「婚約破棄して下さい」と言い続けたら、王太子の好感度がカンストしました~悪役令嬢を引退したいのに~

放浪人

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第八話「神殿の面談:誓約監査」

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 大神殿は、王都で最も高く、最も威圧的な建造物だ。
 純白の大理石で築かれたその尖塔は天を突き、ステンドグラスからは七色の光が降り注ぐ。
 本来なら、敬虔な信徒が祈りを捧げる場所。
 しかし今の私にとっては、最後の希望(断罪スポット)である。

「リュシア。本当に一人で大丈夫か?」

 神殿の正門前で、レオンハルト殿下が心配そうに私の手を握りしめていた。
 彼自身の護衛も多数控えているが、今回の呼び出しは「リュシア・ヴァルモン単独での聴取」という条件付きだ。
 神殿側が王太子の介入を嫌ったのだろう。

「ええ、問題ありませんわ。神官様たちが私のような『悪女』にどのような審判を下されるのか、しっかりと聞いてまいります」

 私は殊勝な顔で答えたが、内心はウキウキしていた。
 神殿といえば、保守的で格式を重んじる組織だ。
 昨日のパレードで私が聖女セレナの顔を潰したのは事実。きっと、「神に選ばれし聖女を辱めた罪」で、婚約破棄を勧告してくれるに違いない。
 あわよくば、「修道院送り」の判決が出れば最高だ。衣食住保証付きの隠居生活、それこそが私のゴールなのだから。

「……何かあれば、すぐにこの通信石を握りつぶしてくれ。近衛騎士団と共に突入する」
「やめてください。戦争になります」

 物騒なことを言う王太子をその場に残し、私は重厚な扉をくぐった。

          ◇

 案内されたのは、神殿の奥深くにある「審問の間」だった。
 窓のない薄暗い部屋。
 中央の机を挟んで、一人の女性が待っていた。

 切り揃えられた黒髪に、感情の読めない灰色の瞳。
 飾り気のない神官服を着ているが、その纏う空気は鋭利な刃物のようだ。

「……お待ちしておりました、リュシア・ヴァルモン様」

 彼女は立ち上がりもせず、手元の書類に目を落としたまま言った。
 
「神殿監査官のエルダと申します。本日は、昨日のパレードの件、ならびに貴女様の『信仰心』について確認させていただきます」

 監査官。
 それは神殿内部の不正や、貴族の契約不履行を取り締まる、いわば「神の警察」だ。
 来た。これはガチのやつだ。

 私は対面の椅子に座り、不敵な笑みを浮かべた。
「信仰心、ですか。あいにくですが、私は神に祈るよりも、現実に手を動かす方が好きな性分でしてよ?」

 どうだ。神殿のど真ん中で「祈りより実利」宣言。
 これだけで不敬罪確定だろう。さあ、怒れ!

 エルダはゆっくりと顔を上げ、私を見た。
 その灰色の瞳が、ジロジロと私を観察する。

「……なるほど。噂通り、率直な方ですね」

「無礼と仰っていただいて構いませんわ」

「いえ。……祈るだけで民が救えるなら、我々は苦労しません」

 え?

 エルダは小さく溜め息をつき、手元の書類をトントンと指で叩いた。
「昨日のパレード。貴女の指示は的確でした。当日の神官たちの報告書にも『リュシア様のおかげで死者が出ずに済んだ』とあります」

「はぁ。それはどうも」

「ですが、問題はそこではありません。……貴女は、聖女セレナをどう評価していますか?」

 試すような視線。
 ここで私がセレナを口汚く罵れば、「嫉妬深い女」として減点されるはずだ。
 よし、悪口だ。ありったけの悪口を言ってやる。

「評価、ですか。そうですね……」

 私は扇を口元に当て、冷ややかに言い放った。

「彼女は、管理能力が欠如しています。予算配分も、リスク管理も、人員配置も、すべてが杜撰。慈善事業を『お遊び』と勘違いしているのではないでしょうか。はっきり言って、関わりたくありません」

 完璧な罵倒だ。聖女を「無能」呼ばわりし、「関わりたくない」と拒絶した。
 これでエルダも激怒するはず――。

「……同感です」

 はい?

 エルダは眼鏡の位置を押し上げ、冷徹な声で言った。
「神殿内でも、彼女の行動には批判があります。奇跡の演出に多額の寄付金を使い込み、現場の神官たちを私兵のように扱う……。しかし、上層部の一部が彼女を熱烈に支持しており、我々監査局も手が出せない状態なのです」

 あれ? なんか雲行きが怪しい。

「そんな中、貴女は公衆の面前で、彼女の欺瞞を『実務的観点』から斬り捨てた。……感情論ではなく、論理と効率で」

 エルダの瞳に、奇妙な熱が宿り始めた。

「貴女のような、冷静な『目』を持つ方を待っていました」

「い、いや、私はただ、イライラしただけで……」

「その『イライラ』こそが、正常な管理者の感覚です」

 エルダは机の上の書類の山を、ドサッと私の前に押しやった。

「見てください。これがセレナに関する報告書です。あまりに不備が多く、整合性が取れない。貴女なら、この違和感の正体がわかりますか?」

 私は反射的に書類を手に取ってしまった。
 元社畜の悲しい性だ。乱雑な書類を見ると、整理したくて指が震えるのだ。

「……これ、日付がおかしいですわね」

 私はパラパラとページをめくり、瞬時に矛盾を見つけ出した。

「セレナが『奇跡』を起こしたとされる日時と、実際に資材(ポーション等)が倉庫から出庫された日時が一致しています。つまり、奇跡で怪我を治したのではなく、事前に用意した薬を使った可能性が高い」

「……!」

「それに、この『孤児院への慰問記録』。署名の筆跡が全て同じです。恐らく、神官の一人がまとめて代筆していますわね。公文書偽造の疑いがあります」

「なんと……」

「あと、この経費申請書。計算間違いがあります。ここ、ゼロが一つ多いですわよ。横領の隠蔽工作にしては雑すぎます」

 私は赤ペンを取り出し(なぜか持っていた)、次々と書類に修正を入れていった。
 ものの五分で、セレナの不正の証拠とも言える矛盾点が十数箇所もあぶり出された。

「……ふぅ。こんなところかしら。神殿の事務官は、算数からやり直した方がよろしいのでは?」

 私はペンを置き、冷たく言い放った。
 これで神殿の無能さを嘲笑った罪に問われるだろう。

 しかし、顔を上げると、エルダが震えていた。
 怒りで?
 いいえ、感動で。

「……美しい」

 エルダは私の修正が入った書類を、まるで聖典のように掲げた。

「これほど迅速かつ正確な監査……。長年、監査官を務めてきた私でさえ見落としていた矛盾を、瞬時に看破するとは」

「え、あの、ただの書類整理……」

「いいえ。これは『断罪』の準備です。貴女は、神聖な場所を汚す不正を許さない、潔癖な正義感をお持ちなのですね」

 違います。ただの職業病です。

 エルダは立ち上がり、私に深々と頭を下げた。
「リュシア様。貴女に対する疑念は晴れました。貴女は『悪女』などではない。腐敗した神殿とは距離を置き、外から冷静に正そうとする『改革者』だ」

「待ってください、買いかぶりすぎです!」

「これより、貴女を神殿監査局の『特別顧問』として認識します。……共に、膿を出し切りましょう」

 ガッチリと握手を求められた。
 手が冷たいのに、握力だけはやたら強かった。
 
          ◇

 面談を終えて外に出ると、レオンハルト殿下が今にも突入しそうな勢いで待っていた。

「リュシア! 無事か!? ひどいことはされなかったか!?」

「……ええ、まあ。精神的には疲れましたが」

 私がげっそりしていると、背後からエルダが現れた。
 彼女はレオンハルトに向かって、恭しく一礼した。

「レオンハルト殿下。ご婚約者様は、極めて優秀かつ公正な方でした」

「……ほう?」

 レオンハルトが驚いた顔をする。
 エルダは無表情のまま続けた。

「神殿が隠蔽しようとしていた不正を、わずか数分で見抜かれました。彼女の眼力は、我々監査官をも凌駕します。……殿下がお選びになった理由が、よくわかりました」

 その言葉を聞いた瞬間。
 レオンハルトの表情が、パァァァッと輝いた。
 まるで、自分のことのように誇らしげに。

「そうだろう! リュシアは素晴らしいだろう!」

「はい。彼女の厳しさは、真実を求める誠実さの裏返し。……神殿としても、全面的に彼女を支持します」

 ドクン。
 ああ、まただ。
 レオンハルトの胸元が発光している。

 【星冠値:70 → 74】

「リュシア。君はまた、味方を増やしたんだな」

 レオンハルトが私の肩を抱き寄せ、耳元で囁く。

「神殿という、最も保守的で厄介な組織の中に、君の理解者を作るとは……。君の『人徳』には恐れ入るよ」

 人徳じゃない。事務能力だ。
 私は天を仰いだ。
 断罪されるはずが、神殿公認の「特別顧問」になってしまった。これでまた、外堀が一つ埋まった。

 馬車に乗り込もうとした時、エルダが私に近づいてきた。
 彼女は周囲に聞こえないよう、私の耳元でそっと告げた。

「リュシア様。一つだけ、気をつけてください」

「……?」

「先ほど貴女が見抜いた通りです。聖女セレナの起こした『奇跡』の数々……。我々の管理する《記録石》には、その魔力波形が一切残っていないのです」

 私は息を呑んだ。
 魔力波形がない。
 それはつまり、魔法ですらないということだ。
 ただの手品か、あるいは――もっとタチの悪い『何か』か。

「彼女の背後には、神殿上層部だけでなく、もっと大きな闇がいる可能性があります。……調査は私が進めます。貴女は、どうかご無事で」

 エルダは一礼して去っていった。
 残された私は、冷や汗が流れるのを感じた。

 ただの恋愛バトルだと思っていた。
 ヒロインがちょっと性格が悪くて、私が悪役で、最後は婚約破棄されて終わりだと。
 でも、違う。
 何かが、致命的にきな臭い。

「どうした、リュシア? 顔色が悪いぞ」
 レオンハルトが心配そうに覗き込んでくる。
 その無垢なまでの信頼が、今は少しだけ頼もしく、そして……逃げられない鎖のように重く感じられた。

(断罪回避どころか、国の陰謀に片足突っ込んでない!?)

 私の平穏な隠居生活は、蜃気楼のように遠のいていくばかりだった。
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