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始まり
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木造のカフェの中、優雅なジャズがその音色で部屋を満たす。談笑する若い男女はカップルであろうか。イスに座り、甘いカフェオレを飲みながら甘い話を吐き出していた。
客はそれだけでなかった。コーヒーを飲みながらパソコンと向かい合うスーツ姿の女性はとても整った顔立ちをしていた。しかし、その女性はマナーと言うものを知らないのだろうか。口に燃える棒を咥え、煙を吐き出していた。
それを見兼ねてある男は注意する。
「人前で甘いトークを展開するのもいい、パソコンと睨めっこして忙しなく触り続けるのもいいだろう。だが、ここに湯気以外の煙は持ち込まないでくれ」
その言葉を浴びせられても尚反省の色のひとつも見せない女に対して加えて言葉を浴びせる。
「どうしても吸いたいのなら、動かなくなった廃工場にでも行って代わりに煙を吐き出しに行ってろ」
美女は舌打ちして気だるそうにポケットから灰皿を取り出し、まだ火を点けてさほど吸われてもいないタバコを押し付けこう言った。
「イヤな男ね。そんなアナタに忠告してあげる。不思議な存在に巻き込まれるわ。それもこの世のモノでは無い存在に。あの子と同じ、宿命を背負わされる眼をしているもの」
男は言った。
「イヤな男も何もここは禁煙だぞ。それも守れない程に頭ユルユルなのか?で、宿命を背負わされたソイツはどうなったんだ?」
「今じゃ立派な魔法使いよ。でもこれからきっと様々な困難に巻き込まれるわ」
男は美女を睨み付ける。先程のあまりにも現実離れした言葉に正気を疑った。
「妄言まで吐き始めたか。さっきの、本当にタバコか?」
「えぇ、モチロン、タバコよ。吸ってみる?」
そう言って美女はタバコを1本取り出し男に差し出す。
「禁煙だぞ?それとも吸わせることで注意する権利を奪うつもりか?」
美女は舌打ちして内側から押し上げられた胸ポケットにタバコを仕舞う。
「本当にイヤな男」
パソコンはたたまれた。やがて美女は立ち上がる。そして去り際に振り返り言った。
「精々気を付けなさい」
男はただ美女を睨み続け、静かに言ノ葉を吐く。
「この世に女心よりも不思議なものなんて無いだろうよ」
そしてただ一人残された男は美女の座っていたイスに腰掛けた。
「客は一人しか残らず、か。俺が消えたその時が店員の安心の時だな。客をもてなすのがこういう店の仕事、来なけりゃ潰れるのに人が居なくなって喜ぶとは……いつか潰れるぞ」
男の顔には苦労の滲み出た皺が刻み込まれ、髪にもところどころ白髪が混じっていた。年季を感じさせる乾いた手でカップをつかみ、苦いコーヒーを啜った。
✡
高校を卒業後、大学へ入学するも留年で中退、幾度もの転職を目にも止まらぬ速さで繰り返し、大して給与の高いわけでも無い清掃職へごみの掃き溜めに追いやられるかのように転職し、6年もの歳月を経た。
それが男の現状である。転がる石に苔は生えない、そう言うがまさにその通り。この男に積もったものなどこれと言ってあるわけでもなく、感じられる年季は転がり続けたが故の傷だろうか。
男は年季だけを感じさせるその体を友人宅へと向かわせていた。友人はオカルティストであり、美女の言った事について何かしらの事実を知っているかも知れない。もしかすると美女の言葉を打ち消してくれるかも知れない。そう信じて。そして男は友人宅、古びたアパートのベルを鳴らす。
空は明るい闇に覆われて輝く星は分厚い雲に隠されていた。ドアは錆び付いた音を立てながら開く。出てきたのはやせ細り、目の下に分厚いくまをたたえた男。
「なんだ、満明か、何の用だ?」
満明は言った。
「久し振りだな、浩一郎。国民の飼い主共が俺たち家畜から巻き上げた税金でぶくぶく太る一方でお前はまた痩せたな」
浩一郎はやつれた顔を歪め、やせ細った声を絞り出す。
「お前の方もな。お陰さんで最近は新しい道具が買えやしない、もう知りもしない。しかし満明、お前また老けたな」
皺はますます深くなる。
「苦労してんだ。今となってはカフェインが常備薬なんて有り様だ。それより聞いてくれ。さっきの女がカフェで変な事を言ったんだ」
洒落たカフェで起こった出来事に不思議な会話まで全て話してしまった。一から十までの全てを。
やつれた男は言った。
「そいつはお前の大好きな状況じゃないか。何せ、オカルトの領分に関わるような事を言われて否定したのに骨の髄までオカルトに染まった俺に持ち掛けたんだ。遠ざかりたいのに自分から近付いて行くなんてな」
言われてみればそうだ。満明は頭を抱えた。浩一郎は優しい声をかける。
「だが大丈夫だ。これ以上その女に、運命ってやつに関わらなくていい方法を教えてやるよ」
浩一郎は満明のコートのポケットに何かを忍ばせる。満明は重みを感じた。殺意の重みを。そしてそれを手に取り確認する。黒光りするそれは人を殺す存在だった。
「法律違反だ」
「かつて〈国の犬共の作った文字列などに従う必要は無い〉何て言って車で暴れ回っていたのは誰だ?その頃に戻ればいいだけだろ」
満明は浩一郎を睨み付けた。
「お前の頭には本を読んだ記憶しか詰まってないのか?あれで事故を起こして免許も政府の飼い犬に没収されただろう」
あの時無事でいられたのは奇跡としか言えなかった。
「あぁそうだったな。あとあの時助かったのは……〈俺が魔法を使った〉からだ。あとお前が会ったその女は〈俺にとっても迷惑〉だ。きっとその内〈ここまで嗅ぎ付けて来る〉だろう。そうなるより前に〈さぁ、やれ〉これは……〈命令〉だ」
満明はなぜだかその言葉に逆らう気が全く起きなかった。
「クライアント鹿屋 浩一郎から金出 満明への依頼だ。金ははずむ。ターゲットの魔導士の女を殺害せよ」
「あいよ、やればいいのだろう?」
それだけ残して満明は浩一郎宅を後にする。古びたアパートの群れは眠りに行く人々を収容する監獄のように見えた。
客はそれだけでなかった。コーヒーを飲みながらパソコンと向かい合うスーツ姿の女性はとても整った顔立ちをしていた。しかし、その女性はマナーと言うものを知らないのだろうか。口に燃える棒を咥え、煙を吐き出していた。
それを見兼ねてある男は注意する。
「人前で甘いトークを展開するのもいい、パソコンと睨めっこして忙しなく触り続けるのもいいだろう。だが、ここに湯気以外の煙は持ち込まないでくれ」
その言葉を浴びせられても尚反省の色のひとつも見せない女に対して加えて言葉を浴びせる。
「どうしても吸いたいのなら、動かなくなった廃工場にでも行って代わりに煙を吐き出しに行ってろ」
美女は舌打ちして気だるそうにポケットから灰皿を取り出し、まだ火を点けてさほど吸われてもいないタバコを押し付けこう言った。
「イヤな男ね。そんなアナタに忠告してあげる。不思議な存在に巻き込まれるわ。それもこの世のモノでは無い存在に。あの子と同じ、宿命を背負わされる眼をしているもの」
男は言った。
「イヤな男も何もここは禁煙だぞ。それも守れない程に頭ユルユルなのか?で、宿命を背負わされたソイツはどうなったんだ?」
「今じゃ立派な魔法使いよ。でもこれからきっと様々な困難に巻き込まれるわ」
男は美女を睨み付ける。先程のあまりにも現実離れした言葉に正気を疑った。
「妄言まで吐き始めたか。さっきの、本当にタバコか?」
「えぇ、モチロン、タバコよ。吸ってみる?」
そう言って美女はタバコを1本取り出し男に差し出す。
「禁煙だぞ?それとも吸わせることで注意する権利を奪うつもりか?」
美女は舌打ちして内側から押し上げられた胸ポケットにタバコを仕舞う。
「本当にイヤな男」
パソコンはたたまれた。やがて美女は立ち上がる。そして去り際に振り返り言った。
「精々気を付けなさい」
男はただ美女を睨み続け、静かに言ノ葉を吐く。
「この世に女心よりも不思議なものなんて無いだろうよ」
そしてただ一人残された男は美女の座っていたイスに腰掛けた。
「客は一人しか残らず、か。俺が消えたその時が店員の安心の時だな。客をもてなすのがこういう店の仕事、来なけりゃ潰れるのに人が居なくなって喜ぶとは……いつか潰れるぞ」
男の顔には苦労の滲み出た皺が刻み込まれ、髪にもところどころ白髪が混じっていた。年季を感じさせる乾いた手でカップをつかみ、苦いコーヒーを啜った。
✡
高校を卒業後、大学へ入学するも留年で中退、幾度もの転職を目にも止まらぬ速さで繰り返し、大して給与の高いわけでも無い清掃職へごみの掃き溜めに追いやられるかのように転職し、6年もの歳月を経た。
それが男の現状である。転がる石に苔は生えない、そう言うがまさにその通り。この男に積もったものなどこれと言ってあるわけでもなく、感じられる年季は転がり続けたが故の傷だろうか。
男は年季だけを感じさせるその体を友人宅へと向かわせていた。友人はオカルティストであり、美女の言った事について何かしらの事実を知っているかも知れない。もしかすると美女の言葉を打ち消してくれるかも知れない。そう信じて。そして男は友人宅、古びたアパートのベルを鳴らす。
空は明るい闇に覆われて輝く星は分厚い雲に隠されていた。ドアは錆び付いた音を立てながら開く。出てきたのはやせ細り、目の下に分厚いくまをたたえた男。
「なんだ、満明か、何の用だ?」
満明は言った。
「久し振りだな、浩一郎。国民の飼い主共が俺たち家畜から巻き上げた税金でぶくぶく太る一方でお前はまた痩せたな」
浩一郎はやつれた顔を歪め、やせ細った声を絞り出す。
「お前の方もな。お陰さんで最近は新しい道具が買えやしない、もう知りもしない。しかし満明、お前また老けたな」
皺はますます深くなる。
「苦労してんだ。今となってはカフェインが常備薬なんて有り様だ。それより聞いてくれ。さっきの女がカフェで変な事を言ったんだ」
洒落たカフェで起こった出来事に不思議な会話まで全て話してしまった。一から十までの全てを。
やつれた男は言った。
「そいつはお前の大好きな状況じゃないか。何せ、オカルトの領分に関わるような事を言われて否定したのに骨の髄までオカルトに染まった俺に持ち掛けたんだ。遠ざかりたいのに自分から近付いて行くなんてな」
言われてみればそうだ。満明は頭を抱えた。浩一郎は優しい声をかける。
「だが大丈夫だ。これ以上その女に、運命ってやつに関わらなくていい方法を教えてやるよ」
浩一郎は満明のコートのポケットに何かを忍ばせる。満明は重みを感じた。殺意の重みを。そしてそれを手に取り確認する。黒光りするそれは人を殺す存在だった。
「法律違反だ」
「かつて〈国の犬共の作った文字列などに従う必要は無い〉何て言って車で暴れ回っていたのは誰だ?その頃に戻ればいいだけだろ」
満明は浩一郎を睨み付けた。
「お前の頭には本を読んだ記憶しか詰まってないのか?あれで事故を起こして免許も政府の飼い犬に没収されただろう」
あの時無事でいられたのは奇跡としか言えなかった。
「あぁそうだったな。あとあの時助かったのは……〈俺が魔法を使った〉からだ。あとお前が会ったその女は〈俺にとっても迷惑〉だ。きっとその内〈ここまで嗅ぎ付けて来る〉だろう。そうなるより前に〈さぁ、やれ〉これは……〈命令〉だ」
満明はなぜだかその言葉に逆らう気が全く起きなかった。
「クライアント鹿屋 浩一郎から金出 満明への依頼だ。金ははずむ。ターゲットの魔導士の女を殺害せよ」
「あいよ、やればいいのだろう?」
それだけ残して満明は浩一郎宅を後にする。古びたアパートの群れは眠りに行く人々を収容する監獄のように見えた。
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