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第1話 戦争

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晴天の空を埋め尽くす無数の黒い点が弧を描くようにして、一直線にこちらへ向かってくる。

騎馬に乗った騎士がそれに気がつき、慌てて叫んだ。

「歩兵、盾を構えろ!!!! 防御態勢を取れ!!!」

指差しながら、叫ぶ騎士。

その声に合わせて周りにいる兵士たちは盾を空に掲げ、身を守る態勢を取った。

風を切る音、無数の矢が徐々に自分たちへと迫ってくるのを肌で感じる。

緊迫する空気の中、木製の盾に断続的に弾かれていくような音がする。

まるで雨のように音は激しく、身体に振動が響いた。

足元には折れた矢が散らばり、バランスを崩した兵士は無数の矢を受けて、悲鳴を上げる暇もなく死んだ。

盾を構え忘れた者はみな。ハリネズミのようになった。

「おぉ、おぉ、これまた激しい」

鋼鉄製の鎧に身を包む兵士たちの中に革鎧といった軽装の装備をしている男たちがいた。

装備品はそれぞれバラバラで、近くにいる兵士たちと統一感がない。

口ひげを蓄えた男は盾に身を隠しながら吐き捨てる。

「くそったれッ!! 貧乏くじだ」

その声に騎馬に乗るフルプレートの老齢な騎士が叫んだ。

「ゲルマルク!! 丘の上の弓兵をなんとかしろ!!」

老齢の騎士がそう叫ぶと、ゲルマルクと呼ばれた男は腹を立てつつも、盾越しにチラリと視線先を見つめる。

丘の上に横に隊列を組んだドラゴマ軍の兵士たちが弓に矢つがえ、次々に放っているのが見えた。

ゲルマルクは目を細めたあと、同じく盾で身を守っている黒髪の少年へと向ける。

顔立ちは中世的で、色白な肌に赤い瞳が印象的だ。

一見、優しそうに見えるが、中身はかなり冷酷だ。

その表情はどこか冷めており、感情というものを感じさせない。

まるで人形みたいだった。

涼し気な顔をして、人を殺すことにためらわない。

だから、傭兵として、連れてきた。

細身の手足、スタイルもいい。

自分は女です、と言われれば、なるほどそうなのかと納得してしまうほどだ。

それほどまでに彼は顔が整っていた。

「ヨシハル、だそうだ」

話しかけられたヨシハルは苦笑いする。

「ゲルマルク、それは無理。敵は300はいるんだけど」

ヨシハルと言われた少年はそう言って、騎士からの命令を拒否した。

だが、命令した老齢の騎士は厳しい口調で言う。

彼の名はゴルドン・リンデンベルガー。

イストランド王国の貴族で、爵位は公爵。

国王の従兄であり、王国内で強大な力を持つ男である。

そんな彼が、どうして最前線にいて、敵兵からの矢の雨を降らされているのかというと、単純なことだ。

ドラゴマ王国の軍勢が国境線を越え、トルマンドの街を占拠したため、イストランド王国はその奪還を目指し、軍を派遣した。

数はおおよそ5万。それに対して、ドラゴマ軍は3万。

数の上ではイストランド王国側が有利なのにも関わらず、トルマンドの街を奪還できずに数か月がたっていた。

そんな中で、膠着状態を打破すべく、ゴルドン率いる軍が敵軍へ奇襲をかけるべく、進軍を開始した。

しかし、その道中に敵の伏兵によって、側面を突かれ、こうして矢の雨を受けているのである。

こうなれば、もう撤退しかないのだが、ゴルドンはそれを良しとはしなかった。

彼のプライドがそれを許さなかったのである。

ゴルドンは剣を抜き、ヨシハルに向かって言う。

ヨシハルは彼の言葉を聞いて溜息をつく。

15歳の少年でありながら、優秀な弓使いであった。

「ゲルマルク!! 何をモタモタしている!! なんとかして、側面に回り込め!!」
「側面って言われても……」

緩やかな丘ではあるが、鎧を着こんだ状態では、かなりきつい。

全力疾走すれば、頂上にのぼったあたりで、息切れをしてしまう。

となれば、早歩きか、徐々に進むしかない。

そうなれば、近づいてくる的なんて、弓兵にとっては当てやすい。

近くへいけばいくほど、矢の威力も上がる。

盾は貫通するかもしれない。

だが、このままではジリ貧であることも事実だった。

ドラゴマ軍の騎兵が側面からやってくる可能性も否定できない。

もたもたしているわけにはいかなかった。

ゲルマルクは舌打ちする。

こんな契約受けるんじゃなかったと後悔した。

ゲルマルクは黒羊傭兵団という傭兵部隊を率いていた。

彼はこの仕事を受ける前、大金を払う、という約束でトルマンドの街奪還の仕事を請け負ったのだ。

数で有利な上に、援軍が来るという話を聞いて、引き受けた。

ところが蓋を開けてみれば、援軍など来ないどころか、イストランド王国側の兵が全滅寸前にまで追い込まれていた。

それもこれも、ゴルドンが手柄欲しさに先行し、誰にも相談せずに突撃してしまったからである。

もちろん、奇襲攻撃は作戦としては悪くはない。

だが、せめて自分に相談してくれていれば、もう少しまともな策があったし、装備も整えてきた。
とはいえ、文句を言ったところで、状況が変わるわけではない。

「ぐあっ」

傭兵仲間の一人が眉間に矢を受け倒れた。

「ルテガがやられた!!」

仲間の死に周りの者たちは動揺が広がる。

ゲルマルクの頬も矢がかすめる。

兜をかぶっていたおかげで、ダメージはないが、いつかはルテガのように死ぬのだと思うと、恐怖心が生まれる。

「ヨシハル、頼む。なんとかできないか?」

ヨシハルはゲルマルクへ視線を向ける。

しばらく、同じことを言わせるなよ、と睨んできたが、あきらめたように首を左右に振る。

「……はぁ。わかりました。なんとかしてみますよ」

丘の上へ一瞥した後、目を細める。


「指揮官を狙います。混乱した隙を狙って、側面に回り込んでください」
「おぉやってくれるか!!?」
「団長命令な仕方ないです」
「あぁ、すまん、頼む」

ゲルマルクの言葉にヨシハルはうなずくと、弓を構えた。

馬に乗っているドラゴマ軍の兵士が指揮官だと考えつつ、視線を動かす。

その馬の近くにいる兵士も次に偉い人間だと認識し狙いを定める。

そして、弓を引き絞ると、放つ。

放たれた矢は一直線に指揮官の頭部を貫いた。

ぐらりと身体を揺らすと、落馬していく。

周りにいた兵士たちは何が起きたのか分からず、呆然としていた。

ヨシハルは驚きとどまる指揮官の近くにいた兵士も首元に矢を突き立てる。

「この距離でッ??!!」

丘の上からヨシハルまでの距離は大体500メートルほどはある。

狙って射抜けるようなものではなかった。

仲間の仇だと、弓兵が矢を放つも、ヨシハルへは近くを掠めるだけだった。

「くそっ!! よくも!!」

ヨシハルを狙って矢を放とうとした弓兵にヨシハルはすでに矢を放っていた。

弓兵は基本、軽装のため、矢は簡単に防具を貫き、心臓へ到達する。

ヨシハルは手を止めなかった。

矢を三本つがえて、同時に放つとそれぞれの矢はまるで吸い込まれるようにして、兵士たちを射抜いていく。

三人同時に倒れたことで、動揺する声があがった。

ゲルマルクもそれを目の当たりにして、感嘆の声を漏らした。

「やっぱ、弓の名手だ」
「僕の弓の感想はどうでもいいので、早くしてください」
「おぉ。わかってるって――――よし!!! てめぇら!! 今だ!! 駆けあがれ!!」
「「「「「おぉおおおお―――――!!!!!」」」」」

ゲルマルクの声に呼応するように傭兵たちが一斉に走り出す。

その動きに合わせるようにドラゴマ軍の弓兵部隊は気圧される形で、撤退を始める。
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