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第21話:野心、矜持、覚悟…
#15
しおりを挟むそれは3月22日の夜の出来事であった。
失意から抜け出せずにいたギルターツは、火急の場合に備えて一応、側近達に行き先は告げたものの、誰も連れる事無く城の敷地内にある館を出ると、ドゥ・ザンの死以来、封鎖したままにしている、イナヴァーザン城大天守内の、ドゥ・ザンの居住区画へと足を運んだ。そこに向かうための理論的な理由は無く、何かに誘われるかのように…何かに呼ばれたかのようにである。
“あそこに行けば、自分の迷いを断つものが見つかるかもしれない…”
漠然とした思いと共にギルターツは、亡きドゥ・ザンの居住区画を巡り始めた。隣接する第二執務室では、ミノネリラの統治について意見を交わした際の、ドゥ・ザンの厳しい眼が…広大な面積のリビングでは、子供の頃の笑わぬ自分に手を焼いていたドゥ・ザンの苦笑が…城のあるキンカー山からの夜景が一望できるテラスでは、実の母ミオーラが病死した夜の、ドゥ・ザンの背中が蘇る………
すべては夢か、幻か―――
あれほど拒み、認めずにいた父ドゥ・ザン。その父と同じ“マムシの道”を歩んで手に入れた、ミノネリラ宙域星大名の座。だがそれも真実を知った今は、虚しいだけだ。
トキ家のリノリラス、そしてドゥ・ザン…そのどちらが本当の父親であったとしても、自分の行いを背負って生きていく覚悟はあった。だが思いも寄らぬ事実に、行き場をなくした覚悟は、空虚な宙を彷徨うばかりである。
そんな時、居住区画の外周通路を歩いていたギルターツは、見覚えのある後ろ姿を通路の奥に見た。双眸をしばたかせて呟くギルターツ。
「ド…ドゥ・ザン殿?」
足元を照らす山吹色の間接照明だけが柔らかく輝く、仄暗い通路で一瞬立ちすくんだギルターツの視線の先で、その見覚えのある背中はさらに奥へと進み、扉の一つの前で霧のように消え去った。
“ドゥ・ザン殿…いや、父上!”
その背中を追い、ギルターツは姿の消えた扉の前へ歩み寄る。そこはドゥ・ザンが生前、よく使っていた書斎であった。天然木で作られた自動扉は、センサーがギルターツの体温を感じ取り、控え目な音を発して開く。自ずと部屋の中へ歩を進めるギルターツだが、自動的に点灯した書斎の明かりの下には、やはりドゥ・ザンの姿は無い。
“まさに夢幻であったか………”
内心でそう言い捨て、ギルターツは書斎の中を見渡した。調度品はどれも扉と同じく天然木を使用しており、温かみを感じさせる。
書斎には、今の時代にはほとんど見られなくなった、紙製の古い書籍をぎっしりと収めた本棚が幾つも並び、まるでここだけ数百年も昔の世界のようであった。ただその並んだ本棚の中の一つだけは、硝子戸の戸棚となっており、中には数本のウイスキーのボトルとグラスが二個、入っているのを見て取れる。
“ここへ来るのも、五年前のあの日以来であろうか…”
五年前のあの日とは、留学先であった皇都惑星キヨウから帰って来るノア姫を、重臣のドルグ=ホルタに艦隊を率いて迎えに行くよう、ドゥ・ザンが命じた日の事であった。
“あの時は…俺はノアを殺すつもりでいた…”
それはつまりドゥ・ザンが、トキ家のリージュと政略結婚させる腹積もりであったノア姫―――ギルターツにとっては義理の妹となるノア姫を暗殺し、それをもってドゥ・ザンに対し、叛旗を翻す決意の表明とするつもりだったのだ。
そんなギルターツの胸の内を知ってか知らずか、ドゥ・ザンはギルターツを“朝酒”に誘うと、二人はこの書斎でグラスを傾けたのである。
“思えば、ドゥ・ザン殿と二人で酒を飲み交わしたのは、あれが最後であった…”
ノアが乗る御用船『ルエンシアン』号に、キヨウからの積み荷として紛れ込ませた、殺人ロボットにノアを殺させて船を爆破する計画…ところがそれは、いきなり介入して来たウォーダ家のノヴァルナによって頓挫。
しかも、どうやって生き延びたか真実は不明だが、およそ一ヵ月後にノヴァルナと共に生還したノアは、事もあろうにサイドゥ家とウォーダ家が交戦している戦場の真ん中で、リージュ=トキではなくウォーダ家のノヴァルナとの婚約を発表するという、驚天動地の行動で事態を収拾してしまった。
“あの酒の場でどのような話をしたか…もう覚えておらん”
ただ、ノアとノヴァルナの生還、そしてトラン=ミストラル星系第二惑星ロフラクスでのドゥ・ザンとノヴァルナの会見以来、ドゥ・ザンへの憎さが増したようにギルターツは思う。
あの両者の会見から、ドゥ・ザンはすっかりノヴァルナに魅了されて、骨抜きとなってしまった。口を開けば「オ・ワーリの婿殿は…」で、本当にミノネリラの統治権さえ与えかねない惚れ込みように、“マムシのドゥ・ザン”ともあろうものが…と、許せない気持ちが強くなっていったのだ。
“もしや俺は…あの大うつけに、嫉妬していたというのか…”
そこへ思い至ったギルターツは、さらに虚しさが大きくなった気がした。自分がして来た事はとどのつまり、ドゥ・ザンに星大名としての自分の力量を、見せつけたかっただけなのかもしれない。
“教えてくれドゥ・ザン殿…いや父上。俺はこれからどうすればよいのだ…”
ギルターツは、ドゥ・ザンが腰を下ろしていた木製の椅子を見詰め、そこに座るドゥ・ザンの姿を思い浮かべて問いかけた。
歩み始めた道を進むしかないのは、ギルターツにも分かっている。だが今の自分とこの先のイースキー家を想うと、その歩みも重く感じられるのだ。
すると不意にギルターツの頭の中で、椅子に座るドゥ・ザンがグラスを片手に、語り掛けて来たような気がした。
“なにを迷うておるのじゃ? ギルターツ…”
「ドゥ・ザン殿…」
“おぬしの父たる儂も、元はと言えば民間人ではないか。己が出生など、戦国の世においては取るに足らぬ話よ”
「………」
“そのような顔をせずともよい。浮世の事は酒にでも流せ”
ドゥ・ザンの幻影にそう言われ、ギルターツは再びウイスキーの入った棚に視線を向けた。すると硝子戸の向こうに並ぶ、ウイスキーボトルの一本に眼を留める。そのボトルには、細い鎖がついた小さな札が掛けてあった。
気になったギルターツは棚に近づき、戸を開けてそのボトルを手に取る。ボトルは未開封であり、札には“ギルターツ用”と記されていた。
「これは…」
ウイスキーは銀河皇国でも有数の名産地、ティルサルガ星系で造られた1525年ものの逸品である。おそらくあの“朝酒”の日以来、自分と再び酌み交わそうと考えたドゥ・ザンが、とっておいたものなのだとギルターツは考えた。残念ながらそのような日が訪れる事は無かったが…
そして何気なく札を指先で摘まみ、裏返してみたギルターツは、「あっ…」と小さな声を上げる。札の裏にはこう書かれてあったのだ。
“迷いなき日々のために”
それはドゥ・ザンが裏面の空きスペースに、たまたま書いただけの言葉なのかも知れない。だがギルターツはこれを天啓のように感じ取った。
“これは…俺のために“マムシのドゥ・ザン”が…父上が、用意してくれたもの。これは…この酒とこの言葉で英気を取り戻し、自信を取り戻せという父上の計らいに違いあるまい!”
ギルターツは棚の中にあったグラスを一つ取り出すと、ボトルを開封し、琥珀色をしたウイスキーを半ばまで注いで、一気に飲み干した。カッ!…と熱感のある息が腹の底からこみ上げて来て、勢いよく吐き出す。それと同時に気持ちが高ぶりだすのを感じるギルターツ。
“そうだ!…逡巡などは無用であった。俺には迷う事など何も無いはず。俺は父と同じ非情なマムシの道を奉じると、覚悟したのではないか!”
そしてドゥ・ザンを虜にした、ノヴァルナへの対抗意識を声に出し「見ておれ、ノヴァルナ・ダン=ウォーダ!」と、叫んだその時である。ギルターツは突然、口から大量に吐血した。
朦朧とする意識の中でNNLを操作し、緊急事態を通報したギルターツのもとへ警護兵や侍女、側近達が駆け付けたのは、それから三分も経たないうちである。
彼等が到着した時、ギルターツは巨躯を書斎の床に俯せにして横たえており、眼を見開いたまま横を向けた顔は、自らの吐血の中に浸っていた。
「殿!」
「ギルターツ様!!」
一斉に駆け寄ろうとして、それほど広くない書斎に多くの人間がひしめき合う。その直後の事だ。旧サイドゥ家から仕えていた者であれば、誰もが聞き覚えのある「カッカッカッ…」という、乾いた笑い声がどこからともなく響いて来た。ドゥ・ザン=サイドゥの笑い声である。
そして唐突にそれは、皆の前に姿を現す………
NNLの出力端末が勝手に作動し、等身大ホログラムのドゥ・ザンが、僅かに揺らぎながら浮かび上がった。生前と変わらぬままに。薄笑いを浮かべたドゥ・ザンは、床に転がるギルターツをゆっくりと見下ろす。
「きっ!…きゃぁああああああーーー!!!!」
甲高い悲鳴を上げたのは侍女達だった。それにつられ、側近達も腰を抜かしてあとずさりを始める。
「ド!…ドゥ・ザン様!!」
「あわわわわ…」
「ひいぃ。ドゥ・ザン様ぁ!!」
ホログラム?…幽霊?…いや、ホログラムのはずだと思おうとするが、誰もが恐怖に凍り付き、思考が停止してしまっていた。そんな中でドゥ・ザンは薄笑いを浮かべたまま、横たわるギルターツに向け、嘲るように言い放つ。
「このドゥ・ザンが密かに用意しておった、取っておきの毒酒。とうとう飲みおったわ、大たわけが!」
禍々しいドゥ・ザンの言葉に、居合わす誰もが顔を青ざめさせる。
「おぬし如きが、儂に取って代わろうなど笑止千万。大方己に迷いでも生じてここへ足を踏み入れたのであろうが、それが運の尽きよ。情けに迷うような者が、儂のように“マムシの道”を求めようなど、フハハハハハ…片腹痛き事この上なし。あとの積もる話は地獄でしようぞ、ギルターツ!」
そう続けたドゥ・ザンのホログラムは、またもや発した乾いた笑い声を残して、すぅ…と溶け入るように消え去って行った。
茫然としていた側近達が我に返り、ギルターツの状態を確認するとやはり、すでにこと切れており、背筋の凍るようなこの出来事は、誰かによる暗殺事件という認識を超えて、“ドゥ・ザン様の呪い”として、イースキー家を震撼させる事になったのである………
▶#16につづく
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