5 / 8
変化の時代1936
霧の都
しおりを挟む
カンタベリーからロンドンまでは、列車で1時間半で行ける。列車の本数も多いので、意外にも帝都までは近い。まだティータイムを過ぎたばかりなので、帰る頃には遅くなるが、カイミルに会うのに間に合うだろう。
ロンドン駅のホームを出て、バスに乗って孤児院の近くで降りる。前大戦で帝都はカトリックによる超遠距離砲撃によって、市街地は荒廃した。歴史的な建築は、国教会によって優先的に防衛されたが、住宅密集地は焼けただれ、瓦礫まみれとなった。あれから20年弱、大戦の面影はなく、何百年も続くロンドンの空気がする。
「ここか」
孤児院は教会と併設されており、入り口は教会の門から入ることになる。広い中庭があり子どもたちが元気に走り回っている。
子どもの世話をしているシスターに声を掛けて、招待状を渡す。
「あらまあ、管区本部からわざわざ来られたんですね。まあまあ、どうぞ中に入ってください。ライズ、ちょっと来てちょうだい。」
シスターはこの中でも年長に見える女の子の名を呼んだ。
「じゃあ、私はちょっとお話をしなきゃいけないから、子どもたちのこと、頼んだわよ。」
「うん!」
ここは彼女に任せ、シスターに案内されて孤児院の中に入る。
「しっかりした子でしょ?まだ12才なのよ。ここの子はみんな言う事を聞いて、いい子ばかりよ。」
「そのようですね。静かだけど、優しい雰囲気を感じます。」
事務室のような、小さな部屋に入る。
「じゃあまあ、そこに座ってて頂戴。」
「どうも。」
僕が椅子に腰掛けると、シスターは奥の部屋に行った。
すると、入ってきた扉から、金髪の少女がこちらを覗いてきた。気がついて目を合わせると、すぐに顔を引っ込めてどこかへ行ってしまった。
「どうかしました?」
戻ってきたシスターは紅茶を淹れてくれた。
「いえ、覗いてくる子がいたので。」
「まあまあ、軍人さんがここにくるなんて珍しいですから。それで何の用事で?」
「はい。そういえば名前を言っていなかった。僕はウィリアム・アーチリステと言います。よろしく。」
「どうも~」
「早速ですが、ある少女を探していまして…」
そう言ってアウグスト嬢の写真を見せる。
「ユーディットラウト・アウグストという女の子がいるはずなんですが、今会うことはできますか?」
「あらあら、ユーちゃんのことかしら。」
「ここにいるんですか?!」
突然の僕の声に、シスターは目をぱちくりさせている。
「す、すいません、急に大声をあげてしまって。」
「構いませんよ。それで、ユーちゃんなら呼んできましょうか?」
「お願いします、話すだけでもいいので、ぜひ」
「じゃあちょっと待っててくださいね」
シスターは部屋を出て、孤児院の中、おそらく彼女の部屋に向かっていった。
数分すると、シスターが金髪の少女、さっき僕のことを覗いた女の子を連れてきてくれた。
「初めまして、君がユーディットラウト・アウグストで間違いないのかい?」
少女は首を縦に振った。
きた。ついに。
福音教会の聖職者と会うことができた。
「国教会の軍人さんが私に何か用ですか?」
「初めまして、僕はウィリアム・アーチリステ。早速で悪いんだけど、君が福音教会の聖職者であることは本当なの?」
「はい、"元"と言った方が正しいですが。」
「でも他の聖職者と違って使徒としての能力は、まだ残っている、これも本当?」
「微かに、ですが、身体能力上昇と銃火器の軽い魔装化程度ならまだできます。」
「よかった。」
中将の言ったように、彼女の能力はまだ残っていた。長期的なリハビリをすれば元の能力まで戻る可能性だってある。ここで彼女を見逃す手はない。
「ウィリアム・アーチリステ少佐、私からも聞きたいことがありますが、いいですか?」
「もちろん」
「私を、国教会の軍に入れさせようとしていますか?」
「ノーと言えば嘘になる。もちろん元の階級や権限はそのまま、ぜひ国教会に─」
「そうですか」
突き放すように彼女は言った。
「私はもう軍には入りません。今の私には、家族も友人も守るべき国も無い。福音教会は私の家みたいなものでした。それなのに─」
彼女は手を強く握って小さな声で言った。
「それなのに、あの国は変わってしまった。私はもう疲れたんです。福音教会も統一主義も、もうどうでもいい。今ここにいるのも、誰も私に干渉しないから、誰も私を見ないから、ここで静かに暮らしていた。なのに、なんで私を呼ぶの…」
目から涙を溢しながら、彼女は僕にそう訴えかけた。
「すまない、しかし、君のような優秀な聖職者は、軍にいるべき人間なんだ。我々もできる限りの、」
「Halt die Klappe!」
ドイツ語は分からないが、彼女の必死さが伝わる。
「……もう帰ってよ…」
俯いて彼女は掠れた声で言う。
「ごめんなさいね、アーチリステさん。今は1人にさせてあげて下さい…」
「すいません、完全に僕が悪かったです…今日はもう帰ります…」
残念だが、彼女はもう僕と話をする気は無い。
今、彼女の心を癒すことができない自分がとても情けない。
「またいらしてくださいね。今度はゆっくり話しましょう。」
「はい、今日はありがとうございました。」
陽の沈む教会から鐘の音がした。
ロンドン駅のホームを出て、バスに乗って孤児院の近くで降りる。前大戦で帝都はカトリックによる超遠距離砲撃によって、市街地は荒廃した。歴史的な建築は、国教会によって優先的に防衛されたが、住宅密集地は焼けただれ、瓦礫まみれとなった。あれから20年弱、大戦の面影はなく、何百年も続くロンドンの空気がする。
「ここか」
孤児院は教会と併設されており、入り口は教会の門から入ることになる。広い中庭があり子どもたちが元気に走り回っている。
子どもの世話をしているシスターに声を掛けて、招待状を渡す。
「あらまあ、管区本部からわざわざ来られたんですね。まあまあ、どうぞ中に入ってください。ライズ、ちょっと来てちょうだい。」
シスターはこの中でも年長に見える女の子の名を呼んだ。
「じゃあ、私はちょっとお話をしなきゃいけないから、子どもたちのこと、頼んだわよ。」
「うん!」
ここは彼女に任せ、シスターに案内されて孤児院の中に入る。
「しっかりした子でしょ?まだ12才なのよ。ここの子はみんな言う事を聞いて、いい子ばかりよ。」
「そのようですね。静かだけど、優しい雰囲気を感じます。」
事務室のような、小さな部屋に入る。
「じゃあまあ、そこに座ってて頂戴。」
「どうも。」
僕が椅子に腰掛けると、シスターは奥の部屋に行った。
すると、入ってきた扉から、金髪の少女がこちらを覗いてきた。気がついて目を合わせると、すぐに顔を引っ込めてどこかへ行ってしまった。
「どうかしました?」
戻ってきたシスターは紅茶を淹れてくれた。
「いえ、覗いてくる子がいたので。」
「まあまあ、軍人さんがここにくるなんて珍しいですから。それで何の用事で?」
「はい。そういえば名前を言っていなかった。僕はウィリアム・アーチリステと言います。よろしく。」
「どうも~」
「早速ですが、ある少女を探していまして…」
そう言ってアウグスト嬢の写真を見せる。
「ユーディットラウト・アウグストという女の子がいるはずなんですが、今会うことはできますか?」
「あらあら、ユーちゃんのことかしら。」
「ここにいるんですか?!」
突然の僕の声に、シスターは目をぱちくりさせている。
「す、すいません、急に大声をあげてしまって。」
「構いませんよ。それで、ユーちゃんなら呼んできましょうか?」
「お願いします、話すだけでもいいので、ぜひ」
「じゃあちょっと待っててくださいね」
シスターは部屋を出て、孤児院の中、おそらく彼女の部屋に向かっていった。
数分すると、シスターが金髪の少女、さっき僕のことを覗いた女の子を連れてきてくれた。
「初めまして、君がユーディットラウト・アウグストで間違いないのかい?」
少女は首を縦に振った。
きた。ついに。
福音教会の聖職者と会うことができた。
「国教会の軍人さんが私に何か用ですか?」
「初めまして、僕はウィリアム・アーチリステ。早速で悪いんだけど、君が福音教会の聖職者であることは本当なの?」
「はい、"元"と言った方が正しいですが。」
「でも他の聖職者と違って使徒としての能力は、まだ残っている、これも本当?」
「微かに、ですが、身体能力上昇と銃火器の軽い魔装化程度ならまだできます。」
「よかった。」
中将の言ったように、彼女の能力はまだ残っていた。長期的なリハビリをすれば元の能力まで戻る可能性だってある。ここで彼女を見逃す手はない。
「ウィリアム・アーチリステ少佐、私からも聞きたいことがありますが、いいですか?」
「もちろん」
「私を、国教会の軍に入れさせようとしていますか?」
「ノーと言えば嘘になる。もちろん元の階級や権限はそのまま、ぜひ国教会に─」
「そうですか」
突き放すように彼女は言った。
「私はもう軍には入りません。今の私には、家族も友人も守るべき国も無い。福音教会は私の家みたいなものでした。それなのに─」
彼女は手を強く握って小さな声で言った。
「それなのに、あの国は変わってしまった。私はもう疲れたんです。福音教会も統一主義も、もうどうでもいい。今ここにいるのも、誰も私に干渉しないから、誰も私を見ないから、ここで静かに暮らしていた。なのに、なんで私を呼ぶの…」
目から涙を溢しながら、彼女は僕にそう訴えかけた。
「すまない、しかし、君のような優秀な聖職者は、軍にいるべき人間なんだ。我々もできる限りの、」
「Halt die Klappe!」
ドイツ語は分からないが、彼女の必死さが伝わる。
「……もう帰ってよ…」
俯いて彼女は掠れた声で言う。
「ごめんなさいね、アーチリステさん。今は1人にさせてあげて下さい…」
「すいません、完全に僕が悪かったです…今日はもう帰ります…」
残念だが、彼女はもう僕と話をする気は無い。
今、彼女の心を癒すことができない自分がとても情けない。
「またいらしてくださいね。今度はゆっくり話しましょう。」
「はい、今日はありがとうございました。」
陽の沈む教会から鐘の音がした。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
現在1945年中盤まで執筆
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる