灯る透明の染色方法

ナナシマイ

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第二章 魔女の髪飾り

2−3 人形の館と欲のかたち

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 そのワンピースは、秋晴れの空に古い紙切れを溶かしたような、褪せた薄青色だ。金と藍の糸で薔薇の刺繍がされており、よほどの魔法が込められたものか、とろりと幻想的な質感をした金属の花をあちこちに咲かせている。
 袖や裾から覗くたっぷりのフリルと、琥珀に妖精の羽を箔押ししたような不思議な色合いのボタン。腰のリボンはワンピースの布地と同系色の天鵞絨で、太めに幅をとることで控えめな光沢が映えた。
 全体的に古風な意匠ではあるが、静かに凪いだ表情の持ち主による着こなしは完璧。さらに立っている場所が古く趣のある館の玄関ホールというのだから、なんとも粋であろう。
 そして膨らんだスカート部分を少しだけ持ち上げて伴侶の膝を凝視しているのは戦火の聖人である。
 当然だが、新しい趣味の扉を開いてしまったわけではない。
「これは、どうなっているんだ?」
「幻覚の魔法を敷いているのです。わたし自身の感覚も欺いていますから、誰もがこうだと認識しているという意味ではむしろこちらが現実なのかもしれません」
「……頭が痛いな」
 ルフカレドの視線の先にあるリヴェレークの膝は、とうてい生き物のそれではなかった。可動する金属製の金具で太腿とふくらはぎの部分が接合されており、明らかに間接部分で部品として分かれている。
 視線を顔に戻せば青色の瞳は光を孕んで透き通り、しかしぞっとするほどの深みはない。かろうじて生き物に見えるだけの、命を感じさせない温度感でそこにあった。
 いつもは溶け込むように魔女の髪を飾る星の欠片が今ばかりは鮮烈に輝いており、彼女自身に魔女らしい気配は皆無だ。
「とにかく、今のわたしは自分で動けません。ですから……その、よろしくお願いします」
「…………ああ」
 珍しくリヴェレークが言いよどみ、ルフカレドは困惑の表情を隠しもしない。
 失礼、と声をかけてから、戦火の聖人は静謐の魔女のかたちをした人形・・を抱き上げた。

       *

 先日のレストランにて、噛み合わない会話を繰り広げるふたりに頭を抱えた明星黒竜たちは、最終的にもっと仲を深めてきなさいと投げることで問題を先送りにした。
 仲の深めかたなど知るはずもなく顔を見合わせると、まずはお互いを知るために普段出かける場所を紹介してみたらいいんじゃないと付け加えられる。そうして静謐の魔女は、影渡りでいつもの書庫へ戻った際、少しだけ思案の顔を見せてから伴侶にこう問うたのだ。
「ルフカレドは、どれくらいのあいだ、わたしを持ち運ぶことができますか?」
「……ん?」
「聖人は竜よりも力がないでしょう? 長時間の運搬作業には適していないと思うのですが」
 それが聖人の普通なのか、戦に連なる者としての矜持なのか、はたまた男としての見栄なのかは、本人にすらわからない。しかし魔女の唐突な質問に、いや、と聖人の口が開く。
「君ひとりくらいなら、数日は抱えていられるだろうな」
 その言葉にほろりと表情を綻ばせた瞬間の嫌な予感は、ある意味正しかったのだろう。
「では、わたしがあなたを連れて行く場所は決まりですね。人形の館が登場する物語、その書の迷い路へ行きましょう」

       *

 実際には魔法を駆使すれば移動もできるのだが、それを風情がないと一蹴するのが物語の世界を余すことなく堪能したい静謐の魔女なのである。恐縮しつつもはしゃいでいることが伝わる声色に、戦火の聖人はそっと息を吐いた。
「これがあの眠りオルゴール……!」
 歓喜に満ちた声が、いつも以上に無機質な顔から聞こえてくるのは少々不気味であるが、この物語そのものに危険な要素はないらしい。書の迷い路へ落とされる――落ちる前、「これは迷い路まで含めてひとつの物語として成り立っているのです」と言っていたリヴェレークの自慢げなようすを思い出す。
 書の迷い路であることに変わりはない。つまり、ある程度の魔法を持っていることを前提としたうえで判断された危険度の低さなのだ。が、最後のページに施された仕掛けをどことなく嬉しそうに動かす魔女にそのような指摘ができるはずもなく。
(明星黒竜たちには、リヴェレークを危険な場所へ連れて行かないよう釘を刺されたばかりなんだがな)

 レストランでの邂逅から数日後、ルフカレドはリヴェレークの友人である明星黒竜にふたたび呼び出され、身勝手な婚姻を結んだからには必ず幸せにしなさいと仰せつかった。
 静謐の魔女は彼らを穏やかな友人と評したが、そのときのふたりは激情を湛えた星そのもので、季節を代表する明星としての威厳に満ちた瞳は記憶の縁にこびりついたまま。やはりあれは星なのだと思わずにはいられない苛烈さであった。
 ――些細な幸せすら取り零してきたあの子が、最近になってようやく自然な微笑みを見せてくれるようになったの。彼女の幸せを崩すような真似をしたら、絶対に許さないわ。
 ――積極的に理を歪めるつもりはないが、手段がないわけでもないからな。
 戦火と関係ないところでは逆らいようもない相手にそう言われ、さらにリヴェレークの危険な趣味までルフカレドにどうにかさせようとするのだ。いくら一方的に結んだ婚姻とはいえ、代償が大きすぎるのではと思わないでもない。
(だが、またあの戦火を見られるなら)
 静かに、しかしどこまでも深くすべてを飲み込む火。
 あの厳かな崩壊は、よかった。

「……ルド、聞いていますか?」
「っああ、なんだ?」
「眠くはありませんか?」
「いや……ああ、悪い。考えごとをしていただけなんだ」
「そういう意味ではありません。今、寝たいとは思いませんか?」
 何度か書の迷い路へ同行したことで、リヴェレークがルフカレドの不注意を咎めることはないと知っている。
 だが、ただでさえ思考の読みにくい彼女は今、わずかな感情さえも拾えないような人形の顔をしているのだ。なんとか周囲にあるものから文脈を読み取ろうとしたルフカレドの視界に入ってきたのは、人形が先ほど喜びに震えるような声で口にしたものであった。
「オルゴール? まさかな……そうなのか…………」
 いかにもわけありといった雰囲気で出窓に置かれているオルゴールに目を止めれば、抱き上げた人形からは期待に思わず溢れたといったため息の音が聞こえてくる。
 彼女のその喜びようとは裏腹にこのオルゴールがなんと呼ばれていたかを思い出せば、不安は募るばかりではないか。
「オルゴールの音色の描写がとにかく秀逸で、いつか聞いてみたいと思っていました」
「……そうか」
「けれどもこのオルゴールは、その名の通り眠りを誘発するもの。魔女とはいえ、生身の身体ではオルゴールの持つ強い法則に立ち向かえないでしょう」
「もはや隠す気もないんだな…………」
「ようやく来られたのですから、最初から最後まで楽しみたいと思うのも当然だと思いませんか? …………もしかして、実はあなたもこの物語が好き――」
「それはない」
 そういうわけで、ルフカレドは人形になった伴侶に願われるまま、手回しオルゴールを巻き、蓋を開いてやったのであった。

 硬質なのに甘やかな音は、ふわり、ふわりと余韻を舞い散らした。音に合わせて香箱の中を小さな人形がくるくると行ったり来たりする。
 花びらを象ったように揺蕩う旋律。
 オルゴールと並び出窓に腰掛けた伴侶が、微動だにせずその音色に耳を傾けている。切り取り、絵画に閉じ込めたくなるほどの物懐かしさを喚び起こす光景。褪せた薄青色のワンピースに咲く刺繍の花がとろりと光を増した気がして。
 膨らみ続ける共鳴は美しく恐ろしい夢のよう。
 こんなにもやわらかい金属音は知らない――そう思う頃には、ルフカレドは意識を手放していた。

       *

「今日はわたしのわがままにたくさん付き合ってもらいましたね」
 身体の感覚が戻っていることを確かめるようにもぞもぞと動くリヴェレークが、気遣うような色を乗せた瞳をルフカレドへ向ける。
 眠りオルゴールに始まり、欲望の鏡、香草人形のサシェ、永久からくりの間――。
 書の迷い路での時間の流れかたは場所によってまちまちで、あの人形の館の中ではほとんど時間が動かないらしい。それをいいことに、この魔女は物語に出てくるあらゆる仕掛けを試したがったのだ。
「自覚はあったのか……」
「わたしをなんだと思っているのでしょう」
 すっと目を細める魔女の気配はもう底知れない強大な力をもつ者のそれで、しかしこうして見てみれば彼女の表情は意外とよく動くのだと、聖人は気づく。考えてみれば当然のことで、限定的とはいえ強烈な印象のある友人と趣味を持つ彼女が、ただの無であるはずがないのだ。
 自身の失言をごまかすように、口の端を持ち上げながら話を戻す。
「まあ、対価はきっちりもらうからな、そう気にしなくていい」
「人間みたいなことを言うのですね。物語に出てくる魔術師と言いかたがそっくりです」
「対価を要求するのはもともと聖人の習慣なんだ。願われ、守ることを一方的に押し付けられるのは癪だからな。それを魔術と相性がいいからと妖精たちが利用し始めたんだろう」
 ルフカレドの説明にこくりと頷いたリヴェレーク。その神妙な面持ちは、現実と、これまでに蓄えてきた知識とをゆっくり馴染ませているようにも見えた。
(この魔女は、こうしてあらゆるものを飲み込んできたんだろう)
 すでに長い時を生きてきたルフカレドでさえも気の遠くなるほどの時間を過ごしてきたのだ。リヴェレークの友曰く、古の時代の静謐の魔女は、ただ世界の沈殿物のように影をさすらい続ける意思の希薄な存在であったらしい。
 書物が誕生し、さまざまな物語の世界を追うようになるまでは。
 それでも静謐であり続けなくてはならない彼女の孤独は、明星黒竜にも計り知れないのだという。たとえば嘲りの意味で書庫の番人と呼ばれる魔女の真実が、膨大な知識を友人のレストランや書の迷い路でばかり役立たせているだけであったというように。
 鮮やかなコントラストでなされた線引きを、思い出す。
「――トーン・クァッレたちに、無茶を言われたでしょう」
 そしてその鋭利なほどの知性は、ルフカレドの理解にも容易く切り込んでくる。
 不思議な、不思議な線引きだ。この魔女の領域がどのようなかたちをしているのか、わからない。
「…………知っていたんだな」
「わたしは、わたしを大事にしてくれる彼らの、愚かな友人ではいたくないのです。知らぬうちに守られるのではなく、せめてその優しさを丁寧に受け取りたいのです。……そしてできることなら、わたしも、大事な友人の願いは叶えたい」
 水底の影を切り取ったような、ぞっとするほどに深い青色の瞳。そこにちりちりと強い色が混じるのを、ルフカレドはただ呆然と見ていた。
(とんでもないものを引き当ててしまったのかもしれない、か)
 闇のようにも光のようにも見える、不思議な青。
 なにもない静謐の影。そこから多くのものを見つめてきたであろう彼女の深さは、友に対する情であり、また好きなものに対する欲でもあり。
 ひとつ。わかることがあるとしたら。
「……それが、君自身の幸せというわけだ」
 頷きながら緩めた唇が笑みを形づくっていることを、はたして魔女自身が気づいているのか否か。
 穏やかな微笑みは青びた星明かりのようにも見える。
 そうであっても、どこまでも、どこまでも、静かな揺らぎなのであった。
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