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断末魔の残り香(第一シリーズ)
夕立
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激しい雨が降り注ぎ、地面を叩いて無秩序な演奏を行なっている。空は大泣きしているようだ。
土砂降りの雨の中で傘も差さずに走る男がいた。友だちの春斗が入院して中々会えなかった六月と七月をくぐり抜け、ようやく退院した八月。これまでの寂しさが遂に溢れて涙となってしまったのだろうか。
そんな妄想を片隅で繰り広げながら秋男は明るい茶色に染まった髪を濡らし、叫びながら濡れている歩道を走り続ける。
「油断した、傘置いて来ちまった」
朝は晴れていた。それだけの理由で傘を置いて来ていた秋男。空は気まぐれ、特に夏の空は酷いもので人の事情など考えない自由人。秋男の油断はまさにその気まぐれに困らされていた。
張り付く髪の毛たちが鬱陶しい、服の中に籠もる熱が不愉快な響きを持ち込み喚いている。
秋男は走り続けていた。八月は毎日のように実家に帰り、食費を節約する毎日。今日もまさに地元の道路を渡っているところだった。
後ろへと過ぎ去って行く景色の中に屋根のついた木のベンチを見つけた。昔からそこに建てられていたものの、あの時は遊び場としか思っていなかった。
そんな思い出の場所に避難するように潜り込む。バイトをしている時には水は恵み、海に行った時には水着の女性が映える最高の場所、そう言って笑っていたものの今回ばかりは心の底から困っていた。いつも浮かべるようなおどけた表情がどうしても表に現れてくれなかった。ようやく雨に濡れずに済む場所を得られた秋男はため息をつきながら木のベンチに座る。
ふと隣を見るとそこにはセーラー服を着た少女が座っていた。短い髪と大きな瞳、右目の下の泣きぼくろ。秋男はその姿を見つめて一瞬固まる。それからすぐさま心の底から驚き、思わず大きな声で叫ぶ。
「立夏、どうしたんだこんなとこで」
立夏と呼ばれた少女はこの上なく明るい笑顔を咲かせて答えた。
「そうですよ、アキくん、立夏ですよ。こんなとこで雨宿りしてるんです」
大人しそうな声で答えた立夏の表情は底抜けに明るい。初めから元気のいい女だと思っていた秋男はある種の心地よさを得る。立夏は続けざまに訊ねた。
「アキくんは元気にしてますか。もしかして私の事お嫁さんにお迎えに来ていただけたりしますか」
「こんなずぶ濡れな姿でか。水も滴るいい男、なんつって」
冗談を交わし合えるような仲、秋男が中学三年生の時のバスケ部の後輩。この関係の切っ掛けはいつの日の事だったか立夏の方から話しかけてきたことだろう。
秋男が二回生の今、立夏は受験生。初めて会った時には秋男が高校受験に望む年だったため、あの日と反対の関係だと言えるだろうか。
「にしても三年ぶりだな」
「いえいえ私にとっては七年ぶりの気分です、アキくん」
あの頃と変わらない明るさとそれに似合わぬ大人しそうな声。この温度差が彼女の魅力なのだと秋男は心の底から断言していた。そんな魅力に満ち溢れた後輩の女子と久々に話す事が出来て嬉しい事この上なかった。
秋男はそんな立夏の顔から鞄へと視線を移す。肩紐の隙間に括り付けられた緑色のストラップに目を向ける。
「相変わらずカエル好きだなお前」
「大好きですよ。可愛いし癒されるし唐揚げにしたら美味しいし」
「食うのかよ」
立夏は笑っていた。太陽のように明るい笑顔がよく似合う立夏。秋男は癒しを与えてくれる立夏の制服姿を拝み、ニヤニヤとだらしのない笑みを見せつけつつも、胸元に輝く校章を見てここ最近で最も大きな驚きを得た。
「頭良いんだな、意外」
「こう見えても私、天からの才を与えられた美女ですから」
「天の災いの間違いだろ。マジでバカにしか見えねえのに凄いよな、立夏は」
その言葉を耳にした立夏から先程までの明るみが褪せて行く。嘘のように変わり果てた表情に見合った動きを取るように俯き呟いた。
「別に頭良くなくてもよかったのになぁ、アキくんが傍にいてくれれば」
寂しさが這いずり回っているのだろうか。その手を取ろうとした途端、立夏は言葉を更に引き摺り刻み付ける。
「守って欲しかった」
「守って欲しかったって、イジメにでも遭ったのか」
いじめを受けそうな子では無い、秋男はそう思っていた。一応は立夏と顔見知りである春斗の評価をなぞるならば明るい態度と少し変わった発言の数々から裏で愚痴の嵐を吹き荒らす原因になっていそうだと言っていたものの、今は首を左右に振る。
「それとは別ですよ、アキくん」
先程の暗い表情はどこへ消えた事やら、立夏はいやに明るい笑顔を咲かせていた。雨など初めから降っていないような、そんな錯覚を受けてしまっていた。
立夏の表情の変わり方に秋男は気まぐれな空と同じものを感じた。続いて空を見上げ、立夏の方へと明るい笑顔を浮かべながら再び顔を向ける。
「雨止んだな」
しかし、そこには誰もいなかった。秋男の言葉は空しい独り言に過ぎない様子だった。
☆
不思議な後輩と可笑しな会話をしていたはずがいつの間にか消えていたという不思議であり少しだけ不気味な体験をした日、あの懐かしい日の事を思い返す。
あの時から一年が経ち、秋男には小春という彼女がいた。立夏と付き合うだろうと予想していつまでも余裕を持て余して遠慮のない態度を取っていた秋男にとってはあまりにも大きな誤算。
小春の家に泊まった次の昼、秋男は小春に別れの挨拶を礼と共に贈り家を出ようとしたところ、小春に折りたたみ傘を持たされた。邪魔になるからいらない、そう言って断るものの、小春は引き下がる様子を一向に見せなかった。
「アキが風邪引いたらイヤだから」
そう言って引き続き手渡そうとする姿勢に負けて秋男の手に渡った。
秋男は照れながら歩いていた。雨を弾いて雫を乗せて飾る傘は白い身体に赤く細かく描かれた花模様。
「めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど」
明らかな女物のデザインを見せつけられて思わず呟いてしまっていた。華やかな傘はあまりにも目立ち過ぎる。
やがて去年も通ったあの歩道を渡る。あの屋根のあるベンチに目を向ける。そこから手を振るセーラー服を着た少女の明るい笑顔に見覚えがあった。
秋男は手を振る立夏に気が付いてベンチへと駆け寄った。去年と同じ日、去年と同じ時間、不自然な再会に違和感が過ぎるものの、笑顔を浮かべ同調するように挨拶を捧げた。
「よっ、一年振りだな、立夏」
立夏は顎に手を当てて二秒の空白を贅沢に使用した後、ようやく答えてみせた。
「お久しぶりですアキくん」
何故だかセーラー服を着ていた立夏を見つめて首を傾げる。
留年でもしたのだろうか、やはり天災じゃないか。
何だかんだ言ってレベルの高い学校は大変だな。
きっと次は上手くやれるさ。
様々な言葉が脳裏を掠めるものの、どれもこれもが立夏に向ける言葉には思えない。日頃から会話で選んでいた語句たちに恨みの目を向けつつどれでもない言葉をどうにかひねり出す。。
「元気してたか」
元気、そんなはずはない。去年の会話の中で一瞬だけ見せた陰、年齢的には卒業して今は大学生活を送る時であるはずなのに実際にはセーラー服を着ているという事実。
苦しいことなど分かり切っている事だったがそれでも本音を隠す為に言える事はそれしか思い浮かばなかった。嘘か真か、立夏はいつもの明るく輝く笑顔の花を咲かせていた。表情の一つ一つが秋男に痛みをもたらした。
「元気ですよ、アキくん」
相変わらずの大人しそうな声を聴いて安心を抱く秋男に対して立夏は変わらぬ表情で秋男の手に収まっている折りたたみ傘を指していた。
「それより傘、女物なんですね」
それを指摘された秋男は目の端にその傘を映し、閉じても模様の一部だけで分かってしまうという事実を噛み締める。
「ああ、小春、彼女に持たされたんだよ」
秋男の答えは正直だった。立夏の感情を見て取るならば嘘でも彼女の事を隠すべきだったのではないかと後悔の想いを滲み出していた。
「これしかなかったみたいだからいらないって言ったんだけどな」
立夏はただでさえ明るい笑顔をわざとらしく輝かせて相変わらずの大人しそうな声を奏でる。
「女の子ってさ、そんなものですよ」
先程までと比べて大人しさの中に心の揺れが見て取れた。いまいち納得の行かない顔を浮かべるものの、そんな表情の動きにすら愛しさを覚えているのか、立夏の笑顔は一切崩れることが無い。
「それより彼女出来たんですね、おめでとう、アキくん」
聞き間違いではない。明らかに声が震えていた。平気なふりをしようにも彼女にとってこの事実はあまりにも重たすぎるのだろう。
「また傘忘れたから、一緒に帰ろう」
そんな言葉によって始められた彼女以外の女との相合傘。きっと好きな人なのだろう。今まさに好きな男と同じ傘の中にいるというのに立夏は俯き気味。その頬を濡らす水は雨がかかって垂れたものだろうか。
「これがアキくんの彼女の匂い、ですね」
やはり他人のにおいというものは簡単に分かってしまうものだろうか。言葉にしながら続けて頬を濡らす水滴の一つに想いを流す。
「私、アキくんと離れたくないなぁ」
秋男は立夏をしっかりと見つめる。ここで大いに泣かせてしまう事など罰当たりにも程がある。そう思い込んでいた。
「別に離れるわけじゃないだろ、また会えば良いだけだしな」
「そうだね、ありがと」
秋男は携帯電話を取り出そうとするも、ポケットに収まっていない事に今更気が付いた。
「あれ、ケータイねえし」
「いいんですよ、そんなの家にハガキ出せばいつでも交換できるじゃないですか」
そんな会話の直後、秋男の手が後ろから力強く握り締められ、そのまま引っ張られた。
秋男は頭の中が真っ白になり何も考えられず、しかし目の前の光景だけはしっかりと捉えていた。
目と鼻の先、そこを走る車は秋男の服を思い切り濡らしていた。風とクラクションの音は雨に負けない強さを持っていた。
秋男の手を思い切り掴んでいた人物の口から激しい叫びが飛び出して来た。
「アキ、死ぬとこだったでしょ、バカ」
秋男そこに最愛の彼女、小春の姿を認めた。小春はその手に秋男の携帯電話を握り締めている。小春の家に忘れてしまっていたのだとようやく気が付かされた。
「アキが死んだら私どうしようって心配なんだから、怖いんだから」
秋男は怒鳴られる事でようやく我に返り、辺りを見回して訊ねた。
「立夏はどこだ」
その姿はどこにも見当たらない。代わりに地面、先ほど車が通った道路、今も雨に濡れ続けている道路の真ん中にきつねともたぬきとも人ともつかぬぐちゃぐちゃとした死体が転がっていた。
土砂降りの雨の中で傘も差さずに走る男がいた。友だちの春斗が入院して中々会えなかった六月と七月をくぐり抜け、ようやく退院した八月。これまでの寂しさが遂に溢れて涙となってしまったのだろうか。
そんな妄想を片隅で繰り広げながら秋男は明るい茶色に染まった髪を濡らし、叫びながら濡れている歩道を走り続ける。
「油断した、傘置いて来ちまった」
朝は晴れていた。それだけの理由で傘を置いて来ていた秋男。空は気まぐれ、特に夏の空は酷いもので人の事情など考えない自由人。秋男の油断はまさにその気まぐれに困らされていた。
張り付く髪の毛たちが鬱陶しい、服の中に籠もる熱が不愉快な響きを持ち込み喚いている。
秋男は走り続けていた。八月は毎日のように実家に帰り、食費を節約する毎日。今日もまさに地元の道路を渡っているところだった。
後ろへと過ぎ去って行く景色の中に屋根のついた木のベンチを見つけた。昔からそこに建てられていたものの、あの時は遊び場としか思っていなかった。
そんな思い出の場所に避難するように潜り込む。バイトをしている時には水は恵み、海に行った時には水着の女性が映える最高の場所、そう言って笑っていたものの今回ばかりは心の底から困っていた。いつも浮かべるようなおどけた表情がどうしても表に現れてくれなかった。ようやく雨に濡れずに済む場所を得られた秋男はため息をつきながら木のベンチに座る。
ふと隣を見るとそこにはセーラー服を着た少女が座っていた。短い髪と大きな瞳、右目の下の泣きぼくろ。秋男はその姿を見つめて一瞬固まる。それからすぐさま心の底から驚き、思わず大きな声で叫ぶ。
「立夏、どうしたんだこんなとこで」
立夏と呼ばれた少女はこの上なく明るい笑顔を咲かせて答えた。
「そうですよ、アキくん、立夏ですよ。こんなとこで雨宿りしてるんです」
大人しそうな声で答えた立夏の表情は底抜けに明るい。初めから元気のいい女だと思っていた秋男はある種の心地よさを得る。立夏は続けざまに訊ねた。
「アキくんは元気にしてますか。もしかして私の事お嫁さんにお迎えに来ていただけたりしますか」
「こんなずぶ濡れな姿でか。水も滴るいい男、なんつって」
冗談を交わし合えるような仲、秋男が中学三年生の時のバスケ部の後輩。この関係の切っ掛けはいつの日の事だったか立夏の方から話しかけてきたことだろう。
秋男が二回生の今、立夏は受験生。初めて会った時には秋男が高校受験に望む年だったため、あの日と反対の関係だと言えるだろうか。
「にしても三年ぶりだな」
「いえいえ私にとっては七年ぶりの気分です、アキくん」
あの頃と変わらない明るさとそれに似合わぬ大人しそうな声。この温度差が彼女の魅力なのだと秋男は心の底から断言していた。そんな魅力に満ち溢れた後輩の女子と久々に話す事が出来て嬉しい事この上なかった。
秋男はそんな立夏の顔から鞄へと視線を移す。肩紐の隙間に括り付けられた緑色のストラップに目を向ける。
「相変わらずカエル好きだなお前」
「大好きですよ。可愛いし癒されるし唐揚げにしたら美味しいし」
「食うのかよ」
立夏は笑っていた。太陽のように明るい笑顔がよく似合う立夏。秋男は癒しを与えてくれる立夏の制服姿を拝み、ニヤニヤとだらしのない笑みを見せつけつつも、胸元に輝く校章を見てここ最近で最も大きな驚きを得た。
「頭良いんだな、意外」
「こう見えても私、天からの才を与えられた美女ですから」
「天の災いの間違いだろ。マジでバカにしか見えねえのに凄いよな、立夏は」
その言葉を耳にした立夏から先程までの明るみが褪せて行く。嘘のように変わり果てた表情に見合った動きを取るように俯き呟いた。
「別に頭良くなくてもよかったのになぁ、アキくんが傍にいてくれれば」
寂しさが這いずり回っているのだろうか。その手を取ろうとした途端、立夏は言葉を更に引き摺り刻み付ける。
「守って欲しかった」
「守って欲しかったって、イジメにでも遭ったのか」
いじめを受けそうな子では無い、秋男はそう思っていた。一応は立夏と顔見知りである春斗の評価をなぞるならば明るい態度と少し変わった発言の数々から裏で愚痴の嵐を吹き荒らす原因になっていそうだと言っていたものの、今は首を左右に振る。
「それとは別ですよ、アキくん」
先程の暗い表情はどこへ消えた事やら、立夏はいやに明るい笑顔を咲かせていた。雨など初めから降っていないような、そんな錯覚を受けてしまっていた。
立夏の表情の変わり方に秋男は気まぐれな空と同じものを感じた。続いて空を見上げ、立夏の方へと明るい笑顔を浮かべながら再び顔を向ける。
「雨止んだな」
しかし、そこには誰もいなかった。秋男の言葉は空しい独り言に過ぎない様子だった。
☆
不思議な後輩と可笑しな会話をしていたはずがいつの間にか消えていたという不思議であり少しだけ不気味な体験をした日、あの懐かしい日の事を思い返す。
あの時から一年が経ち、秋男には小春という彼女がいた。立夏と付き合うだろうと予想していつまでも余裕を持て余して遠慮のない態度を取っていた秋男にとってはあまりにも大きな誤算。
小春の家に泊まった次の昼、秋男は小春に別れの挨拶を礼と共に贈り家を出ようとしたところ、小春に折りたたみ傘を持たされた。邪魔になるからいらない、そう言って断るものの、小春は引き下がる様子を一向に見せなかった。
「アキが風邪引いたらイヤだから」
そう言って引き続き手渡そうとする姿勢に負けて秋男の手に渡った。
秋男は照れながら歩いていた。雨を弾いて雫を乗せて飾る傘は白い身体に赤く細かく描かれた花模様。
「めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど」
明らかな女物のデザインを見せつけられて思わず呟いてしまっていた。華やかな傘はあまりにも目立ち過ぎる。
やがて去年も通ったあの歩道を渡る。あの屋根のあるベンチに目を向ける。そこから手を振るセーラー服を着た少女の明るい笑顔に見覚えがあった。
秋男は手を振る立夏に気が付いてベンチへと駆け寄った。去年と同じ日、去年と同じ時間、不自然な再会に違和感が過ぎるものの、笑顔を浮かべ同調するように挨拶を捧げた。
「よっ、一年振りだな、立夏」
立夏は顎に手を当てて二秒の空白を贅沢に使用した後、ようやく答えてみせた。
「お久しぶりですアキくん」
何故だかセーラー服を着ていた立夏を見つめて首を傾げる。
留年でもしたのだろうか、やはり天災じゃないか。
何だかんだ言ってレベルの高い学校は大変だな。
きっと次は上手くやれるさ。
様々な言葉が脳裏を掠めるものの、どれもこれもが立夏に向ける言葉には思えない。日頃から会話で選んでいた語句たちに恨みの目を向けつつどれでもない言葉をどうにかひねり出す。。
「元気してたか」
元気、そんなはずはない。去年の会話の中で一瞬だけ見せた陰、年齢的には卒業して今は大学生活を送る時であるはずなのに実際にはセーラー服を着ているという事実。
苦しいことなど分かり切っている事だったがそれでも本音を隠す為に言える事はそれしか思い浮かばなかった。嘘か真か、立夏はいつもの明るく輝く笑顔の花を咲かせていた。表情の一つ一つが秋男に痛みをもたらした。
「元気ですよ、アキくん」
相変わらずの大人しそうな声を聴いて安心を抱く秋男に対して立夏は変わらぬ表情で秋男の手に収まっている折りたたみ傘を指していた。
「それより傘、女物なんですね」
それを指摘された秋男は目の端にその傘を映し、閉じても模様の一部だけで分かってしまうという事実を噛み締める。
「ああ、小春、彼女に持たされたんだよ」
秋男の答えは正直だった。立夏の感情を見て取るならば嘘でも彼女の事を隠すべきだったのではないかと後悔の想いを滲み出していた。
「これしかなかったみたいだからいらないって言ったんだけどな」
立夏はただでさえ明るい笑顔をわざとらしく輝かせて相変わらずの大人しそうな声を奏でる。
「女の子ってさ、そんなものですよ」
先程までと比べて大人しさの中に心の揺れが見て取れた。いまいち納得の行かない顔を浮かべるものの、そんな表情の動きにすら愛しさを覚えているのか、立夏の笑顔は一切崩れることが無い。
「それより彼女出来たんですね、おめでとう、アキくん」
聞き間違いではない。明らかに声が震えていた。平気なふりをしようにも彼女にとってこの事実はあまりにも重たすぎるのだろう。
「また傘忘れたから、一緒に帰ろう」
そんな言葉によって始められた彼女以外の女との相合傘。きっと好きな人なのだろう。今まさに好きな男と同じ傘の中にいるというのに立夏は俯き気味。その頬を濡らす水は雨がかかって垂れたものだろうか。
「これがアキくんの彼女の匂い、ですね」
やはり他人のにおいというものは簡単に分かってしまうものだろうか。言葉にしながら続けて頬を濡らす水滴の一つに想いを流す。
「私、アキくんと離れたくないなぁ」
秋男は立夏をしっかりと見つめる。ここで大いに泣かせてしまう事など罰当たりにも程がある。そう思い込んでいた。
「別に離れるわけじゃないだろ、また会えば良いだけだしな」
「そうだね、ありがと」
秋男は携帯電話を取り出そうとするも、ポケットに収まっていない事に今更気が付いた。
「あれ、ケータイねえし」
「いいんですよ、そんなの家にハガキ出せばいつでも交換できるじゃないですか」
そんな会話の直後、秋男の手が後ろから力強く握り締められ、そのまま引っ張られた。
秋男は頭の中が真っ白になり何も考えられず、しかし目の前の光景だけはしっかりと捉えていた。
目と鼻の先、そこを走る車は秋男の服を思い切り濡らしていた。風とクラクションの音は雨に負けない強さを持っていた。
秋男の手を思い切り掴んでいた人物の口から激しい叫びが飛び出して来た。
「アキ、死ぬとこだったでしょ、バカ」
秋男そこに最愛の彼女、小春の姿を認めた。小春はその手に秋男の携帯電話を握り締めている。小春の家に忘れてしまっていたのだとようやく気が付かされた。
「アキが死んだら私どうしようって心配なんだから、怖いんだから」
秋男は怒鳴られる事でようやく我に返り、辺りを見回して訊ねた。
「立夏はどこだ」
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