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1:奴はかく語りき、俺は……
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往々にして――。
親よりも兄弟の方が遠くて、わかりあえない存在だと思う。
年齢差にもよるけど、お互いに素直になれないからだろう。
俺も六つ年上の兄貴とほとんど会話しない。物心ついたばっかりの頃は後をついて回っていたそうだけど。
小学校に入学するその年に、中学校へ入学する兄。
子供にとって学校が違うってことは大きい。
俺がはじめて体験することや知ったことは、とうに兄貴が経験済みのことばかりだ。
そんな弟をあざわらう兄貴だったなら、俺は反抗的になっただろうけど、兄貴はただ遠くから見ているだけで、その表情から何を考えているのかわからない人だった。
兄貴は大学へ進学するのを機に、実家を出て暮らしはじめた。
だから俺は同じ家で育ち、同じ時を共有したのに、兄貴のことをほとんど知らない。
みんなそれが当たり前なんだと思って生きてきたんだ。
「――あの頃に戻りたい」
ぽつん、とこぼした呟きに、扇風機がウィインと相槌を打つ。
高校最後の夏休み。
俺は兄貴がひとりで暮らしている部屋に来ていた。
兄貴と親交を深めたいからでも掃除や洗濯、炊事をして小遣いを稼ぐためでもない。
「スーは往生際が悪いなぁ~。だれに似たんだろ」
八畳の和室に向かい合って座り、大口を開けて笑うこの男に呼び出されたからだ。
男は今年二十四歳になる、俺の兄貴で本巣飛鳥(もとすあすか)と言う。
短絡思考の我が両親さまは、苗字に巣という字が入っているからと、兄に飛鳥、俺に朱雀と名前をつけてくださった。
それなりに名前の知れた大学を卒業している兄はともかく、とりたてて目立つところのない俺は完全に名前負けだ。
両親は夏の盆に帰省する先に待っている人もいないからと、子供も自立しているのをいいことに、少し早目に休暇を取って海外旅行へ出かけている。
俺も誘われたけれど、今年はその気になれなくて辞退した。
ひとりでゆっくりしようと思っていたところに、兄貴から久しぶりの電話がかかってきたんだ。
受話器を耳に当てたとたん、掠れた声でSOSを訴えられて、心配になって駆けつけてみれば。
教えられたアパートの部屋の中央で、リサイクルショップでも見かけないくらい旧型の扇風機の前で、兄貴は倒れていたのだ。
兄貴の周りのたたみに散乱する、光熱費や水道料、家賃の請求書らしき紙。
俺が覚えている頃よりも痩せている。
いくら遠い存在とは言っても兄弟に違いない。自分でもわかるほど震えながら、兄貴に駆け寄った。
うつぶせで倒れていた兄貴は、俺の呼びかけに薄く目を開いて言った。
『……スー、僕とセックスしてくれない?』
回想から浮上しつつ、兄貴の言動に頭を抱える。
「……潔くなれるわけないだろ。久しぶりに会ったってのに」
生気を根こそぎ奪っていく暑気にただでさえ閉口しているのに、兄貴の笑い声が追い打ちをかけてくる。
目の前でくたびれたTシャツに短パン姿であぐらをかく兄貴に、殺意すら覚える。
「大丈夫だ、スー。僕がすべて責任をとるから」
なにが大丈夫、だ。
「スランプ真っただ中でニートと似たり寄ったりな生活してるくせに、俺のなんの責任がとれるってんだよっ!」
年末年始もほとんど顔を見せなかった兄貴は、大学卒業後どこかの企業に就職したと聞いていた。
それなのにいざ会ってみたら、会社員じゃなくて小説家になっていた。
「大丈夫、大丈夫。この僕が本を書いたならば、すぐさま初版売り切れの増刷に決まっている。うまくすればドラマ化しちゃって、僕ってば大作家で悠々と印税生活できちゃったりして~」
両手をあわせて身体をよじり、締りのない顔で笑う男が倒れていた男と同じだとは信じられない。
「……倒れてたくせに」
俺のひそかな反撃は、兄貴の高笑いがかき消した。
「という僕の輝かしい未来のために、弟よ! ぜひ体を開きたまえっ」
「その結論、おかしいから!」
つい大声で突っ込んでしまった。やばい、ここはアパートの二階。窓は全開だし、俺はその窓辺に座っているんだ。
手で口をおおい、兄貴を目玉だけ動かして睨みつける。
薄い無精ひげを撫でながら、兄貴は涼しい顔をしていらっしゃる。
「スーよ、考えてもみたまえ。僕が将来ある若者を部屋に連れ込んで、昼間からあられもない行為にふけっていたら、父上や母上がこの世を嘆いて儚くなってしまうだろう。その点、スーなら安心だ」
「どの点」
「スーは僕の弟だ。たとえだれかに見られても、僕の仕事のために協力しているだけだと言えば済む」
「済むわけないだろーがっ」
脇に置いていたうちわをつかんで、力いっぱい投げつけてやった。
空気抵抗がよすぎて、うちわはふんわり飛んだだけだったけど。
「スーよ、おまえはお兄ちゃんを哀れには思ってくれないのか~っ」
うちわを片手で振り払い、兄貴は急に目を潤ませつつ俺を見つめてきた。
俺より頭一つ半くらい背が高い男がすり寄ってくると、体感温度が急上昇していく。
やばい、暑さと兄貴の言動のせいで、めまいまでしてきた。
「だーかーら、見ず知らずの若者の代わりに、実の弟を使おうとする、その考え方がまずわかんないっつーの」
じっとり汗が浮く兄貴の体を両手で押しのけつつ、俺の抗議はさらに続く。
「くどいなぁ~。見たことも体験したこともないこと、僕は小説に書けないんだよ」
「だったら見て、体験したことだけで小説を書いてくれっ!」
「いままではそうしてきたんだけどね、今回ばかりはそうもいかなくって~」
女子高生みたいに語尾を伸ばしてんじゃねぇよ、変態兄貴。
「だったら今回の仕事は断れ。で、次からちゃんと内容を確認してから仕事を受けろ。その教訓を大事に、今後も作家生活を楽しんでくれ。というわけで俺は帰……っ」
帰ると言うつもりだった。
でも、唇は最後まで指令を遂行できなかった。
「……朱雀、帰らないで」
兄貴の低い声で囁かれて、ようやく俺は現状を把握した。
「…………」
和室のたたみに押し倒されて、兄貴が馬乗りになっている。
しかも勘違いじゃなければ、いま。
「……い、いま……俺に、き、キ……」
唇が拒否反応を示して、言葉が紡げなかった。
すると兄貴はにっこりと笑いながら頷いた。
「うん。キス、したよ」
「……そうか」
俺は兄貴と同じように笑った。
そうしながら片足を折り曲げ、真下から急所を蹴り上げてやった。
夏休み、お盆直前。
昭和時代に建てられたアパートの一室から、猟奇殺人現場を彷彿とさせる悲鳴がとどろいた。
親よりも兄弟の方が遠くて、わかりあえない存在だと思う。
年齢差にもよるけど、お互いに素直になれないからだろう。
俺も六つ年上の兄貴とほとんど会話しない。物心ついたばっかりの頃は後をついて回っていたそうだけど。
小学校に入学するその年に、中学校へ入学する兄。
子供にとって学校が違うってことは大きい。
俺がはじめて体験することや知ったことは、とうに兄貴が経験済みのことばかりだ。
そんな弟をあざわらう兄貴だったなら、俺は反抗的になっただろうけど、兄貴はただ遠くから見ているだけで、その表情から何を考えているのかわからない人だった。
兄貴は大学へ進学するのを機に、実家を出て暮らしはじめた。
だから俺は同じ家で育ち、同じ時を共有したのに、兄貴のことをほとんど知らない。
みんなそれが当たり前なんだと思って生きてきたんだ。
「――あの頃に戻りたい」
ぽつん、とこぼした呟きに、扇風機がウィインと相槌を打つ。
高校最後の夏休み。
俺は兄貴がひとりで暮らしている部屋に来ていた。
兄貴と親交を深めたいからでも掃除や洗濯、炊事をして小遣いを稼ぐためでもない。
「スーは往生際が悪いなぁ~。だれに似たんだろ」
八畳の和室に向かい合って座り、大口を開けて笑うこの男に呼び出されたからだ。
男は今年二十四歳になる、俺の兄貴で本巣飛鳥(もとすあすか)と言う。
短絡思考の我が両親さまは、苗字に巣という字が入っているからと、兄に飛鳥、俺に朱雀と名前をつけてくださった。
それなりに名前の知れた大学を卒業している兄はともかく、とりたてて目立つところのない俺は完全に名前負けだ。
両親は夏の盆に帰省する先に待っている人もいないからと、子供も自立しているのをいいことに、少し早目に休暇を取って海外旅行へ出かけている。
俺も誘われたけれど、今年はその気になれなくて辞退した。
ひとりでゆっくりしようと思っていたところに、兄貴から久しぶりの電話がかかってきたんだ。
受話器を耳に当てたとたん、掠れた声でSOSを訴えられて、心配になって駆けつけてみれば。
教えられたアパートの部屋の中央で、リサイクルショップでも見かけないくらい旧型の扇風機の前で、兄貴は倒れていたのだ。
兄貴の周りのたたみに散乱する、光熱費や水道料、家賃の請求書らしき紙。
俺が覚えている頃よりも痩せている。
いくら遠い存在とは言っても兄弟に違いない。自分でもわかるほど震えながら、兄貴に駆け寄った。
うつぶせで倒れていた兄貴は、俺の呼びかけに薄く目を開いて言った。
『……スー、僕とセックスしてくれない?』
回想から浮上しつつ、兄貴の言動に頭を抱える。
「……潔くなれるわけないだろ。久しぶりに会ったってのに」
生気を根こそぎ奪っていく暑気にただでさえ閉口しているのに、兄貴の笑い声が追い打ちをかけてくる。
目の前でくたびれたTシャツに短パン姿であぐらをかく兄貴に、殺意すら覚える。
「大丈夫だ、スー。僕がすべて責任をとるから」
なにが大丈夫、だ。
「スランプ真っただ中でニートと似たり寄ったりな生活してるくせに、俺のなんの責任がとれるってんだよっ!」
年末年始もほとんど顔を見せなかった兄貴は、大学卒業後どこかの企業に就職したと聞いていた。
それなのにいざ会ってみたら、会社員じゃなくて小説家になっていた。
「大丈夫、大丈夫。この僕が本を書いたならば、すぐさま初版売り切れの増刷に決まっている。うまくすればドラマ化しちゃって、僕ってば大作家で悠々と印税生活できちゃったりして~」
両手をあわせて身体をよじり、締りのない顔で笑う男が倒れていた男と同じだとは信じられない。
「……倒れてたくせに」
俺のひそかな反撃は、兄貴の高笑いがかき消した。
「という僕の輝かしい未来のために、弟よ! ぜひ体を開きたまえっ」
「その結論、おかしいから!」
つい大声で突っ込んでしまった。やばい、ここはアパートの二階。窓は全開だし、俺はその窓辺に座っているんだ。
手で口をおおい、兄貴を目玉だけ動かして睨みつける。
薄い無精ひげを撫でながら、兄貴は涼しい顔をしていらっしゃる。
「スーよ、考えてもみたまえ。僕が将来ある若者を部屋に連れ込んで、昼間からあられもない行為にふけっていたら、父上や母上がこの世を嘆いて儚くなってしまうだろう。その点、スーなら安心だ」
「どの点」
「スーは僕の弟だ。たとえだれかに見られても、僕の仕事のために協力しているだけだと言えば済む」
「済むわけないだろーがっ」
脇に置いていたうちわをつかんで、力いっぱい投げつけてやった。
空気抵抗がよすぎて、うちわはふんわり飛んだだけだったけど。
「スーよ、おまえはお兄ちゃんを哀れには思ってくれないのか~っ」
うちわを片手で振り払い、兄貴は急に目を潤ませつつ俺を見つめてきた。
俺より頭一つ半くらい背が高い男がすり寄ってくると、体感温度が急上昇していく。
やばい、暑さと兄貴の言動のせいで、めまいまでしてきた。
「だーかーら、見ず知らずの若者の代わりに、実の弟を使おうとする、その考え方がまずわかんないっつーの」
じっとり汗が浮く兄貴の体を両手で押しのけつつ、俺の抗議はさらに続く。
「くどいなぁ~。見たことも体験したこともないこと、僕は小説に書けないんだよ」
「だったら見て、体験したことだけで小説を書いてくれっ!」
「いままではそうしてきたんだけどね、今回ばかりはそうもいかなくって~」
女子高生みたいに語尾を伸ばしてんじゃねぇよ、変態兄貴。
「だったら今回の仕事は断れ。で、次からちゃんと内容を確認してから仕事を受けろ。その教訓を大事に、今後も作家生活を楽しんでくれ。というわけで俺は帰……っ」
帰ると言うつもりだった。
でも、唇は最後まで指令を遂行できなかった。
「……朱雀、帰らないで」
兄貴の低い声で囁かれて、ようやく俺は現状を把握した。
「…………」
和室のたたみに押し倒されて、兄貴が馬乗りになっている。
しかも勘違いじゃなければ、いま。
「……い、いま……俺に、き、キ……」
唇が拒否反応を示して、言葉が紡げなかった。
すると兄貴はにっこりと笑いながら頷いた。
「うん。キス、したよ」
「……そうか」
俺は兄貴と同じように笑った。
そうしながら片足を折り曲げ、真下から急所を蹴り上げてやった。
夏休み、お盆直前。
昭和時代に建てられたアパートの一室から、猟奇殺人現場を彷彿とさせる悲鳴がとどろいた。
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