52 / 54
第二章
やらなくてはいけないこと(3)
しおりを挟む
自分以外に誰もいない寮の自室で、無心になってアクゥギを弾き続ける。大きな声で歌をうたう。
起床から昼食までのこの時間が、心安らぐ唯一の時間と言っても良いだろう。
ヴウゥゥ――……
しかし、楽しい時間はとても短い。聞き慣れた唸る音に、わたしは鍵盤に乗せていた手を正面の装飾にかざした。しゅるりと黒い魔法石になったアクゥギをフラルネにはめる。
ひらり、ひらり。
誰も見ていなくとも、自然にさばいたツスギエ布が舞う。今日は薄灰色と橙色だ。
寮を出て、共用棟の入り口でカフィナと待ち合わせ、食堂に入った。毎日同じ流れ。昼食をとれば、講義の時間がやってくる。
十二の月の課題は四つ灯の魔法だ。これも略式魔法――イョキで日常的に使う魔法だという。はじめに、この講義の主任であるウェファが説明をしてくれる。
「ご存じの通り、四つ灯の魔法は、各土地の神殿にあるラッドレに魔力を溜めるための魔法です。年が明けて十歳になれば、みなさまも一日に四回、魔力を溜めることになります。マカベの重要な役割ですから、今月のうちにできるようにならなければいけませんよ」
そういえば、入舎の儀でも、彼女は四つ灯の魔法はマカベの義務だと言っていたか。……一日に四回。魔力を、神殿に溜める――。
わたしはマカベの儀が終わったあとのことを思い出す。
夕暮れ時。ヴウゥゥ……と神殿の木が唸り、大人たちがなにかを呟いていた。
よく聞き取れなかったあの言葉は四つ灯の魔法のイョキで、煌めく光の粒――魔力を溜めていたのだ。
日の出の朝灯、真昼の昼灯、日の入りの夕灯、真夜中の夜灯。
木が唸るたびに人びとはイョキを唱える。
そうして溜められた魔力は、神殿にいるサアレによって土地のために使われるらしい。土地の序列はここで残った魔力の量で決まるので、サアレの采配が重要なのだという。
「……カフィナ様。サアレ、というのは、どなたかご存じですか?」
わからないことがあるとき、わたしは隣のカフィナに小声で訊く。彼女に頼りすぎている気がしないわけでもないが、少なくとも表面上は、にこやかに答えてくれるのだから仕方ない。
今回も、カフィナはふわりと微笑んで、同じように小声で説明してくれる。
「神殿をまとめているかたですよ。将来はクスト――ええと、クストというのは神殿の木立の者です。マカベの木立の者はレイン様のお父様ですから、同じですね。サアレのあいだは土地を、そしてクストになってからは、マクニオス全体を支えてくださるのです」
「……もしかして、マカベの儀にもいらっしゃいました?」
「えぇ。ジオ・サアレはとても華やかでいらっしゃいますから、遠目にもよくわかりましたよね」
クスクスと笑う彼女の横で、わたしはこっそり息を吐く。
忘れもしない、あの金色のマントをなびかせる華やかすぎる男性。眩しすぎる笑顔。
そんなジオ・サアレに目をつけられたら、と想像して、わたしはぶるりと身体を震わせた。……絶対に嫌だ。頑張って四つ灯の魔法を習得して、しっかりマカベの勤めをはたすこととしよう。
ところで、ウェファは魔力を神殿のラッドレに溜めると言っていたが、ふと、ついこの前ラッドレという単語を耳にしたな、と思った。
わたしがそれを思い出す前に、離れた席から質問が上がる。
「私たちが身に着けている耳飾りも、ラッドレですよね? 同じものなのですか?」
そうだった。ラッドレ、琥珀色の魔法石がはめられた耳飾り。
デジトアはこれを「漏れた魔力を吸収してくれる」と言っていたので、確かに魔力を溜めるという点では同じように思える。
その質問に、ウェファは少し困ったように右手を頬に当てながら微笑んだ。
「厳密には、この耳飾りはテテ・ラッドレと言います。魔法ではなく、魔術の魔道具ですから。魔術については、みなさまが中級生になったらお教えします」
……魔術。魔法とは違うのか。
いけない。わからないことが多すぎて頭が破裂しそうだ。
ひとまず魔術のことは忘れることにしよう。中級生ということは二年後で、それまでわたしがマクニオスにいるかも不明なのだから。
四つ灯の魔法のマクァヌゥゼ、その楽譜が配られると、子供たちがざわりと戸惑いの声を上げた。
わたしも楽譜を開く。
一枚目の記譜用紙を見て固まり、二枚目の歌詞を見てもう一度固まった。
随分と尖った曲だ。前衛的というか……まぁ、楽しそうではあるけれど。マクニオスでははじめて目にする形式の曲だと思う。
そしてびっしりと紙を埋めつくすように書かれた、わけのわからない言葉の羅列――ではなく、歌詞。
ものすごく難しそうだったが、しかし、実際に演奏してみるとフェリユーリャのときと比べて魔力の動く感覚を覚えるのは簡単であった。変な拍子やうたいにくい歌詞のためか、魔力の動きが特徴的でわかりやすいのだ。
そしてこの感覚が、なんとなく、本当になんとなくだけれど、神さまに近い感じがした。
ヒィリカが神さまを呼び出すためにうたっていた、あの早口讃美歌を聞いたときと似ている気がする。
「マクァヌゥゼの感覚を覚えたら、膜の中にいらしてくださいね。こちらでイョキの言葉をお伝えします」
四つ灯の魔法を使うのは、十歳になってから。そのため、課題の合否は実物のラッドレに似せた、特別な魔道具で判定するらしい。薄くて丸い金属板に四つの魔法石がはめられていて、自分の出身地に対応するそれが光れば良いという。
さっそく、教師に囲まれた光の膜の中へ入る。
教えられた言葉に、わたしはさらにもう一度固まった。
同時に、なるほど、と思う。
口の中で何度かその言葉を転がし、身体に馴染ませる。マクァヌゥゼのあの変なざわつく感覚を、この言葉に込める。きっと、できる。
目の前の魔道具を見つめながら、わたしはその言葉を、四つ灯の魔法のイョキを、口にした。
――シェツチィス・スツティッテ・ヒッフェホヒャ・ミミェヌネメ。
起床から昼食までのこの時間が、心安らぐ唯一の時間と言っても良いだろう。
ヴウゥゥ――……
しかし、楽しい時間はとても短い。聞き慣れた唸る音に、わたしは鍵盤に乗せていた手を正面の装飾にかざした。しゅるりと黒い魔法石になったアクゥギをフラルネにはめる。
ひらり、ひらり。
誰も見ていなくとも、自然にさばいたツスギエ布が舞う。今日は薄灰色と橙色だ。
寮を出て、共用棟の入り口でカフィナと待ち合わせ、食堂に入った。毎日同じ流れ。昼食をとれば、講義の時間がやってくる。
十二の月の課題は四つ灯の魔法だ。これも略式魔法――イョキで日常的に使う魔法だという。はじめに、この講義の主任であるウェファが説明をしてくれる。
「ご存じの通り、四つ灯の魔法は、各土地の神殿にあるラッドレに魔力を溜めるための魔法です。年が明けて十歳になれば、みなさまも一日に四回、魔力を溜めることになります。マカベの重要な役割ですから、今月のうちにできるようにならなければいけませんよ」
そういえば、入舎の儀でも、彼女は四つ灯の魔法はマカベの義務だと言っていたか。……一日に四回。魔力を、神殿に溜める――。
わたしはマカベの儀が終わったあとのことを思い出す。
夕暮れ時。ヴウゥゥ……と神殿の木が唸り、大人たちがなにかを呟いていた。
よく聞き取れなかったあの言葉は四つ灯の魔法のイョキで、煌めく光の粒――魔力を溜めていたのだ。
日の出の朝灯、真昼の昼灯、日の入りの夕灯、真夜中の夜灯。
木が唸るたびに人びとはイョキを唱える。
そうして溜められた魔力は、神殿にいるサアレによって土地のために使われるらしい。土地の序列はここで残った魔力の量で決まるので、サアレの采配が重要なのだという。
「……カフィナ様。サアレ、というのは、どなたかご存じですか?」
わからないことがあるとき、わたしは隣のカフィナに小声で訊く。彼女に頼りすぎている気がしないわけでもないが、少なくとも表面上は、にこやかに答えてくれるのだから仕方ない。
今回も、カフィナはふわりと微笑んで、同じように小声で説明してくれる。
「神殿をまとめているかたですよ。将来はクスト――ええと、クストというのは神殿の木立の者です。マカベの木立の者はレイン様のお父様ですから、同じですね。サアレのあいだは土地を、そしてクストになってからは、マクニオス全体を支えてくださるのです」
「……もしかして、マカベの儀にもいらっしゃいました?」
「えぇ。ジオ・サアレはとても華やかでいらっしゃいますから、遠目にもよくわかりましたよね」
クスクスと笑う彼女の横で、わたしはこっそり息を吐く。
忘れもしない、あの金色のマントをなびかせる華やかすぎる男性。眩しすぎる笑顔。
そんなジオ・サアレに目をつけられたら、と想像して、わたしはぶるりと身体を震わせた。……絶対に嫌だ。頑張って四つ灯の魔法を習得して、しっかりマカベの勤めをはたすこととしよう。
ところで、ウェファは魔力を神殿のラッドレに溜めると言っていたが、ふと、ついこの前ラッドレという単語を耳にしたな、と思った。
わたしがそれを思い出す前に、離れた席から質問が上がる。
「私たちが身に着けている耳飾りも、ラッドレですよね? 同じものなのですか?」
そうだった。ラッドレ、琥珀色の魔法石がはめられた耳飾り。
デジトアはこれを「漏れた魔力を吸収してくれる」と言っていたので、確かに魔力を溜めるという点では同じように思える。
その質問に、ウェファは少し困ったように右手を頬に当てながら微笑んだ。
「厳密には、この耳飾りはテテ・ラッドレと言います。魔法ではなく、魔術の魔道具ですから。魔術については、みなさまが中級生になったらお教えします」
……魔術。魔法とは違うのか。
いけない。わからないことが多すぎて頭が破裂しそうだ。
ひとまず魔術のことは忘れることにしよう。中級生ということは二年後で、それまでわたしがマクニオスにいるかも不明なのだから。
四つ灯の魔法のマクァヌゥゼ、その楽譜が配られると、子供たちがざわりと戸惑いの声を上げた。
わたしも楽譜を開く。
一枚目の記譜用紙を見て固まり、二枚目の歌詞を見てもう一度固まった。
随分と尖った曲だ。前衛的というか……まぁ、楽しそうではあるけれど。マクニオスでははじめて目にする形式の曲だと思う。
そしてびっしりと紙を埋めつくすように書かれた、わけのわからない言葉の羅列――ではなく、歌詞。
ものすごく難しそうだったが、しかし、実際に演奏してみるとフェリユーリャのときと比べて魔力の動く感覚を覚えるのは簡単であった。変な拍子やうたいにくい歌詞のためか、魔力の動きが特徴的でわかりやすいのだ。
そしてこの感覚が、なんとなく、本当になんとなくだけれど、神さまに近い感じがした。
ヒィリカが神さまを呼び出すためにうたっていた、あの早口讃美歌を聞いたときと似ている気がする。
「マクァヌゥゼの感覚を覚えたら、膜の中にいらしてくださいね。こちらでイョキの言葉をお伝えします」
四つ灯の魔法を使うのは、十歳になってから。そのため、課題の合否は実物のラッドレに似せた、特別な魔道具で判定するらしい。薄くて丸い金属板に四つの魔法石がはめられていて、自分の出身地に対応するそれが光れば良いという。
さっそく、教師に囲まれた光の膜の中へ入る。
教えられた言葉に、わたしはさらにもう一度固まった。
同時に、なるほど、と思う。
口の中で何度かその言葉を転がし、身体に馴染ませる。マクァヌゥゼのあの変なざわつく感覚を、この言葉に込める。きっと、できる。
目の前の魔道具を見つめながら、わたしはその言葉を、四つ灯の魔法のイョキを、口にした。
――シェツチィス・スツティッテ・ヒッフェホヒャ・ミミェヌネメ。
0
あなたにおすすめの小説
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。
雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。
その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。
*相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる