変貌の薬

焼魚圭

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オマケ

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1

 校舎に忍び込んで送った甘い夜の中、里利は飛べない事に気が付いた。
「ダメだ!チスイコウモリは血を吸った後は重くて飛べないんだ!りりもきっと食後には飛べないんだよ」
 日は未だ昇らず、しかし、夜明けはそう遠くは無かった。暗闇は里利の不安を煽る。息を吸う度に闇をも吸い込んでいるようにも思える重たい感覚と焦燥感と呼ばれるそれは里利を冷静ではいられない存在へと仕立て上げた。
 幹人はそんな冷静さを失った里利の手を握る。柔らかな感触は幹人の感情の波に嵐のようなざわめきを巻き起こす。
 その表情を見て取った里利は目立たないその顔に似合わないイタズラな笑みを浮かべた。
「みきひとって実は純粋で子どもみたいなのね……可愛い」
「そ、そんな事言ってる場合じゃない!脱出するんだ!」
 そんなやり取りのお陰かその足は躊躇いや苦労の一つも無く出口へと向かう事が出来た。帰り道の途中、幹人はぽつりと「りり……可愛いなぁ」と呟いていたこの微かな声も里利の耳に、そして心にしっかりと届いていた。

2

〈夜が明けた後の朝〉

 里利は目を開けた。早々と化粧台の鏡を覗き込むとそこにあるのはいつも通りのあまり好感の持てない里利の顔。
ーもうちょっと可愛くなれたらなぁー
 正真正銘男女共に認める可愛い日菜への嫉妬心は高まっていくばかり。日菜や幹人は可愛いと言ってはくれるものの、その他の人物から褒められた事など唯の一度もありはしなかった。
ー幹人に可愛いって言ってもらえたし、コウモリになったから顔変わったかなって思っていたのにー
 鏡から顔を遠ざけ、手入れに苦労する髪が見えて鬱陶しかった。
 顔全体が見渡せるくらいに遠ざかった時、ふと頭の上に可愛らしい耳が生えている事に気が付いた。
「えっ?これって……コウモリの耳?」
 里利は人としての自分の耳があるはずの所に触れて、その存在を手で触れた感触と触れられたものそのものが教えてくれた。
「こっちはそのままなのね」
 化粧台の棚を開くとそこには多くの化粧品が並んでいた。ここは幹人の家、母が使っていた物はそのままにしてあったようだ。
ーこの手と耳じゃあどうせ外なんて出られないー
 そう思いつつも、里利は化粧を始めた。



 ドアの開く音が幹人の帰宅を知らせた。辺りは夕焼け小焼けで太陽は「さよなら、また明日」そう告げていた。
 学校から帰って来た幹人は里利を見て目を見開き顔を赤らめた。
「りり、えっ?りり?なんか色っぽい?」
「ふふっ、お化粧してみたの。可愛くなったでしょ?」
 見た目は完全に落ち着いた大人だった。特に秀でた所のあるような顔でも無かったおかげか低めの鼻以外は普通に美しく化けていた。
「えぇっと、可愛いよ」
「でも外に出られないのよねぇ。手から生えた翼の事だけど、骨が2本?翼を張るために生えてるみたいで隠す事も出来ないし……」
「じゃあ、誰も見ていない夜に一緒に出掛けよう」
 その提案に乗る事にした。
 夜まで空いた時間、里利は木製の古びた椅子に腰掛けて日菜の事を思い出す。高校時代に楽しくふざけていた事、大学時代には夜に二人で近くのコンビニまで酒を買いに行って家に戻って夜が明けるまで酒を空けた事、社会人になってたまに遊んだ事。
 もう、日菜と会う事は出来ない。それはもう分かってしまった事。
 里利は愛しい過去を脳裏に焼き付け、その時をいつまでも過ごしていたい気持ちを抑え込み、ただ今を見つめるだけ。
 ふと、一言だけ最後の本音が言葉となる。
「ヒナ……」
 幹人はそんな里利の事をただ側にいて見ている事しか出来なかった。



 月の輝きは夜の闇の中でこそ輝き、一部だけコウモリの姿を持つ里利は闇の中でこそ妖しさを増していた。
「もう、闇の中で生きていくしか無いのかな」
 如何に似合うと言えども、それが本人の望むものとも限らない。
 悲しむのは落ち着いて生きて行けるようになってから、その言葉はそのまま里利の心を刺し続けていた。想いは串刺しにされ続けていた。
 悲しみの想いは幹人にも伝わったようで、幹人は里利を抱き締める。
「ごめん、本当にごめん。やっぱり僕のせいだ」
 取り返しの付かない出来事、それが分かっていても人は悔やみ、悲しむ事をやめる事など出来なかった。それを生きている証にするしか無く、行き場の無い想いはあまりにも虚しく闇に響き続ける。
 里利は許しもしなければ、責める事も無く、ただ時間が想いを溶かしてくれる事を待つだけだった。

3

〈約半年後〉
 幹人の家に住まい始めてからの事。
 金は幹人に頼んで全て引き出してもらっていた。金があれども使う事が出来なければ特に意味も無く、ただ管理して幹人に少額手渡すだけだった。
 アパートや会社の事は親がどうにかしてくれているであろう。
 行方知れずで警察の捜査も入っているようで、今や引きこもり生活をする他なかった。コウモリの翼の生えた腕や耳を見せるわけにはいかなかった。
 この半年程で分かった事と言えば、喉から超音波を放ち物の位置を調べる事が出来る事と血は一ヶ月に一度程頂けば済む事、そして血を吸ってから次に血が欲しくなるまでは人間の食生活に戻れると言う事だった。あの時の肉が欲しいと思った感覚は正しく言えば肉を欲すると言うより血を求めるのだと自覚した里利には自身がコウモリというよりは吸血鬼のように思えていた。

 幹人の家にある酒が底を尽きようとしていた。それが無くなってしまえば里利は現実様の手によって禁酒を強要されるのだ。
 暗い部屋の中、カーテンは開けたままの窓の向こうに浮かぶ月に照らされて里利はグラスに酒を注ぐ。
「幹人、おいで」
 幹人は里利の元へと駆け寄る。
「血はまだだよね?」
 里利は幹人に手招きをする。
 頭にはてなを浮かべながらも幹人は里利に触れそうな程に近くへと近くへと近付いて行く。
 里利の柔らかな唇が幹人の口を塞ぐ。
 そして流れる夜闇の中の4秒間。それはあまりにも長く感じられた。二人はいつまでもそのままでいたかった。
 甘い口付けが終わると里利は酒を一口飲み、幹人の頭を細くて微かな柔らかさを持つ太ももに乗せる。
「お母さん以外の膝枕は初めて?どう?もっと体型がいい人が良かった?もっと可愛い子が良かった?」
 長らく一緒にいて幹人は分かっていた。里利は夜にはよく弱い部分を見せる事が。きっと自分に自信がないのだ。
「りりは可愛いよ」
 心からの言葉は酔った里利にも伝わったのか、安らかな笑顔を見せて、何時でも何処でもそうしてきたように幹人は魅せられる。
 そして夜が明けるまでのその時を二人で共に大切に過ごすのであった。
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