君と旅をするために

ナナシマイ

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5章 手の中にある幸せを

外れた人

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「街を出たら、トイさんの工房へ行きましょう!」
「……は?」

 宿の部屋で出発の準備中、ふと思い出したことを口にすると、フレッド君は胡乱な目を向けてきました。……そうでした、彼は知らないのでしたね。

「夢見魔団の皆さんが使っていた魔法具があったでしょう? あれを作った魔法使いです。街の北にある森の中に、工房を建てて住んでいるのですって」

 トイという魔法使いのことは、神殿の巫女さんが教えてくれました。優秀な魔法使いでありながら、とんでもない変わり者だということ。そして、善悪関係なく様々な魔法具を生み出すのだということを、何とも言えない表情で語ってくれました。
 というのも、夢見魔団が悪事に使うような魔法具を作る傍らで、西部領にとっては欠かせない重要な魔法具の作成にも携わっているらしいのです。確かにそれでは、取り締まることが難しいでしょうし、街の住民としても複雑な気持ちになるでしょう。警備兵への質問がはぐらかされた理由もわかります。

 けれども、あのような珍しい魔法陣を描くのです。是非お目にかかりたいと、巫女さんに詰め寄ったのは言うまでもありません。「夢見魔団として捕まったのに、魔法具の製作者について何も知らないのは恥ずかしいのです」というようなことを言うと、彼女は丁寧に工房へ向かうための地図まで描いてくれました。

「結局、あいつらは何をしたかったんだろうな」

 ハルケージの街を出ると、そこには森が広がっていました。陽射しが遮られる木の下は思った以上に空気が冷たく、開けっぱなしにしていた外套の前を閉じます。それから、呆れたような、本当に不思議に思っているような口調で呟いたフレッド君に、わたしは首を傾げました。

「彼らと一緒だったのですよね? そういう話は聞かなかったのですか?」
「あぁ。まぁ、な……」
「……?」

 そう聞くと、何故か言葉を濁して目を逸らすフレッド君。

「いや。何でもない。……俺達には関係のないことだ」

 しかし彼はすぐに首を振り、ハルケージでの最初の夜と同じことを言いました。それならと頷き、わたしはポケットから巫女さんに貰った地図を取り出しました。が、それはすぐフレッド君に取られてしまいます。むぅ、と見上げる前に、わたしの空いた手が握られました。

「お前が見るべきなのは、地図じゃなくて“気”だ」



 それからしばらく歩くと、木々の隙間の向こうに大きな天幕が見えてきました。その入り口は大きく開いていて、近づくと、中にはたくさんの魔法具が置いてあるのがわかります。うきうきしながら駆け寄ろうとすると、フレッド君と繋いだままの手がぐっと引かれ、溜め息をつかれてしまいました。

「転ぶだろ。歩いた方が早い」
「そ、そうですけれど……」

 どうしてこの気持ちをわかって貰えないのでしょう。残念でなりません。それでも天幕の入り口に着くと、彼は繋いでいた手を離し、トン、と背中を叩いてくれました。「失礼します……」と言いながら中に入ると、ずらりと並んだ魔法具が奥の工房までずっと続いていました。

「わぁ……」

 その全てに刻まれている、街で見たような珍しい魔法陣。無駄のない立体的な構造に、ところどころ遊び心が加えられているのが特徴で、魔法使いとしての優秀さと芸術的なセンスを感じます。それでいて、子供でも発動できるような複雑すぎない仕上がりになっているのですから、わたしは感動してしまいました。
 熱心に眺めていると、横に並んだフレッド君が顔を覗き込んできます。

「そんなに凄いのか?」
「……はい。大衆向けの魔法具として、これ以上のものを見たことがありません」
「大衆向け?」
「より多くの人が簡単に発動できること、それから独自性に優れていること、ですね。複雑すぎては魔法使いでないと使えない、ということになってしまいますし、独自性がないと簡単に真似されてしまいますから」
「なるほどな」

 少なくとも、わたしにはこの魔法陣を描くことができません。隠された構造までわかっていても、それを描く技術が足りないのです。魔力の操作能力はそれなりだと自負していますが、やはり上には上がいるものですね……。

 ――ジジッ。

 と、左手に一瞬、ピリッとした痛みが走りました。それと同時に、物凄く不快な“気”が身体を包みます。

「っ!?」

 反射的に結界を張ろうとした時、工房の扉が開く音がしました。

「ようこそ。小さき友人」

 人のものとは思えないような、金属音の混じる耳障りな声に視線を向けると、そこには奇妙な恰好をした男の人が立っていました。
 縦長の大きな帽子と、鮮やか過ぎる緑色の外套。ニタリと歪ませた右目は義眼なのか、光のない鈍色をしています。そしてその肩には、鳥を模した魔法具が乗っていました。

 けれども。

 最も奇妙――いえ、恐ろしく感じるのは、彼の纏う“気”でした。それはわたしの魔力に混じろうとしては反発し合い……正直に言うと、苦しくてたまりません。あの悪魔と遭遇した時よりもずっと不快で、今すぐこの場から逃げ出したくなります。それなのに、身体が上手く動かないのです。

「あ……ぅ……」
「……リル?」
「あぁ、友人には少しばかり刺激が強かったようだねェ……。ほら、これで大丈夫だろう?」

 彼は指を鳴らす一瞬で自らの周りに結界を張り、片目を瞑ってみせました。その瞬間、不快な“気”の感覚が消えます。

「あ……ありがとうございます」
「どういたしましてェ。そして改めて、トイの工房へようこそ!」

 その人――トイさんは大袈裟に両手を広げて言いました。その動きも十分に奇妙でしたが、わたしはまた別のところに意識が向きます。

「と、鳥が喋ってる……!?」

 どういう仕組みなのか、金属音が混じるその声は、鳥の魔法具から発せられていました。

「良い反応だねェ。そう、言うなればこれは、私の口なのさァ」
「口、ですか……?」

 ……声を失ってしまったのでしょうか。けれどもトイさんは、何てこともないという風にケタケタと笑います。……笑い声が聞こえてくるのは、肩の鳥から、ですけれども。

「そうだ、私の作った魔法具はどうかな?」

 トイさんはまた指を鳴らし、側にあった魔法具を発動させました。可愛らしい人形がくるくると回り、楽しげな音楽が流れます。
 彼が視線で促してきたので、わたしもいくつかの魔法具を発動させました。一気に天幕の中が賑やかになって、フレッド君がぎょっとしたように目を大きく開きます。それが可笑しくて、トイさんと顔を見合わせました。

「ふふ、楽しい魔法ですね!」
「わかって貰えて嬉しいなァ」
「それに凄い操作能力です。……どうやったら、こんな風に構造を繋げられるのでしょう」

 わたしの疑問に、彼はニタァとした笑みをその顔に貼り付けました。それを挑戦と受け取り、わたしは更に魔法具を発動させます。

「……そんなに発動させて、何してるんだ?」

 けれども、フレッド君には溜め息をつかれてしまいました。許可されているとはいえ、見境がなかったでしょうか。……何だか恥ずかしくなってきて、小さな声で答えます。

「魔法陣を覚えているのですよ。……いつか、自分でも描けるようなるために」



 それから結局、いくつもの魔法具を発動させては、その魔法陣を覚えていきました。トイさんは直接的なことは何も教えてくれませんが、謎かけみたいなことを言いながら、それとなく理解させてくれます。それが楽しくて、ついつい夢中になってしまいました。彼は本当に変で、本当に優秀です。

「そういえばさァ。友人は、何か聞きたいことがあってここへ来たんじゃなかったのかい?」
「え? ……と、魔法具のことですか? それなら今――」

 質問がよくわからずに聞き返すと、トイさんは大きく頷きました。

「そうさ、夢見魔団として捕まっていただろう? 友人は神殿の地下室で、友人の友人は檻の中で楽しんでいたねェ」
「ど、どうしてそれを?」

 ……神殿の、地下室? 街の人から聞いたとしても、それは詳しすぎます。わたしは、少しだけ警戒しました。

「私には目があるからね」

 しかしその瞬間――

「ひぇっ!?」
「なっ……!」

 トイさんの右目が、ぽろりと外れて宙に浮きました。

「これは……?」

 ケタケタと笑う鳥と、ふわふわと浮かぶ目玉。……魔法具だとわかっていても、見ていて気持ちの良いものではありません。

「私の代わりに、色んなものを見てきてくれるのさァ。便利な魔法具だろう?」
「……ま、待ってください」

 驚いている間に、さらりととんでもないことを言ったトイさん。ですが、さすがにこれは聞き逃せません。

「そんな魔法はないはずです。使役魔法でもない限り……」

 視覚共有の魔法ならあります。闇属性に属するその魔法なら、精神を繋げることでその視覚を得ることができるのです。けれども、目そのものを作るというのは、生命を模倣するということです。そんなことは、できません。それなのに、彼はその目で物を見ていると、そう言うのでしょうか……?

 疑いの目を向けると、彼は一瞬、肩に乗せた鳥を優しく撫でました。それから、わたしをじぃっと見つめます。その視線が想像以上に鋭くて、思わず後ずさりました。

「私はね、禁忌魔法行使者なのさァ」

「――っ!」
「行使回数は四回。代償は、声、右目、右足、それから……全身の毛、だよゥ」

 大きな帽子を取ると、彼の言う通り、毛の一本も生えていない頭が現れました。よく見ると、睫毛も生えていません。

 ――禁忌魔法。
 それは闇属性の魂に干渉する魔法の中で、人が侵してはならないとされるものを指します。……すなわち、命なき魂への干渉を行う魔法。
 命を終えた魂というのは、“気”に還るものなのです。それに逆らって、この地に留めてはならないのです。

 ぐわんと揺れた視界の中で、わたしは無意識に胸に当てていた左手を、ぐっと握りました。

「……フレッド君。行きましょう」
「え?」

 気づけなかった自分が嫌になります。……つまりそれは。

「ぅ……」
「俺は良いが、話聞かなくていいのか?」

 先ほど感じた不快な“気”の正体は、死者の魂……!

「おい……?」
「ふ、フレッド君はっ! 魔力がないから、わからないのです……!」

 伸ばされたフレッド君の手を振り払います。感情のまま発動させた風魔法に乗り、わたしは一人、天幕を飛び出しました。
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