4 / 4
第4章 優しさの摩耗
しおりを挟む
「この調子で、毎日負荷をかけ過ぎないように。具合が悪くなったらいつでも電話してきてください」
「はい」
「薬は前回と同じのを出しておきますね」
「ありがとうございました」
静かに診察室の引き戸を閉めてから、ほっと息をついた。
今月の診察も無事に終わった。
帰りのバスに乗る直前にカーディガンを羽織った。夏のバスは寒い。揺られながら考える。夕飯は何だったら食べられそうだろう……。
軽く済ませてしまいたいのが本音だけれど、そろそろお惣菜だっていいからある程度食べておいたほうがいいことを経験上わかっている。
バスを降りて少し歩き、家の最寄りのスーパーに入った。
通院で疲れたのもあり、今日は店内のBGMさえ頭に刺さってくる。
……早くここから抜け出したい。
お菓子売り場を通り抜けて行こうとしたその時だった。
「こんにちは」
この間診察券を届けてくれた店員さんがいた。ぼんやりしていて、全然見えていなかった。何も返せないでいると、
「お茶、いただきました。ごちそうさまでした」
「……とんでもないです」
途端、頭がざわざわしてきた。
診察券には、「メンタルクリニック」とくっきり書かれてあった。何かそのことで聞かれたらどうしよう。詮索されるのはもちろんのこと、調子を心配されるのも嫌だ。
指先が小さく震える。今自分がどんな顔をしているのかわからない。
「この飴、おいしいんです」
筒井さんが、微笑みながら僕にレモンミルク味の飴を見せてくる。そしてそれを自分の買い物カゴに入れる。
思わず小さく口を開けてしまう。僕のそんな調子をまるで気にしていない感じに、彼は笑みを崩さずこちらを見てから、スッと去っていった。
……たんぽぽの色。れんげの花、風に揺れるシロツメグサ。
春のにおいがした。
僕はそっと、同じ飴をカゴに入れた。
目が覚めると、部屋が暗い。洗濯物を畳みながら、床で寝落ちてしまっていた。
ため息が重い。体も重い。5分ほど床に突っ伏してから、のそのそと上体を起こす。
カーテンは朝から閉めっぱなしだった。ゆっくりと立ち上がり、電気を付けると眩しくて思わず顔を顰める。
……両肩を何かに押さえられている感じ。この感じは知ってる。具合が悪くなる兆候。今日は眠る前に頓服も合わせて飲んだ方がいいと思った。
夕飯と服薬を済ませると、また床に寝そべった。横になっても苦しさからは解放されない。じわじわと重苦しさがのしかかり、心に黒い膜が張っているような、このまままた底に沈んでいってしまいそうな、言いようのない不快感が襲ってくる。
その時、床に置いたままだったエコバッグの中に、まだ何か入っていることに気がついた。
……飴だ。レモンミルク味の。
手を伸ばして袋を手繰り寄せ、封を切った。ひとつ取り出し、包装を開けて、口に入れる。
……甘い。
筒井さんの、細めた目の感じを思い出した。
穏やかな佇まい。
スーパーでキビキビと働く姿。
仕事と生活を、服薬でなんとかこなしている僕とは違うように見える人。
なのに、筒井さんの静かな笑顔がふわふわと僕を揺らす。
きっと今の僕は疲れ過ぎてる。早くベッドに入ってしまいたい。
……だけど、口の中の飴の甘さが、じんわりと張り付いて消えてくれそうになかった。
「はい」
「薬は前回と同じのを出しておきますね」
「ありがとうございました」
静かに診察室の引き戸を閉めてから、ほっと息をついた。
今月の診察も無事に終わった。
帰りのバスに乗る直前にカーディガンを羽織った。夏のバスは寒い。揺られながら考える。夕飯は何だったら食べられそうだろう……。
軽く済ませてしまいたいのが本音だけれど、そろそろお惣菜だっていいからある程度食べておいたほうがいいことを経験上わかっている。
バスを降りて少し歩き、家の最寄りのスーパーに入った。
通院で疲れたのもあり、今日は店内のBGMさえ頭に刺さってくる。
……早くここから抜け出したい。
お菓子売り場を通り抜けて行こうとしたその時だった。
「こんにちは」
この間診察券を届けてくれた店員さんがいた。ぼんやりしていて、全然見えていなかった。何も返せないでいると、
「お茶、いただきました。ごちそうさまでした」
「……とんでもないです」
途端、頭がざわざわしてきた。
診察券には、「メンタルクリニック」とくっきり書かれてあった。何かそのことで聞かれたらどうしよう。詮索されるのはもちろんのこと、調子を心配されるのも嫌だ。
指先が小さく震える。今自分がどんな顔をしているのかわからない。
「この飴、おいしいんです」
筒井さんが、微笑みながら僕にレモンミルク味の飴を見せてくる。そしてそれを自分の買い物カゴに入れる。
思わず小さく口を開けてしまう。僕のそんな調子をまるで気にしていない感じに、彼は笑みを崩さずこちらを見てから、スッと去っていった。
……たんぽぽの色。れんげの花、風に揺れるシロツメグサ。
春のにおいがした。
僕はそっと、同じ飴をカゴに入れた。
目が覚めると、部屋が暗い。洗濯物を畳みながら、床で寝落ちてしまっていた。
ため息が重い。体も重い。5分ほど床に突っ伏してから、のそのそと上体を起こす。
カーテンは朝から閉めっぱなしだった。ゆっくりと立ち上がり、電気を付けると眩しくて思わず顔を顰める。
……両肩を何かに押さえられている感じ。この感じは知ってる。具合が悪くなる兆候。今日は眠る前に頓服も合わせて飲んだ方がいいと思った。
夕飯と服薬を済ませると、また床に寝そべった。横になっても苦しさからは解放されない。じわじわと重苦しさがのしかかり、心に黒い膜が張っているような、このまままた底に沈んでいってしまいそうな、言いようのない不快感が襲ってくる。
その時、床に置いたままだったエコバッグの中に、まだ何か入っていることに気がついた。
……飴だ。レモンミルク味の。
手を伸ばして袋を手繰り寄せ、封を切った。ひとつ取り出し、包装を開けて、口に入れる。
……甘い。
筒井さんの、細めた目の感じを思い出した。
穏やかな佇まい。
スーパーでキビキビと働く姿。
仕事と生活を、服薬でなんとかこなしている僕とは違うように見える人。
なのに、筒井さんの静かな笑顔がふわふわと僕を揺らす。
きっと今の僕は疲れ過ぎてる。早くベッドに入ってしまいたい。
……だけど、口の中の飴の甘さが、じんわりと張り付いて消えてくれそうになかった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
【完結】好きな人の待ち受け画像は僕ではありませんでした
鳥居之イチ
BL
————————————————————
受:久遠 酵汰《くおん こうた》
攻:金城 桜花《かねしろ おうか》
————————————————————
あることがきっかけで好きな人である金城の待ち受け画像を見てしまった久遠。
その待ち受け画像は久遠ではなく、クラスの別の男子でした。
上北学園高等学校では、今SNSを中心に広がっているお呪いがある。
それは消しゴムに好きな人の前を書いて、使い切ると両想いになれるというお呪いの現代版。
お呪いのルールはたったの二つ。
■待ち受けを好きな人の写真にして3ヶ月間好きな人にそのことをバレてはいけないこと。
■待ち受けにする写真は自分しか持っていない写真であること。
つまりそれは、金城は久遠ではなく、そのクラスの別の男子のことが好きであることを意味していた。
久遠は落ち込むも、金城のためにできることを考えた結果、
金城が金城の待ち受けと付き合えるように、協力を持ちかけることになるが…
————————————————————
この作品は他サイトでも投稿しております。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
両片思いの幼馴染
kouta
BL
密かに恋をしていた幼馴染から自分が嫌われていることを知って距離を取ろうとする受けと受けの突然の変化に気づいて苛々が止まらない攻めの両片思いから始まる物語。
くっついた後も色々とすれ違いながら最終的にはいつもイチャイチャしています。
めちゃくちゃハッピーエンドです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる