動のアリバイがある。江利子が杉谷以外に合鍵を渡すような関係者がいたのだろうか? 
 (星野遼介はどうだろうか?)
 しかし、両者の関係は、そのようなものではないと亀井綾乃が断言している。
 (外から鍵を掛ける方法があればいいのだが……)
 考えが行き詰まった倉科は、ウーンと大きく唸りながら温泉の湯船とサウナ室を行き来している。
 数人がドヤドヤと浴室に入ってきた。大きな声で、課長がどうの、部長がどうのとはなしている。会社の同僚だろうか。温泉の湧きでる音しか聞こえなかったのが、にわかに騒がしくなる。
 倉科は思考を中断して、入浴だけを楽しむことにした。

 部屋に戻った倉科は樋山に電話をした。スマホのかけ放題プランは貧乏探偵にとって最高だ。込み入った調査事項を長電話で伝えるのを気にしなくて済む。通話料金にひやひやしていた頃が、嘘のように感じられる。
 樋山はこちらの用件を聞く前に喋り始める。
 「先生が話していたあの件、星野氏の被害者についてですけど、発見しましたよ」
 倉科は江利子の件ばかり考えていたので、反応が少し遅れた。
 「ああ、裏口入学の件だったよね、どこに住んでいる人?」
 無意識に札幌であって欲しくない、綾乃とは無関係であって欲しいと願っていた。
 「東京在住者です。音楽関係者やその他いろいろなコネを使って調べてみたのですが、夢想花音楽事務所と星野氏 は、音大志望者とその保護者達の間で結構、噂になっているようです」
 「裏口入学で?」
 「そうじゃないです。入学するための先生選びについてです」
 倉科は綾乃の話と樋山の調査結果を思い出した。
 「星野氏のラインで有力教授を紹介してもらうと、謝礼は高額ですが、合格率が高いとの評判らしいです」
 「ふーん。それで、被害者はどの程度の被害を受けたのかね? 実際に会って事情を聴いたの? 相当高額な謝礼を支払ったとか」
 樋山は得意げな口調で、
 「勿論ですよ。推測憶測で物事を語ってはいけない、と強く教えられましたからね」
 倉科は苦笑した。何と忠実に教えを守っていることか。
 樋山の説明によると、ピアノを専攻志望の女子で、中学三年生のとき、某大手の音楽教室から星野遼介氏を紹介された。
 高校三年間レッスンを受ければ、都内の有名音大に絶対合格できるとのことで、それを信じて志望校の有名教授を紹介してもらい、高校三年間、高額なレッスン料――数百万円を支払ったにも拘わらず不合格になった。技能が低すぎて合格ラインに達していないとの尤もらしい理由を告げられたとのこと。
 「うーん。当事者同士の密約みたいなものだから、どうしようもないね」
 「そうなんですけど、両親は怒りが収まらないので、弁護士に相談したらしいです。支払ったレッスン料の一部でも取り戻せないかと」
 倉科は当事者間の法律関係を組み立てながら、
 「駄目だと言われるに決まっているよ。現実にレッスンは実施されて、その対価として謝礼を支払ったのだから、その教授にレッスン料を返還する義務は発生しないよ。別の考え方として、裏口入学の対価として謝礼を支払ったのなら、法的には不法原因給付になるから、これも返還請求できないんだ。判り易く言うと、殺人の依頼をして金を払ったけど殺人が実行されなかった場合、依頼者は金を返せと言う権利がないんだ。不法なことのために支払った金は、法律によって取り戻せないってことだよ」
 樋山に理解し易いよう比喩を交えて話した。
 「でも、入試間際になって、もっとレッスンの回数を増やさないと合格ラインに届かないって、言われたので相当高価な特別レッスンとやらを受けたそうです。それでも受からなかったのは、詐欺じゃないんですかね?」
 樋山には法律が不合理に映るらしい。怒った口調になってくる。
 「それでも、駄目だろうな。詐欺罪を成立させるのはとても困難なんだ。詐欺罪は、俗に心の犯罪とも言われて、犯人が『騙すつもりでした』って言わない限り立件できないんだ」
 「へーっ。そんなもんですかねぇ」
 ますます怒りを露わにした語調になった。倉科は、この話題を避けようとして、
 「それよりも、他に被害を受けた人はいるの?」
 「都内だけでも何人もいるらしいですよ。全国的には相当の被害者数になるんじゃないですか?」
 「星野氏が大々的にこのビジネスを展開していたことは証明できるね」
 倉科の声は、一つの問題に目鼻が付いたことを素直に喜び弾んだ。
 「ところで、ちょっと教えて欲しいのだけど、ピッキングで、鍵を閉めることはできるのかね?」
 「えっ?」樋山は少しの間、絶句した。
 「せんせい。ピッキングって鍵を開ける方法ですよ」
 少々、馬鹿にしたような様子が伝わってくる。この先生は何も知らないんだなぁ、と思っているようだ。
 「君は、鍵のエキスパートだから、鍵については何でも知っているんじゃないの?」
 樋山は少しムッとしたような口調で、
 「鍵を開けるのが専門で、鍵を閉るのはやってないですよ。それに、技術的に考えても、ピッキングで鍵を閉めるのは……」
 倉科は樋山をおだてるように、
 「いやー、ピッキングを習得するのは相当に難しいんでしょう。熟練者の君でもピッキングで鍵を閉めるなんてのは考えつかないのだから、技術を習得していない者には及びもつかないだろうね」
 樋山の声が先生口調になり、ピッキングの技術が一朝一夕に習得できるものではないことを力説した。
 「ピッキングにおいて、ピックとテンションを操作する方法はですね、ピックでタンブラーを押し上げて、テンションでシリンダーの内筒を回転させるのですが、その調整具合が微妙でして、なかなか熟練を要します。云々」
 御高説を聞き終わった倉科が尋ねた。
 「それじゃあ、ピッキング以外の方法で鍵を閉めることができる?」
 「いろいろありますけど……。鍵の種類、ドアの状態にもよりますから、一概には言えませんね」
 樋山は含みのある回答をした。
 「見て欲しいものがあって、君の意見を聞きたいのだけど」
 樋山の声が急にガラリと変わった。おそらく明日の遠足を楽しみにしている小学生のような表情になっているのだろう。
 「ワクワクしますね。例の博多の一件でしょう? 先生はいつ東京へ?」
 早くも謎解きに挑戦するかのような勢いだ。
 「名古屋に立ち寄ってからになるから、二、三日かかるかも知れないけど……」
 「先生の予定は、結構、不確かですからねぇ……」
 嫌味なことを言う奴だ。確かに倉科はフリーの仕事をしているので、気ままに予定を変更したりすることが度々だった。事実、樋山との約束を大幅に変更したり、直前になってキャンセルしたことも一度や二度ではなかった。根に持っているのだろう。
 「どんな資料ですか? すぐにメールで送ってくださいよ。早く見たいので」
 倉科はスマホ操作して映像を捜した。
 「写真はすぐに送れるけど、ビデオは無理だろう?」
 電話の向こうから樋山が苦笑しながら、
 「ビデオ撮影した映像も遅れるんですけどね、まあ、先生は情報弱者だから、東京で拝見しますよ」
 どいつもこいつも、人のことを情報弱者、情報弱者と言いやがってと、ムッとしたが、
 「まあ、スマホの映像だけでも、よく精査しておいてくれ」
 「了解しました。楽しみにしています」
 倉科はスマホをテーブルに置き、タバコを燻らせながら、リモコンを取り、テレビの電源を入れると、特別番組として、アラブかアフリカあたりと思われるゲリラ訓練所の様子が中継されていた。
 特に、倉科の目を引いたのが、車に関連した、テロ及び暗殺方法だった。それぞれ、イグニッションキーを回すと仕掛けられた爆弾が破裂するものや、ブレーキ・ホースを切断して追突死させる手口、暗殺対象のシート・ベルトに切れ目を入れておき故意に正面衝突引き起こすもの等が紹介されていた。
 シート・ベルト……? 何かチラッと閃いたが、その後は続かなかった。
 鈴木正恵の件を思い出していたが、彼女はシート・ベルトをしていなかった。同乗者の星野遼介は着装していたが……。

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