最低な出会いから濃密な愛を知る

あん蜜

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第十話 胸の痛み

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 ベンが口を閉ざしてからどのくらい時間が経ったのだろうか。ピタリと会話が止んでからというもの、ベンはどこかボーッとしているような表情をしていた。その間、さりげなく繋がれた手を解こうと試みるも、少し指を動かしただけでぎゅっと握り直されるので毎回失敗に終わった。

 馬車の揺れ動く音ばかりが響く中、ふとベンの様子をうかがってみると……

「!」

 なんと、目を閉じて眠っていたのだ。

 このチャンスを逃すまいと早速手を離そうとしたが、すぐに思いとどまった。指を動かすとベンを起こしてしまうかもしれないからだ。寝不足なようには見えなかったが、実際はわからない。眠りが浅かったのかもしれないし、世間知らずとはいえそれなりに分別は持っているつもりだ。

 私はベンに光が当たらないように配慮しつつ、少しばかりカーテンを開け、馬車の外を眺めた。

「わぁ……」

 思わず感動の吐息がこぼれ出る。ちょうど海沿いを走っていたようで、遙か遠くまで水平線が広がっている。

(とっても綺麗だわ……!)

 飽きることのない景色を堪能していると、馬車はおもむろに飲食店の並ぶ通りに入っていった。ここで昼食を取るのだと察し、寝ているベンの様子をうかがおうと振り向いたところ……

ちゅっ

「!?」

 昨夜、就寝前の挨拶を交わした直後にされたのと同じ、ついばむような感触が唇に伝わる。

「っ……っ……!?」

 思いがけない出来事に言葉が出ない。
 目を丸くしていると、ベンは口元を緩めた。

「困ったな、俺の婚約者は可愛すぎる」

「っ!?」

 結局何も言えないまま馬車は動きを止めた。扉が開く。馬車を降りると、ベンは「ん~~」と声を出しながら腕を上に伸ばした。

「はぁ……やっぱ疲れんな。座りっぱなしは性に合わねぇ」

 そう言っている間も、手は繋がったままだ。絡み合う指の間も然り、手と手の間が汗で非常に潤っている。

(す、すごいことになっているわ……どうしたらいいのかしら……なんて言えば……っ)

「あ、あの……」

「ん?」

「ぁっ……………」

 目が泳ぎ、俯いてしまう。緊張したり、遠慮したりする必要のない相手だということは昨夜のうちにわかっているはずなのに、特定の相手としかコミュニケーションを取ってこなかったからか、スムーズに会話ができない。

「あぁ、拭きたかったか?」

 手の平に勢いよく空気が流れ込み、途端に涼しさを感じる。

「!」

 突然手を離されたので、それをのぞんでいたものの驚いてしまう。ベンは小さめのタオルを出し素早く拭うと、何気ないような素振りで手の平をこちらに向けてきた。

「ん」

「…………?」

「何ボーッとしてんだ。繋ぎ直せねぇじゃねーか」

「……えっ! あっ……」

 私があわてて汗を拭うと、すぐさま元通りに繋ぎ直されてしまった。そのまま店の中へと入っていく。

「………………」

(何も言われなかった……。『すげぇ汗だな』とか、そういったことは何も…………)


 店内は外から見えるよりも広く感じるような開放感のある作りをしており、美味しそうな匂いが漂っていた。そのおかげで料理が運ばれるのを待っている間、何度もお腹が鳴ってしまった。
 匂いがいいだけでなく、もちろん味も絶品だった。海の幸が大好物のため、こうした海の近くにあるレストランには嫌いなものがなく、どれも美味しいから身構えることなく味わうことができる。

 黙々と食べ進めていき、デザートが運ばれたところで全く会話をしていないことに気付いた。いくら仮の婚約者で後に解消しようとしている相手だからとはいえ、これでは一人で食事しているのと同じだ。親しくない相手と食事するのが苦手だからとはいえ、料理に手を付けてから一度もベンと目を合わせていない。さすがに失礼極まりないように思う。

(ここから挽回できるかしら……。あぁ……ベン様のお顔を見るのがこわい…………)

 目の前にあるデザートから徐々に視線を外し、上へと向けていく。視線が首の辺りに到達した段階で、ベンがこちらを見つめているのがわかった。

「っ…………」

 ゆっくりと、視線をさらに上へとずらす……

「!!」

 目に映ったのは、不機嫌そうな顔でも冷たい目つきでもない、穏やかな微笑みだった。思わずパチパチと瞬きしてしまう。

(あ、謝らないと……)

 口を開けた直後、楽しそうな笑い声が響いた。

「ふはははは!」

「??」

「いい食べっぷりじゃねぇか、口に合ったようでよかった」

「……!」

「無理して話す必要ねぇぞ。今まで色んな言い訳作って社交的な関わりを避けてきたんだろ。慣れてなくて当たり前だ。俺からしたら今みてぇに美味そうに食ってくれてるだけで充分幸せだ」

「っ……!」

 胸に変な痛みが鋭く走る。

「どうした? つらそうな顔してんぞ。……どっか痛むのか?」

 咄嗟に首を横に振る。

「大丈夫ですわ……その……本当に、どこも痛いわけではなくて……」

「本当か?」

「はい」

 微笑もうとしたが、あまりいい表情を作れていないのが自分でもわかった。それでも大丈夫だと思ってもらえるよう口角を上げる。

「そうか、ならいいんだが。体調の変化は放っておくと厄介だ。些細なことでも我慢するんじゃねぇぞ」

「はい。ありがとうございます」

 そうしてベンがデザートに手を付けたのでホッとした。私もデザートを口へと運ぶ。

(具合が悪いわけではないのだけれど……この胸の痛みはなんなのかしら……。昨夜も似たような違和感に何度も戸惑った。私の体に何か起きているのかしら…………)

 ひとつの考えがよみがえり、自然と手が止まる。

(妊娠!?)

 冷や汗をかいているような、冷たい何かが体を駆け抜ける。

(妊娠すると体に色んなことが起きるのよね……? ベン様はキスだけで妊娠しないと言っていたけれど……それじゃあこの胸の違和感はなんなの!? 何が本当なの!? あぁ……一刻も早くミリーに確認しないと……悠長に味わっている場合じゃないわ!)

 焦る気持ちが手も口も速めるのか、ベンよりも先にデザートを平らげていた。
 
 椅子から立ち上がると、当たり前のように手を握られる。今朝から食事の時以外ずっと手を繋いでいるわけだが、そう簡単に慣れるものでもない。手を繋ぐことも、キスも、男性と二人で食事することも、全てが初めてのことで戸惑う気持ちが勝ってしまう。

 店を出て再び馬車に乗り込むも、やはり手は握られたままの状態だ。

「……ベン様……」

「どうした?」

「その……どうして手を繋ぐのでしょうか……?」

「そいつは愚問だな。仮にも婚約してんだぜ? パートナーの手を離しておく馬鹿がいるかよ」

「……それは、つまり……婚約したら手を繋ぐのは当たり前のことなのでしょうか?」

「あぁ」

「!」

(そういうことだったのね……やっと腑に落ちた。はぁ……ミリーったら、どうして教えておいてくれなかったのかしら、もぅ…………)

「ソフィア」

 突然名前を呼ばれ、ドキッとしながら横を向く。

「先に言っておくが、今夜は俺の実家、ブラウニー家に泊まるからな」

「……!!??」

 衝撃過ぎるひと言に、目が大きく見開いているのが自分でもわかる。

「と、泊まるのは宿のはずでは……!?」

「一日でも早くあんたと正式に婚約を結びてぇんだ。だから今夜は俺の実家で泊まって、そのまま明日、俺の家族も連れてグレイン伯爵家へ行かせてもらう」

「えぇっ!?」

「まーそういうわけだ。さっきも言ったが、俺の家族と無理して色々話す必要はねぇぞ。挨拶を交わす程度で充分だ。心配すんな」

(いやいやいや……!!)

 何もかもが唐突で理解に苦しむ。

 それでも悲しいことに、私がこれ以上何を言おうとそれで予定が変わることはないことだけは、しっかりと理解できてしまった。

(もう…………どうなっているのよぉ………………)
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