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カフェでのひととき
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明るかった空もやがて朱く染まり、闇が迫りつつある頃、満明は清掃の仕事を終えて例のカフェへと足を運ぶ。昨日もそのようにして例の女性に会った。今日もそうとは限らないがやらない事には手掛かりすら掴めない。運命の糸に吊り下げられて操られているかのように受動的に同じ事を繰り返す。
ドリップコーヒーを頼み、木でできた茶色、自然そのものを感じさせる建物の味わいを確かめる。そして室内を見渡す。カプチーノを飲みながら甘い話を繰り広げるカップルがいた。そして窓際の席、そこにノートパソコンと向かい合って文字を打ち込み続ける顔の整った女がいた。胸には鋭い白銀の光を放つペンが昨日とは異なる存在感を放っていた。満明は美女に言った。
「今日はタバコ、吸わないんだな」
美女はコーヒーを啜り、満明を流し見る。
「不思議で不気味なセカイへようこそ。もう巻き込まれたのは分かるわ。あと、タバコはアナタが言ったんじゃない」
あぁ、そうだな。そう相槌を打つ。
「それからアナタの名前を教えて」
「金手 満明だ」
「それが本名?」
「勿論だ」
満明に嘘を付く理由など何一つとしてありはしなかった。美女は手帳をスーツのポケットから取り出した。
「本当にアナタはこのセカイでは素人なのね」
美女は席を立つ。
「普通、どこの魔法使いかすら分からないような人には」
先程までカプチーノを飲み甘い話をしていたカップルは首を後ろに曲げる形で満明をにらんでいた。
「本名は名乗らないものよ」
カップルはそのままの体勢で、顔だけ後ろを見た状態で歩き、近付いてゆく。
「みつあき!かなて……みつあき……」
美女は手帳を開いた。
「悪魔の宿命の幕開けよ……満明はそこにいて!」
カップルはもう人の姿をしてはいなかった。コウモリのような翼の生えたブタと血のように紅く華やかなバラに身を包んだカエル。醜悪な姿へと変わり果てていた。カエルはバラの花を見事に着こなしていた。ブタが目にも止まらぬ速さで飛びついて来た。ブタならぬ飛距離は翼を持ってこその所業であろう。
「食らわせてやるわ」
その一言の後、ブタの豊満な腹には氷柱が刺さっていた。ブタは闇と化し消え去って行く。
カエルがゲコゲコと汚い声で泣き続ける。その不快な声は次第に大きくなっていく。そして膨らみゆくカエルの姿を目の当たりにしながら満明は身動き1つ取れず、現在の現実、現状を受け止め切れずにいた。
充分に膨らんだカエルは飛びついてくる。美女は手帳を素早くめくり、何かを呟いた。手帳は一瞬冷気を感じさせる輝きを放つ。女の手元にはいつの間にか氷の剣が握られていた。その剣でカエルを斬り付けるも、カエルには傷一つ付いていなかった。
「逃げるよ」
そして美女は、「もうダメだ」「何がどうなっているんだ」と喚く満明の手を引き出口へと走る。美女の表情から余裕の笑みは消えていた。ドアを開けようとするもわずかな動きさえも見せる事はなく、叩き続けてもただただ静寂を守っていた。
「くっ、開かない」
再び手帳を開き、いくつもの呪文を立て続けに打ち出すもまるで効いていないようでカエルは表情一つ変えない。
「どうするんだ!もう助からない!!」
目の前の状況について行けずにただ慌てて焦りを叫ぶ満明、飛び跳ね花を打ち出し始めたカエル、咄嗟に氷の壁を張り防ぎ続ける女、壊れた机と床に飛び散った木片。日常などとうに壊し尽くされそこにあるのは男がかつて否定した魔法使いたちの不思議なセカイだった。カエルの放つ花が無くなったその時、女はふと、満明の手に黒い液体の入った濁った白いカップが握られているのを目にした。
「ごめんなさい、それ貰うわ」
そう言ってカップを奪い取り、
「喰らいな!上質なコーヒーよ!!」
そう叫んで放つ花も飾る華も残されていないカエルめがけて投げつけた。カエルは右手それを振り払う。白くて固いモノは割れ、黒い液体も振れた、と思いきや、黒い液体はカエルの右手にまとわりついたままカエルの右手を封じ込めたままに氷と化していた。
「どう?私の心よりも遥かに冷たいコーヒーのお味は」
カエルは凍り付いた腕で机を必死に殴りつけ、黒い氷を少しずつ砕いて行く。その隙を逃すまいと女は走り出す。そしてカエルの身体を踏み付けてその手に握られた氷の剣で押し潰すように頭を叩き、脳天を貫いた。カエルは満明の混乱をも奪い去る悲鳴を上げ、闇のように黒く変色し、漆黒の石と化して砕け、消失した。
少しずつ冷静さを取り戻してきた満明はそれでもまだ落ち着きも無く女の肩を掴み激しく揺さぶり、捲し立てるように言った。
「この状況は何なんだ!マスターは無事なのか!ここから出られるのか!」
一度に多くを訊ねられた女は言う。
「まずは落ち着いて」
しかし満明は問い続ける。
「なぁ、俺たちは助かるのか?お前は何者なんだ?そもそもお前の名前は?」
「おちついて!!」
女は声を無理矢理張り上げた。そしていつもの落ち着いた低く大人しい声で言う。
「まずは私の名ね」
そう言って2秒もの空白、沈黙を経て発せられたその名前、
「ヴァレンシア・ウェスト、〈西の魔導士〉よ」
形の良い唇を動かして発せられたその名は明らかな偽名だった!
「国籍から訊いて良いかジャパニーズ!俺もだがお前も日本人だろ!」
「本名はまだ名乗らないの。さっき言ったでしょ?このカフェ、実は悪魔の巣窟なの。何度か起こっている失踪事件の正体だったりしたものの、まさか解決しようって時にアナタが来るなんて」
女は満明を睨む。
「そんな時に来るなんて……本当に宿命ね」
「す、すまない」
満明にはお得意の言葉を返す余裕すら残されておらず、脂汗を滲ませていた。
「で、最後にマスターの事だけど……私たちは彼を助けるんじゃないの」
氷の剣を背にやる。その刹那、衝撃と殺意が共に交差し合った。
「殺すの。さっきの客2名と従業員3名の……全員を」
背の剣で受け止めていた凶器を弾く。その凶器は命を刈り取る死神の鎌、死神は兜を被り、細長い体にそこから生えた針の如き6本の脚、腕に抱えられているのは一挺の鎌、全て総てが老い緑に染まりしその姿はまるでカマキリのよう。
「カマキリのくせに鎌を一挺しか持たないなんてなり損ないだな、アナタ流に言わせればこうかしら。それだけの事が言える余裕がなければ宿命に勝つ事は出来ないわ」
カマキリは羽ばたき猛進する。殺意の光を漲らせた一撃を両手で持った剣で受け止める。しかし、女の身体は抵抗する力を失った。気が付いた時には地に立つ感触を失っていた。横に薙ぎ払われていた。そのまま木の柱に叩き付けられる。女は手帳を取り出し、血反吐混じりに言った。
「これは……マズいわ。宿命とか……言ってる場合じゃない!まず私が危ない!」
ポケットに仕舞われていた手帳は二度輝きを放つ。女の傷は消え去り、痛みさえもが過去のものとなる。もう一度、強い光を放ち、やがて女の気配が変わった。
満明はただ眺めている事、それだけしか出来ず、しかもその状況の意味を見透す事など到底出来ないままでいる。
「ここから本気よ」
走り出した女。右手には剣、左手には手帳、先程は両手で握り本気の抵抗を以てしても体ごと飛ばされた女は、その女の表情は、自信に満ち溢れていた。その自信の一撃をカマキリは殺意の表れで受け止める。2つの刃は交わり、弾かれた。
「ヴァレンシアちゃんと同じ事をするわ」
手帳が冷気を感じさせる輝きを放つ。女はそれを上へ、上へ、上がるよう投げ上げ、再びカマキリに刃を、殺意を形にする。
再び交わる刃と刃。
しかし、老い緑の悪魔の殺意は途切れた。カマキリの背中には氷の剣が突き立っていた。満明は見ていた。手帳より氷の剣が放たれる瞬間を。
上昇する力を失い、その身に任せて自由落下する手帳を女は咥えて跳躍した。カマキリに刺さった剣の隣に手に握られた剣を刺しもう片方の手で刺さりっ放しの剣を持ち、両腕を広げる形で 開き引き裂いた。それは一瞬の出来事、一度の瞬きでも許してしまえば見逃していたであろう神の業の如き速さで行われた攻撃だった。左手の剣を地に突き刺し咥えていた手帳をコートのポケットに仕舞ったその時だった。
「ヴァレンシア!」
そう叫んで満明は銃の引き金を引く。女のすぐ後ろ、そこで緑色の液体を流しながら何かが落ちた。それは、槍を持った黄色と黒の身体の存在、まるで蜂のようだった。
「ありがとう。頼れるツラになって来たじゃない。鉄輪 真昼、それが私の本名よ」
蜂は一匹では無かった。大量に現れ空間を支配していく。満明は拳銃で撃ち抜いては弾を補填する。真昼は両手に握る剣を目にも止まらぬ速さで振り回す。満明には力の発する風の音しか視えなかった。
辺りを見回し続けていた真昼であったがやがて、
「ここね」
そう言って天井を引き裂く。そこから落ちて来たのは非常に女性らしい起伏に富んだ身体を持つ蜂。地に着いたその瞬間、真昼はすかさず剣で貫いた。
「どれだけ胸があれども脂肪如きじゃ私の殺意は防ぎ切れないわ」
蜂は霧散し、この世より消え去った。
「あとはマスターね。きっと恐ろしい姿よ。さっきから気持ち悪い姿ばかりで!」
「まったく、可愛げの無い女だったな」
真昼は満明を睨み付けた。
「お前の事じゃない、俺はキレイな女には優しいのでな」
「うるさい!もう少しデリカシーってものを身に付けてみたら?」
「そんなものとっくに失った。あれは消耗品さ、時と共に経年劣化で薄れて消えて行くものだろう」
疲れのあまり真昼の思考は既に冷静で無くなっていた。かつてはカウンターだった壊れた台に飛び乗り言った。
「きっとこの向こうにいるわ。狭い所かも知れないから戦いにくいかも」
そして飛び降りドアを斬り裂く。そのドアは素直に崩壊し、道は開かれた。
「行くわ」
開かれた道を、己で拓いた途を進み行く。人2人通るのがやっとの狭い厨房、その奥に佇む異形は身体の後ろが膨らみそこから生えた細い8本の脚、そして何処を見ているのか、何が視えているのかも見通せない感情を感じさせない8の眼を持つ毛むくじゃらの悪魔だった。
「何だ?古い建物に住むのは虫だらけってか?」
「満明、舐めてかかったらすぐに殺されるわ」
悪魔は口から糸を吐き、天井近くの棚の戸を引き千切り放り投げる。それを引き裂き走る真昼。満明はその蜘蛛に鋭い眼光を向ける。
「口から糸を出すなんてな。じゃあどこで物を喰うんだろうな。尻か?」
真昼は蜘蛛を両断したが、中から同じ存在が現れた。何度も何度も、幾度と無く引き裂くもその度に全ては振り出しに戻る。そんな連撃などもう見飽きたのか蜘蛛は脚を真昼に突き刺しにかかる。途端、真昼は跳躍し、左手に握る氷の剣を投げた。
「突き刺されるのはあなたの方よ」
勢い良く蜘蛛に襲いかかりそのまま刺さった剣。開いた場より再び蜘蛛が現れようとしていた。その時、真昼の左手には開かれた手帳が在った。手帳は涼やかな輝きを放ち、氷柱の雨を降らせる。10、100、200、蜘蛛の姿はどうなったがは分からないが兎にも角にも撃ち続け、討ち続けた。
やがて、真昼の足は地を捉える。
「これで終われば良いのだけれど」
しかし、その願望はいとも容易く崩れ去った。蜘蛛の死骸、その背中より純白の糸が襲い来る。狙いは手帳だった。
真昼は慌てて糸を剣で振り払う。しかし、糸は剣に斬り伏せられる事は無く、剣に巻き付き引っ張っていく。真昼は慌てて手を離すもそのタイミングはあまりにも遅過ぎた。軽い身体は狭い壁に勢い良く叩き付けられる。咳き込む真昼、強烈な痛みが走り動く事すら出来ずにただ蜘蛛を睨み付ける。蜘蛛は真昼をその目で捉えた。
「その魔力、そこにいるな…何度も味わった攻撃だ。分かるぞ」
真昼の元へと近付いて行く蜘蛛、その蜘蛛にマグカップを投げつけた者がいた。
「邪魔者めっ!貴様から喰らってやろう!!」
蜘蛛が振り向いたその時、蜘蛛の額には包丁が突き立っていた。
「ここでは軽食も出すんだってな。お前がなれよ」
額は裂け、そこからまたしても蜘蛛が現れた。
「〈此処にある物〉で殺せると思うな」
突撃する蜘蛛、素早く、速く、風のように接近する。それに対してナイフを構えていた。迫る蜘蛛の頭にナイフを突き立てた。
「ムダだムダだ!!」
例によって大きな裂け目となる。
「出たら撃って!撃つの!!」
慌てて満明は銃をコートのポケットから取り出し構える。そこには既に蜘蛛がいた。
早く、速く、夙く、疾く。
焦燥に駆られ、考えるよりも、感じるよりも、何よりも遥かに疾く、引き金を引く。引き金を引かれた事で叩きつけられた弾丸は勢い良く外の世界へと飛び出し、異形の者へとその力を叩き込む。
「魔力が……無い!」
脳天を撃ち抜かれた蜘蛛はそこに喰らうべき魔力を用意しようとする事もそれは叶う事無く穢れた身を塵へと化しながら散らして、深淵の果てへと消失した。
満明は脂汗を浮かべ、肩で息をしながら、力を失ったかのように地にへたり込んだ。
この2人こそがこのカフェが迎え入れた最後の客の姿だった。
ドリップコーヒーを頼み、木でできた茶色、自然そのものを感じさせる建物の味わいを確かめる。そして室内を見渡す。カプチーノを飲みながら甘い話を繰り広げるカップルがいた。そして窓際の席、そこにノートパソコンと向かい合って文字を打ち込み続ける顔の整った女がいた。胸には鋭い白銀の光を放つペンが昨日とは異なる存在感を放っていた。満明は美女に言った。
「今日はタバコ、吸わないんだな」
美女はコーヒーを啜り、満明を流し見る。
「不思議で不気味なセカイへようこそ。もう巻き込まれたのは分かるわ。あと、タバコはアナタが言ったんじゃない」
あぁ、そうだな。そう相槌を打つ。
「それからアナタの名前を教えて」
「金手 満明だ」
「それが本名?」
「勿論だ」
満明に嘘を付く理由など何一つとしてありはしなかった。美女は手帳をスーツのポケットから取り出した。
「本当にアナタはこのセカイでは素人なのね」
美女は席を立つ。
「普通、どこの魔法使いかすら分からないような人には」
先程までカプチーノを飲み甘い話をしていたカップルは首を後ろに曲げる形で満明をにらんでいた。
「本名は名乗らないものよ」
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「みつあき!かなて……みつあき……」
美女は手帳を開いた。
「悪魔の宿命の幕開けよ……満明はそこにいて!」
カップルはもう人の姿をしてはいなかった。コウモリのような翼の生えたブタと血のように紅く華やかなバラに身を包んだカエル。醜悪な姿へと変わり果てていた。カエルはバラの花を見事に着こなしていた。ブタが目にも止まらぬ速さで飛びついて来た。ブタならぬ飛距離は翼を持ってこその所業であろう。
「食らわせてやるわ」
その一言の後、ブタの豊満な腹には氷柱が刺さっていた。ブタは闇と化し消え去って行く。
カエルがゲコゲコと汚い声で泣き続ける。その不快な声は次第に大きくなっていく。そして膨らみゆくカエルの姿を目の当たりにしながら満明は身動き1つ取れず、現在の現実、現状を受け止め切れずにいた。
充分に膨らんだカエルは飛びついてくる。美女は手帳を素早くめくり、何かを呟いた。手帳は一瞬冷気を感じさせる輝きを放つ。女の手元にはいつの間にか氷の剣が握られていた。その剣でカエルを斬り付けるも、カエルには傷一つ付いていなかった。
「逃げるよ」
そして美女は、「もうダメだ」「何がどうなっているんだ」と喚く満明の手を引き出口へと走る。美女の表情から余裕の笑みは消えていた。ドアを開けようとするもわずかな動きさえも見せる事はなく、叩き続けてもただただ静寂を守っていた。
「くっ、開かない」
再び手帳を開き、いくつもの呪文を立て続けに打ち出すもまるで効いていないようでカエルは表情一つ変えない。
「どうするんだ!もう助からない!!」
目の前の状況について行けずにただ慌てて焦りを叫ぶ満明、飛び跳ね花を打ち出し始めたカエル、咄嗟に氷の壁を張り防ぎ続ける女、壊れた机と床に飛び散った木片。日常などとうに壊し尽くされそこにあるのは男がかつて否定した魔法使いたちの不思議なセカイだった。カエルの放つ花が無くなったその時、女はふと、満明の手に黒い液体の入った濁った白いカップが握られているのを目にした。
「ごめんなさい、それ貰うわ」
そう言ってカップを奪い取り、
「喰らいな!上質なコーヒーよ!!」
そう叫んで放つ花も飾る華も残されていないカエルめがけて投げつけた。カエルは右手それを振り払う。白くて固いモノは割れ、黒い液体も振れた、と思いきや、黒い液体はカエルの右手にまとわりついたままカエルの右手を封じ込めたままに氷と化していた。
「どう?私の心よりも遥かに冷たいコーヒーのお味は」
カエルは凍り付いた腕で机を必死に殴りつけ、黒い氷を少しずつ砕いて行く。その隙を逃すまいと女は走り出す。そしてカエルの身体を踏み付けてその手に握られた氷の剣で押し潰すように頭を叩き、脳天を貫いた。カエルは満明の混乱をも奪い去る悲鳴を上げ、闇のように黒く変色し、漆黒の石と化して砕け、消失した。
少しずつ冷静さを取り戻してきた満明はそれでもまだ落ち着きも無く女の肩を掴み激しく揺さぶり、捲し立てるように言った。
「この状況は何なんだ!マスターは無事なのか!ここから出られるのか!」
一度に多くを訊ねられた女は言う。
「まずは落ち着いて」
しかし満明は問い続ける。
「なぁ、俺たちは助かるのか?お前は何者なんだ?そもそもお前の名前は?」
「おちついて!!」
女は声を無理矢理張り上げた。そしていつもの落ち着いた低く大人しい声で言う。
「まずは私の名ね」
そう言って2秒もの空白、沈黙を経て発せられたその名前、
「ヴァレンシア・ウェスト、〈西の魔導士〉よ」
形の良い唇を動かして発せられたその名は明らかな偽名だった!
「国籍から訊いて良いかジャパニーズ!俺もだがお前も日本人だろ!」
「本名はまだ名乗らないの。さっき言ったでしょ?このカフェ、実は悪魔の巣窟なの。何度か起こっている失踪事件の正体だったりしたものの、まさか解決しようって時にアナタが来るなんて」
女は満明を睨む。
「そんな時に来るなんて……本当に宿命ね」
「す、すまない」
満明にはお得意の言葉を返す余裕すら残されておらず、脂汗を滲ませていた。
「で、最後にマスターの事だけど……私たちは彼を助けるんじゃないの」
氷の剣を背にやる。その刹那、衝撃と殺意が共に交差し合った。
「殺すの。さっきの客2名と従業員3名の……全員を」
背の剣で受け止めていた凶器を弾く。その凶器は命を刈り取る死神の鎌、死神は兜を被り、細長い体にそこから生えた針の如き6本の脚、腕に抱えられているのは一挺の鎌、全て総てが老い緑に染まりしその姿はまるでカマキリのよう。
「カマキリのくせに鎌を一挺しか持たないなんてなり損ないだな、アナタ流に言わせればこうかしら。それだけの事が言える余裕がなければ宿命に勝つ事は出来ないわ」
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満明はただ眺めている事、それだけしか出来ず、しかもその状況の意味を見透す事など到底出来ないままでいる。
「ここから本気よ」
走り出した女。右手には剣、左手には手帳、先程は両手で握り本気の抵抗を以てしても体ごと飛ばされた女は、その女の表情は、自信に満ち溢れていた。その自信の一撃をカマキリは殺意の表れで受け止める。2つの刃は交わり、弾かれた。
「ヴァレンシアちゃんと同じ事をするわ」
手帳が冷気を感じさせる輝きを放つ。女はそれを上へ、上へ、上がるよう投げ上げ、再びカマキリに刃を、殺意を形にする。
再び交わる刃と刃。
しかし、老い緑の悪魔の殺意は途切れた。カマキリの背中には氷の剣が突き立っていた。満明は見ていた。手帳より氷の剣が放たれる瞬間を。
上昇する力を失い、その身に任せて自由落下する手帳を女は咥えて跳躍した。カマキリに刺さった剣の隣に手に握られた剣を刺しもう片方の手で刺さりっ放しの剣を持ち、両腕を広げる形で 開き引き裂いた。それは一瞬の出来事、一度の瞬きでも許してしまえば見逃していたであろう神の業の如き速さで行われた攻撃だった。左手の剣を地に突き刺し咥えていた手帳をコートのポケットに仕舞ったその時だった。
「ヴァレンシア!」
そう叫んで満明は銃の引き金を引く。女のすぐ後ろ、そこで緑色の液体を流しながら何かが落ちた。それは、槍を持った黄色と黒の身体の存在、まるで蜂のようだった。
「ありがとう。頼れるツラになって来たじゃない。鉄輪 真昼、それが私の本名よ」
蜂は一匹では無かった。大量に現れ空間を支配していく。満明は拳銃で撃ち抜いては弾を補填する。真昼は両手に握る剣を目にも止まらぬ速さで振り回す。満明には力の発する風の音しか視えなかった。
辺りを見回し続けていた真昼であったがやがて、
「ここね」
そう言って天井を引き裂く。そこから落ちて来たのは非常に女性らしい起伏に富んだ身体を持つ蜂。地に着いたその瞬間、真昼はすかさず剣で貫いた。
「どれだけ胸があれども脂肪如きじゃ私の殺意は防ぎ切れないわ」
蜂は霧散し、この世より消え去った。
「あとはマスターね。きっと恐ろしい姿よ。さっきから気持ち悪い姿ばかりで!」
「まったく、可愛げの無い女だったな」
真昼は満明を睨み付けた。
「お前の事じゃない、俺はキレイな女には優しいのでな」
「うるさい!もう少しデリカシーってものを身に付けてみたら?」
「そんなものとっくに失った。あれは消耗品さ、時と共に経年劣化で薄れて消えて行くものだろう」
疲れのあまり真昼の思考は既に冷静で無くなっていた。かつてはカウンターだった壊れた台に飛び乗り言った。
「きっとこの向こうにいるわ。狭い所かも知れないから戦いにくいかも」
そして飛び降りドアを斬り裂く。そのドアは素直に崩壊し、道は開かれた。
「行くわ」
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「何だ?古い建物に住むのは虫だらけってか?」
「満明、舐めてかかったらすぐに殺されるわ」
悪魔は口から糸を吐き、天井近くの棚の戸を引き千切り放り投げる。それを引き裂き走る真昼。満明はその蜘蛛に鋭い眼光を向ける。
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「突き刺されるのはあなたの方よ」
勢い良く蜘蛛に襲いかかりそのまま刺さった剣。開いた場より再び蜘蛛が現れようとしていた。その時、真昼の左手には開かれた手帳が在った。手帳は涼やかな輝きを放ち、氷柱の雨を降らせる。10、100、200、蜘蛛の姿はどうなったがは分からないが兎にも角にも撃ち続け、討ち続けた。
やがて、真昼の足は地を捉える。
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しかし、その願望はいとも容易く崩れ去った。蜘蛛の死骸、その背中より純白の糸が襲い来る。狙いは手帳だった。
真昼は慌てて糸を剣で振り払う。しかし、糸は剣に斬り伏せられる事は無く、剣に巻き付き引っ張っていく。真昼は慌てて手を離すもそのタイミングはあまりにも遅過ぎた。軽い身体は狭い壁に勢い良く叩き付けられる。咳き込む真昼、強烈な痛みが走り動く事すら出来ずにただ蜘蛛を睨み付ける。蜘蛛は真昼をその目で捉えた。
「その魔力、そこにいるな…何度も味わった攻撃だ。分かるぞ」
真昼の元へと近付いて行く蜘蛛、その蜘蛛にマグカップを投げつけた者がいた。
「邪魔者めっ!貴様から喰らってやろう!!」
蜘蛛が振り向いたその時、蜘蛛の額には包丁が突き立っていた。
「ここでは軽食も出すんだってな。お前がなれよ」
額は裂け、そこからまたしても蜘蛛が現れた。
「〈此処にある物〉で殺せると思うな」
突撃する蜘蛛、素早く、速く、風のように接近する。それに対してナイフを構えていた。迫る蜘蛛の頭にナイフを突き立てた。
「ムダだムダだ!!」
例によって大きな裂け目となる。
「出たら撃って!撃つの!!」
慌てて満明は銃をコートのポケットから取り出し構える。そこには既に蜘蛛がいた。
早く、速く、夙く、疾く。
焦燥に駆られ、考えるよりも、感じるよりも、何よりも遥かに疾く、引き金を引く。引き金を引かれた事で叩きつけられた弾丸は勢い良く外の世界へと飛び出し、異形の者へとその力を叩き込む。
「魔力が……無い!」
脳天を撃ち抜かれた蜘蛛はそこに喰らうべき魔力を用意しようとする事もそれは叶う事無く穢れた身を塵へと化しながら散らして、深淵の果てへと消失した。
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これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
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セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
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