君と日向で

笹野ユキ

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第2章 影のある客

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 ……今何時だったっけ。
 腕時計も付けてきていない。僕はショルダーバッグからスマホを取り出し、時刻を確認した。12時を少し過ぎたところだった。

 このスーパーマーケットは僕には空調が少し効き過ぎている。スマホをしまうついでに、持ってきていたカーディガンを取り出して羽織る。
 
 野菜売り場に立っているけど、今晩何を食べたいのかわからない。いつものことではあるけれど、それはほんのりと悲しい。
 とりあえず、2割引きになっているルッコラをカゴに入れる。そして、やはり安くなっていた生ハムもカゴに入れた。今晩は生ハムサラダでさっと済ませよう。昨日からあまり食欲もないからちょうどいい。

 空調と人の気配とで、軽く頭痛がしてくる。昨日はあまり眠れていないので、まあそうなるだろうと納得はいく。早く買い物を済ませて帰宅した方がいい。
 それでも仕事の合間に甘いものは欲しくて、お菓子売り場に踏み出した。
 
 あ。
 思わず立ち止まる。
 ここの店員さんが買い物をしている。今は休憩中なんだろう。エプロンはしていないけれど、何度かレジをしてもらったことがあるのでわかる。
 柔らかそうなほんの少し癖のある髪に、優しい雰囲気の目元。僕よりも僅かに高い背丈、レジで対応する声は、穏やかでよく通る。歳は多分僕と同じくらいだ。
 彼とは店員と客としてしか接したことはない。これからもきっとそうだろう。
 そっといちごグミをカゴに入れて、足早にレジに向かった。

 帰ってくると、ショルダーバッグを床に置いて、ソファに寝そべる。
 こんなことするから、部屋が散らかるのはわかっているのだけれど、体も心も望むようには動かない。
 5分ほど横になった後、ゆっくりと起き上がり、手を洗って買ってきたものを片付けた。
 
 買い置きしていた即席春雨スープにお湯を注いで、パソコンの前に座る。
 僕は今、家でデザインの仕事を受けて生計を立てている。以前はデザイン会社で忙しく働いていた。……モニターに映る水色と黄色のコントラストが眩しい。納期までまだ少し余裕があるので、僕はそっとPhotoshopの画面を閉じた。

 昼食を済ませ、ソファに腰掛けている今の僕は、外から見たら抜け殻のように見えるだろう。
 実際のところは、明日病院で報告すべきことで頭を悩ませていた。
 通院の前日はいつもそうだ。仕事も手がつかなくなるので、できる限り事前に業務調整をしている。

 ふと気づくとカーテンから橙の光が差し込んでいた。
 いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。
「あー」と思わず声が出る。
 急いでパソコンのメールを立ち上げて、新しいメッセージはないかチェックする。幸い新着はなかったので、そのままチェアに腰掛ける。
 昨日は5時ごろまで眠れず、次に目が覚めたのは8時だったから、この居眠りはおかしくはなかったのだけれど、悩みながら寝落ちしてしまうなんて、以前にはなかったことで、動揺してしまう。
 明日の病院の予約は午前10時だ。バスに乗る時間は? 何時に起きなければいけない? 早く主治医に現状報告するためのメモを作らなければ。薬を飲むためにまずは夕食の準備をした方がいいか。さまざまな考えが次々と湧いて、まとまらない。
 まとまらないなりに、生きていなければならない。
 空調の音だけが響く薄暗い部屋。
 重い心と足を引きずるようにしながら、冷蔵庫を開けた。
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