君と旅をするために

ナナシマイ

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4章 光と闇の逢見時

悪魔の住処

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 街を出て北へ向かうにつれて、洞窟内に満ちている“気”の闇属性の純度が高くなっていきました。それとは反対に、何故か、魔物に遭遇する数が減っていきます。
 眉を顰めたのに気づいたのでしょう、フレッド君が顔を覗き込んできました。

「歩きにくいのか?」
「いいえ、それは大分慣れてきました。ですが……」

 もう一度“気”に意識を向けて、溜め息をつきます。あまり、好ましい状態とは言えません。

「ここから先で魔法を使うのは、少し難しそうなのです」
「どういうことだ?」
「まず、“気”が闇属性に偏りすぎていて、他の属性魔法の威力が弱まります」
「あの女将も言ってたな」
「はい。街の中では、対である光属性だけが弱まっていたようでしたが、この辺りはおそらく……」
「闇属性以外は全部ってことか。……で、『まず』ということは、他にもあるんだな」
「困ったことに」

 つぅ、と左手の人差し指で空中をなぞります。実際に触れているわけではありませんが、指に纏わりつく“気”を感じました。

 辺りには闇属性の“気”だけで満たされた岩石がたくさん転がっています。

「これはとても感覚的な話なのですが……」
「あぁ」
「この辺りに満ちている“気”は、どこか意思を持っているような、そんな感じがするのです」
「……」

 一瞬、“気”を確認するように周りを見るフレッド君。

「……魔力じゃ、ないんだよな?」
「そうなのです。不思議ですよね」

 困ったように笑うと、フレッド君は溜め息をつきました。ぎゅっと、右手を握る手に力が籠もります。

「それで済まない話なんだろ? できるだけ早く抜けるぞ」

 彼は本当に、よくわかっていますね。
 ……そうなのです。わたし今、かなり困っているのです。

 意思を持っているという表現をしましたが、これはとても不自然なことです。“気”は自然にあるものですから。そして、魔力はそんな自然の“気”から変換して作り出すものです。もし、“気”が意思を持ってそれに反発したら……?

 わたしは忌み子で、特に“気”を魔力に変換しやすい体質ですが、それでも時間が掛かりそうだと感じました。これは、魔法陣を使って力技でいくしかなさそうですね……。

「リル、今何を考えている?」

 か、顔に出ていたでしょうか。慌てて顔を背けるも、フレッド君に顎を掴まれてしまいました。

「な、何も考えてません! 離してください!」

 指が頬に食い込んでいて、絶対変な顔になっています。恥ずかしすぎます。睨んで抗議していると、フレッド君はふっと笑って手を離しました。それからすぐに真剣な顔になって、「余計な事考えるなよ?」と言います。



「――っ!」

 急に、今までとは比べ物にならないくらいに高濃度の“気”が膨れ上がりました。その元に意識を向けると、圧縮された強い魔力も感じられます。

「悪魔、ですね……」

 “それ”は、生き物の形をしていませんでした。ゆらゆらと形を変える魔力の塊が、わたし達の行く手を阻んでいます。辺りを満たすのは、魂ごと飲み込まれてしまいそうになる程に圧縮された魔力。
 ……街の人達はこの時点で耐えられなかったでしょう。ニースケルトでわたしが放った魔力よりもずっと多くて、濃いのですから。

 伸びる触手と、白く光る瞳のような核。生き物であるという証は、たったそれだけでした。まさに悪魔と呼ぶに相応しく、その圧倒的な存在感に、本能が危機を訴えます。

「これは最悪、だな」

 流石にここまで危険な存在とは思っていませんでした。しかし、遭遇してしまったのであれば仕方ありません。何とか隙を作って逃げることだけを考えましょう。

「……」

 ……やはり、光属性への魔力変換は難しそうですね。一応、魔力の属性を変えようと試みてみましたが、どうしても闇属性に寄ってしまいます。弱点を突く方法はすぐに諦めて、魔法の発動効率を高めるためその場に座りました。

 ――ヒュン!

 その瞬間、物凄い速さで向かってくる触手。反射的に盾の魔法を発動させましたが、その前にフレッド君が剣で切り落としてくれます。

「ちっ、物理攻撃かよ。相性が悪すぎる」

 フレッド君が舌打ちをしながら、次から次へと伸びてくる触手を無力化していきます。しかし、あまりにも数が多すぎました。切り損ねた触手や、壁に当たって飛んでくる岩の欠片が、フレッド君に少しずつ傷を付けていきます。

 わたしの魔法をも阻む、高濃度の“気”。そのほとんどが、悪魔まで届きすらしません。やはり、“気”が意思を持っているように感じられます。というより……。

「わっ」

 思考に耽っている場合ではありませんでした。本当に、フレッド君が言った通り相性が悪すぎます。
 悪魔自身は魔力の塊なのに、行使するのは物理攻撃のみ。魔法を使うのであれば、影響を受けないフレッド君が突っ込むという策も取れましたが、それもできません。魔法もほとんど効かないこの状況では、防戦一方。そのうち、こちらが崩れるだけです。

 けれども、ひとつだけわかったことがありました。……いえ。これは、初めからわかっていたことではありませんか。

「フレッド君。狙われているのはわたし――わたしの、魔力です」
「あぁ。だが」
「ですから、フレッド君は逃げてください」
「……は?」

 フレッド君の声に怒気が含まれたのを感じますが、構わず続けます。

「勿論わたしも逃げます。そのために、逃げ道を確保して欲しいのです」
「つまり囮になるってことだろ? 却下だ」

 少しむっとなりました。フレッド君は、わたしのことを優先させすぎなのです。

「囮ではありません。狙われていることを、逆に利用するのです!」

 これは譲れません、と言えば、ゆっくり話している場合ではないと判断したのか、彼は溜め息をつきながらも頷いてくれました。わたしは立ち上がり、フレッド君の隣に並びます。

「出し惜しみするなよ」
「当然です」
「……ご武運を」

 まるで騎士のようなその言葉に、ぐっと息が詰まりました。左手を胸に当て、止まった息を吐き出します。そして、自分の魔力に集中させていた意識を少しずつ広げながら、悪魔に近づいていきました。その間にも触手が飛んできますが、全て盾の魔法で弾きます。

 かなり近づいたところで足を止め、わたしはその場に寝そべりました。目を閉じれば、感じるのは“気”と魔力の存在だけです。高濃度に満たされたこの場所では、目で見るよりも鮮明に周囲の様子を把握できます。

 魔力変換効率を上げる魔法を発動させながら、魔力回復薬を飲みました。抗う“気”を無理やり取り込むように意識し、魔力を増やしていきます。
 苦しくなる程の感覚に、懐かしささえ覚えました。ですが、制御力にはまだ余裕があります。もっと、もっとです――

「……っ!」

 ずっと続いていた触手による攻撃が止み、悪魔の本体が近づいてきます。
 二つの魔力が重なる時、それは互いを奪い合う戦いの始まりです。……わたしはそれを、受け入れました。

「うぅっ……」
「リル!」
「大丈夫、です。あい、ず……したら」

 悪魔の魔力を受け入れたことで、すぐに制御力の限界が近くなりました。わたしの魔力を奪おうと激しく動くそれに、頭の中を掻き回されるようでした。吐き気がします。

「……あ」

 もう、無理ですね……! 意識を手放しそうになったその瞬間、溜めていた魔力を全て解放しました。

「今です!」

 悪魔が、無制御状態となった魔力を取り込もうとしているのがわかります。その一瞬の隙に――――

「ぐっ……」

「フレッド君っ!」
「気にするな」

 フレッド君の呻き声に意識を向けると、崩れた岩に身動きが取れなくなっているのがわかりました。言葉ははっきりしていますが、苦しそうなのは明らかです。早く、助けに行かなくては……!

「……リル、落ち着け。お前は自分のことに、集中しろ」

 しかし、フレッド君の冷静な言葉に、焦りが薄れていきました。目を開けて、深呼吸をします。……そうです。わたしの目の前にも、悪魔の危険は迫っているのですから。

 完全に、触手はフレッド君だけを狙うことにしたようです。悪魔の本体だけが、こちらに向きます。その瞳のような核を目の前にすると、一瞬だけ、戦闘中であることを忘れてしまいそうになりました。

 ……綺麗ですね。

 白く光る核には、魔法陣が刻まれていました。それは星空の部屋にあった魔法陣と似ていて、何の魔法陣か想像すらできないところまで同じです。今のうちに覚えて――

 あれ? フレッド君は……?

「なっ!?」

 どうして、一瞬でも意識を逸らしてしまったのでしょう。後悔で、頭の中が真っ白になります。
 目を向けたそこには、力なく倒れているフレッド君の姿がありました。

「フレッド君!!」
「……っ」

 叫ぶように呼び掛けると、僅かに反応がありました。しかしほっとしたのも束の間、触手がまだフレッド君を狙っています。これ以上攻撃を受けたら、彼は……!
 わたしはわたしで悪魔の魔力に対抗しているのです。この状況では、フレッド君の周りに素早く魔法陣を組む余裕がありません。絶体絶命です。

「何か、良い手は……」

 と、フレッド君の腰の辺り。馴染みがありすぎて逆に違和感を覚えるそれに気づき、苦笑いをします。

 お祝いにあげた、魔力金属のナイフ。それは、わたしの魔力そのものでもあるのです。同じ魔力金属で作ったホルスターの留め具を操作して外し、ナイフを取り出します。それをそのまま魔力として操作し、触手を薙ぎ払いました。

 次の触手が来る前に、無理やり風魔法を発動させてフレッド君のところまで飛んでいきます。バランスを取れなくて着地に失敗しますが、そのまま転がって、フレッド君を抱きしめました。血の匂いがむわっと鼻に広がります。

「フレッド君。一緒に逃げましょう」

 近くにあった岩に触れ、そこに含まれている“気”を魔力に変換します。増え続ける魔力を制御しながら、ずっと、北の方まで。
 それは、逃げるために作った魔力の道です。出口付近はさすがに遠すぎて変換できませんでしたが、そこまで行くことができれば、今度は普通に魔法を使えるでしょう。

 逃げる準備が整えば、今度は悪魔を振り切る方法です。大きな魔法を使いたいところですが、闇魔法以外は効きません。……闇属性なら魂に干渉する魔法が強いのですが、果たしてこの悪魔に効果があるでしょうか? それとも……。

「そう、ですね」

 白く光る核を見つめながら、わたしは決めました。何故か、これしかないように思えたのです。

 核に刻まれた魔法陣をなぞるように、魔力を流していきます。
 逃げ道となる魔力の制御、攻撃を防ぐ盾の発動、そしてこの魔法陣。どれも規模が大きく、すぐに疲労を感じ始めました。けれども、当然そんなことでは止めません。わたしは、核の魔法を発動させました。

 これは、光魔法……?

 暗い洞窟内では眩し過ぎるほどの光が、わたし達を包みました。それはやはり、星空の部屋に似た煌めきを残します。
 この光は、紛れもなく光属性のものです。発動させてもなお、その内容はわからないままですが……。魔法陣に流した魔力は闇属性ですから、本来はとんでもない威力の魔法なのでしょう。

 そして気がつきました。何故か渦巻き始めたわたしの魔力が、悪魔の狙いから外れたことに。
 ……もしかして、仲間だと思われているのでしょうか? となれば、チャンスは今しかないでしょう。魔力の動きが激しさを増して、意識が奪われそうになりますが、自分に活を入れて道となっている魔力を操作します。



 何とか、道の端まで来ることができました。もう立ち上がる力も、魔法を使う力さえも、残っていませんでした。ずっと精神的な疲労ばかりを感じていましたが、わたしの身体も傷だらけです。あと少しで洞窟から出られるはずなのに、これ以上は何もできません。

「……リ、ル」
「フレッド、君?」
「俺、死なない、から。お前も……」

 そうです。生きてさえ、生きてさえいれば――

 そこでわたしの思考は途切れ、深い闇に落ちていきました。
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