「婚約破棄して下さい」と言い続けたら、王太子の好感度がカンストしました~悪役令嬢を引退したいのに~

放浪人

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第十一話「遠ざけない条項=実質、束縛」

 王宮の朝は早い。
 だが、私の朝はもっと早い。なぜなら、隣で寝ている王太子の寝顔を見るたびに、胃がキリキリと痛んで目が覚めるからだ。

「……おはよう、リュシア。今日も君の寝顔は天使のようだった」

 爽やかなバリトンボイス。
 目を開けると、そこには枕に肘をつき、至近距離で私を見つめるレオンハルト殿下の顔があった。
 近い。
 物理的に、近い。

「……おはようございます、殿下。あの、もう少し離れていただけませんか?」

「無理だ。条項を忘れたのか? 『互いを遠ざけない』。これが星の意志だ」

 彼は嬉しそうに、自分の胸元を指差した。
 そこには、例の《星冠の誓約》によって追加された文字が、タトゥーのように浮かび上がっている。

 あの日。
 私の部屋に「呪いの人形」が仕込まれた事件をきっかけに、レオンハルト殿下は暴挙に出た。
 私の部屋と彼の部屋の間の壁を物理的に破壊し、二つの部屋を繋げてしまったのだ。
 名目は「警備の強化」。実態は「二十四時間密着同棲」である。

 おかげで私は、着替えも、読書も、ぼんやり虚空を見つめる時間も、すべて彼の視界の中で行わなければならなくなった。
 トイレと入浴だけはさすがに別室だが、それでもドアの前には彼が仁王立ちしている。
 「何かあったらすぐに呼べ。三秒で突入する」という言葉と共に。
 ……落ち着いて用も足せない。

「殿下。私は提案があります」

 朝食の席で、私はナイフとフォークを置き、真剣な眼差しで切り出した。
 このままでは、私の精神が崩壊する。
 来月の『白花の儀』を待つ前に、私がストレスで胃潰瘍になってしまう。

「なんでしょう、我が愛しき婚約者よ」

「この『遠ざけない』という条項についてです。これは物理的な距離のみを指すものではないと、私は解釈します」

「ほう?」

 私は、昨夜こっそり布団の中で考えた屁理屈を展開した。

「人と人との絆とは、物理的な距離に比例するものではありません。むしろ、適度な距離を保つことで、互いの存在の大切さを再確認し、心の結びつきを強めることができる……いわば『精神的な近さ』こそが、真の意味での『遠ざけない』ことではないでしょうか?」

 どうだ。
 「愛のために離れよう」という、高度な詭弁。
 これなら、ポジティブな彼でも「なるほど、愛を深めるために別居しよう」と納得するはず。

 レオンハルトは、紅茶のカップを置き、深く考え込んだ。
 アイスブルーの瞳が、私をじっと見つめる。

「……つまり、君はこう言いたいのか」

 ごくり、と私は喉を鳴らした。

「常に一緒にいることで、私が『君を守れている』と慢心し、警備への意識が緩むことを危惧している……と」

 はい?

「物理的に近くにいることに甘えず、常に心の剣を研ぎ澄ませ。たとえ離れていても、互いの危機を察知できるほどの『魂の同期』を目指せ……君はそこまで高い次元の愛を求めているのか」

 違います。単に一人になりたいだけです。

「素晴らしい……! 確かに、今の私は『物理的距離』という安易な安心感に浸っていたかもしれない。君は、愛の形にさえ厳格な基準を持っているんだな」

 ドクン。
 嫌な音がした。
 彼の胸元から、またしても光が漏れる。

 【星冠値:82 → 84】

 上がった。
 なんで「離れたい」って言ってるのに、「魂レベルで繋がりたい」って解釈されるのよ!

「わかった、リュシア。君の提案を受け入れよう」

 おっ? 奇跡が起きたか?

「心の距離を縮めるために、まずは互いの『知』を共有しよう。今日は王立図書館へ行こう。そこで君が何を学び、何を考えているのか、私が隣でじっくりと観察させてもらう」

 結局、一緒に行くんかい!
 私のささやかな抵抗は、デートコースの提案として処理されてしまった。

          ◇

 王立図書館は、国内最大級の蔵書を誇る知の殿堂だ。
 天井まで届く本棚、静寂に包まれた空間、古書の香り。
 本来なら私の大好きな場所だが、今日は違う。
 なぜなら、私の腰にレオンハルトの手が回されているからだ。

「……殿下。図書館では静かに。あと、くっつきすぎです」
「半径五メートル以内の異性侵入制限があるからね。私が防波堤にならないと」

 彼は悪びれもせず、私をエスコート(拘束)して奥の閲覧室へと進む。
 すれ違う学者や司書たちが、ギョッとした目で私たちを見ている。
 そりゃそうだ。王太子が公爵令嬢にべったり張り付いて歩いているのだから。

 私は彼を無視して、法学書の棚に向かった。
 目的は一つ。《星冠の誓約》に関する過去の判例や、抜け道を探すことだ。
 特に「条項の無効化」や「強制解除」に関する記述がないか、徹底的に調べる必要がある。

「……あった」

 私は一冊の分厚い古書『星と契約の法理』を手に取った。
 パラパラとページをめくる。
 
 『誓約ハ、絶対ニ非ズ。双方ノ合意、モシクハ重大ナル背信行為アリシ時、破棄サレルコトアリ』

 これだ!
 重大な背信行為。つまり、どちらかが浮気をしたり、国を裏切ったりすれば、誓約は解除される可能性がある。
 私が浮気をするのは(物理的に監視されているので)無理だが、レオンハルトに「こいつは裏切り者だ」と思わせることはできるかもしれない。

 私は熱心にそのページを読み込んだ。
 背信行為の具体例……『敵国への内通』『王族への加害』『神殿への冒涜』……。
 どれもハードルが高い。下手をすれば処刑コースだ。
 もっと手軽な、命に関わらない裏切りはないものか。

「……何を読んでいるんだ?」

 背後から覗き込まれた。
 私はビクリとして本を閉じようとしたが、レオンハルトの手がそれを止めた。

「『星と契約の法理』……? 誓約の解除条件を調べているのか?」

 見られた。
 終わった。
 婚約者が「婚約破棄の方法」を必死に調べている現場を押さえられた。
 さすがにこれは言い逃れできない。
 怒れ。悲しめ。そして私を軽蔑しろ!

「……そうか。君は探しているんだな」

 レオンハルトの声は、静かだった。

「万が一、何らかの陰謀で私たちの誓約が『強制解除』させられそうになった時、それを防ぐための対抗策を」

 は?

「この本には、過去に悪意ある第三者が誓約を悪用し、王家の絆を引き裂いた事例が載っている。君はそれを予習し、私たちの絆を守るための『穴』を塞ごうとしているんだね」

 違います。その穴を広げて脱出したいんです。

「君という人は……どこまで健気なんだ。自分の逃げ道を探すのではなく、敵の侵入経路を塞ぐために、こんな難解な古書と格闘するなんて」

 レオンハルトは感動のあまり、図書館であることも忘れて私を抱きしめた。

「リュシア、愛している。君のその用心深さが、私と国を救う盾になる」

 周囲の司書たちが「きゃあ」と顔を赤らめる。
 私は白目を剥きそうになった。
 もうダメだ。この人の脳内フィルターは、どんな悪意も聖女の慈愛に変換してしまう最強の防壁だ。

 その時だった。
 閲覧室の入り口付近が、にわかに騒がしくなった。

「おや、兄上ではありませんか」

 涼やかな、しかしどこか粘着質を含んだ声。
 レオンハルトが私を抱く腕に、スッと力が入るのがわかった。

 振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
 レオンハルトと同じ黄金の髪だが、少し色が薄く、瞳はエメラルドグリーン。
 柔和な笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。

 第二王子、カイル・アステリア。
 王位継承権第二位を持ち、レオンハルトの最大の政敵とされる人物だ。

「……カイルか。久しぶりだな」

 レオンハルトが私を背に隠すようにして立つ。
 カイル王子は優雅に歩み寄り、私たちを交互に見やった。

「噂は聞いていますよ。兄上がご婚約者を溺愛するあまり、部屋の壁まで取り払ったとか。……相変わらず、情熱的ですね」

 カイルの視線が、私の顔に止まる。
 蛇が獲物を品定めするような、ねっとりとした視線。

「初めまして、リュシア嬢。兄には勿体ないほどの美貌と、聡明さをお持ちだとか」

「……お初にお目にかかります、カイル殿下」

 私はカーテシーをした。
 レオンハルトの背中越しに。

「『白花の儀』も近い。最近は王宮内もきな臭いですが、どうかご自愛ください。……特に、信じていた『誓約』が、実は脆い砂の城だった、なんてことにならないように」

 カイルは意味深な言葉を残し、ニヤリと笑った。
 その笑顔の裏に、明確な敵意が見えた。
 彼はセレナのバックについているという噂がある。
 もしそうなら、あの「呪いの人形」騒動も、彼が糸を引いていた可能性がある。

「……忠告、感謝するよ」

 レオンハルトが冷たく返す。
 カイルは肩をすくめ、去り際に私の方へ身を乗り出した。
 レオンハルトが遮ろうとするが、その隙間から、カイルの唇が動くのが見えた。

『――逃げたいなら、手を貸そうか?』

 え?
 私は息を呑んだ。
 声には出さなかったが、確かに彼はそう言った。
 私の本心を見抜いている?

 カイルが去った後、レオンハルトは厳しい表情で私に向き直った。

「リュシア。カイルには近づくな」

「は、はい。もちろんです」

「奴は……危険だ。何を考えているかわからない。特に君のような、純粋で無垢な人間は、奴の毒牙にかかりやすい」

 純粋で無垢。
 どの口が言うのか。私は今さっきまで「背信行為」の方法を探していた女だぞ。

「やはり、警護をもっと強化すべきだな。半径五メートルでは甘いかもしれない。三メートル……いや、手をつないでいれば安心か」

「殿下、それは日常生活に支障が出ます」

 私は必死に抵抗したが、レオンハルトの瞳は真剣そのものだった。
 第二王子の登場により、彼の「守護本能」という名の束縛スイッチが、さらに深く押されてしまったようだ。

 帰り道。
 王宮の廊下を歩きながら、私はカイル王子の言葉を反芻していた。
 
 『逃げたいなら、手を貸そうか?』

 甘い誘いだ。
 もし彼と手を組めば、このがんじがらめの婚約から抜け出せるかもしれない。
 でも、それは「政争」という、もっと血生臭い沼への入り口でもある。

 レオンハルトの温かい手。
 カイルの冷たい視線。
 そして、私の意思とは無関係に上がり続ける《星冠の誓約》。

(……どうすればいいのよ)

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