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天の使い

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 学校とは一体何を教えるために在るのだろう。シスは悩んでいた。果たして何を教わっているのだろう。勉学に関してのみでないという事は既に分かり切っていた。当然のことだった。
 では、他に何を学んでいるのだというのだろう。人との関わり方や社会での生き方。そうしたことも学校で学べることのひとつだと教師は偉そうに述べているものの、シスの目前で繰り広げられている光景はとてもそうしたことを学んでいる姿とは思えなかった。男たちが繰り広げる絡み合いはテレビ番組のプロレスリングにでも影響されたものだろうか。ごっこ遊び、じゃれ合い。シスの目にはあまりにも馬鹿馬鹿しいものとして映って仕方がなかった。
 仮にランスとしてならば混ざり合うことが叶うものだろうか。
 そこまで考えてすぐさま首を左右に振って否定してみせた。心情に身体が追いつかない。身体能力はむしろ彼らよりも上だろう。余裕の一ひねりという言葉を栄光と共に頂戴することも楽なものだろう。
 しかしながら、身体的特徴が許してはくれない。
 身体を密着させてはさらしを巻いて誤魔化しを利かせているあのふくらみが、潰しきれない胸が当たってすぐさま女だと知られてしまうだろう。
 無双の為に背負う怪我は致命傷。一撃死は免れなかった。
――はあ、見苦しい、暑苦しい
 目立って仕方がない、そう、別の方向に目を逸らしたところでそちらでも同じような戦いが繰り広げられていた。
 双方で似たようなむさ苦しい声を上げながら暴れ狂う様は完全に小学生の心を持った大人のよう。
――怠い
 気分を変えようにも女と話すのもまた違った気がした。そう、あの種族の話題など何ひとつ知らない。シスの家にはテレビも無ければ情報を得る媒体もない。買い物も最低限の物だけに留め、唯一広く感じられる食料もまた、語る程に突き詰めているわけでなくただ旬の物を買っていればいい方だった。
――あそこの話は異界も同然
 そんな彼女にも言葉をかけてくれる男がいた。
「今日も怠そうな目をしてるな、シス」
 男の名は渡利。いつか鳥にでもなって飛んで行ってしまいそうな名前だと勝手に思い込んでいた。
「何か」
 無感情な瞳、曇り切った感情を纏ったシスの目だったもののその奥に揺らめく光でも見つけたものだろうか。渡利は微笑みながらシスの顔を覗き込む。
「私の顔、そんな面白い?」
「別に。こう見えてもどこか嬉しそうなんだよなってね」
「こう見えてもは余計」
 不要なひと言を押し退けてシスはただ渡利を見つめるだけ。
「女の子たちとも話さないよね」
 渡利にはどのように映っているものだろう。この男のでさえもがシスを暗い女を見る目で捉えている、そう考えるだけで感情の揺らぎがほつれた糸を引っ張っていた。
「渡利はそれ言うな」
 必要以上に心苦しくなる。何故だろう、どうしてだろう。恋でも愛でもない、友情と呼ぶにも乏しいはずの感情が渡利という男が唱える湿っぽい印象を跳ね除けようと懸命に足掻いていた。
「そっか、シスにとっては大切な人なんだな、よかった」
 どのような勘違いを抱いたのだろう。分からない、この男と向き合うことで不明なことが増えていく。人間誰しもが一筋縄ではいかない、そう実感させられた。
「友だちでも仲間でも、シスにとっての大切が知り合い程度でもいいんだ。少しでも多く一緒に居られたら」
「わけ分かんないな」
 複雑に絡み合った糸が織り成す意図なのだろうか、それともひたすらに単純なのだろうか。渡利の微笑みの裏に潜む感情は全くもって読み解く事を許さない。
 そんな彼が話題を取り換えて語る事はどうやらシスというよりはランスが聞くべきことのようだった。
「そう言えばの話なんだけどさ、最近学校で俺に話しかけて来る奴いるんだよな。姿はないのにどこからか語りかけて来て」
 渡利の口から教えられたこと。どうやらそれは渡利の前世を自覚するように促して来るのだという。
「前世って何だろう。俺には全く分からない。けどさあ、シスがもっと身近に感じられるってさ」
 それならば知りたい、それが彼の本音だろう。その程度の思考は既に見え切っていた。
「怪しい、胡散臭い。そんなの耳貸すな」
「そいつが自分は天使とか言っててさ」
 そこでシスは振り返り、目を見開いた。
「天使……だと」
「そうそう、シスも天使とか言ってて、信じられないけど何か納得だよな」
 渡利は勝手に納得していた。シスはその目に鋭い闘志を宿していた。燃えることも揺らぐこともない、影に充ちた想い、天の意思に対する反逆の意志を宿したくらい瞳だった。

 それから時は流れ、昼休み。渡利が聞いたという渡り廊下へと向かう。きっとここで戦うことは間違いないだろう。学校からあの陰気な男に届けられた依頼の紙に目を通す。渡り廊下で聞こえる声。たまに同じように声を聴く生徒がいてしかしながらそれらの生徒にはこれと言った共通点はないのだという。
 怪しさ満点の出来事に立ち向かう服を、あのセーラー服とマントを身に着け歩き出す。髪は纏め上げられて激しい動きにもなに故か耐えられる灰色を思わせる銀髪のかつらを被せて代わりと言うべきだろうか、心に被せていた蓋は取り払って怜の渡り廊下へと向かった。
 日差しの当たるところ、眩しき輝きが射し込むガラス越しの木の床で、昨日と同じあの姿を目にした。
「別の世界でも別の天使が渡り廊下で重要人物と出会ったらしい。朕は思うのだ。渡り廊下で出会うことに特別な感情の流れと言うものを」
 シスには理解の及ばないことだった。一部の男子が路地裏や学校の地下室、夜の神社と言ったものに憧れるようなものなのだろうか。天使は渡り廊下に一種の薄暗い憧れでも持っているものだろうか。
「そんな顔をするな。朕にはなあ、お前を、シスを天使に戻すとかいうクソったれたミッションが与えられてんだ。俺らはミッション系の天使とは別物だバカヤロウ」
「下らないな、ダジャレならもっと堂々と言いたまえ。でなきゃ笑いも出なきゃ印象にも悪い写りしかしないぞ」
 仮に天使に戻った場合、これからどのような考えを持ってどのような動きをすることとなるのだろう。渡り廊下に憧れを持つことだけはやめて欲しい、そう自分に言い聞かせつつそもそも天使と言う人類の敵側の立場に立ちたくもない、心の中に留めたそんな叫びがランスの頭に薄赤色の液となって充ちて行く。
「お前を戻すためにわざわざヒトとかいう汚物の感情を頭に入れてんだ、そのくらいのこと分かって早くこっち来い」
「分かりたくもないな、心すら無く意見すらなくただ天に仕えるだけのしもべの気持ちなど」
 もはやランスの中では考えが纏まり切っていて彼のような仮初の感情で塗り替えることなど叶わないだろう。
 シス、ランス・フレムストン、炎の石、炎の如き意志。彼女、彼が人類の味方をすることを阻止できるモノなど誰ひとりとしていなかった。
「クソが、これでもか」
 天使は指を鳴らす。それを合図に宙に垂れ下がるのは百もの妖。
「やれやれ。学校からのもうひとつの依頼、その元凶もまた貴様だったとは」
 ランスは目を閉じてある形を想像する。常にランスが武器として使ってきたもの、剣。この場には何ひとつ棒状の物がなく剣に変えられるものなどない。これから創造する、否、彼の心こそが剣そのものだった。
「なんだ……それは」
 目を開いた。気が付けばその手には大きな剣、石で出来た立派なソレが握られていた。
「石の剣、このセカイで扱うのは初めてだっただろうか。ふふっ、相棒。どこかの異界でも一度しか使えなくてすまなかったな」
 呟き謝る彼の頭の中には様々な記憶が駆け巡る。かつてある男の軽い提言によって始まった男装。似合いそうと言った理由だったものの、確かにその言葉の通り、辺りを歩いて見てもランスを超える美しき男はそう簡単には目にすることが出来なかった。そんな彼の、彼女の命としての終わりは里に下りてきたオオカミ。彼を救うことが出来なかった。
「ランスを、男も私も、救うことが出来なかったんだ」
 それからのこと、救うことも叶わなかった、ただの犠牲者は天の導きによって救われた。
 次に降り立った異界では幼く見える男子高校生を利用して他の天使同様に世界を破滅へと導こうとしていた。
 それは叶わず、寧ろ幼く可愛らしい外見には見合わない心の強さで新たなる世界線を創り上げてしまうと言った有り様だった。
 それに巻き込まれて飲み込まれることで今ここに立っていた。
「つまりこの世界は私に敗北を教えた場所、人であることを教えてくれた場所」
 大切な世界を守るために石の剣を鋼の意志と共に、奴らになど屈してくれてたまるかなどと大きな想いを持って振り下ろす。
 その一撃は圧の風と共に炎を運び、妖全てを輝きで葬り去る。何ひとつ残さない、彼の陽気は最も煌めく一撃だった。
「なんと恐ろしい、それを仕舞え、世界が滅ぶぞ」
 嘘、大ウソ。心の中に意見を塗り付けるものの、実際の所の判断が付かない。もしかすると、万一の事。天使もまた生きていたいから怯えて事実を零した可能性。
 決意が揺らいでしまいそうなその時、これまで一人として現れなかった通行人が現れた。そう思っていたものの、ただの通行人などではに事を今この場この瞬間で思い知らされた。
「シス、ここにいたんだ、探したよ」
「なぜここに」
 ランスが思わず叫んでしまう程の驚愕。渡利がここまで駆けつけてきたという紛れもない事実。
「いきなりシスのこと、前世のことを思い出して駆けつけてきたんだ」
「まさかあなた」
 きっと渡利こそがランスの来世。シスが男装した時に名乗る文字の並びはもっとも大切だったあの人と同じもの。
 渡利は天使を睨み付け、叫びを上げる。
「さっき世界が滅びるとか言ってたよな、シスがそんなことするわけないんだ。だって彼女は、世界が大好きな彼女のままだから」
 根拠などない、ただ言っているだけに過ぎない。シスの姿では今の世はあまりにも生きづらい。
 そう思っていても尚、シスの頭を彼の言葉が熱い想いとなって過ぎる。
 確かに間違いなどなく、彼女はこの世界を愛している。愛する世界を守るための戦いがこれまでの道筋、まごうことなき愛のカタチだった。
 ランスは鋭い笑みを浮かべて渡利に一瞬だけ瞳の輝きをみせた後、いつもの言葉を高らかに述べてみせた。
「安心しろ、私はあなたの味方だ」
「黙れ裏切り者め」
 ランスは石の剣を構え、炎を抑えてただの一撃に魂を込めるべく大きく息を吸っては吐いて心を落ち着ける。自然と、人工物と、自身と、剣。全ての呼吸を鼓動を命を合わせ、石の剣を天へと向ける。
「さあ決着だ、暖間 莉香」
「おいその名で呼ぶな空気ぶち壊すなぶち壊すのは朕が世界をだ」
 言の葉は跳ね除けられて、空気をも断ち切る勢いで石の剣は振り下ろされた。

 放課後のこと、ふたり並んで歩いていた。シスと渡利。特にこれと言って感情も関係も変わることないまま命尽きる時までひたすら横並びで人生という道を進み続けるのだろうか。
 シスにとってはそれでもよかった。下手に邪な感情が横入りしてくるより何倍もいい、そう思えた。
 やがて見えてきたいつもの分かれ道でまた明日と告げてそれぞれの家を目指し歩き続ける。きっとこれからもそうして進み続けることだろう。
 彼の感情の色を見る術も持たないまま。
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