「婚約破棄して下さい」と言い続けたら、王太子の好感度がカンストしました~悪役令嬢を引退したいのに~

放浪人

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第一話「退職届(婚約破棄)を提出します」

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「……よし。今日こそ、出す」

 私は、鏡に映る自分に向かって小さくガッツポーズをした。

 艶やかな銀髪に、吊り上がった紫のアメジストのような瞳。
 黙っていれば「氷の華」と称賛されるが、口を開けば「毒の華」と恐れられる公爵令嬢。

 リュシア・ヴァルモン。十八歳。
 この星冠王国アステリアの王太子、レオンハルト殿下の婚約者であり――。

 そして、乙女ゲーム『星の乙女と約束の王子』における、ラスボス悪役令嬢である。

 
「前世の記憶が戻ったのが三日前。状況は……最悪」

 
 私は深い溜め息をついた。
 ゲームの知識によれば、あと半年後に「断罪イベント」が発生する。
 ヒロインをいじめた罪(冤罪含む)で婚約破棄を突きつけられ、国外追放。
 その道中で、野盗に襲われて――エンド。

「死にたくない。絶対に、死にたくない!」

 前世は日本のブラック企業で、過労の果てに倒れた社畜だった。
 せっかく魔法のある世界に転生したのに、またバッドエンドなんて御免だ。

 だから、私は決めたのだ。

 断罪される前に、自分から辞めてやる。

 悪役令嬢なんてブラックな職務、こちらから願い下げだ。
 私は手元の封筒を強く握りしめた。
 中に入っているのは、徹夜で書き上げた完璧な書類。

 名付けて、『婚約破棄の申入書』。
 実質的な、私の退職届だ。

「失礼いたします、レオンハルト殿下」

 重厚なマホガニーの扉をノックし、私は王太子の執務室へと足を踏み入れた。

 部屋の中には、書類の山に埋もれる一人の青年がいた。
 窓から差し込む陽光が、彼の黄金の髪をキラキラと輝かせている。
 アイスブルーの瞳は、書類に向けられたまま動かない。

 レオンハルト・アステリア。
 この国の王太子であり、私がこれから「さよなら」を告げる相手だ。

「リュシアか。……珍しいな、君からここへ来るとは」

 彼は顔も上げずに言った。ペンを走らせる音だけが、静寂な部屋に響く。
 冷淡だ。
 でも、それでいい。
 ゲームの設定通りなら、彼は私を愛してなどいない。政略結婚の駒としか見ていないはずだ。

 私はスッと息を吸い込み、姿勢を正した。
 背筋を伸ばし、顎を引く。貴族令嬢としての完璧なカーテシー。

「殿下。本日は、折り入ってお願いがございます」

「手短に頼む。見ての通り、急ぎの決済が山積みだ」

「はい。では、単刀直入に申し上げます」

 私は一歩前に進み出ると、懐から『退職届』を取り出し、彼のデスクの上に叩きつけた。

 バンッ!

 乾いた音が響く。
 ようやく、レオンハルトの手が止まった。
 彼がゆっくりと顔を上げ、私を見る。その瞳には、怪訝な色が浮かんでいた。

「……これは?」

「婚約破棄の申入書でございます」

 私ははっきりと言い放った。

「私、リュシア・ヴァルモンは、才色兼備で有能な殿下の隣に立つには、あまりに力不足です。これ以上、殿下の足を引っ張るわけにはいきません」

 心にもない謙遜を並べ立てる。
 本当の理由は「死にたくないから」だが、そんなことを言っても通じない。
 ここは、相手を持ち上げつつ、円満に契約解除を狙うのが社畜の知恵だ。

「ですから、どうか――婚約破棄して下さい」

 言った。言ってやった!
 これで彼は、「やっとわかったか、この悪女め」と罵りながら、喜んでサインするはず。

 ……はず、だったのに。

 
 レオンハルトは、動かなかった。
 書類を手に取ることもなく、ただじっと、私を見つめている。
 そのアイスブルーの瞳が、ふらりと揺らいだように見えた。

「……力不足、だと?」

 低く、重い声だった。
 怒っているのだろうか?
 私はごくりと喉を鳴らした。

「は、はい。殿下は次期国王として、もっと相応しい方がいらっしゃるはずです。私のような、性根が曲がった女ではなく……」

「リュシア」

 遮られた。
 彼は立ち上がり、デスクを回り込んで私の目の前に立った。
 高い。
 見上げると、彼の表情は――怒りではなかった。

 それは、痛ましいものを見るような、深い悲哀。

「……君は、気づいていたのか」

「え?」

「王宮内で、私の反対派が動いていることに。そして、ヴァルモン家を標的にしようとしていることに」

 は?
 何の話?

 私は瞬きをした。
 反対派? そんなの知らない。私が恐れているのは、半年後の断罪イベントだけだ。

「あ、いえ、その……」

「隠さなくていい。君の聡明さは知っている」

 レオンハルトは、私の手を取り、ぎゅっと握りしめた。
 その手は熱く、微かに震えている。

「君は、私を守るために……自ら身を引こうとしているのだろう? 自分が悪者になり、泥をかぶることで、反対派の矛先を逸らすために」

「は……?」

 待って。
 どうしてそうなった?

「ち、違います! 私はただ、自分のために――」

「優しいな、君は」

 ズキュゥゥン!!

 何かが突き抜ける音がした気がした。
 レオンハルトの瞳が、熱を帯びて潤んでいる。
 彼は私の『退職届』を手に取ると、それを丁寧に二つに折り、自分の胸ポケットにしまった。

「この書類は、預かっておく。だが、受理はしない」

「えっ!? いや、困ります! 受理してください!」

「君を一人で危険に晒すわけにはいかない。……君がそこまで覚悟を決めているのなら、私も答えよう」

 彼は私の手を握ったまま、真剣な眼差しで宣言した。

「今日から、君の護衛を三倍に増やす」

「は?」

「近衛騎士団から精鋭を選抜し、二十四時間体制で君を守らせる。屋敷はもちろん、外出時もだ。……安心してくれ、もう君を孤独にはさせない」

 
 ――違う。
 そうじゃない。

 私は心の中で絶叫した。
 二十四時間監視!? それでは逃亡計画も立てられないではないか!

 その時だった。
 レオンハルトの胸元、シャツの隙間から、青白い光が漏れた。
 
 《星冠の誓約(クラウン・アストラル)》。
 王家と婚約者に刻まれる、魔術的な契約の証。
 私には見える。彼のアザのような星の刻印の上に浮かぶ、デジタルのような数字が。

 【星冠値:10 → 25】

 上がった。
 なんで!?
 「婚約破棄して」って言っただけなのに、なんで好感度(拘束力)が上がってるの!?

「待ってください殿下! 私は本当に、破棄を……!」

「無理をしなくていい。……君の献身は、痛いほど伝わった」

 彼は優しく微笑んだ。
 その笑顔は、今まで見たこともないほど甘く、そして――逃げ場のない鉄格子のように堅固だった。

「さあ、戻りなさい。護衛の騎士たちには、すでにお触れを出しておいた」

 執務室から追い出されるようにして、私は廊下に出た。
 そこには、ずらりと並んだ屈強な騎士たちが、私に向かって敬礼していた。

「リュシア様! 我ら一同、命に代えてもお守りします!」

「……」

 終わった。
 退職届を出したら、なぜかセキュリティレベルが最高ランクの特別室に軟禁されることになった。

 私は空を仰いだ。
 天井のシャンデリアが、私の絶望をあざ笑うように輝いていた。

(なんでよぉぉぉぉッ!!)

 私の悪役令嬢引退生活は、前途多難どころか、いきなり詰みかけていた。
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