「婚約破棄して下さい」と言い続けたら、王太子の好感度がカンストしました~悪役令嬢を引退したいのに~

放浪人

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第三話「真ヒロイン(自称)の涙と、記録石」

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 王宮の回廊に、甲高い声が響き渡っていた。

「ひどいです、リュシア様! まさか、私のドレスを切り刻むなんて……!」

 ピンクブロンドの髪を揺らし、その場に泣き崩れる美少女。
 男爵令嬢、セレナ・ルミエールだ。
 彼女は両手で顔を覆いながら、指の隙間からチラチラとこちらの様子を窺っている。その足元には、無惨に引き裂かれたレースの切れ端が落ちていた。もちろん、彼女が自分で持ってきた仕込みだろう。

 周囲を取り囲む貴族たちが、ざわめき立つ。
「おい、聞いたか? リュシア様がまた……」
「やはり、噂通り嫉妬深い方なのだわ」
「可哀想に、あの男爵令嬢……」

 いいぞ。その反応だ。
 私は心の中で喝采を叫んだ。
 これこそが、私が待ち望んでいた展開だ。衆人環視の中での悪行の発覚。これによって私の評判は地に落ち、王太子の婚約者としてふさわしくないと糾弾される。
 そうすれば、あの重すぎる「溺愛勘違い」を続けるレオンハルト殿下も、さすがに目を覚ますはずだ。

 私は扇を口元に当て、精一杯の高笑いを演出した。

「オーッホッホッホ! いい気味ですわ、セレナさん。身の程を知りなさい!」

 言い切った。完璧な悪役令嬢ムーブだ。
 さあ、私を軽蔑しなさい。石を投げなさい。そして婚約破棄を突きつけなさい!

「リュシア……!」

 人垣が割れ、黄金の髪をなびかせた青年が駆け寄ってきた。
 レオンハルト殿下だ。タイミングもばっちりである。
 彼は厳しい表情で、泣き崩れるセレナと、勝ち誇る(ふりをしている)私を交互に見やった。

「殿下ぁ……!」
 セレナがすがりつくように声を上げる。
「聞いてください、リュシア様が……私を呼び出して、ハサミでドレスを……ううっ!」

 セレナは涙で潤んだ瞳を彼に向け、震える肩を抱いた。乙女ゲームのヒロイン補正が全開の「守ってあげたいオーラ」だ。普通の男なら、これだけでイチコロだろう。
 レオンハルトのアイスブルーの瞳が、私を射抜く。

「リュシア。これは本当か?」

 私は背筋を伸ばし、ふてぶてしく言い放った。

「ええ、本当ですわ。私がやりました。気に入らなかったものですから」

 嘘である。
 私は一日中、殿下の執務室で監視されながら書類整理をさせられていたのだから、呼び出しなどできるはずがない。アリバイは完璧すぎて困るほどだ。
 だが、ここはあえて罪を認める。そうすれば彼は、「まさか執務室を抜け出してまで……なんて執念深い女だ」と呆れ果てるに違いない。

 レオンハルトが、ゆっくりと私に歩み寄る。
 その顔には、深い、あまりにも深い苦悩が刻まれていた。
 そして彼は、私の目の前で立ち止まると――なんと、膝をついた。

「……すまない」

 え?

「私が不甲斐ないばかりに、また君に……こんな役回りを演じさせてしまった」

 はい?

 回廊にいた全員の思考が停止したのがわかった。
 もちろん、私もだ。
 レオンハルトは痛ましげに私の手を取り、そっと自身の額に押し当てた。

「君はずっと私の執務室にいた。一歩も外に出ていないことは、私自身と、入り口の護衛たちが証明できる。それなのに、君はこの男爵令嬢の狂言を、あえて自分がやったと言って庇ったのだな?」

「は、はい……?」

 いや、庇ってない。陥れようとしたのだ。
 しかしレオンハルトの脳内通訳機能は、今日も絶好調にバグっていた。

「君は、騒ぎを大きくしたくなかったのだろう。彼女が『自分でドレスを切った』などという醜聞が広まれば、彼女の未来は閉ざされる。だから君は、彼女の未熟な嘘を隠すために、自ら悪名を被ろうとした……。なんという、慈悲深さだ」

 違う、そうじゃない。
 全否定したいが、口を開く前に、周囲の空気が一変した。
 
「え……? リュシア様はずっと殿下と一緒にいた?」
「じゃあ、あの男爵令嬢の嘘ってことか?」
「なんてこと……。自分の罪をリュシア様に擦り付けようなんて」
「それを黙って受け入れようとしたリュシア様、尊すぎないか……?」

 さっきまでの軽蔑の視線が、一瞬にして「聖女を見る目」に変わっていく。
 待って。困る。やめて。

 セレナの顔色が蒼白になっている。彼女も計算外だったのだろう。
「ち、違います! 私は本当に……! そ、そうです、魔法です! リュシア様は魔法で遠隔攻撃を……!」

 苦し紛れの言い訳を叫ぶセレナ。
 レオンハルトは立ち上がり、冷徹な王太子の顔に戻って彼女を見下ろした。

「魔法か。ならば確認しよう」

 彼は懐から、手のひらサイズの水晶を取り出した。
 薄い青色に発光するその石を見て、周囲の貴族たちが息を呑む。

 ――《記録石》。

 この星冠王国アステリアにおいて、法的証拠として採用される絶対的な魔道具だ。
 音声、映像、そして周囲の魔力残滓を記録する。高価なものだが、王族や高位貴族は常に携帯している。

「ここには、今日一日の私の執務室の状況と、私の周囲の魔力反応がすべて記録されている。リュシアが魔法を使ったなら、必ず痕跡が残るはずだ。……見るか?」

 レオンハルトが水晶を掲げると、セレナは「ひっ」と短い悲鳴を上げて後ずさった。
 嘘がバレるのは明白だ。
 もしここで記録石が再生されれば、彼女の「自作自演」だけでなく、王族への虚偽報告という重罪が確定してしまう。

 ……まずい。
 このままでは、セレナが断罪されて退場してしまう。
 彼女にはまだ頑張ってもらって、私を追い詰めてもらわなければ困るのだ。ラスボスは勇者がいないと輝かないのと同じように、悪役令嬢にはヒロインが必要なのだ。

 私はとっさに動いた。
 レオンハルトの腕を掴み、記録石を下ろさせる。

「殿下、もう十分です」

 私は静かに首を振った。
「これ以上は、彼女が可哀想ですわ」

 これは本心だ。「早く逃げて、もっとマシな作戦を練ってきなさい」というエールである。
 しかし、レオンハルトの瞳がまたしても揺らいだ。

「……リュシア。君はどこまで……」

 ドクン。
 嫌な音が胸の奥で響く。
 彼の胸元のシャツ越しに、星の刻印がカッと熱を帯びたのが見えた気がした。

 【星冠値:35 → 45】

 上がったあああああ!
 
「わかった。君がそう望むなら、今回は追及しない」

 レオンハルトは水晶を懐にしまうと、セレナに向かって冷ややかに告げた。
「男爵令嬢。慈悲深い我が婚約者に感謝することだ。……だが、次は無いと思え」

「っ……! し、失礼いたします!」

 セレナは真っ赤な顔で、逃げるように走り去っていった。
 その後ろ姿を見送りながら、私は絶望的な気分で溜め息をついた。
 周囲からは「さすがリュシア様」「王太子の婚約者にふさわしい度量だ」という称賛の声が聞こえてくる。
 
 完全に、裏目に出た。

「リュシア」

 レオンハルトが私の肩を抱き寄せた。公衆の面前だというのに、距離が近い。近すぎる。

「今回の件でよくわかった。君の優しさは、時として君自身を傷つける刃になる」

「いえ、あの、私は本当に意地悪をしたくて……」

「これからは、すべての公務と茶会において、必ず『記録石』による記録を義務付けよう」

「は?」

 私は耳を疑った。

「君が冤罪で苦しむことがないよう、君の行動はすべて国家として記録し、保存する。誰一人として、君を悪く言うことができないように」

 それはつまり、私の全言動が監視・録音・録画されるということだ。
 下手に「婚約破棄して」などと口走れば、それもまた公的記録として残り、後で「どういう意図だったのか」と審議にかけられかねない。
 さらに言えば、悪役として振る舞おうとしても、「記録を見れば実は良い人」という証拠が自動的に残ってしまう。

 詰んだ。
 悪役ムーブを封じられる最強のアイテム、それが導入されてしまった。

「さあ、行こうか。君が怖がらないように、今日は私が部屋まで送る」

 腰に手を回され、エスコートされる。
 すれ違う貴族たちが、うっとりとした表情で道を空ける。
 
 私は引きつった笑顔を浮かべながら、心の中で叫んだ。
(セレナ! 諦めないで! もっと上手な嘘をついて、私を悪者にしてよぉぉぉ!)

 一方その頃。
 王宮の裏庭、人目につかないガゼボの影で。
 セレナはギリギリと歯ぎしりをしていた。

「なによ、なによあの女……!」

 彼女の手には、先ほどの屈辱で握りしめすぎてシワになったハンカチがあった。
「ゲームと違うじゃない。リュシアはもっと単純な悪役のはずでしょ? なんであんなに余裕ぶってるのよ……!」

 彼女の瞳に、暗い炎が宿る。
「記録石……そう、証拠があればいいのよね。だったら、証拠ごと捏造してやるわ」

 彼女は足早に歩き出した。
 向かう先は、王都の中央にある大神殿。
 この国の信仰と「誓約」を司る聖域であり――そして、彼女の「聖女設定」を裏付ける協力者がいる場所だった。

 物語は、私の知らないところで、より厄介な方向へと転がり始めていた。
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