5 / 46
笑顔(土方+山崎)
しおりを挟む
最初は、冷たい氷のような人だと思った。
冷徹で、聡明で、他人に厳しいけれど、それ以上に自分にも厳しい人。
近寄りがたい、誰からも恐れられる存在だったその人の笑顔を初めて見た時は、あまりにも衝撃的で。
予想外に温かいその手に、この人に、付いていこうと決めた。
「……以上です」
「ご苦労」
隠密行動の、結果報告。
内容が内容なだけに、報告書などは存在せず、その情報伝達方法は口頭のみ。
だからこそ、自分の意見が少しでも入ってはならない。
ほんの少しの情報の偏りが、致命的な誤差を生む。
自分の仕事は、見聞きしたことをありのまま、この頭の回る上司に伝えるだけ。
ただそれだけの仕事だけれど。
ただそれだけの仕事の難しさを、自分は十分理解しているし、誇りも持っている。
表面に出る仕事ではないから、周りの人に評価されることは皆無だ。
どんなに危険な場所を乗り越え、有力な情報を手に入れて来ようともとも、感謝されることもなければ、特別な手当てを貰えるわけでもない。
その情報をうまく使ってもらえなければ、自分の行動は全て無意味なものと化すし、隊内の事を探る仕事ももちろんあるから、他の隊士から疎まれることはあっても好かれることは少ない。
損な役回りだと、自分でも思うけれど。
それでも、この人の役に立つということが、この人の夢を手助けできているのだということが、自分を突き動かす原動力になっているのは紛れもない現実だった。
自分を最大限に使ってくれる、この人の人間性に惚れた自分の負けだと、そう思うしかない。
「失礼します」
「あぁ……。ちょっと待て」
「はい?」
いつものように、報告が済んだ後は何か思案を巡らせているこの人の邪魔をしないように、そっと気配を消して部屋を出ようとした。
呼び止められたのが意外で、少し裏返ったような声で振り向く。
「この間の池田屋の件だがな、今日お上から褒賞が出た」
「そうですか」
「分配の対象者は、池田屋に踏み込んだ者にのみ、だ。副長であっても例外はない」
「はい」
それは体調が悪かったにもかかわらず、屯所の守りを勤めていた山南副長や、長く時間をかけて情報を探り、提供した自分には何も手当てを出さない。
全く役に立たず、ただ付いて行っただけの平隊士には、大金を与えるのに。
そういう事だ。
この采配だけを聞けば、きっと誰もがこの人を冷たい人だと言うだろう。
だけど、今のこの時期。新撰組にとって、これ以上の采配はないと思う。
誰からもわかるよう、目に見える場所で命を懸けて働いた者だけが、それに見合った報酬を受け取る権利を得る。
そこに、地位も身分も関係ない。だからこそ、きっとこの先、隊士達は我武者羅に頑張るだろう。
これは新撰組のために、必要な処置だ。
そう思ったからこそ、頷いた。本当にそれでいいと思ったから。
自分は、金が欲しいわけではない。
ただこの人に、認められたいだけなのだ。
「……それだけか?」
けれど、どうやらこの人にとってその回答は意外なものだったらしい。
困ったように頭を掻いて、わずかに首を傾げる。
「副長の、お決めになった事ですから。それに、そのご判断は正しいと思います」
迷いもなく答えると、呆れたようにしばらく絶句した後、可笑しそうに笑い出した。
忘れもしない。
これがこの人の素顔な笑顔を見た最初だった。
馬鹿にしたような笑みでもなく。自嘲的な顔でもなく。作り笑いでもない。
本当は優しいこの人の、きっと親しい人しか見たことがないような、明るい笑顔。
一歩も動けず、その場でこの人の笑顔に釘付けになっていた手に、立ち上がったその人から、そっと何かを握らされる。
我に返って握らされた物に視線を落とすと、和紙で丁寧に包まれたそれは、紛れもなく金とわかる物。しかも、かなりの厚みがある。
驚いて顔を上げると同時に肩を、ぽんっと叩かれた。
「これは俺個人からの、お前への手当てだ。ご苦労だったな」
「戴けません。俺は、池田屋へは行っていませんから」
「だから、俺個人からのだと言ってるだろうが。隊費としては発生してねぇから、安心しろ」
「そういう事やなくて……」
「お前には、これを受け取る権利がある。ぐだぐだ言ってねぇで、受け取っときゃいいんだよ」
「せやけど」
言い返そうと言葉を紡ごうとした所で、この話は終わりだとでも言うように、身を翻してその人は再び机の前に座ってしまう。
握らされた金を返すタイミングも、素直に受け取るタイミングも逃して、どうしたらいいのかと立ち尽くしていると、溜息混じりに指令が下った。
「ぼーっと突っ立ってねぇで仕事しろ。総司の具合がよくねぇ、後で診に行ってやってくれ」
「……はい。ありがとうございます」
「お前の仕事は、信用してる。これからもよろしく頼むぜ」
部屋から出ようとした際にかかった、その最大の褒賞を受けて深く頭を下げ、この手にある包みよりも重いその言葉を、ずっとこの胸に刻み込む。
これからもこの人の役に立てますようにと、切に願った。
終
冷徹で、聡明で、他人に厳しいけれど、それ以上に自分にも厳しい人。
近寄りがたい、誰からも恐れられる存在だったその人の笑顔を初めて見た時は、あまりにも衝撃的で。
予想外に温かいその手に、この人に、付いていこうと決めた。
「……以上です」
「ご苦労」
隠密行動の、結果報告。
内容が内容なだけに、報告書などは存在せず、その情報伝達方法は口頭のみ。
だからこそ、自分の意見が少しでも入ってはならない。
ほんの少しの情報の偏りが、致命的な誤差を生む。
自分の仕事は、見聞きしたことをありのまま、この頭の回る上司に伝えるだけ。
ただそれだけの仕事だけれど。
ただそれだけの仕事の難しさを、自分は十分理解しているし、誇りも持っている。
表面に出る仕事ではないから、周りの人に評価されることは皆無だ。
どんなに危険な場所を乗り越え、有力な情報を手に入れて来ようともとも、感謝されることもなければ、特別な手当てを貰えるわけでもない。
その情報をうまく使ってもらえなければ、自分の行動は全て無意味なものと化すし、隊内の事を探る仕事ももちろんあるから、他の隊士から疎まれることはあっても好かれることは少ない。
損な役回りだと、自分でも思うけれど。
それでも、この人の役に立つということが、この人の夢を手助けできているのだということが、自分を突き動かす原動力になっているのは紛れもない現実だった。
自分を最大限に使ってくれる、この人の人間性に惚れた自分の負けだと、そう思うしかない。
「失礼します」
「あぁ……。ちょっと待て」
「はい?」
いつものように、報告が済んだ後は何か思案を巡らせているこの人の邪魔をしないように、そっと気配を消して部屋を出ようとした。
呼び止められたのが意外で、少し裏返ったような声で振り向く。
「この間の池田屋の件だがな、今日お上から褒賞が出た」
「そうですか」
「分配の対象者は、池田屋に踏み込んだ者にのみ、だ。副長であっても例外はない」
「はい」
それは体調が悪かったにもかかわらず、屯所の守りを勤めていた山南副長や、長く時間をかけて情報を探り、提供した自分には何も手当てを出さない。
全く役に立たず、ただ付いて行っただけの平隊士には、大金を与えるのに。
そういう事だ。
この采配だけを聞けば、きっと誰もがこの人を冷たい人だと言うだろう。
だけど、今のこの時期。新撰組にとって、これ以上の采配はないと思う。
誰からもわかるよう、目に見える場所で命を懸けて働いた者だけが、それに見合った報酬を受け取る権利を得る。
そこに、地位も身分も関係ない。だからこそ、きっとこの先、隊士達は我武者羅に頑張るだろう。
これは新撰組のために、必要な処置だ。
そう思ったからこそ、頷いた。本当にそれでいいと思ったから。
自分は、金が欲しいわけではない。
ただこの人に、認められたいだけなのだ。
「……それだけか?」
けれど、どうやらこの人にとってその回答は意外なものだったらしい。
困ったように頭を掻いて、わずかに首を傾げる。
「副長の、お決めになった事ですから。それに、そのご判断は正しいと思います」
迷いもなく答えると、呆れたようにしばらく絶句した後、可笑しそうに笑い出した。
忘れもしない。
これがこの人の素顔な笑顔を見た最初だった。
馬鹿にしたような笑みでもなく。自嘲的な顔でもなく。作り笑いでもない。
本当は優しいこの人の、きっと親しい人しか見たことがないような、明るい笑顔。
一歩も動けず、その場でこの人の笑顔に釘付けになっていた手に、立ち上がったその人から、そっと何かを握らされる。
我に返って握らされた物に視線を落とすと、和紙で丁寧に包まれたそれは、紛れもなく金とわかる物。しかも、かなりの厚みがある。
驚いて顔を上げると同時に肩を、ぽんっと叩かれた。
「これは俺個人からの、お前への手当てだ。ご苦労だったな」
「戴けません。俺は、池田屋へは行っていませんから」
「だから、俺個人からのだと言ってるだろうが。隊費としては発生してねぇから、安心しろ」
「そういう事やなくて……」
「お前には、これを受け取る権利がある。ぐだぐだ言ってねぇで、受け取っときゃいいんだよ」
「せやけど」
言い返そうと言葉を紡ごうとした所で、この話は終わりだとでも言うように、身を翻してその人は再び机の前に座ってしまう。
握らされた金を返すタイミングも、素直に受け取るタイミングも逃して、どうしたらいいのかと立ち尽くしていると、溜息混じりに指令が下った。
「ぼーっと突っ立ってねぇで仕事しろ。総司の具合がよくねぇ、後で診に行ってやってくれ」
「……はい。ありがとうございます」
「お前の仕事は、信用してる。これからもよろしく頼むぜ」
部屋から出ようとした際にかかった、その最大の褒賞を受けて深く頭を下げ、この手にある包みよりも重いその言葉を、ずっとこの胸に刻み込む。
これからもこの人の役に立てますようにと、切に願った。
終
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる