異世界風聞録

焼魚圭

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第二幕 時渡りの石

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 眩しい太陽の輝きに波の面、照り返しが揺れて美しくきらめいていた。
「さて、何かできることは……なにもできることはないかな」
 海に行っても出来ることと言えば金のかからない散歩や砂遊びくらいなものだった。
「じゃ、ちょっと歩こうか」
 そう言って幹人の手を取って歩き出す。その仕草に大人らしさを感じて思わず顔をそむけてしまう。
「どうしたのかい? もしや恥ずかしい?」
 全くもってその通り、そんな言葉も出なかった。空から注がれる強い光は眩しくて、魔女の顔に影を差して隠しながらも露わにする。海の音、潮の香り、鳥の鳴き声。なにもかもが絵のようで幹人だけがこの世界の外側にいるようで、仲間外れにされたような疎外感、距離の開きと間に挟まる壁のようなズレを感じていた。
「幹人は嬉しくないのかい?」
 そんなズレも魔女の言葉で消え去ったように思えて不思議な感覚だった。

 異世界から来た異物が異物でなくなってしまう。

 それがどれだけ難しいことであってもリリとならできそうな気がしていた。
 手を引かれて砂浜に足を踏み入れる。海を眺めて一緒にこれまでのことを、一緒に過ごしてきた日々のことを語り合う。ほとんどが一緒にいたことで互いに見ていた同じものを違ったものとして語っていることで幹人はまたしても異物なのだと確かめる。
 きっとずっと一緒、そんな甘い話をこの海のように広げるのは手のかかることであろう。それでもやって見せたい、そう思ってこの海に想いを乗せてひとり誓いを立てていた。

 海に流す想いは形もなくて誰も拾い上げはしないであろう。

 分かっていても、それでもリリに拾って欲しくて。隣りにいるにも関わらず、この想いのさざ波にも気が付いてはくれなくて。
 次にリリが口を開いて発した言葉にただ微笑むだけだった。
「お腹空いた」
 幹人もつられるように空腹を感じ始め、少し遅めの昼ごはんに入ることに決めた。
 港の方では魚を売っていた。少しの間幹人を待たせてリリが買ってきたコッペパンを感謝の想いを言葉にしながら手に取って、魚の並んだ台を日差しから守るように張られたテントを見つめていた。
「いらっしゃい、坊ちゃんとお姉ちゃん」
 男の豪快な声が届くとともにリリは男を睨みつけていた。
「お姉ちゃんじゃない、幹人の彼女さ」
 日差しは熱く、空気は熱く、リリの言葉が差し込んできた幹人の心も熱くなって、身の内側からも熱さが滲んできていた。
「かかかか……彼女!? リリ姉、は、恥ずかしいって」
 どもってうまく言葉にならない。そうした心の動きもまた大切な思い出のひとつになるのだろう。
「ほう、ぼうやもやるじゃねえか……リリ? どこかのうわさで聞いたことあるような」
 幹人は笑って言った。
「気のせいですよ。記憶って案外曖昧なものですから」
 男から急いで魚の塩焼きを買ってパンにはさんでひと口かじる。
 広がる魚の香りは幹人が知っている物よりも強く、初めはあまり美味しいと思えなかったが、慣れてしまえばそういった味なのだと受け入れることができた。
 一方でリリは曇りも不満も何一つない快晴の笑顔を晴れ空の下で見せていた。
「ええ、とても美味しいわ、初めて食べたけどもいいものだね」
 こっちの世界に来たら絶品の焼き魚、余計な口は閉じて代わりの言葉に取り換えた。
「美味しいね、確かに」
 受け入れた舌で味わう強い香りは濃く強く記憶に刻まれて食べた後の余韻は強く残されていた。
「さあて、気分転換もして美味しいご飯も食べたことだし宿の方を探したいものだね」
「そのことだけどさ」
 幹人の話に耳を傾けて浮ついた元気な波を立てる心は落ち着き冷静になっていた。探してももう宿など見つからない、そう言われて納得していた。
「じゃあどうするべきか……分からないなあこの都は」
 もはや残された選択肢など限られていた。
「安全な野宿の場所を探すしかないのかな」
 そう言って探し始める野宿の場所。あまりにも惨めな状況に苦しみを感じざるを得なかった。
 旅の味はどこまでも苦く感じる。悲劇の波は穏やかで生ぬるい風が吹くようなそんな冒険のはずなのに、状況が気持ち悪い塩梅でのしかかってくる。
 思考を振り払って近いはずなのに遠く感じられる王都立図書館を見つめてため息をついた午後三時半過ぎ。幹人は目をこすり図書館の最も上の階層外壁に収まる大きな時計を眺めて思わず言葉を洩らした。
「時計、あるんだ」
 リリは一瞬首を傾げるも妖しい笑みを浮かべながら言った。
「太陽の光を受けて伸びた影で時間を知る術はとてつもなく深い歴史があるけども、この技術が完成したのはつい十年前くらい」
 つまり、この世界ではハイテクな機械だということだった。
「何を研究しているのか何も報告のない北の方の国が珍しく世界中にばらまいた技術なのさ」
 かつて自身の住まう時代を救うために未来から来たのだという勇者が必要に応じてまばらに知識を置いて行ってしまったせいで世界の文明の発展が滅茶苦茶になったとは言うが、頑張ったとは言えない程度でも日本の勉学に触れた幹人にはそれぞれの時代の狂い方がなんとなく理解できていた。しかしながら神秘と科学の融合という概念ばかりはイマイチ理解が及ばないでいた。
 時間が分かるようになった幹人の心境の波は心地よいものとなっていた。
 それから二時間もの間、宿を探したものの時間が過ぎるばかりでなにひとつ成果は上がらなかった。時間が分かってしまったからこそ幹人の心をこの無駄の重さが容赦なく押しつぶしにかかっていた。
「結局、時間だけが過ぎてく」
 その言葉を受けてリリは訊ねた。
「時間ねえ、幹人は時計があるって知ってから時間にこだわりすぎていないかい?」
 幹人は思い出していた、元の世界での感覚を。
「ごめんなさい、前いたとこではほとんど時間を見ながらの行動だったから」
「そっか、まるで数字の書かれた文字盤が神様みたいな世界なんだね」
 そう呟いて幹人の目を細い手で覆う。
「今は考えないで、私と世界だけを見ていて、そう、目の前にいる私のことを」
 導かれるように視線はリリの方へと向けられてゆく。あまりにも自然に当たり前のように見てしまって見事に恥ずかしさを覚えて、目をそらした。
「カワイイねキミは」
「またそうやってからかって……」
 街では店をたたむ人々がしっかりと動いていた。仕事はみな終えて店を仕舞って帰り始めていた。
 流れる人の波は一定の方向を向いていて、それがまた都市の性格を作っているよう。
「みんな帰ってくのさ、どうやら時計を持つと人々は時間に縛られてしまうみたいだね」
 必要なのですけど。あえて言わずにただ頷いた。
 人の流れの中に全く異なる動きをする点をふたつばかり見つけた。
「まさか」
「そうだね、なにかあるかもね」
 いても立ってもいられずに、ふたりは異なる動きを追いかけ始めた。
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