5 / 37
第五話 婚約の儀
ベンに手を引かれ辿り着いたのはこぢんまりとした部屋だった。そこで仮の婚約書にサインをするらしい。
先にベンがサインをし、書を受け取り書こうとした時、
(……ん?)
ベンのサインを見ると、『ベン・ブラウニー』と書かれている。
(ベン・ブラウニー……)
耳にしたことがあるような気がするのに、はっきりと思い出せない。
「なんだ? ここまで来てまだ迷ってんのか?」
「っ……迷ってなどいませんわ……」
ささっとサインを済ませると、ベンが婚約書を両手で持ち、マスターに渡した。
「私、ベン・ブラウニーとソフィア・グレインは婚約関係を結びます」
ベンがそう言うと、マスターはしっかりと頷いた。
そしてベンが体を90度回転させ、私の方を向く。それに合わせて私もベンと向き合う。
婚約の儀は、マスターの前で交互に相手にキスをするというもの。どこにキスをしても構わない決まりだが、私はどこにするかはここに来る前から決めてあった。当然、手だ。それ以外にあり得るはずがない。
「………………」
互いに見つめ合う時間がしばし続いた。どちらからするという決まりはないが、この様子だとベンは私の後にしたいらしい。一向に動く気配がないからだ。
私は彼の手を取った。
(改めて見ると……本当に大きな手だわ…………)
顔を傾け、手の甲に唇を付ける。
ちゅ……
唇を離すと途端に恥ずかしくなった。ミリーや家族が言うには、私は顔や耳が赤くなりやすいらしい。自覚はないが、昔からそう言われてきたからそういう体質なのだと思う。お願いだから今は赤くならないで、と願った。
彼の手から両手を離すと、その逞しい手は私の顎に触れた。そのままゆっくりと上へ向けられる。
(やっぱり……頬よね)
初対面の女性の肩や二の腕に堂々と触るのだから、きっと頬にキスしてくるに違いないと察してはいた。だからある意味心の準備はできていたものの、やはり頬にキスされるのは嫌だし恥ずかしくもある。それも、誰かに堂々と見られた状態で。
ベンの顔が近づいてきたところで、ぎゅっと目を瞑った。
(早く終わって……)
ふにゅ――――
「!!??」
柔らかい感触が離れる。口から。唇から。
(えっ えっ …………えっ??)
目を開けても、ベンを見ることができない。目が泳ぎ、何度も瞬きをしてしまう。
「ベン・ブラウニー、ソフィア・グレイン。二人の婚約を認め――」
マスターが何か言っている気がするが、何も頭に入ってこない。
(うそ……うそうそうそうそ!? く…………くちびる………唇に……………)
知らぬ間に手を引かれ、混乱したまま部屋を出ていた。
誰もいない廊下を歩いて行く。淡々と二人の足音だけが静かに耳に届く。
しばし歩いたところで、ピタッとベンが足を止めた。
「あんた、キスすんの初めてか?」
私は目を大きく見開いて睨みつけた。
「当たり前でしょう!? 結婚していないのに……ましてや婚約もしていないのに……唇にキスするなんてあり得ないでしょう!?」
先程までは突然のキスに混乱する気持ちが強かったが、彼の一言で怒りの感情も追いついてきた。
「信じられないわ! 本っっ当に……なんということを……」
「ほぉ、あんたそういうクチか」
「……はぃ??」
ダメだ。言葉遣いが悪くなってしまう。それだけは避けなくては。
「いいじゃねぇかキスくらい。唇が触れただけだろ?」
「唇に!! 唇に触れたのよ!?」
(ダメ……落ち着くのよ!)
「唇はまずかったか。一応軽く乗せるだけにしておいたんだが……って関係ねぇか。すまなかった」
(! ……そうだわ……軽く触れただけ……ちゃんとしたキスはされていない……ということよね!? まだ大丈夫……きっと大丈夫よ……!)
「婚約の儀も無事に終わりましたことですし、部屋に戻りますわ。それではおやすみなさいませ」
なんとか冷静さを保ち、挨拶を済ませ踵を返した。相変わらず私たち以外に誰もいない廊下を早足で歩く。これでやっと一先ずは解放されると安心したのも束の間、
「ソフィア」
という声とともに、またもや後ろから手を握られた。
「っ! ………………」
「なぁ、こっち向いてくれよ」
「嫌ですわ。先ほどおやすみなさいませと申したはずですが」
「そんな状態のあんたを放って置いてぐっすり寝られるわけねーだろ」
「……? なんの話ですの?」
「まだ俺に怒ってるだろ。機嫌取らせてくれよ。あんたが不機嫌なままじゃ気持ちよく寝られねぇんだ」
「……私が不機嫌だろうとあなたには関係――」
「ひとまずこっち向いてくれ」
「……嫌ですわっ!」
はぁ……という小さなため息が後ろから聞こえた直後、腰に力が加わり、体がぐるりと180度回転した。
「ひゃっ!?」
そして片手で背中を支えられ、もう片方の手は顎へと添えられる。
「やっ……!」
「キスはしねぇから。頼むから俺の目を見てくれ」
「嫌よ……どうしてあなたの言うことを聞かなくてはいけないの? 絶対に嫌――」
「頼む」
「………………」
不思議とその言い方にはとても気持ちが込められているように感じた。だからなのか、早く部屋に戻って一人になりたいはずなのに、聞き入れてしまう。
恐る恐る視線を上へ向けると、優しげな眼差しと目が合った。なぜだか吸い込まれそうになる。
(すぐ手を掴んでくるし、平気で唇にキスしてくるし、ちっとも礼儀正しくないはずのに……どうしてそのような表情ができるの? 怖い目つきだったら何も気にせず突き放せるのに……どうしてなのよ…………)
先にベンがサインをし、書を受け取り書こうとした時、
(……ん?)
ベンのサインを見ると、『ベン・ブラウニー』と書かれている。
(ベン・ブラウニー……)
耳にしたことがあるような気がするのに、はっきりと思い出せない。
「なんだ? ここまで来てまだ迷ってんのか?」
「っ……迷ってなどいませんわ……」
ささっとサインを済ませると、ベンが婚約書を両手で持ち、マスターに渡した。
「私、ベン・ブラウニーとソフィア・グレインは婚約関係を結びます」
ベンがそう言うと、マスターはしっかりと頷いた。
そしてベンが体を90度回転させ、私の方を向く。それに合わせて私もベンと向き合う。
婚約の儀は、マスターの前で交互に相手にキスをするというもの。どこにキスをしても構わない決まりだが、私はどこにするかはここに来る前から決めてあった。当然、手だ。それ以外にあり得るはずがない。
「………………」
互いに見つめ合う時間がしばし続いた。どちらからするという決まりはないが、この様子だとベンは私の後にしたいらしい。一向に動く気配がないからだ。
私は彼の手を取った。
(改めて見ると……本当に大きな手だわ…………)
顔を傾け、手の甲に唇を付ける。
ちゅ……
唇を離すと途端に恥ずかしくなった。ミリーや家族が言うには、私は顔や耳が赤くなりやすいらしい。自覚はないが、昔からそう言われてきたからそういう体質なのだと思う。お願いだから今は赤くならないで、と願った。
彼の手から両手を離すと、その逞しい手は私の顎に触れた。そのままゆっくりと上へ向けられる。
(やっぱり……頬よね)
初対面の女性の肩や二の腕に堂々と触るのだから、きっと頬にキスしてくるに違いないと察してはいた。だからある意味心の準備はできていたものの、やはり頬にキスされるのは嫌だし恥ずかしくもある。それも、誰かに堂々と見られた状態で。
ベンの顔が近づいてきたところで、ぎゅっと目を瞑った。
(早く終わって……)
ふにゅ――――
「!!??」
柔らかい感触が離れる。口から。唇から。
(えっ えっ …………えっ??)
目を開けても、ベンを見ることができない。目が泳ぎ、何度も瞬きをしてしまう。
「ベン・ブラウニー、ソフィア・グレイン。二人の婚約を認め――」
マスターが何か言っている気がするが、何も頭に入ってこない。
(うそ……うそうそうそうそ!? く…………くちびる………唇に……………)
知らぬ間に手を引かれ、混乱したまま部屋を出ていた。
誰もいない廊下を歩いて行く。淡々と二人の足音だけが静かに耳に届く。
しばし歩いたところで、ピタッとベンが足を止めた。
「あんた、キスすんの初めてか?」
私は目を大きく見開いて睨みつけた。
「当たり前でしょう!? 結婚していないのに……ましてや婚約もしていないのに……唇にキスするなんてあり得ないでしょう!?」
先程までは突然のキスに混乱する気持ちが強かったが、彼の一言で怒りの感情も追いついてきた。
「信じられないわ! 本っっ当に……なんということを……」
「ほぉ、あんたそういうクチか」
「……はぃ??」
ダメだ。言葉遣いが悪くなってしまう。それだけは避けなくては。
「いいじゃねぇかキスくらい。唇が触れただけだろ?」
「唇に!! 唇に触れたのよ!?」
(ダメ……落ち着くのよ!)
「唇はまずかったか。一応軽く乗せるだけにしておいたんだが……って関係ねぇか。すまなかった」
(! ……そうだわ……軽く触れただけ……ちゃんとしたキスはされていない……ということよね!? まだ大丈夫……きっと大丈夫よ……!)
「婚約の儀も無事に終わりましたことですし、部屋に戻りますわ。それではおやすみなさいませ」
なんとか冷静さを保ち、挨拶を済ませ踵を返した。相変わらず私たち以外に誰もいない廊下を早足で歩く。これでやっと一先ずは解放されると安心したのも束の間、
「ソフィア」
という声とともに、またもや後ろから手を握られた。
「っ! ………………」
「なぁ、こっち向いてくれよ」
「嫌ですわ。先ほどおやすみなさいませと申したはずですが」
「そんな状態のあんたを放って置いてぐっすり寝られるわけねーだろ」
「……? なんの話ですの?」
「まだ俺に怒ってるだろ。機嫌取らせてくれよ。あんたが不機嫌なままじゃ気持ちよく寝られねぇんだ」
「……私が不機嫌だろうとあなたには関係――」
「ひとまずこっち向いてくれ」
「……嫌ですわっ!」
はぁ……という小さなため息が後ろから聞こえた直後、腰に力が加わり、体がぐるりと180度回転した。
「ひゃっ!?」
そして片手で背中を支えられ、もう片方の手は顎へと添えられる。
「やっ……!」
「キスはしねぇから。頼むから俺の目を見てくれ」
「嫌よ……どうしてあなたの言うことを聞かなくてはいけないの? 絶対に嫌――」
「頼む」
「………………」
不思議とその言い方にはとても気持ちが込められているように感じた。だからなのか、早く部屋に戻って一人になりたいはずなのに、聞き入れてしまう。
恐る恐る視線を上へ向けると、優しげな眼差しと目が合った。なぜだか吸い込まれそうになる。
(すぐ手を掴んでくるし、平気で唇にキスしてくるし、ちっとも礼儀正しくないはずのに……どうしてそのような表情ができるの? 怖い目つきだったら何も気にせず突き放せるのに……どうしてなのよ…………)
あなたにおすすめの小説
王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする
葉山あおい
恋愛
王宮で働く勤続八年のメイド、エレナ・フォスター。仕事は完璧だが愛想がない彼女は、いつしか「鉄の女」と呼ばれ恐れられていた。
そんな彼女に下された辞令は、王宮の敷地内にありながら「魔窟」と呼ばれる『北の塔』の専属メイドになること。そこの主である宮廷魔術師団長・シルヴィス・クローデルは、稀代の天才ながら極度の人嫌い&生活能力ゼロの偏屈男だった!
ゴミ屋敷と化した塔をピカピカに掃除し、栄養失調寸前の彼に絶品の手料理を振る舞うエレナ。黄金色のオムレツ、とろける煮込みハンバーグ、特製カツサンド……。美味しいご飯で餌付けされた魔術師様は、次第にエレナへの独占欲を露わにし始めて――?
意地悪な聖女や侯爵夫人のいびりも、完璧なスキルで華麗に返り討ち。平民出身のメイドが、身分差を乗り越えて幸せな花嫁になるまでの、美味しくて甘いシンデレラストーリー。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】「元カノが忘れられないんでしょう?」と身を引いた瞬間、爽やか彼氏の執着スイッチが入りました
恋せよ恋
恋愛
「元カノが忘れられないなら、私が身を引くわくべきよね」
交際一周年、愛するザックに告げた決別の言葉。
でも、彼は悲しむどころか、見たこともない
暗い瞳で私を追い詰めた。
「僕を捨てる? 逃げられると思っているの、アン」
私の知る爽やかな王子の仮面が剥がれ落ち、
隠されていた狂おしいほどの独占欲が牙を剥く。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
お兄様はやさしく笑って、逃げ道だけをなくしていく
星乃和花
恋愛
縁談に悩む子爵令嬢リゼットが助けを求めたのは、名門侯爵家の長男アルフレッド。
穏やかでやさしく、理想のお兄様のような彼は、「君のことは僕が見ている」と甘く手を差し伸べてくれる。
送り迎え、花や手紙、完璧なエスコート。
守られているだけのはずが、気づけば周囲には「彼女はもうノースウェル侯爵家のもの」という空気ができあがっていて――。
ふわふわ優しいのに、実はかなり策略家。
やさしく逃げ道をなくしてくるお兄様系ヒーローに、恋愛に疎い令嬢がじわじわ囲い落とされていく、甘くて幸せな溺愛ラブストーリー。
――「待つよ」と言いながら、外堀はきっちり埋めてくる――
(完結済ー本編10話+後日談2話)
仮面王の花嫁
松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。
しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?