10回目の婚約破棄。もう飽きたので、今回は断罪される前に自分で自分を追放します。二度と探さないでください(フリではありません)

放浪人

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第二十話(最終話) エピローグ・10回目の人生は、騒がしいけれど悪くない

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王国に平和が戻ってから、数ヶ月が過ぎた。

季節は春。 王城の中庭には、色とりどりの花が咲き乱れ、柔らかな日差しが降り注いでいる。 心地よい風が吹き抜け、小鳥たちが歌う、絶好のお昼寝日和だ。

「……んー、最高」

私は、庭園の木陰に設置させた特注のハンモックに揺られながら、至福の時を過ごしていた。 今日は水曜日。 つまり、私の『定休日』だ。

私の労働契約通り、月曜日と火曜日の二日間で、山積みだった公務と復興計画の決裁を全て片付けた。 今の私は、誰に遠慮することなく惰眠を貪る権利を持つ、自由の身である。

「お姉さま、冷たいレモネードをお持ちしましたよ」

メイド服(秘書官仕様)を着たミナが、ワゴンを押してやってくる。 彼女はこの数ヶ月で、私の専属秘書官として驚異的な成長を遂げていた。 私の思考を先読みし、面倒な来客を笑顔で追い返し、私がお菓子を食べたいと思った瞬間に差し出す。 まさに、神スキルを持つ有能な右腕だ。

「ありがとう、ミナ。……平和ねえ」

「はい。王都の復興もほぼ完了しましたし、おじ様のパン屋さんも新装開店して大繁盛だそうです」

「それは重畳。後で買いに行かせなきゃ」

私はレモネードを一口飲んだ。 甘酸っぱい味が喉を潤す。

視線の先では、S級ドラゴンのポチが、庭の池で水浴びをしていた。 巨大な体を丸めて、気持ちよさそうに鼻歌(のような唸り声)を上げている。 たまに庭師のおじいさんが、ポチの背中をデッキブラシで洗ってあげている姿は、もはや王城の名物となりつつある。

「……あー、幸せ。このまま永遠に時が止まればいいのに」

私が呟いた、その時だった。

「リゼェェェッ! リゼ成分が足りなぁぁぁいッ!」

王城のバルコニーから、悲痛な叫び声が降ってきた。 見上げると、執務室の窓から身を乗り出している金髪の男――アレクセイ殿下の姿があった。

「仕事しなさいよ、アレクセイ。今日は水曜日よ」

私はハンモックから起き上がらずに、手だけ振って追い払う仕草をした。

「無理だ! もう3時間も君に会っていない! 禁断症状で手が震えて、書類にサインができない!」

「大げさね。さっきお昼ご飯を一緒に食べたじゃない」

「あれは食事であって、『摂取』ではない! 私は君の笑顔を直接摂取しないと光合成できない体なんだ!」

殿下が窓枠に足をかけた。 飛び降りる気だ。 ここは3階だぞ。

「降りてきたら罰金よ。契約書第5条、業務時間中の私的接触の禁止」

私が冷たく言い放つと、殿下はピタリと止まった。

「ぐぬぬ……! 契約の壁が……!」

彼は苦悶の表情で窓枠にしがみついた。

「だが、見ているだけならセーフのはずだ! 私はここから、君が昼寝をする姿を双眼鏡で監視……いや、見守ることにする!」

「気持ち悪いわよ! カーテン閉めるわよ!」

「待ってくれ! それだけは! 私の唯一のライフラインを絶たないでくれ!」

殿下の情けない声が庭園に響く。 近くにいた衛兵たちが、「また始まったよ」「平和だねえ」と苦笑いしているのが見える。

かつての「冷徹な王太子」の面影は、もうどこにもない。 今の彼は、国民公認の「愛妻家(予定)のバカ殿」であり、そして同時に、この国を救った英雄として絶大な人気を誇っていた。

「……はぁ。騒がしいったらありゃしない」

私はため息をつきつつも、口元が緩むのを止められなかった。 9回の人生で味わった恐怖と絶望。 それが嘘のように、今の日常は明るく、そして騒がしい。

   ◇

午後。 私は少しだけ外出することにした。 変装魔法で「村娘アリス」の姿になり、城下町へ繰り出す。 これは私の密かな楽しみであり、重要な「逃走ルートの確認作業」も兼ねている。

復興した王都は、以前よりも活気に満ちていた。 新しい建物が立ち並び、市場には他国からの珍しい商品も並んでいる。 帝国の技術協力のおかげで、魔導具を使った街灯や水道も整備され、暮らしやすさは格段に向上していた。

「いらっしゃい! 今日は焼きたてのメロンパンがあるよ!」 「そこのお嬢ちゃん、安いよ!」

人々の笑顔。 誰もが前を向いて歩いている。

私は『陽だまりのベーカリー』に立ち寄り、おじさんと談笑してから、お気に入りのカフェのテラス席に座った。

「ご注文は?」

「アイスティーを一つ」

運ばれてきた紅茶を飲みながら、私は道ゆく人々を眺めた。

ふと、懐に入れていた通信魔石が震えた。 帝国のジークフリートからだ。

『やあ、リゼ嬢。元気かい?』

相変わらずの甘い声が脳内に響く。

「元気よ。週休5日のおかげで肌の調子もいいわ」

『それは何よりだ。……ところで、先日送った「帝国の最新スイーツ詰め合わせ」は届いたかな?』

「ええ、昨日届いたわ。美味しかった。ポチが箱ごと食べようとして大変だったけど」

『ははは。君に気に入ってもらえて嬉しいよ。……どうだい? そろそろ王国の田舎暮らしにも飽きたんじゃないか? 私の屋敷はいつでも君を歓迎するよ。新しいふかふかのベッドも用意したんだ』

ジークフリートの誘惑。 正直、少し心が揺れる。 帝国の先進的な文化と、ジークフリートの適度な距離感は魅力的だ。

「……検討しておくわ。こっちの王子がウザくなったら、すぐにそっちへ亡命するから」

『期待して待っているよ。……おっと、これ以上話していると、君の背後の「金色の守護霊」に殺されそうだ』

「え?」

通信が切れる。 背後?

私が恐る恐る振り返ると。 カフェの生垣の向こうから、黄金のオーラを纏ったアレクセイ殿下が、じーっとこちらを見つめていた。 変装しているはずの私を、正確に捕捉している。

「……いつからそこにいたの?」

「最初からだ」

殿下は生垣を飛び越えて(マナー違反)、私の向かいの席に座った。

「君が城を出た瞬間から、気配を消して尾行していた。完璧な護衛だろう?」

「ストーカーって言うのよ、それ」

「誰と話していたんだ? あの帝国のキザ男か?」

殿下の目が据わっている。 笑顔なのに目が笑っていない、お馴染みのヤンデレモードだ。

「ただの世間話よ。お菓子の礼を言っただけ」

「お菓子? なんだ、甘いものが食べたかったのか。それならそうと言ってくれれば、私が国中のパティシエを集めてお菓子の城を作ったのに」

「だから、その極端な発想をやめなさいってば」

私は呆れてストローを回した。

「リゼ。君はまだ、逃げるつもりなのか?」

不意に、殿下が真剣な声で尋ねてきた。

「……どうかしらね」

私はとはぐらかした。

「いつでも逃げられる準備はしているわよ。リュックの中身は常に最新のものに入れ替えているし、ポチとも連携訓練をしているわ」

「そうか」

殿下は少し寂しそうな顔をして、でもすぐにニカっと笑った。

「ならば、私はもっと防備を固めないとな。君が逃げ出したくなる隙を与えないほど、快適で、幸福で、愛に満ちた檻(国)を作らなければ」

「檻って言うな」

「リゼ。私は諦めないぞ。君が『ここが世界で一番居心地がいい』と認めるまで、私は君を追いかけ、尽くし、愛し続ける」

彼はテーブル越しに手を伸ばし、私の手の上に重ねた。

「これは、私の一生をかけたゲームだ。君との『愛の鬼ごっこ』、絶対に私が勝ってみせる」

その瞳には、一点の曇りもなかった。 狂気的な執着は、いつしか純粋な情熱へと昇華されていた(当社比)。 相変わらず重いけれど、不思議と息苦しくはない。

「……勝手にしなさいよ」

私は手を振りほどこうとしたが、彼は離さなかった。 カフェの店員や客たちが、こちらを見てクスクスと笑っている。 「あ、あれ王太子殿下じゃない?」「隣はリゼ様?」「変装してるつもりなのかな」「仲良いわねえ」

バレバレだ。 恥ずかしい。 でも、私は彼の手を握り返したまま、アイスティーを飲み干した。

   ◇

夕暮れ時。 私たちは王城へ戻ってきた。

私は自分の部屋――かつての殺風景な部屋ではなく、最高級の家具と防音設備が整えられたスイートルームに入った。

部屋の隅には、常に旅行鞄(リュック)が置かれている。 中には、保存食、換金用の宝石、変装道具、そして『転移の指輪』。 いつでも、今すぐにでも夜逃げできるフル装備だ。

私はベッドに腰掛け、そのリュックを愛おしげに撫でた。

「これがあるから、私は安心できるのよね」

逃げ道があるという安心感。 それこそが、私がこの場所に留まるための命綱だ。 もし、殿下が豹変して私を閉じ込めようとしたら。 もし、貴族社会がまた私を断罪しようとしたら。 私は迷わずこのリュックを背負って窓から飛び出すだろう。

「……でも、まあ」

私は窓の外を見た。 夕焼けに染まる王城の庭園。 そこで、ポチがミナと追いかけっこをして遊んでいる。 そして、執務室の窓からは、アレクセイ殿下がこちらに手を振っているのが見える(まだ見てたのか)。

『リゼー! 愛してるぞー! これで今日3回目だー!』

殿下の声が聞こえる。 最後の一回を、こんなタイミングで消費するなんて。

「……バカね」

私はクスッと笑った。

10回目の人生。 過去9回の悲劇が嘘のように、今は騒がしくて、面倒くさくて、そして温かい。 断罪も、処刑も、追放もない。 あるのは、溺愛と、美味しいご飯と、週休5日の自由だけ。

私はリュックの口を閉めた。 まだ、これを使う日は来なそうだ。

コンコン。 ドアがノックされた。

「リゼ。入ってもいいか?」

殿下の声だ。

「どうぞ。契約時間内なら」

ドアが開き、殿下が入ってきた。 手には、綺麗にラッピングされた小箱を持っている。

「なんだい、その箱は?」

「……賄賂だ」

殿下は照れ臭そうに箱を差し出した。

「今日、街で見つけたんだ。君に似合うと思って」

私が箱を開けると、中にはアメジストのブローチが入っていた。 猫の形をしている。 私の瞳と同じ色。

「……可愛い」

「だろう? 自由気ままで、でも愛らしい。まさに君だ」

殿下は私の隣に座った。

「リゼ。これからも、君はずっと私の『猫』でいてくれるか?」

「猫扱いしないで」

「じゃあ、私の『女王様』で」

「それも違う」

私はブローチを胸につけた。

「私はただのリーゼロッテよ。あんたの婚約者で、たまに逃げ出す家出少女」

「ふふ、それでもいい。君が君である限り、私は君を愛し続ける」

殿下は顔を近づけてきた。 キスをねだるような顔。 契約では、キスは禁止していない(書き忘れた)。 でも、簡単に許しては調子に乗る。

私はテーブルの上にあったクッキーを一枚つまみ、彼の口に押し込んだ。

「はい、餌付け」

「むぐっ……! ん、美味い!」

殿下は嬉しそうにクッキーを咀嚼した。 安上がりな王子だ。

「ほら、仕事に戻りなさい。明日の分まで片付けておかないと、週末のデート(という名の視察)に行けないわよ」

「おお! そうだった! 今週末は隣国の温泉地へ視察に行くんだったな!」

殿下はガバッと立ち上がった。

「燃えてきたぞ! 待っていろリゼ! 光の速さで公務を終わらせてくる!」

「はいはい、行ってらっしゃい」

殿下は嵐のように部屋を出て行った。 「リゼの笑顔エネルギー充填完了!」と叫びながら廊下を走っていく音が聞こえる。 本当に、懲りない男だ。

私は一人になった部屋で、窓の外を見上げた。 一番星が光っている。

10回目の人生。 最初は「もう飽きた」と思って始めた逃亡劇だったけれど。 どうやら、この騒がしい日常には、まだ飽きそうにない。

「ま、悪くないわね」

私は小さく独りごちて、殿下からもらったブローチを指でなぞった。

いつかまた、リュックを背負って逃げ出す日が来るかもしれない。 その時は、きっとまた彼が全力で追いかけてくるだろう。 海を越え、空を越え、ダンジョンを越えて。

そして私は、捕まるギリギリのスリルを楽しみながら、こう言うのだ。

「私を捕まえられるものなら、捕まえてみなさい!」

――最高の、愛の鬼ごっこを、一生続けてやるわ。

私は窓を開け、夜風に向かってニヤリと笑った。 悪役令嬢リーゼロッテの物語は、ここからが本番なのだから。

(おしまい)
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